舟木さんがトップアイドル歌手であった頃には、多くの青春歌謡のスターがいらっしゃったと思います。でも、そんな中で、舟木さんだからこそ残すことができた仕事のひとつが、「その人は 昔」のアルバムと映画であったたように思います。
秋の夜長に、あらためて聴きたいと思う第十一回芸術祭参加のアルバム「心のステレオ その人は昔~東京の空の下で」と、翌年に公開された映画「その人は昔」を併せてとりあげてみました。
秋の夜長に、あらためて聴きたいと思う第十一回芸術祭参加のアルバム「心のステレオ その人は昔~東京の空の下で」と、翌年に公開された映画「その人は昔」を併せてとりあげてみました。
・・とはいうものの、私自身は「その人は 昔」のテーマ曲すら全く記憶になく・・というか、このアルバムの存在自体を当時、知っていたのか知らなかったのかおぼつかない状態です。映画が制作されているということを聞いた記憶はあるのですが、ほとんど関心がなかったのか、「絶唱」をあれほど観に行きたい!と思っていた熱が冷めていたのか、日々の高校生活に追われていたのか・・「ゴメンナサイ・・」というしかないほど忘却の彼方なのです。ですから、昨年、「復活」して間もなくのちょうど一年前の11月に大阪の「シネ・ヌーヴォ」で「スクリーンで観る舟木一夫と時代を彩ったスターたち」という企画で上映された時に、初めて観たという次第です。アルバム「心のステレオ その人は昔~東京の空の下で」との出会いはもっと、遅くて今年の3月にオークションでCDを手に入れて初めて、きちんとその作品を鑑賞することができました。
私としては、映画の舟木さんも素敵で、百人浜をはじめとする北海道の自然描写の映像も美しくいい作品だと感動しましたが、音の世界だけですべてを表現しているアルバムは、「芸術祭参加作品」にふさわしい秀作であると感じました。何より当時の舟木さんの清潔感と抒情性に満ちた表現力の確かさが、生かされていて、この時期に、このような作品を企画し、最高の作家と作曲家とのコンビネーションで「舟木一夫」という個性でしか生み出すことのできない音楽世界を音源のみで残し得たことに当時のプロデューサーやスタッフの方々に深い敬意と感謝を表します。
また、一方でアルバムには組み込まれていない、挿入歌が映画では、効果的に施されていて、「かずおとようこ」という恋人たちの姿がより立体的に、浮かび上がってきているのが映画という媒体のメリットでもあると感じられます。
映画のみの挿入歌
恋のホロッポ
白馬のルンナ
心こめて愛する人へ
じっとしてると恋しい
白馬のルンナ
心こめて愛する人へ
じっとしてると恋しい
アルバムの発売に先立って「近代映画」で、以下のような紹介がされています。9ページにわたって掲載されている全文から一部を転載させていただきます。
近代映画 1966年11月 臨時増刊号 舟木一夫秋の特大号より
舟木クンがファンに贈る芸術祭参加ステレオ盤の製作裏ばなし!
「心のステレオ その人は昔 ~ 東京の空の下で」
「心のステレオ その人は昔 ~ 東京の空の下で」
このデビュー三周年に、さらに花を添えるような、いえ、これからさき、舟木クンの歌手としての生活が何年、何十年つづくかしれませんが、ともあれ、そのかれの活躍期間を通じての、一つの大きな収穫、傑作として、おそらくいつまでも残るであろう、そうしたLP盤のレコードが近く発売されることになりました。
タイトル=心のステレオ「その人は昔」ー東京の空の下で=がそれです。なお、このレコードで舟木クンは今年の芸術祭に参加します。ですから、もうすでのご承知の通りの映画の「絶唱」とともに、ことし舟木クンは両部門で芸術祭に初参加するわけ。デビュー三周年にかけた舟木クンのすさまじいばかりのファイトがまざまざとうかがえます。
~中略~
そこで、「その人は 昔」ですが、これはひと言で説明して今までのLP盤には全然見られないような、まったく画期的なレコードだと言えます。歌謡曲のLP盤はご存知のようにシングル盤の作品を、一つに集大成したものだと思ってまず間違いありません。でも「その人は 昔」はそれとは根本的に違います。これは 寄せ集めの作品集などではないのです。
~中略~
さっそく、原作者と作曲家の決定に迫られましたが、担当の栗山ディレクターは躊躇なくそれを松山善三さんと船村徹さんいお願いすることにして、まもなくおふたりの快諾を得たのです。栗山ディレクターは「なまいきなことをいうようですが、ぼくの持論としてこんな考えを持っています。小説にしても映画やテレビのシナリオにしても、また詩にしてもそれを書く作者に一本のシンが通っていなければいけないと思うのです。~中略~その点、叙情といえば松山先生をおいてほかにありません。叙情ひとすじでおしとおしておられます。非常に美しい言葉をお書きになることでも定評がおありでしょう。また船村先生もがんこなほどご自分の作曲のスタイルを絶対に変えようとなさらないかたです。」
タイトル=心のステレオ「その人は昔」ー東京の空の下で=がそれです。なお、このレコードで舟木クンは今年の芸術祭に参加します。ですから、もうすでのご承知の通りの映画の「絶唱」とともに、ことし舟木クンは両部門で芸術祭に初参加するわけ。デビュー三周年にかけた舟木クンのすさまじいばかりのファイトがまざまざとうかがえます。
~中略~
そこで、「その人は 昔」ですが、これはひと言で説明して今までのLP盤には全然見られないような、まったく画期的なレコードだと言えます。歌謡曲のLP盤はご存知のようにシングル盤の作品を、一つに集大成したものだと思ってまず間違いありません。でも「その人は 昔」はそれとは根本的に違います。これは 寄せ集めの作品集などではないのです。
~中略~
さっそく、原作者と作曲家の決定に迫られましたが、担当の栗山ディレクターは躊躇なくそれを松山善三さんと船村徹さんいお願いすることにして、まもなくおふたりの快諾を得たのです。栗山ディレクターは「なまいきなことをいうようですが、ぼくの持論としてこんな考えを持っています。小説にしても映画やテレビのシナリオにしても、また詩にしてもそれを書く作者に一本のシンが通っていなければいけないと思うのです。~中略~その点、叙情といえば松山先生をおいてほかにありません。叙情ひとすじでおしとおしておられます。非常に美しい言葉をお書きになることでも定評がおありでしょう。また船村先生もがんこなほどご自分の作曲のスタイルを絶対に変えようとなさらないかたです。」
松山善三さんは原作の苦心や抱負などをこんな風に語っています。~ほんとうに楽しい仕事でした。僕としては舟木クンのイメージを常に頭に描きながら、できるだけの力を出したつもりですが結果はどうでしょうか。はじめはこの仕事をなぜ僕のところに持ってきたのかまったくわかりませんでした。とまどったくらいです。なにしろ歌のほうの仕事を今までまるっきりしたことのない僕ですから・・・。ぼくとしては叙情だけでとおそうと思ったのですが、できたら、今日の問題をいれてほしいということでそれも盛り込んでみました。後略~
こうしてできあがった松山善三さんの原作には、散文、自由詩、定型詩、朗読文、対話文などありとあらゆる文章の形式がとりいれられてて、「まるで週刊誌に作曲するようなものです・・」と作曲の船村徹さんに思わずそう言わせたのも無理はないほど、それは内容の充実したものでした。~中略~船村徹さんの作曲が、これまた、たいへんなものです。歌曲、歌謡、ジャズ、民謡、効果音など、およそ聴覚にうったえる、ありとあらゆる音楽形式がとりいれられています。それに松山さんの原作の詩の部分にしても、必ずしも七五調になっていないのでふつうの歌謡曲のように一番と二番以下のメロディーが、まったく同じということはほとんどありません。ですからそれを歌う舟木クンもたいへんです。ふつうの歌謡曲だったら一番のメロディーさえ覚えてしまえばあとは歌詞が違うだけで、二番も、三番も同じです。でも、この場合は別です。とにかく、船村さんが作った譜面が、全部で七十枚だったということだけを見ても、この仕事がどんなに大がかりなものかよくわかります。
~中略~
歌曲に、歌謡に、ジャズに、民謡に、舟木クンの歌のすばらしさはいうまでもありませんが、僕が一番感心した
のは、かれのセリフです。舟木クンのしっかりした、そしてすばらしいセリフが「その人は 昔」を、かれがあ
なたに贈る、このうえないプレゼントにしていると断言してはばかりません。
歌曲に、歌謡に、ジャズに、民謡に、舟木クンの歌のすばらしさはいうまでもありませんが、僕が一番感心した
のは、かれのセリフです。舟木クンのしっかりした、そしてすばらしいセリフが「その人は 昔」を、かれがあ
なたに贈る、このうえないプレゼントにしていると断言してはばかりません。
以下は、アルバムと映画の中で歌われている楽曲を中心に据えて、「その人は昔」の物語を私なりに再構築してみたものです。うまく繋がっていればいいのですが・・・
ここはおかしいよ!という部分もあるかもしれませんので、皆さんのご指摘をお待ちしています。
その人は昔~テーマ曲
(アルバムでは舟木さんの朗読のあと、歌唱があり、二度この詩の全文が続きます。)
その人は 昔
海の底の 真珠だった
その人は 昔
山の谷の 白百合だった
海の底の 真珠だった
その人は 昔
山の谷の 白百合だった
その人は 昔
夜空の星の 輝きだった
その人は 昔
僕の心の 灯だった
夜空の星の 輝きだった
その人は 昔
僕の心の 灯だった
でも その人は
もう 今は
いない
もう 今は
いない
その人は 昔
僕の すべて
今もその人は
思い出の 丘に咲く
ひな菊の花
僕の すべて
今もその人は
思い出の 丘に咲く
ひな菊の花
その人は むかし
僕の いのち
今もその人は
僕の日記を 埋める
かがやき
僕の いのち
今もその人は
僕の日記を 埋める
かがやき
その人は むかし
僕の ちから
いまもその人は
僕をやさしく みつめる
こいびと
僕の ちから
いまもその人は
僕をやさしく みつめる
こいびと
でも その人は
もう 今は
いない
もう 今は
いない
その人は 昔
玉石の
荒い
波ぎわ
玉石の
荒い
波ぎわ
若駒の
たてがみ
つかみ
たてがみ
つかみ
いらだつ
海の向こうを
見ていた
海の向こうを
見ていた
胸をはって
・・・・
http://www.youtube.com/watch?v=zdPb2xp10uM 最近の舟木さんの「その人は昔」テーマ曲、渋くてステキ!
宇野重吉さんの重厚な朗読で「アイヌ伝説」が語られます。
~アイヌの伝説によれば 昔この日高の海には鯨の群れが姿を見せていたという ハマナス スカシユリ センダイハギなどの花が 色とりどりに咲き乱れ 旅ゆくひとびとの眼をなぐさめてくれる・・・
馬の蹄の音とともに・・舟木さんの朗読で「その人」との百人浜での出逢いの場面の歌唱となります。
~僕は十八才
その人は
僕より一つしただった~
その人は
僕より一つしただった~
その人は
牧場で玉の汗をかきながら
馬を追いかけ 山麓(やまふところ)に
鍬をうちこんでは
乾いた
おいしい
空気を
胸一杯に 吸っていた
牧場で玉の汗をかきながら
馬を追いかけ 山麓(やまふところ)に
鍬をうちこんでは
乾いた
おいしい
空気を
胸一杯に 吸っていた
玉の汗は キラキラと光り
夢や希望をのせて
夢や希望をのせて
その人の
頬から 肩に落ちた
僕は
その人の
澄んだ瞳を
みつめながら
頬から 肩に落ちた
僕は
その人の
澄んだ瞳を
みつめながら
~ああ 抱きしめてやりたい~
僕は 身も 心も
ふるわせて
その人を
幸せに
してやりたいと
叫んだ
ふるわせて
その人を
幸せに
してやりたいと
叫んだ
しあわせ
しあわせ
しあわせ
恋のホロッポ
舟木さんと内藤さん歌唱(映画のみで挿入されています)
http://www.youtube.com/watch?v=DT_SuZc8Ov0
http://www.youtube.com/watch?v=DT_SuZc8Ov0
ホロッポホロホロ ホロッポホロホロ
何故君は走っているの
ホロッポホロホロ ホロッポホロホロ
何故だか私はわからない
何故君は走っているの
ホロッポホロホロ ホロッポホロホロ
何故だか私はわからない
ホロッポホロホロ ホロッポホロホロ
何故君は泣いているの
ホロッポホロホロ ホロッポホロホロ
何故だか私はわからない
何故君は泣いているの
ホロッポホロホロ ホロッポホロホロ
何故だか私はわからない
ホロッポホロッポ
一緒に泣いてあげようか
ホロッポホロホロ ホロッポホロホロ
ホロッポホロッポホロッポホロッポ
一緒に泣いてあげようか
ホロッポホロホロ ホロッポホロホロ
ホロッポホロッポホロッポホロッポ
北海道から東京に舞台が変わります。音楽もジャズ調のものが入ってきますが、百人浜を詠う民謡調の舟木さんの歌唱も挿入されて、当時の舟木さんの表現力の自在さに驚かされます。
林の奥に 消え 残る
雪の扉を
そっとひらき
カッツンツン カッツンツン
たたく音
あれは キツツキ
鳥の声
雪の扉を
そっとひらき
カッツンツン カッツンツン
たたく音
あれは キツツキ
鳥の声
東京には
鳥がいないよ
鳥がいないよ
萌える緑の
からまつの
梢に 昼の
うすい月
カッコ カッコの
閑古鳥
からまつの
梢に 昼の
うすい月
カッコ カッコの
閑古鳥
東京には
鳥がいないよ
鳥がいないよ
馬のたてがみに
春がくる
ハマボウフウの
白い花に
夏がくる
原始の峰の
秋の空
冬がくるのを
教える 海よ
秋の空
冬がくるのを
教える 海よ
東京には
季節がないよ
季節がないよ
夢に見た憧れの東京に手を取り合って出てきたふたりのつかの間のしあわせな時間を歌っています。
この作品では唯一の「青春ドラマ」風な曲調で、ほっとします。
待ち合わせた
地下鉄の
プラット・ホームのはずれで
キミは めだたないように
本を見ていたね
近づくと
はにかんでにっこり笑ったね
とても
感じがよかったよ
人混みの中で
そっと 指をふれあい
たそがれの 街の
スズラン灯の 路を
どこまでも 歩いたね
そっと 指をふれあい
たそがれの 街の
スズラン灯の 路を
どこまでも 歩いたね
車がくるたびに
キミはアッと 声あげた
感じがよかったよ
今でも覚えてる
レストランでの キミは
フォークとナイフを
なんども 持ちかえて
これでいいのって
つぶらな 瞳に
いっぱいの はじらいを見せて
感じがよかったよ
レストランでの キミは
フォークとナイフを
なんども 持ちかえて
これでいいのって
つぶらな 瞳に
いっぱいの はじらいを見せて
感じがよかったよ
キミを送る
夜更けの みちに
甘い 恋の
香りが 匂っていた
さようなら
ボクの 手に
ふるえる キミの小指がふれた
感じがよかったよ
夜更けの みちに
甘い 恋の
香りが 匂っていた
さようなら
ボクの 手に
ふるえる キミの小指がふれた
感じがよかったよ
夜間大学で学ぶふたりの幼い恋が育っていきます。以下の楽曲はアルバムでは舟木さんの歌う一番だけが収録されていますが、映画では二番の歌詞で内藤洋子さんも歌っていましたね。
一日 逢わないと
こぼれてしまう
この想いを
明日は キミのかぶる
ネッカチーフに くるんで
渡そう
想うことが
こんなにも つらいことだと
僕は知らなかった
一日 逢わないと
あふれてしまう
この想いを
明日は あなたの服の
胸のポッケに たたんで
渡そう
想うことが
こんなにも つらいことだと
私知らなかった
あふれてしまう
この想いを
明日は あなたの服の
胸のポッケに たたんで
渡そう
想うことが
こんなにも つらいことだと
私知らなかった
あこがれの都会での生活・・・でも、やがて暗い影がふたりの上に射し始めます。
こん こん こん こん
君はいま なぜ泣いているの
君はいま なぜ悲しいの
こん こん こん こん
君はいま 人を好きになったね
君はいま なぜ泣いているの
君はいま なぜ悲しいの
こん こん こん こん
君はいま 人を好きになったね
こん こん こん こん
君はいま なにを見てるの
こん こん こん こん
君はいま なぜひとりなの
こん こん こん こん
君はいま そっと何か言ったね
君はいま なにを見てるの
こん こん こん こん
君はいま なぜひとりなの
こん こん こん こん
君はいま そっと何か言ったね
こん こん こん こん
君はいま なにをしているの
こん こん こん こん
君はいま なぜさびしいの
こん こん こん こん
君はいま 僕をじっと見てたね
君はいま なにをしているの
こん こん こん こん
君はいま なぜさびしいの
こん こん こん こん
君はいま 僕をじっと見てたね
じっとしてると恋しい 1967年7月の映画公開時にシングル盤発売
http://www.youtube.com/watch?v=CDYnfRsneeI
http://www.youtube.com/watch?v=CDYnfRsneeI
じっとしてると恋しい
じっとしてると恋しい
君に 手紙を書いている
夜は とっくに ふけている
愛の 言葉を さがしては
じっとしてると恋しい
じっとしてると恋しい
じっとしてると恋しい
君に 手紙を書いている
夜は とっくに ふけている
愛の 言葉を さがしては
じっとしてると恋しい
じっとしてると恋しい
じっとしてると恋しい
じっとしてると恋しい
君に 手紙を書いている
別れた あとの 淋しさを
心の底に かみしめて
じっとしてると恋しい
じっとしてると恋しい
じっとしてると恋しい
君に 手紙を書いている
別れた あとの 淋しさを
心の底に かみしめて
じっとしてると恋しい
じっとしてると恋しい
じっとしてると恋しい
じっとしてると恋しい
君に 手紙を書いている
書いては 消して 書いている
こだまを 呼んで みるように
じっとしてると恋しい
じっとしてると恋しい
じっとしてると恋しい
君に 手紙を書いている
書いては 消して 書いている
こだまを 呼んで みるように
じっとしてると恋しい
じっとしてると恋しい
東京での生活はのびやかな自然の中で育ったふたりには過酷なものでした。そして、ふたりの間を裂く男の出現が、決定的にふたりの夢をバラバラにします。アルバムでは舟木さんの朗読と歌唱
~君と僕は いつの間にか
東京の街の中で
腐りはじめていた
東京の街の中で
腐りはじめていた
僕は その時 キミの中に
大きな変化の起こった
ことを知った
大きな変化の起こった
ことを知った
あいつがその時
キミの前へあらわれたんだ
キミの前へあらわれたんだ
あいつは 悪魔のような
黒いタイツのズボンをはいて
赤い縞のポロシャツの上に
ドクロのような
ペンダントが光ってた
黒いタイツのズボンをはいて
赤い縞のポロシャツの上に
ドクロのような
ペンダントが光ってた
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
ふるさとの牧歌的な歌唱と都会の喧騒を唄う歌唱・・・舟木さんの自在な表現力に圧倒されます。
昔 僕は 人々は
自分いがいの者のために
美しく生きるのだと 思ってた
一枚しかない よそいきに
チューインガムをつけられたと
泣いた その日の夜
キミは 学校の教室の
机の間に 倒れて 血を吐いた
キミは なんでもないといった
でも あの日から キミの心に
ゴギブリが巣をつくってしまった
でも あの日から キミの心に
ゴギブリが巣をつくってしまった
・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
ふたりの破局を語りと歌唱で紡ぎだしていく舟木さんの表現力が際立ちます。
悲劇へと向かう急な下り坂道のような心象風景をモノローグ風に語る舟木さん・・そしてクライマックスへと
悲劇へと向かう急な下り坂道のような心象風景をモノローグ風に語る舟木さん・・そしてクライマックスへと
一度は去っていった「その人」が傷ついて再び青年の前に現れる。
雨の日には ~内藤洋子さん歌唱(映画のみで挿入されています)
http://www.youtube.com/watch?v=llbb5kntTuU
http://www.youtube.com/watch?v=llbb5kntTuU
しかし、噛み合わない歯車と重なる不幸の偶然が「その人」を死に追いやったのです。
あのとき キミは もう 死ぬ気だったの! ・・・舟木さんの悲痛な叫び
僕が 病院の
手術台に
寝かされたころ
キミは
大森の 釣り船屋から
ボートに乗って
羽田の沖へ出ていった
そして 再び
帰って こなかった
手術台に
寝かされたころ
キミは
大森の 釣り船屋から
ボートに乗って
羽田の沖へ出ていった
そして 再び
帰って こなかった
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
その翌日
シールをななめにはった
キミの最後の手紙が
僕の下宿のポストに入っていた
シールをななめにはった
キミの最後の手紙が
僕の下宿のポストに入っていた
あおい お空に
字を書いた
あなたが好きと 字を書いた
字を書いた
あなたが好きと 字を書いた
暗い 夜空に
字を書いた
あなたが嫌いと 字を書いた
僕はなぜあの日
キミをしっかりと
この胸に抱きしめて
くちづけを しなかったんだろう
キミとかわす
くちづけを 夢にみながら
僕には勇気がなかった
僕がキミを
殺したんだ
殺したんだ
東京には
夢があると
僕が キミを
誘わなければ
キミは
日高の
山麓(やまふところ)で
どこまでも走る
馬にまたがり
波にうちよせる
百人浜を 走っていたのに
夢があると
僕が キミを
誘わなければ
キミは
日高の
山麓(やまふところ)で
どこまでも走る
馬にまたがり
波にうちよせる
百人浜を 走っていたのに
僕がキミを 殺したんだ
僕がキミを
僕がキミを
僕がキミを
(エコーのように続きます・・・)
僕がキミを
僕がキミを
(エコーのように続きます・・・)
美しいメロディーラインのテーマが再び・・
その人は 昔
海の底の 真珠だった
その人は 昔
山の谷の 白百合だった
その人は 昔
夜空の星の 輝きだった
その人は 昔
僕の心の 灯だった
夜空の星の 輝きだった
その人は 昔
僕の心の 灯だった
・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
百人浜で「その人」と出逢った青年が、夢に描いた「その人を幸せにしたいとやりたいと叫んだ」その想いをこめた哀切な歌唱を再び・・・
http://www.youtube.com/watch?v=zxOKt9EeELc
http://www.youtube.com/watch?v=zxOKt9EeELc
~ああ 抱きしめてやりたい~
僕は 身も 心も
ふるわせて
その人を
幸せに
してやりたいと
叫んだ
ふるわせて
その人を
幸せに
してやりたいと
叫んだ
しあわせ
しあわせ
しあわせ
しかし、現実は・・・
いま
僕の ちぎれた指は
夢の 終りを
告げている
その人と
百人浜の 波に 誓った
数々の 夢の終りを
僕は故郷へ 帰ってきた
はじめて
その人と 会った
百人浜へ
はじめて
その人と 会った
百人浜へ
いらだつ
白い 波の中に
一匹の
若駒が 立って
いつまでも いつまでも
荒れくるう
海のはてを
みつめていた
あれは
キミの
化身だろうか
そういえば
その夜
その夜
僕は
満天の星の下を
白馬の駆けるのを見た
満天の星の下を
白馬の駆けるのを見た
あれも
キミの化身だろうか
キミの化身だろうか
その人は 昔・・
その人は 昔・・
その人は 昔・・
アルバムでは、このように終わっていますが、映画では、青年は再び、たったひとりで「その人」を奪い去った東京へ向かっていくのですね。
あくまで芸術性と抒情性と音楽性を追求した「アルバム 心のステレオ その人は昔~東京の空の下で」と、哀しみと不幸にに打ちのめされてなお、独り現実の厳しさに立ち向かっていこうとする青年のたくましい姿をラストシーンで描いた映画「その人は 昔」・・・
今となっては、いずれも若き日の舟木さんの等身大の姿のような印象を受けます。繊細で優しくありつつも、強い魂を持ち続ける青年の姿は、やはり舟木一夫という人に、とてもよく似ているのですね。