12月が目前に迫ってきて、3日に初日を迎える大阪・新歌舞伎座公演をワクワク・ソワソワと待っている私です。12月ってただでさえ、クリスマスだ年末だ、お正月の準備だと・・・気持ちが落ち着かないのですが、今年は、なおさらです。また、先日はNHK紅白歌合戦の出場者の発表もすんで、いよいよ歳末ムードが漂ってきます。
考えてみると、2013年もあとわずか・・・ちょっと気が早いですが私自身の「舟木さんイヤー」を振りかえ
る意味も含めて、舟木さんの「デビューの頃」をたどってみたいと思います。
る意味も含めて、舟木さんの「デビューの頃」をたどってみたいと思います。
1963年6月5日「高校三年生」でレコードデビューなさった舟木さん。2012年が明けると同時に「50周年記念」のコンサートや舞台公演など様々な企画が続き、私自身もその「50周年記念」のお祝いの空気の中で、昨年の9月に大阪新歌舞伎座で開催された1ヶ月公演で舟木さんとの四十数年ぶりの劇的な「再会」を果たすことができました。そして、今年の6月の東京・新橋演舞場1ヶ月公演が、50周年記念のファイナルイベントであると同時に来たる55周年に向けてのスタートとなったわけで、私としては「遅すぎた復活ファン」として、これからの5年間をできる限り「舟木一夫にどっぷり浸って」過ごしたいと思っています。
半年ほど前から、少しずつ集めていた「近代映画」の舟木一夫特集号が、かなり増えてきました。これまでも、掲載記事のテーマに添ったものはご紹介してきましたが、主にデビューから5年目までくらいの舟木さんを「近代映画」から資料を拝借してこれからちょっとずつご紹介していければと思っています。
古くからずっと舟木さんと共に歩いてこられたファンの方には、「今さら・・」ネタばかりかと思いますが、そ
こは新参者の「遅ればせながら」の想いとして、寛容にお赦しいただければありがたく思います。
こは新参者の「遅ればせながら」の想いとして、寛容にお赦しいただければありがたく思います。
まずは、こちらの動画から・・・
「舟木一夫」誕生~ザ・青春歌謡「高校三年生」(45周年の頃の舟木さんのインタビューもあります)
http://www.youtube.com/watch?v=qHgMXSebXuo (youtubeより)
別冊 近代映画 舟木一夫特集号
~高校三年生/ステキなその魅力(1963年11月号)
~歌謡界に新風を吹き込んだ
♪高校三年生 舟木一夫のステキな魅力 記事より抜粋~
1 信じられない忙しさ!・その生活
デビュー盤「高校三年生」が発売されたのが、ことしの六月五日。それ以来、舟木クンの生活はガラリと変わってしまいました。とにかく忙しい。
「朝、起きるとすぐ、まず鏡で目を見ます。瞼が二重になっているときは、体が疲れている証拠です。なるべく前日の疲労を翌日まで持ち越さないようと気をつけてはいるんですが・・・」忙しすぎて、体がいくつあっても足りない思い。
「朝、起きるとすぐ、まず鏡で目を見ます。瞼が二重になっているときは、体が疲れている証拠です。なるべく前日の疲労を翌日まで持ち越さないようと気をつけてはいるんですが・・・」忙しすぎて、体がいくつあっても足りない思い。
これまでの最高記録は・・
「午前六時起床。七時から数か所かけもちの仕事で深夜まで、そのままテレビ局のスタジオに駆けこみ。午前零時から七時半までVTR撮り。朝食後、午前十時半からナマ放送。午後一時から四時半まで雑誌の対談。ひきつづいてテレビのナマ放送・・・おわったのが九時半すぎ。ざっと四十時間ぶりに、やっと床にもぐりこむことができました・・・」
もともと、舟木クンはとても規則正しい、模範的な日常生活を送ってきた少年でした。
「子どものころから、午後九時にはパチッと電灯を消して就寝する。たまには眠れなくてフトンの中で漫画の本などパラパラ眺めることはあっても、ものの十分とたたないうちにスヤスヤと夢路をたどっている、といったふうでした。もちろん、朝は早起き。学校に遅刻したことなんて一度もありません」
その彼が、最近はいちいちゆり動かされてでなければ目が醒めない。醒めてからも、十五分以上もたってからでなければ床を離れることができない。そうした生活の変化が、誰よりも当の舟木クンにとって、いまだに信じられない一種の”驚”きであるようです。
「だってそうでしょう。十八年間、本名の上田成幸で生活してきて、歌手舟木一夫としては、たった三ヵ月のキャリアしかないんですから・・」
「子どものころから、午後九時にはパチッと電灯を消して就寝する。たまには眠れなくてフトンの中で漫画の本などパラパラ眺めることはあっても、ものの十分とたたないうちにスヤスヤと夢路をたどっている、といったふうでした。もちろん、朝は早起き。学校に遅刻したことなんて一度もありません」
その彼が、最近はいちいちゆり動かされてでなければ目が醒めない。醒めてからも、十五分以上もたってからでなければ床を離れることができない。そうした生活の変化が、誰よりも当の舟木クンにとって、いまだに信じられない一種の”驚”きであるようです。
「だってそうでしょう。十八年間、本名の上田成幸で生活してきて、歌手舟木一夫としては、たった三ヵ月のキャリアしかないんですから・・」
笑うたびに、あの白い八重歯が品のいい端正なマスクに、いかにもウイウイしい、少年の魅力を強調します。
そういえば、つい数ヶ月前までの彼は、一介の無名の歌謡曲好きの少年にすぎませんでした。
愛知学院在学中、上京して自由ヶ丘学園高校三年に編入されたのが、昨年五月。
そういえば、つい数ヶ月前までの彼は、一介の無名の歌謡曲好きの少年にすぎませんでした。
愛知学院在学中、上京して自由ヶ丘学園高校三年に編入されたのが、昨年五月。
「高校を卒業するまでは、学業一本ヤリで進むこと。プロ歌手としてステージに立ったり、レコードを吹き込んだりすることは一切許さない。」
というお父さんの厳格な指導方針に従って、勤勉な高校生として勉強に励む一方、週に数回、コロムビアの作曲家遠藤実さんについてレッスンを受けながら、ひたすら歌謡曲修行に余念のなかった成幸少年。
というお父さんの厳格な指導方針に従って、勤勉な高校生として勉強に励む一方、週に数回、コロムビアの作曲家遠藤実さんについてレッスンを受けながら、ひたすら歌謡曲修行に余念のなかった成幸少年。
東京都新宿区若葉一丁目○○番地、アパート青葉荘の一室では、大声を張り上げて、昼日中からうたうこともできません。毎日、日の暮れるのを待って、付近の上智大学横の丘に上り、ノドを鍛え、発声を、歌いまわしを勉強した・・。
たまたま同じ日、同じ時刻、同じ場所で出会ったのが、巨人軍応援団長の関矢さん。
「精が出るね。がんばって、立派な歌手になりなさい。」
それから何日かたって、行きつけのお風呂屋さん”梅の湯”で、いつものように湯舟につかりながら小声で歌っていると・・
「やあ、いつかの学生さんじゃないか・・」だしぬけに声をかけられた。関矢さんだった。
この少年が、近く歌謡界に舟木一夫の芸名でデビューすることになったと知ると関矢さんは、さっそく応援団長をかってでました。”梅の湯”のご主人と相談し、脱衣場に「町内の皆さまへ」という紹介分も貼られました。
~中略~
「高校三年生」の吹き込みがおわったあと、関矢さんはさっそく舟木クンを連れて同じ町内に住む演劇評論家、安藤鶴夫さんのお宅を訪問しています。でっぷりと太って、ニコニコと微笑をたたえた関矢さんと、学生服をきちんとつけて、緊張に頬をあからめた痩せぎすの少年との組み合わせは一見ユーモラスでもあり、また仲のいい叔父と甥といった気持のいいカップルでもありました。
この少年が、近く歌謡界に舟木一夫の芸名でデビューすることになったと知ると関矢さんは、さっそく応援団長をかってでました。”梅の湯”のご主人と相談し、脱衣場に「町内の皆さまへ」という紹介分も貼られました。
~中略~
「高校三年生」の吹き込みがおわったあと、関矢さんはさっそく舟木クンを連れて同じ町内に住む演劇評論家、安藤鶴夫さんのお宅を訪問しています。でっぷりと太って、ニコニコと微笑をたたえた関矢さんと、学生服をきちんとつけて、緊張に頬をあからめた痩せぎすの少年との組み合わせは一見ユーモラスでもあり、また仲のいい叔父と甥といった気持のいいカップルでもありました。
オマケ・・・中学三年生頃の舟木さんのお宝映像?かなりヤンチャそうですね
その2につづきます・・・