Quantcast
Channel: 舟木一夫の世界~れんげ草の咲くさんぽ径~
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1510

今さらですが~デビューの頃からの舟木さんをたどってみよう!その2

$
0
0
イメージ 1昨日の「今さらですが~デビューの頃からの舟木さんをたどってみよう!その1」のつづきです。
 
舟木さんご自身のインタビューに応える言葉からも、舟木さんを語る、関係者の方の言葉からも、今と少しも変わっていない・・・というか、上田少年だった頃から人としての在り方の背骨がゆるぎなく、潔くて、真っ正直な舟木さんであることがストレートに伝わってきます。
 
別冊 近代映画 舟木一夫特集号 
~高校三年生/ステキなその魅力(1963年11月号)
 
~歌謡界に新風を吹き込んだ 
イメージ 12♪高校三年生 舟木一夫のステキな魅力~
 (記事より抜粋)
 
 
2 誠実が彼のモットー・人間として
 
明るく清潔な歌は、明るく清潔な舟木クンの人ガラから生まれる・・・
そう断言していいでしょう。                                                                  
試みに、彼の”好きな色”を質問すると・・・
「白、白に近いクリーム色。透明な感じのブルーや、ふかい海を想わせる紺や藤色なんかも好きです。だいたい淡い、ケバケバしてない色ですね。」
きらいな色は・・・
「赤、茶色、ハデな青、黄色、原色や原色に近いものは一切だめです。」
あっさりした、透明でさわやかな色彩をよしとする舟木クンの好みは、食べものでいうと、「お茶漬け、おむすび、キンピラゴボウ、丸干しに紅ショウガ、梅干・・・」と、純日本調。
~中略~
「ぼくの長所?」
かすかにハニカンだ笑みを浮かべながら・・・
「強いていえば、サッパリしているってことじゃないでしょうか。時と場合によっては、短所にも通じるでし
ょうが・・・」
淡々といってのけます。

イメージ 4「友だちとの交際なんかでも、腹の底から打ち割って話しあえる、そんな関係でありたいと思いますね。ウジャウジャしたのも、正体不明といったアイマイさは、きらいです。やりきれないから・・・」
中学時代の彼は、音楽部のキャプテンとして、クラブの女生徒たちにも、なかなかの人気者だったようです。
「クラスの女の子ぜんぶが、ガールフレンドだったといってもいいでしょうね。とくに音楽部の人たちとは、ハーモニカの合奏やなんかを通じて、大の仲良しになりました。」
高校に入ったとたん、男女共学でなくなったので、なんだか殺風景に感じられてならなかった。
だが、そのうち、男同士の友情が人生においてどれほど貴重なものであるかを、しみじみと理解できるようになり、彼の将来への目を大きく開かせるきっかけとなりました。
生来、素直で柔軟な性質である彼は、こうした親友たちの知識や、アドバイスをどんどん吸収し、消化して大きく成長してゆきました。上京してアパート住まいを始めるようになった彼は、同室の先輩、堀プロダクションの阿部マネージャーの分までも、暇をみて、さっさと洗濯してしまうといった、細かい心遣いを発揮しました。

「いつでも誠実でありたい、他人にも自分にも・・」というのが舟木クンの常に変わらぬ信念です。
 

~舟木一夫さんへ言葉の花束~ (記事より抜粋)
 
錦ちゃん以来の大物出現!?  浅草マルベル堂常務 斎藤五郎                     ↓ 近代映画に掲載のプロマイド
 
イメージ 5
ビュー盤が「高校三年生」それならば衣裳も学生服がいいだろうということで、うちでプロマイドを撮ったのが六月上旬。レコード発売とほとんど同時でした。
だいたい、わたしらの商売は、毎年五、六月から売り上げが下降しはじめ、十月ころまではどうもうまくない。これまで唯一の例外はといえば、デビュー当時の中村錦之助さん。これは、春から夏にかけて、グングン売れました。
ところで、こんどの舟木クンの場合が、ちょうどそれで、戦後二人目の特異現象なんですね。しかも、一枚二百円の”四つ切”が、ジャンジャン出る。二百円のプロマイドが買えるというのは、まず十七、八歳以上の年齢層だ。もっともこの層が一番浮動しやすい年代なんで、舟木クンの人気がこれからどこまで上昇するかは、現在のこのファンがそのまま数年後まで続いてくれるかどうかということでもありますが。
とにかく、すばらしい人気。とくに中京地帯が強いのは、故郷が一宮市なので当然といえるでしょうが、東北の仙台からの注文が多いのは、どういうんでしょう。顔だけをアップにしのより、全身ものがよく出るのは、石原裕次郎と同じで、舟木クンのあの優雅なプロポーションが受けるんでしょうな。
例の八重歯も、わたしたち写真屋が撮影にあたって苦労する点ですが、ファンには、またあれがたまらない魅力なんじゃありませんか。とにかく、プロマイドからみた舟木クンは、錦ちゃん以来の人気者になる可能性を秘めているということですね。
 
                        これらは私がマルベル堂で買った「詰襟」プロマイド
 
イメージ 6
イメージ 7
イメージ 8

よく気のつくわが下宿の居候  堀プロダクション 阿部勇          ↓阿部さんと舟木さん(近代映画)
 
イメージ 9木君の堀プロ入りが決定し、彼が上京したのは、昨年の四月のことでした。たしか四月の二十九日か三十日のことだったと思いますが・・・。錦糸町のジャズ喫茶・サルバドルで舟木君とお父さんにお目にかかりました。最初の印象では、舟木君はたいへんおとなしい少年でした。いまでもおとなしいことに変わりがありませんが・・
そして、五月に再上京して、四ツ谷若葉町の私のアパートに同居することになったのです。
 
舟木君が来る前、私のところに両親から布団が送られてイメージ 10きました。愛する息子が上京しても、布団がまだ着いていなかった・・というようなことがあってはたいへんだ、というので、早めに送ったのでしょう。
ご両親の愛情がほのぼのと匂う布団包みでした。やがて、舟木君が上京しました。下着や、シャツ類をたくさん持って・・。
そのころ舟木君は学校に通ったり、歌の勉強をしていました。私は私で多忙な生活なので、帰宅は、舟木君よりどうしてもおそくなります。
私が部屋に帰ると、舟木君はいそいそと(こんな表現は、愛妻に向かっていうものかも知れませんが・・。私はまだ独身で・・。)お茶を入れてくれるのです。
いそいそと・・・といったのは舟木君の心の底からの優しさーーを言いたかったのです。
そしてまた、何か用はないか・・と訊ねてくれたり・・。本当に素直な、感心な少年だという印象を深めました。洗濯までやってくれるのです。私のところには洗濯機がありません。ところが舟木君はいつの間にか二階の人から洗濯機を借りて私の分まで洗ってくれたものです。
舟木君は唄いたくて仕方がないといった有様で、映画館の休憩時間、地下鉄の中、あるいは風呂屋に行ってもいつも歌を唄うのでした。歌謡曲が主で、ムードのある曲がイメージ 11好きでした。井上ひろし、松島アキラの歌などを唄うのです。美空ひばりの歌なども好んで唄っていました。彼は小声で唄っているつもりなのかも知れませんが・・・。案外大きな声なので、こっちが恥ずかしくなる、といったこともありました。本当に心の底から歌の好きな少年で、一心に打ち込んで勉強していました。
暮れも近づいたある日、「お正月には帰省するか」と訊ねたところ、「僕はいつでも帰れますから、ちゃんとレコードに吹き込んでから帰郷します。」という返事でした。この言葉には心うたれました。
心掛けが立派です。一応のメドをつけてから、故郷に帰りたい・・・。根性のある少年だと思ったものです。
それから間もなく「高校三年生」を吹き込んだのでしたが、初吹き込みが終わったときは、心の底から喜んでいた彼でした。
 
 
イメージ 2
 

  ←萩原に帰ったときの舟木さん 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
               舟木さんちっとも変わってませんよねぇ~っ!
 
イメージ 3
 

Viewing all articles
Browse latest Browse all 1510

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>