私の「8月15日」のイメージは、やっぱり「絶唱」という作品とは切っても切れません。いわゆる「身分」の違いも乗り越えて、貧しさをも糧にして、懸命に生きていた順吉と小雪を、無残にも引き裂いたのが「戦争」でした。「結ばれて 引き裂かれ 七年(ななとせ)を西東…」
絶唱 作詩:西條八十 作曲:市川昭介
名さえ はかない 淡雪の娘よ
なぜ死んだ ああ 小雪
結ばれて 引き裂かれ 七年を西東
いのち短く 待つ日は永く
泣きぬれた ああ 小雪
いのち短く 待つ日は永く
泣きぬれた ああ 小雪
山番の山小舎に 春が来る 花が咲く
着せて 空しい 花嫁衣装
とこしえの ああ小雪
なぜ死んだ ああ 小雪
着せて 空しい 花嫁衣装
とこしえの ああ小雪
なぜ死んだ ああ 小雪
大江賢次の原作「絶唱」では順吉が、村人(小作人)を集めて、小雪のこと、自分自身の気持ちについて以下のように語りかけています。
映画でも、この場面はあります
以下は、原作「絶唱」(講談社文庫)より
~村民の御一同様に、ちょっと御挨拶を申し上げます。~中略~父は私が山番の娘ふぜいと結婚をするのは許さんと、格式ばった地主かたぎで勘当を申しつけました。なぜ山番や小作人と結婚をしてはいけないのか、地主だけがお高くとまって働きもしないでいて、働く山番や小作人たちをいやしむ父と、私は絶対に相容れません。むしろ地主という父の立場こそ働きもしないで働くひとびとからしぼりとって暮らす、いやしい恥ずべきものではありませんか。私は、人間はすべて働く義務があって地主や資本家のような不当所得をむさぼる特権階級のものたちは、この世の害毒にさえなれ決して利益にはならないものだと信じています。そこで私は小雪とふたりで世の荒波の中へ飛び込んで働きました。~中略~もしも私が小雪と愛し合わなかったならば、この労働の尊さ、そして働くひとびとを幸せにする理想社会の実現も知らずにくだらない生涯を朽ち果てたことでしょう。
戦争は、小雪から私を奪いとりました。小雪はただひとりで七年間を働きづめに働いてきました。私がシベリアから引き揚げてきたとき、小雪は再起不能の病の床で迎えてくれました。小雪は死んで生きました。永遠に生きて居ります。私はそれを絶対に信じて疑いません。
~中略~私の妻の肉体は私からおさらばしますが、妻の精神は不滅のまま私の魂の中に生き永らえます。その小雪が、どんな生き方をするか、それは私の今後の生き方が示すことでしょう。・・・どうぞこの私の微衷をお察しくだすってわずかばかりではありますが酒肴が用意してありますので私ども新郎新婦のめでたい今宵をいっしょに過ごしていただきとうございます。~
平和の申し子たちへ! 泣きながら抵抗を始めよう
なかにし礼 (2014年7月10日毎日新聞夕刊掲載)
なかにし礼 (2014年7月10日毎日新聞夕刊掲載)