全国的なこの冬一番の冷え込みと大雪。皆さんの地域ではいかがでしたか?
大きな被害がないよう心から祈っています。
私の住む桑名市では、この冬、初めての積雪。屋根の雪は15cmくらいありました。
裏庭も久しぶりの雪景色
わが家の玄関の門扉の前も雪かきをしないと通れないほどでした。
亀治郎クンは大喜びで散歩中もテンション・アップで大はしゃぎ
今年は舟木さんのデビューから55年目。デビューしてわずか3ヶ月目あたりの週刊誌の記事です。
週刊平凡9月5日号 表紙
「高校三年生」に寄せる 遠藤先生、丘先生、そして今の舟木さんの想い
1977年「15周年記念 限りない青春の季節 舟木一夫大全集」寄稿文 遠藤実
この歌は、私の作品群の中でも、代表作品のひとつにあげられているが、この歌については次のような思い出がある。
それは、私がこの詩稿を手にし、最初にメロディーをつけたのは、のちに発表した「学園広場」のような長調のワルツであった。その時はきれいなメロディーで私自身も十分納得の逝く作品ができたわけであるが、翌朝コロムビアに出社しようとして、ふと思いついたのは「、「今年は東京オリンピックの年であり、街はなんとなく活気づいていいる。それなら、もっと明るい歌の方がいいのではないか」ということである。そこで、いったん履きかけた靴をぬぎ捨て、仕事場にとって返し、ほんの5分ほどでまとめ、マーチ風につくりかえたのがこの歌である。おかげさまで大ヒットし、私の勘は正解だったわけであるが、それだけに生涯忘れることのできない思い出の歌である。
それは、私がこの詩稿を手にし、最初にメロディーをつけたのは、のちに発表した「学園広場」のような長調のワルツであった。その時はきれいなメロディーで私自身も十分納得の逝く作品ができたわけであるが、翌朝コロムビアに出社しようとして、ふと思いついたのは「、「今年は東京オリンピックの年であり、街はなんとなく活気づいていいる。それなら、もっと明るい歌の方がいいのではないか」ということである。そこで、いったん履きかけた靴をぬぎ捨て、仕事場にとって返し、ほんの5分ほどでまとめ、マーチ風につくりかえたのがこの歌である。おかげさまで大ヒットし、私の勘は正解だったわけであるが、それだけに生涯忘れることのできない思い出の歌である。
1992年「30周年記念 陽射し・旅人 舟木一夫大全集」寄稿文 丘灯至夫
平成四年という新しい年が明けてまもなくだったと思う。NHKテレビが夜のスペシャル番組で、全国リクエストによる、「青春歌謡特集」を2時間にわたって放映した。私も教えられて途中から見聞きしたが、30代、40代、50代など各年齢層ファンから電話やファックスなどでリクエストされた歌を順次聴かせた。その間終始「高校三年生」はトップで、2位との差も大きく水をあけ、最後の舟木一夫君の歌でしめくくった。
この歌「高校三年生」は、昭和38年の作品で、ご存知舟木君のデビュー曲である。この歌が実に30年を過ぎた今、まだこんなに各年齢層から支持されている。遠藤実さんの作曲、舟木君の歌唱力が大いにモノを言っている訳だが、作詩者として誠に想い出深く、ありがたいことと言わざるを得ない。
舟木君は歌手生活30年を迎えた。波乱万丈とまではいかなくとも、舟木君の身辺には紆余曲折さまざまなことがあった。私なども、どうなることかと案じたこともあったが、とにもかくにも、歌いつづけ。最近は体力もつき、個性豊かな音色…「舟木ぶし」も力強くよみがえった。舟木君がうたい続けた歌のかずかずがこんど集大成されて世に出る。私にとっても思い出深い歌のかずかずが、挿入されている。~中略~
昨年、平成3年春に、催した私の作詩生活50周年記念リサイタルに出演してくれた舟木君が、その折、私に言った。「ぼく、46歳でまだ高校三年生ですヨ」。私も即座に答えた「ぼくのほうは75歳で、高校三年生だヨ」
この歌、どうも生きているかぎり、私も舟木君も離れられないもののようである。数多い「舟木ぶし」の歌のかずかずともに、この「高校三年生」も大切に、初心を忘れず、舟木君、これからも、40年、50年に向かってうたい続けていってほしい…と私は念じる。
この歌「高校三年生」は、昭和38年の作品で、ご存知舟木君のデビュー曲である。この歌が実に30年を過ぎた今、まだこんなに各年齢層から支持されている。遠藤実さんの作曲、舟木君の歌唱力が大いにモノを言っている訳だが、作詩者として誠に想い出深く、ありがたいことと言わざるを得ない。
舟木君は歌手生活30年を迎えた。波乱万丈とまではいかなくとも、舟木君の身辺には紆余曲折さまざまなことがあった。私なども、どうなることかと案じたこともあったが、とにもかくにも、歌いつづけ。最近は体力もつき、個性豊かな音色…「舟木ぶし」も力強くよみがえった。舟木君がうたい続けた歌のかずかずがこんど集大成されて世に出る。私にとっても思い出深い歌のかずかずが、挿入されている。~中略~
昨年、平成3年春に、催した私の作詩生活50周年記念リサイタルに出演してくれた舟木君が、その折、私に言った。「ぼく、46歳でまだ高校三年生ですヨ」。私も即座に答えた「ぼくのほうは75歳で、高校三年生だヨ」
この歌、どうも生きているかぎり、私も舟木君も離れられないもののようである。数多い「舟木ぶし」の歌のかずかずともに、この「高校三年生」も大切に、初心を忘れず、舟木君、これからも、40年、50年に向かってうたい続けていってほしい…と私は念じる。
「浮舟」 NO.597 平成28年12月号 より一部抜粋させていただきました
~ここで、ひとつモノは相談なのだが、「五十五周年」をキッカケにどンなもンだか試しに「高校三年生」の手拍子を止しにしてみたらどーだろうか。いや、手拍子がイカンなどと云うエラソーなコトを申しあげる気はない。楽しみ方はお客様の自由だ。ただ、そもそもこの歌はそう云うノリの歌ではないのではないかいな…と近頃チラッと想うのだ。ワタシは、「六十周年」を目指すけれども到達する保証はない。――「五十五年目」のここいらで「高校三年生」を気分一新、フリーにしてやりたい。「高校三年生」を「学園広場」を、なんとなく「なつかしい歌」にしてしまいたくはない。あの声は戻りはしないし、このシワも消えることはないが「高校三年生」をもう一度、あの時の空に戻してやりたい気がするのだ。そして、それはあの頃、乙女であり少女であり少年であり青年であった、あの時代に「青春」をかけぬけた人達にしか出来ないことじゃないのか…。唄うボクはひとりだ。「高校三年生」はとても歌い手ひとりで抱き切れるような歌じゃあない筈だ。そのことも改めて感じてみたい。~