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舟木一夫さんをキイワードに無限大に広がるかも知れないブログです

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    「春はまた君を彩る」…タイトルに込められたものは、なんなのだろう…
    舟木さんの歌唱が入ったもの、カラオケ用のインストルメンタル、何度も聴きながら、詩も読みながら、この曲から伝わってくる世界を、あれこれイメージしていたら、こんなことを思いました。


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    「青春」という言葉は、舟木さんの代名詞というか、舟木さんご自身が「青春」を体現しているかのような存在であることは、多くの方が認めるところだと思います。

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    「青春」という言葉の語源は、中国の五行思想の「青春・朱夏・白秋・玄冬」にあると言われます。
    人の一生が、古来から四季になぞらえて語られてきたということなのでしょう。でも、現代では「青春」だけが耳になじみがあります。
    詩人の北原白秋の名前「白秋」の由来も、ここからのようです。


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    青春時代は、失敗や間違いが許される季節でもあると言えますが、それは、そういった間違いを糧にして次の「朱夏」に備える時期であるという容認された特権的な季節なのかもしれません。思いつきや背伸びし、虚勢を張る、でも、どこか自信はなく、プライドと劣等感がないまぜになり悩むことが「青春」の自然な在り様だと世間もおおめに見てくれます。

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    「春」の次は「夏」です。燃えるような朱(アカ)ということで「朱夏」となり、人生において最も変化の激しい活動の時期です。どちらかというと「朱夏」のほうが「青春」よりも苦難の多い季節と言えるのかも知れません。世間が、もう「青春」時代のような寛容な目で見てくれることがなくなります。ちょうど噺家さんが前座さんの時よりも二つ目に昇進した時に一番苦しい、というのと似ているのかもしれません。私の趣味嗜好の世界での物差しではありますが…(笑)

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    「夏」が終わると「秋」がやってきます。色を超越した「白」は、「色」を超越した世界を意味するということなのでしょうか。般若心経の「色即是空、空即是色」という世界観がイメージされます。
    いわゆる世間一般の俗世の価値観にとらわれることなく、それぞれが自分自身の価値観を定めることで心を解き放つというありがたい救いの道を得るという時期に入ることが「白秋」のような気がします。

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    一番、わかりにくいのが「冬」のようだと思います。それは私自身が「冬」の季節からはまだ少し離れたところにいるからかも知れません。「玄冬」というように「玄」という字が使ってあるので、想像してみると「玄米」(白米に対する)なら一番、本来の米そのままの姿であり、例えば「玄人」(素人に対する)なら、ある一定の地点に到達した人という意味合いがあって、やはり根源的でありながら完成度の高い境涯にあるという感じがします。シンプルでありつつ老練な境地とでも言うのでしょうか。




    こうして、勝手な解釈をしていると、舟木さんの旅路の「朱夏」は、言葉は全く逆の例えになっていますが「寒い時期」であったことに気づきます。燃える想い、自己実現への渇きの季節でもあったのではないかとしみじみ想います。振り返れば自分自身の旅も、「朱夏」の季節が、胸突き八丁だったように思えます。おそらく、多くの方が同じような気持ちで「夏」の季節を振り返っていらっしゃるのかも知れませんね。

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    そして、今、私たちがいる場所は、大方が「白秋」ではないかと思います。
    「青春」「朱夏」「白秋」「玄冬」を一言で表したものを、どこかで知って、以前に書き留めていましたのでご紹介します。

    青春とは、青葉が繁るごとく、これから伸びてゆく若さを示す
    朱夏とは、夏の真っ盛りの太陽のように、盛りを示す
    白秋とは、実りを待つ秋のように、満足と充実の実感の時を示す
    玄冬とは、静かにくれてゆく自分を見つめる時…


    「春はまた君を彩る … 「春」というのは、ここでも、まぎれもなく「青春」を意味するのだと思えば、なんとも含蓄のある、深い精神性を感じさせるタイトルです

    春はまた君を彩る  
     
    作詩:松井五郎  作曲:南こうせつ

    冷たい風の音に 散るまいと咲く
    花は名を語らずに その身をさらして
    人は生き急いで 夢をさまよい
    時がただ巡ること 忘れて惑う

    涙こらえながら 心にたずねれば
    そこに聴こえる歌が 道を照らすだろう
    春はまた 君を彩る
    過ぎて悔いなき 想いを残せと

    愛しい人の手を 握りしめても
     いつまでも離さずに いられる手はない
    人は誰もいつか 露と散るなら
    道ばたの枯葉にも 優しくなれる

    別れを悔やみつつ 心にふりむけば
     きっと思い出から 旅ははじまるだろう
    春はまた 君を彩る
    遥か広がる 明日を目指せと

    涙が涸れるまで 心に寄り添えば
    きっとたったひとつの 愛に気づくだろう
    春はまた 君を彩る
    過ぎて悔いなき 光を灯せと
    過ぎて悔いなき 光を灯せと



    明日29日と明後日30日は、新歌舞伎座 シアターコンサート

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    5月29日新歌舞伎座のシアターコンサートのセットリスト


    一部  ヒットパレード

    オープニング
    ~北国の街

    絶唱

    夕笛

    その人は昔のテーマ

    哀愁の夜

    高原のお嬢さん

    高校三年生

    学園広場

    新曲 春はまた君を彩る



    二部   
    船村徹スペシャル~演歌の旅人

    オープニング
    ~あの娘が泣いてる波止場

    別れの一本杉

    柿の木坂の家

    早く帰ってコ

    男の友情

    ~最初に船村先生の語りが流れます


    どうせひろった恋だもの

    おんなの宿

    哀愁のからまつ林

    矢切の渡し




    悦楽のブルース

    雨の夜あなたは帰る




    ブンガチャ節

    ダイナマイトが百五十屯

    ~サインボール打ちはここでした


    王将


    波止場だよお父つぁん

    哀愁波止場

    ひばりの佐渡情話

    なみだ船

    兄弟船

    風雪流れ旅


    アンコール
    ~三味線マドロス


    開演前に幕前に舟木さんが登場されてプレゼントタイム

    淡いグレー地に黒とブルーの大柄のベーズリー模様の涼しげなシャツにブルージーンズ、エビ茶系のシューズでした。


    一部は衿部分は黒サテンの新緑カラーのジャケットに蝶ネクタイ、胸にはクリーム色のバラ、黒のベスト、黒のパンツ


    二部は濃紺のスリーピース、中は白のシャツ


    昼の部も夜の部も満員御礼でした。
    昼は三階の立ち見もズラリと出ましたから札止めというところなんでしょう。

    明日も昼はチケットは完売のようです。

    一部が40分
    二部が80分

    長丁場をトークも絶好調で休みなく歌い喋りとパワフルな舟木さん。

    輝くばかりの笑顔でますます若々しくてカッコよくてホレボレでした。

    船村演歌の幅広い魅力を艶のある歌唱で十二分に堪能させる素晴らしいステージに客席も大盛り上がりで舟木さんも本当に嬉しそうで新歌舞伎座が一体となってエネルギーが渦巻くような空気感でした。

    一番上の写真は楽屋入の舟木さん


    後日に舟友さん撮影のもっと大きくてきれいに写ってる舟木さんをアップしますからお楽しみに


    お見送りにも長い列ができました。渾身のステージでお疲れにもかかわらず、タクシーの中から手を振って応えてくださった舟木さんでした。

    きっと明日も素晴らしいステージを楽しませてくださることでしょう。


    私は大阪上本町に居残りをして明日の昼の部を拝見して帰ります。

    コンサートの詳細はまた後日に

    携帯からでした。


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    つい先ほど大阪上本町から戻りました。沢田舟木さんが、この度もラジオ放送録音をアップして下さいました。本当にありがとうございました。感謝を込めてご紹介させていただきます。
    私的には、マイ・ベスト曲の「絶唱」が、流れて感激です

    この番組の続きは…
    6月6日(土) AM5:45頃の放送


    TBSラジオ 生島ヒロシのサタデー一直線


    2日目の30日も昼の部は完売で立見席のみ

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    30日の朝の楽屋入の舟木さん。またまた証拠写真みたいですみません。後日ステキな舟木さんアップしま~す

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    オリコンランキング webサイト に注目!






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    またしても、舟友のkazuyanさんのとってもナイスな舟木さんをご覧ください
    早朝から待機して下さったkazuyanさん、本当にありがとうございました

    10時15分頃の楽屋入りでした


     ご~めんね、またぁせたね 

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     じゃあね~、また、あとでね 新曲、よろしくね~

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    終演後も楽屋口は、ファンの皆さんがスゴイ列をつくってました。
    待ってると、道路の向こう側のケーキ屋さんのお兄さんが、「今日は誰が来てるんですか?」
    「知ってらっしゃるかな?舟木一夫さん」と言ったら
    「あぁ、あぁ、2月もすごかったですよね」と…
    そこで、チョーシに乗って
    「他の方でこんな列できたことありますか?」
    「こんなすごいのはないですね」……
    「…でしょう」とばかり得意顔になってしまった私です(笑)


     楽屋口から登場 

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     真木さん、今日も、ポーカーフェイス 

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     ガードが…固いぞ! なんてってビッグ・スターだもんね

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    「さあ、行こうか!」 

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    舟木さん、今日も素敵なステージをありがとうございました、お疲れ様でした

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    2日目の30日の楽屋入の時は、多分、舟木さんの御配慮かと思いますが、道路脇でタクシーを止めて下さって楽屋口に向かって歩いてくださいましたから、kazuyanさんも、たくさん撮影することができて、枚数が多いので2回に分けてアップさせていただきます。いつもとちがうアングルの舟木さんもいっぱいです。舟木さん、そしてkazuyanさんに心からの感謝です。

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    つづきは「新歌舞伎座サービス編 その4~30日のお出迎えの時の舟木さん B」で

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    5月30日新歌舞伎座「お出迎え」 のつづきです

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     ここでもお花がバックの舟木さん 

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     いつも通行の方のお邪魔にならないようにと気遣いをされている舟木さん、先生みたい 

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    もう、いいかい?

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    やれ、やれ、一仕事終わった…

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    それにしても、すごい荷物です、頑張って!

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    今日から、水無月、6月に入りました。6月といえば舟木さんのデビュー記念月でもありますね。

    1963年6月5日発売
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    2015年5月27日発売

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    「水無月」というのは、雨が降り続いて天上に水がなくなってしまうから…なんて大人になってからもボンヤリと思ってましたが、大きな間違いでした(笑)

    ものの本によると以下のような説明です。
    ~水無月の「無」は「の」にあたる連体助詞。「水の月」といういう意味で「水無月」。
    陰暦の6月には田んぼに水を引く月にあたることから「水の月」と言われるようになった。~

    左が五月の中頃のわが家の庭のガクアジサイ、右が今朝の様子です。6月を迎えたら律義に色づきました

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    5月29日と30日に開催された、シアターコンサート。2015年は、新歌舞伎座からスタートしました。シアターコンサートの皮切りとあって、いつにも増しての大盛況。二日とも昼の部は早い時期からチケット完売で当日の立見席のみとなっていました。特に初日は、3階席の最後列の後ろの立見エリアは、あふれんばかりの方がいらして、2月の新歌舞伎座公演千秋楽の賑わいを思い出しました。夜の部も「満員御礼」でした。

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    通常コンサートの前半は、開催が関東に偏ってましたし、逆にシアターコンサートは、西から始まって、最終が9月8日の新橋演舞場ですから、それまで待っていられない…という関東のファンの方や
    、北からも南からも、多くの舟木さんファンが駆けつけたこともプラスして、熱気あふれる2日間となったのでしょうね。

    では、いつもように、舟木さんの軽快なトークを中心にコンサートの模様をご報告します。
    二部制で、トータルで30曲も歌われましたので、報告は2回に分けて掲載します。

    「その1」では、第一部のコンサートの模様、そして、「第二部 船村徹~演歌の旅人」で、船村先
    生にとって、亡くなられた後も、生涯の友として先生の心に生き続けていらっしゃる高野公男さんに
    ついての、資料などをご紹介させていただきます。

    2015 シアターコンサートin新歌舞伎座 5月29日/30日


    舟木さんのトーク部分はピンク文字です。29日昼夜、30日昼、ごちゃまぜになりますがご了承下さいね。

    まずは、開演前のプレゼントタイムでのお喋りから…

    プレゼントタイム

    29日は、淡い色合いのブルージーンズに、薄墨色の地に青とか黒の大きめのベーズリー模様をあし
    らったシャツブラウス、靴はえび茶色に見えました。30日は、ウォッシュ系のジーンズかはたまた綿パンのような色合いに見えましたが、私は全く服飾関係に疎いのでご容赦を…シャツブラウスは白地にグレー系の刺繍糸で花模様。両日ともに、「北海道のバターあめ」をナメナメということでした(笑)、一般のお客様のいらしているコンサートなので、開幕前のプレゼントタイムをとっていらっしゃることをしきりに恐縮なさって、「すみません、お時間をとらせていただいて…」と何度もお詫びをされている律義な舟木さんでした。
    舟友さんのステキな花束

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    イメージ 8船村先生の演歌を歌いながら、こうやってプレゼントをいただけないですよね…去年は遠藤先生、今年は船村先生…歌い手として幸せなことです。普段、歌っていない歌ですから、タメ息がでるんです…「プレゼントを渡す時に握手」というのが流れなのですが控え目な方は遠慮なさるのでしょうね。握手できずに戻ろうとなさったファンの方を気遣ってやさしく「ニギるか、ニギらないかハッキリして下さい…」(笑)53年間ニギられ続けて手が…ハレちゃった?とかおっしゃったのかな?笑い声が起こったのでこんなようなことを言われたのかな?…ちょっと聞き取れなかったんですが(笑)

    フォークとかニューミュージックが出てきたころの取材の方が、こういうプレゼントをステージで受け取る風景を不思議がってました。2階、3階席の方を見上げて「すみません、お時間をいただいてます。」時々、ペーパーバッグの中をいたずらっぽくのぞいて見る御茶目な舟木さん。花束を受け取
    りながら、花粉症の歌い手はお花は手渡しではくしゃみが出て困るようですが私は原始人ですから(笑)

    つい先日、船村先生と食事をしたんですが、私よりひとまわり上で、今年何月かで83歳。私は61になりますが…(笑)申年はこの世界に向いているんですかね、遠藤先生も申年<船村先生と同じ生まれ年)ですから。さすがに、あの大酒飲みがちょっと弱くなりましたね。船村先生の独特の栃木県の訛りを聞くとホッとしますね。どっか、あったかみがあって…そして船村先生のマネをちょっとして、できませんけどね…といいつつ「僕はね訛りを直そうとは全くしないんだよ。聞いた人が栃木の人なんだと思い出す、これも村おこしのひとつだなぁ…」 と栃木訛りっぽく言って、それでは着替えてきます…

    幕が上がって、新緑のみどりをイメージする鮮やかな色合いのジャケットで登場。
    白のワイシャツに黒の蝶ネクタイ、ベストとパンツは黒、胸のバラはクリーム色。

    一部  舟木一夫 ヒットパレード

      一部のお召し物はこのジャケットを新緑グリーンにしたカンジでした

    イメージ 11オープニング
    ~北国の街

    お暑うございます…と言ってもいいくらい、半袖のTシャツでもいいくらいですが…これくらい冷房をきかせてると、舞台の袖のスタッフはたいへん、照明が当たらないですから厚いジャケットを着てます(笑)今日は、二部構成です。二部の「船村徹~演歌の旅人」の方がメインディッシュですが…とはいうもののあれやこれやと…両方あわせると30曲くらいになるんでしょうね。どうぞ、お楽しみください。


    絶唱    

    夕笛    作詩:西條八十  作曲:船村徹
    https://youtu.be/J1gG-7e21eQ 
    (船村先生の歌唱でお聴きください/確かに、十三を十六に「作詩」されてます

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    「夕笛」は、船村先生の曲ですが、二部では持ち歌は入れてないので一部のほうで…歌い手も自分の歌に好き嫌いがあるように、詩の先生とか曲の書き手も、いいと思って書いたけれど、今、聞くとつまんねぇな…と(笑)そりゃ、そうですよね、その時は素朴でいいなと思っても、若い頃は未熟ですから…
    「夕笛」は、船村先生の中でも10本の指に入るんですよ。先生がご自身で歌っている「夕笛」の二番の歌詩の「♪君は 十三」が「♪君は 十六」になってる(笑)3っつ増えちゃって、そのまま発売になってます(笑)

    船村先生というと「北島三郎」、遠藤先生は僕という印象が強いんですが、実は、遠藤先生がコロムビアを出られたあとは船村先生にたくさん曲を作っていただきました。シングルだけではなくて、組曲のようなアルバムも入れるとシングルにすると100曲以上になるでしょう。ステージ用に作っていただいた
    *「北の出船」というのもあるんです。船村メロディーは粘りというか色気があって好きですね
    当時のコロムビアの歌い手は幸せでしたね。作詩家、作曲家の当時の錚々たるお名前をたくさん出
    されて、本当にご自身の歌い手としての幸せをかみしめているような舟木さんでした。

    イメージ 9「北の出船」~舟木一夫 コンサート「詩秋」にて発表
    (1975年 11月2日/3日 東京郵便貯金会館)
    (1975年 11月30日 大阪万博ホール)
    組曲「北の出船」(38分)
    作詩:横井弘 
    作曲:船村徹 
    朗読:東京/松本典子 大阪/石原みちこ

    *とっても気になる「北の出船」…ご存知の方がいらしたら情報などぜひ、お教え下さいね。





    イメージ 13船村先生も、印象深い仕事だとおっしゃってましたが、僕が21の時に出したアルバム「その人は昔」のテーマを…これは流行歌のうちに入れていいのか…。船村先生は、この時、「困ったね、週刊誌にメロディーをつけてるみたいだ…」と、作詩、作曲…ではなくて「作・松山善三 音楽・船村徹」あとちょっと間をおいて「歌唱・舟木一夫」と言ってたあとで付け足すように、かすかに聞こえてきたのが「アラン・ドロン」?私の空耳だったのかな?(笑)

    その人は昔のテーマ

    哀愁の夜

    高原のお嬢さん

    こうやって歌ってきますと、いかにも歌に恵まれた歌い手だと思いますね。
    デビューがアレですから、この先どうなるんだろうと思ってた矢先に「北国の街」、「高原のお嬢さん」が出てきた時に、片足だけ根っ子が生えたというカンジで安心しました。ステージで恒例になってる「銭形平次」も…それは福山クンに任せて(笑)、後輩が目をつけるということは、それだけ名曲だといういう事なんでしょう。私の歌がスバらしかった…ということも…と言ってからテレ隠しに「バカヤロー…」といつものあのロウ・トーンで言う舟木さんが可愛すぎでした。

    私も、もう満で70ですから、まさか詰襟着てた頃に70まで歌っているとは思ってもいなかったですから…最近、体力の衰え著しい…「負けるもんか!」拍手)来年3月(特別公演)に来た時は、こんなになってるかも…と、よぼよぼ感をジェスチャーでしてみる舟木さん(笑)
    こういう特集の企画もののステージというところでお客様に迎え入れていただけると、僕だけじゃな
    く、いろんな歌い手がこういったステージを受け入れてもらえるいい例になるれば嬉しいということで昨年からやってるんですが…拍手)

    これは歌っておかないと何が飛んでくるかわからないですから…

    高校三年生

    学園広場

    イメージ 10このへんのは53年経ってるわけですけど、いい歌というのはいつまで経ってもいいですよね。
    でも、30代の頃は一番、歌い辛かったんですね。今はもう、そんなことはなくて楽しんでます。
    18才が今は70才ですから、にっちもさっちもいきまへん…18の時から比べると残念ながら甘い
    、ツルっとした声は出ないですが、まぁ、それも変化ということで、「変化」というのが「進歩」してるのか「退化」しているのか分らないところもありますが…それはお互いサマですから…。

    2日前に出たばかりの新曲をお聞きいただこうと思います。こんな世の中ですから、こういった歌が広がってくれたらと…今のタイミングでこういう歌と出逢ったことを幸せなことだと思ってます。

    新曲 春はまた君を彩る

    ステップの中段に上がって、ツーコーラス目は右手をポケットに入れて、リラックスして「春はまた君を彩る」で、一部のラストを飾りました。


     ここからは、二部の「船村徹~演歌の旅人」の予習です 

    以下は日本コロムビア 公式サイトによる船村先生のプロフィールです

    イメージ 14船村徹
    ◇ 本名:福田博郎
    ◇ 生年月日:昭和7年6月12日
    ◇ 出身地:栃木県塩谷郡船生村(現:塩谷町)

    船村徹 プロフィール 

    演歌の世界で、並ぶものがない大御所の作曲家。昭和7年、栃木県船生村生まれ。父親は獣医だった。
    高校時代は、数学が苦手で、教室ではいつも一番前に座らされていたという。
    そこで数学の教師からは、「いつもいじめられていた」(本人談)という。大学受験には、全く自信がなかった。そのころ、船村は音楽部の部長をやっていて、そこへ同級生が、「ここなら入れるんじゃないか」と音楽学校の入学願書を持ってきた。そして入学、昭和24年のことだった。その東洋音楽学校(現東京音楽大学)ではピアノ科に学ぶ。同校の声楽科に在籍していた高野公男と知り合い、二人で作品作りを精力的に始める。

    昭和20年代、まだ駐留米軍が数多くいた時代、船村は米軍キャンプ専門のバンドで、そのリーダーをつとめたこともあったという。高野と一緒に、生活は困窮を極め、バンド・リーダーのほか、流しの歌手なども経験する。ただ、栃木にいる頃は、生活には困窮し、朝食は向こうが透けて見えるトースト一枚。あとは水を飲んで飢えをしのいだという。「ピアノを弾くことはエネルギーがいりますから」とても腹が減って、辛かったとも、船村は語っている。そこで知り合った同級生の高野公男の弁当から、にぎりめしを取ってたべてしまったことから、仲良くなり、一生の「友人」としての交際がはじまった。その高野が、「焼け野原で働く大衆のための歌を作れ」と言い出して、船村は、演歌を志すようになった。

    船村が栃木の出身、高野が茨城県。ともに地方出身ということもあり、意気投合したこともあったらしい。ともに演歌を自分の仕事と思い定め、二人揃って、貧乏暮らし。キャバレーのボーイのアルバイトでは、客の残したビールを洗面器に集め、二人でそれを飲んだこともあったという。
    この当時、東洋音楽学校の一級上に黒柳徹子がいた。黒柳は声楽科で、そのような上級生の伴奏を勤めさせられることがあり、そのことを「指導」と呼び、船村も、黒柳から、たびたびそのような「指導」を受けたことがあるという。
    昭和30年、キングレコードから春日八郎のデビュー作として「別れの一本杉」が発売される。昭和31年、コロムビアレコードから招かれて、高野公男とともに専属となる。そのとき高野26歳、船村24歳。昭和31年8月、コロムビア入社第1作「早く帰ってコ」を発売。その翌月、高野は26歳で、結核のため亡くなってしまう。
    昭和36年、村田英雄による「王将」を発売。戦後初のミリオンセラーとなる。
    昭和53年、22年在籍したコロムビアを退社、フリーの作曲家として活動を始める。同時に、「二代目
    ・船村徹」として、歌作りの原点に立ち返るとして、演歌巡礼の旅を発想し、全国を歌いながら回ることになる。小さな街や刑務所での慰問し、法務大臣より感謝状を送られる。
    これまでに世に送り出した作品は約4500曲。弟子の北島三郎によれば「職人の名人芸」という。作詩家とのつきあいは。西條八十、野村俊夫、石本美由起、丘灯至夫、西沢爽といった、いまでは超ベテランと呼ばれるひとたちから、なかにし礼、吉岡治、阿久悠に繋がる幅の広さだ。「柿の木坂の家」「早く帰ってコ」「あの娘が泣いてる波止場」「矢切の渡し」「女の宿」「王将」「新宿情話」など、多くの人たちが、折りにふれて口ずさむ歌の数は、圧倒的に多い。
    日本作曲家協会理事長を、吉田正から引き継ぎ平成17年まで務めた。作曲家として、十分以上の実績を積み上げながら、なお現役にこだわりつづけ、今なお、作曲を休まない。


    こちらは、船村先生について書かれている資料 (pdfです。むっちゃボリュームあります) ↓ 
    スペシャル・エディション nippon  熱くて温かいニッポンの男~船村徹、ひとり列伝
    http://www.ehimekenichi.com/pdf/1206_funamura.pdf


    高野公男氏のこと

    イメージ 15そして、「親友」という言葉も、色褪せるような、船村徹という偉大な作曲家が生まれるために、欠くべからざる存在であった、唯一無二の大切な人、高野公男さんへの船村先生の深い想いが偲ばれる資料を併せてご紹介します。

    船村先生が、高野公男氏の御命日に毎年欠かさずお墓参りされている高野氏の故郷を以下のサイトから、資料としてご紹介させていただきます。
    「茨城県笠間市大郷戸」
    http://4travel.jp/travelogue/10307355







    「別れの一本杉」の歌詩と船村先生の鎮魂の言葉が刻まれた石碑がお地蔵さんに見守られています

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    高野公男作詩「男の友情」原稿

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    「2015 シアターコンサートin新歌舞伎座 5月29日/30日 その2」のレポートでもあらためて掲載しますが、船村先生が捧げられた石碑に刻まれているのが、高野氏の遺言でもあるかのような「男の友情」(高野氏作詩)を受けて、船村先生が高野氏に返歌なさったかのような「友よ」から始まる詩です。


    友よ 土の中は イメージ 16
    寒いのだろうか 
    友よ 土の中には 
    夜があるのだろうか 
    もしも 
    寒いのならば 
    俺のぬくもりを 
    わけてあげたい 
    もしも 
    夜があるのならば 
    俺の手で灯りを 
    ともしてやりたい 
    友よ 俺の高野よ 
    こおろぎの 
    よちよち登る 
    友の墓石 

    ~昭和四十三年秋 船村徹~



    高野公男(吉郎)の譜

    イメージ 17昭和五年二月六日 茨城県笠間市大郷戸一六二番地に生まれる。
    昭和二十年三月、西茨城郡北山内尋常高等小学校を卒業後、上京、小松川工業高校 向島工業高校を経て東洋音楽学校に入学、詩作の道に入る。

    音楽学校の親友 船村徹と共に作詞 作曲のコンビを組み、戦後の日本歌謡界不朽の名作と云われる「別れの一本杉」を始め「あの娘が泣いている波止場」「男の友情」「早く帰ってコ」「ハンドル人生」「ご機嫌さんよ達者かね」「三味線マドロス」等、多くの名作を残す。

    昭和二十九年、初夏、胸を病み、親友、船村徹との数多い友情物語りを残こし、昭和三十一年、国立水戸病院にて歿、二十六年間の短かくも悲しいドラマは終わった 見知らぬ人々の歌声と共に




    笠間市立箱田小学校HPにも高野氏について掲載されています。
    http://www.ed.city.kasama.ibaraki.jp/el-hakoda/files/items/3696/File/4ee6832227835.pdf

    ~2015 シアターコンサートin新歌舞伎座 5月29日/30日 その2に続きます~


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    関東の舟友さんが録音をyoutubeにアップしてくださいました。感謝を込めてご紹介させていだきます

    舟木さんからのメッセージと「春はまた君を彩る」をお聴きください




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    2015 シアターコンサートin新歌舞伎座 5月29日/30日 その1 の続きです。

    一部が終わって30分間の休憩のあと二部の「演歌の旅人~船村徹の世界」の報告に入ります。

    濃紺というか深い藍色というか子どもの頃に使ったクレパスの群青色(ぐんじょういろ)みたいな色
    合いのスリーピース。胸の開いたシャツは白、ペンダント、胸ポケットはモノトーンのチーフ。

    二部    演歌の旅人~船村徹の世界

    舟木さんのトークを中心にコンサートの模様をお伝えします。
    ピンク文字は舟木さんのトーク部分です。

    舟友さんが、せっかくのプレゼントのメモ帳を惜しげもなくその場で分けて下さいました、太っ腹ぁ!大切なものなのに感謝です

    イメージ 2あの娘が泣いてる波止場) 作詩:高野公男
    https://youtu.be/fMapSlbNrqQ
    (三橋美智也/昭和30年)

    思い出したんだとさ
    逢いたく なったんだとさ
    いくらすれても 女はおんな
    男心にゃ 分かるもんかと
    沖の煙を 見ながら
    ああ あの娘が泣いてる波止場

    これは「浮かれ節」と僕は呼んでます。詩は悲しいんですけどメロディーは陽気。
    昨年は遠藤実スペシャル、今回は船村徹先生の特集、お二人の違いはなにか…あえて言うなら、プロの歌い手はみんな、遠藤先生と比べて、船村先生の曲は「むつかしい」と言います。まぁ、歌い手が気楽にやればいいんですが…悲しい歌を思いっきり悲しく唄っちゃうと聴いてるお客さんの方も(沈
    んだ感じのポーズ)こうなっちゃうから歌い手は「中和」するという意味で…

    粘りのあるちょっと重い曲も歌い手が気楽に唄えばいいということを「中和する」と表現なさった舟
    木さん、さすが半世紀のキャリアだと得心してしまいました。


    イメージ 3船村先生は、高野公男という方との出逢いがなければ、今の作曲家としての成功はなかっただろうとおっしゃってます。高野さんを一生の友と決めて、失くなってから60年間、毎年御命日には茨城にあるお墓に行っていらっしゃる…
    僕らもわかるんですが、青春時代に一緒に仕事をした仲間というのは学生時代の同級生とは違う特別の想いがあるんですね。
    一曲だけ石本先生の詩ですが、最初に並べたのはその高野公男さんの詩の作品です。




    イメージ 4別れの一本杉  作詩:高野公男
    https://youtu.be/g6L_T4JnTUM
    (春日八郎/昭和30年)

    泣けた 泣けた 
    こらえきれずに 泣けたっけ
    あの娘と別れた哀しさに
    山のかけすも鳴いていた
    一本杉の 石の地蔵さんのよ 村はずれ


    柿の木坂の家   作詩:石本美由起
    https://youtu.be/U3fzyU5B3_s
    (青木光一/昭和32年)

    早く帰ってコ  作詩:高野公男
    https://youtu.be/67-5oXjzUyQ
    (青木光一/昭和31年)

    おふくろも親父も みんな達者だぜ
    炉端かこんで いつかいつしか
    東京の お前達二人の話に
    イメージ 5昨夜も更けたよ 早くコ 早くコ
    田舎へ 帰ってコ
    東京ばかりが なんでいいものか

    好きならば一緒に 連れてくるがいい
    どんな娘か おらも兄なら見たいもの
    妹も嫁こにきまって今年は行くだに
    早くコ 早くコ
    二人で 帰ってコ
    幼なじみも 変わりゃしないよ

    ここで虫のすだく音(ね)…下記の詩の中に出てくる「こおろぎ」なのでしょうか

    イメージ 6船村先生の語りとギターの爪弾きが胸を打ちました。

    ~船村先生の語り~
    友よ 土の中は寒いのだろうか
    友よ 土の中には夜があるのだろうか
    もしも 寒いのならば
    俺のぬくもりをわけてあげたい
    もしも 夜があるのならば
    俺の手で灯りをともしてやりたい
    友よ 俺の高野よ
    こおろぎの よちよち登る 友の墓石

    船村先生の朗読はこちらで少しだけ試聴できます↓ 
    amazon 「男の友情」

    男の友情  作詩:高野公男  船村先生の歌唱が聴けます 
    *オリジナルのシングルレコードは、昭和31年発売の青木光一さん歌唱でした。

    イメージ 7昨夜(ゆうべ)も君の 夢見たよ
    なんの変りも ないだろね
    東京恋しや 行けぬ身は
    背のびして見る 遠い空
    段々畑の ぐみの実も
    あの日のまゝに うるんだぜ

    流れる雲は ちぎれても
    いつも変らぬ 友情に
    東京恋しや 逢いたくて
    風に切れ切れ 友の名を
    淋しく呼んだら 泣けて来た
    黄昏赤い丘の径

    田舎の駅で 君の手を
    ぐっとにぎった あの温み
    東京恋しや 今だって
    男同士の 誓いなら
    忘れるものかよ この胸に
    抱きしめながら いる俺さ


    舟友さんの29日夜の部の花束

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    船村先生は、このあたりを「ふるさと演歌」と表現なさってますね。時代を感じますね。
    鼻唄で、さきほど唄った「早く帰ってコ」の曲をなぞって、「♪今年も行くだに」と唄ってみてから
    「佃煮ではない…(笑)」このダジャレわかった人、どのくらいいるんだろ?
    このブロックのラストの「男の友情」があまりにもシンミリして客席がシーンとなったので「中和」
    なさったのかもですが…
    船村先生の言葉は独特の訛りがあって、どうして直さないんですかって聞いたらラジオとか聞いてる
    人がああ、この人は栃木の人なんだなぁ…とふるさとを思い出すだろ…と
    お酒もだいぶ弱くなりましたが80過ぎてもキツイ葉巻を吸ってました。何を言っても「暖簾に腕押
    し」の人ですから…
     
    「どうせひろった恋だもの」…初めて先生にお会いした時にこの歌が大好きですと言ったら「ずいぶんませたのが好きなんだね」…船村先生ッぽい訛りで…と言ってました。船村先生の世界をアレコレ説明する必要はないんですが、ひとこと申し上げると、ものすごい守備範囲が広いんです。
    ここは船村演歌の正統を…


    イメージ 9どうせひろった恋だもの  作詩:野村俊夫
    https://youtu.be/yX_Cd4z-WjI
    (初代コロムビアローズ/昭和31年)

    おんなの宿   作詩:星野哲郎
    (大下八郎/昭和39年)

    哀愁のからまつ林  作詩:西沢爽
    https://youtu.be/goxyxNre_Io
    (島倉千代子/昭和34年)

    涙あふれて はり裂けそうな
    胸を両手で 抱きしめる
    みえないの みえないの
    背のびをしても
    あゝ あの人は 行ってしまった
    からまつ林

    矢切の渡し  作詩:石本美由起
    (ちあきなおみ/昭和57年)

    「矢切の渡し」はちあきなおみという人のために書かれた曲。後に細川君が歌いたいと言って、それがヒットしてその時の船村先生のコメントが面白かった。
    ちあき君のは手漕ぎの舟、細家君のはモーター付きの船…(笑)
    船村先生は演歌ばっかりかとお思いになると思うんですが幅が広いというかめちゃくちゃバリエーションがあるんですね。

    ここで並べた2曲は船村先生の中では異色です。最初の「悦楽のブルース」はどこがいけないかわか
    らないんですが放送禁止になっちゃった。島和彦さんが唄ったんですが、デビュー曲なのに気の毒で
    したね。タイトルがいけなかったんですかね…

    イメージ 16悦楽のブルース 作詩:吉岡治
    (島和彦/昭和41年)

    泣いちゃ 泣いちゃ
    泣いちゃ 泣いちゃいないわ
    カクテルの
    青い 青い 青い 青い グラスが
    目にうつる
    甘い甘いと つい酔って
    さめりゃ心が ほろにがい




    イメージ 25雨の夜あなたは帰る  作詩:吉岡治 
    https://youtu.be/s91huFJWqgo
    (1966年/島和彦)

    雨の夜に あなたは帰る
    そんな気がして ならないの
    すがりついたら 離さないわ
    濡れたあなたの カルダンコート
    これもかなしい 夢かしら
    雨の夜に あなたは帰る
    まるでなんでも ないように



    ね、危険なとこないでしょ。ひっかかったのは「悦楽」という言葉でしょうか?そのすぐあとに「恍惚のブルース」(青江三奈さん)が出て、これは大丈夫だった。なぜ「恍惚」がよくて「悦楽」がダメなのか…「♪あとはおぼろ…」と最後は「恍惚のブルース」を歌いだす舟木さんでした。


    ブンガチャ節  作詩:星野哲郎イメージ 26
    (北島三郎/昭和37年)

    ダイナマイトが百五十屯 作詩:関沢新一
    (小林旭/昭和33年)
    ~サインボール打ち


    手拍子も賑やかな2曲。「ダイナマイトが百五十屯」ではサインボール打ちでは3階席まで3球ほど届き、大歓声で盛り上がりました。舟木さん、唄って打って、さすがにお疲れの様子でした。

    「ダイナマイトが百五十屯」今、こんな歌が出てきますかねぇ…「ブンガチャ節」の2番の歌詩が大好きで…「♪恋の病にお医者をよんで 氷枕で風邪ひいた」…こんな粋なハナシないですね。
    そのあとに「今夜もあの娘を 夢で見る 逢いたい見たいと夢で見る 夢をみなけりゃなんで見る
    見るまで一日寝て暮らす」などとくちずさみながら、脱いでたジャケットを取りに上手袖へ…

    イメージ 17この歌詩も、小林旭さん歌唱でヒットした「アキラのズンドコ節」…

    調べてみたら詩は西沢爽氏でした。抒情歌系の作品がイメージの西沢先生、こんな詩も書いていらしたのが意外でした。

    30曲も唄うんだから、こんなの(サインボール打ち)やめとけばいいのに根がバカだから…(笑)
    広いでしょう!フィールドが…それも1曲や2曲じゃないんですよね。結構陽気な歌が多い。



    僕が最初に書いていただいたのが「夢のハワイで盆踊り」…アカペラでちょっと唄ってみる舟木さん。バンドがないとオンチでしょ?このくすぐり、また出ましたよ。
    「昭和流行歌の最後の巨人」と言っても間違いないでしょうね。当時、専属制が厳しい中でやってい
    らしたのでどのくらいスゴイか…「カラスが鳴かない日はあっても船村徹がレコーディングしない日はない」と言われていました。作曲してアレンジもして、また次の曲を作って…遠藤先生と二人で支えて下さった。流行歌の大恩人ですね。

    ジャケットを着ながら…ハァ~ッ…」と大きめの溜息をして「ぼちぼち大丈夫になってきました」お喋りしたり、歌をくちずさんだりしながら、舟木さんなりの休憩されてたんですね。

    舟友さんの30日の昼の部の花束

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    この歌はほかの曲とはつながらないんで単独でいってみます。

    王将   作詩:西條八十
    (村田英雄/昭和36年)

    この歌が歌謡曲レコードの戦後初のミリオンセラー。それまでは蓄音機はあまり一般の家になかった
    ので調査が始まってからの記録だというハナシを聞いたときに「おお、しょー!?」…と(笑)
    一曲ごとにお辞儀をすると、せっかくそのモードに入ってたのにもとにもどっちゃうから、一曲ごとじゃなくブロックの終わりにお辞儀をするだけということに…舟木さんからの御断りの言葉に私も賛同!

    船村先生のセンターラインはどこだっていうのはむつかしい。僕個人が、この辺がどうもそんな気が
    いたしやす…というのを並べてみました。そんな感じで聴いていただければと思います。

    イメージ 11船の汽笛、海鳥の啼く声…

    波止場だよ、お父つぁん  作詩:西沢爽
    https://youtu.be/KcFBe5W4mws 
    (美空ひばり/昭和31年) 

    哀愁波止場  作詩:石本美由起
    https://youtu.be/Y2iJ6okFvV4
    (美空ひばり/昭和35年)

    ひばりの佐渡情話   作詩:西沢爽イメージ 12
    https://youtu.be/OsB_dEIRzIw
    (美空ひばり/昭和37年) 

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    イメージ 14なみだ船    作詩:星野哲郎
    (北島三郎/昭和37年)

    兄弟船  作詩:星野哲郎
    (鳥羽一郎/昭和57年)

    このあたりから風花のように雪が舞い初めました…
    徐々に紙吹雪が、ステージ上の空間を埋めていきます…
    「風雪流れ旅」の中盤では、猛烈な吹雪をイメージさせて北の果ての寒気が迫ってくるようでした…


    ↓船村先生の歌唱でお聴きください。涙が出ます

    風雪ながれ旅  作詩:星野哲郎
    https://youtu.be/LeR9i3cpt8o 
    (北島三郎/昭和55年)

    破れ単衣に 三味線だけばイメージ 10
    よされよされと 雪が降る
    泣きの十六 短い指に
    息をふきかけ 越えて釆た
    アイヤー アイヤー
    津軽 八戸 大湊

    イメージ 15三昧が折れたら 両手を叩け
    バチがなければ 櫛でひけ
    音の出るもの 何でも好きで
    かもめ啼く声 ききながら
    アイヤー アイヤー
    小樽 函館 苫小牧


    鍋のコゲ飯 袂でかくし
    抜けてきたのか 親の目を
    通い妻だと 笑ったひとの
    髪の匂いも なつかしい
    アイヤー アイヤー
    留萌 滝川 稚内



    ラストでは舞い落ちる紙吹雪の純白が真紅のライトに照らし出されてドラマチックな照明美術の演出
    がさらに船村演歌の熱情を届ける舞台効果を生んでいました。純白と真紅で縁どられた舞台空間に力強くも一抹の哀しみを帯びた舟木さんのあの独特の声が響き渡って、客席の誰もが、身体を前のめりにさせられたのではないかという想いがしました。

    舟木さんが「歌いきった…」という会心の笑顔を見せて一旦、緞帳が下りました。

    大きな拍手の中、ふたたび幕が上がって、歌われたのがこの曲でした。

    アンコール
    ~三味線マドロス   作詩:高野公男
    https://youtu.be/MZmm6DwZpWs 
    (美空ひばり/昭和33年)
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    波の小唄に 三味線弾けば
    しゃれた奴だと 仲間が笑う
    陸(おか)が恋しさに ついつい負けて
    呼べば未練が 呼べば未練が
    エーエー 夜霧にとけたよ

    青い月夜にゃ 泪で弾いた
    破れ三味線 あの娘の形見
    情あったなら 男の胸を
    帰る鴎よ 帰る鴎よ
    エーエー 伝えておくれよ

    なれぬ手つきで しみじみ聞かしゃ
    荒れた心も ほろりと泣ける
    無事か達者でか 淋しいえくぼ
    辛い想いも 辛い想いも
    エーエー しばしの事だよ


    イメージ 21いつも思うのですが、舟木さんの声質と発声法は、「演歌」という言葉でイメージしてしまう「生々しさ」というものに薄いヴェールをふうわりと掛けたようで、抑制がきいているという印象です。
    ですから「演歌」も「抒情性」を帯びてこちらの耳に届くような気がします。「演歌」のちょっとし
    た泥をそっと拭ってから、また新しい舟木一夫ブランドになって私たちのもとに届けられるようで演歌ニガテな「青春歌謡世代の女性たち」にも受け入れられるのかも知れません。

    船村徹作品も、どなたかの持ち歌ではあっても、あくまで船村先生が作品に込められた想いに立ち返
    って、そこを原点として出発された歌唱なのでしょう。舟木さん独自の感受性で新たにいのちを吹き込まれたような歌になっているように感じます。

    これまで、私は「船村徹特集」というテーマのステージを2回だけ聴いていますが、「男の友情」と、アンコールの「三味線マドロス」は、初めて遭遇しました。


    どちらも、いつかどこかで聞いた記憶はあるようなのですがすぐに曲名が浮かんでくることはないものでした。いずれも高野公男・作詩の曲です。

    今回のスペシャル企画でとりあげた船村先生の特集は、オフィシヤルコンサートとしては初めての試
    みですが、近年では、一昨年(2013年)の「50周年記念ファイナル/新橋演舞場特別公演」の千秋楽
    の翌日に開催された「サンクスコンサート」(6月30日)の第二部で「船村徹特集」と題して歌われました。また、昨年(2014年2月)の後援会主催「ふれんどコンサート」で「日本の名曲たち」というくくりの中で「船村徹スペシャル」として開催されています。

    それぞれ、構成や曲のセレクトはいくらか異なっています。特に今回、先の2回と大きく違っていたのは、「その1」でご紹介した「高野公男作詩」の作品がクローズアップされていたことです。

    イメージ 19船村先生の代表作を時系列に並べると、もちろん二十代前半にともに仕事をなさった高野公男氏の作品が一番最初にくるのは当然なのですが、今回は、アンコールに「三味線マドロス」をおかれていました。また、高野氏の遺作と言える「男の友情」が「船村徹の世界」を端的に示す作品として最も重いポジションに置かれているような印象を持ちましたし、事実、「男の友情」を私自身も「船村演歌」の原点であり、船村徹という作曲家を日本の戦後の歌謡界の第一人者として押し上げてきたマグマのようなエネルギーの源泉だったのだと、あらためて痛感しました。



    船村徹著「私の履歴書~歌は心でうたうもの」を初めて読んだのは2013年の「サンクスコンサート」の後だったと思います。その時も、もちろん高野公男氏について書かれていることも「男の友情」という作品のことも、読んではいましたが、今回、舟木さんの構成による、船村先生の朗読から歌に入るという演出で聴く「男の友情」に胸が震えるような感動を覚えました。

    イメージ 20今回の「演歌の旅人~船村徹の世界」は、これまで舟木さんがステージで企画なさってきた「船村先生の特集」の集大成でもあることは間違いないでしょう。
    そしてまた舟木さんご自身が船村徹という作曲家の心に、これまで以上に寄り添って構成されたステージだと感じました。

    「恩師としての船村先生」というよりも、同じ流行歌の世界を生き抜いてこられたこの道の尊敬する先輩であり昭和の流行歌の新しい時代を切り拓き、「流行歌の隆盛の一時代」を築き上げらたキラ星という大きな存在としての「船村徹」、その世界観をステージの上に舟木一夫の視線で見事に示されたように思いました。少し乱暴な言い方になりますが、舟木さんにとって遠藤先生という存在は、より明確に「恩師」という言葉を体現するものであり、それに比して船村先生という存在は、同じ世界を生きてきた「男同士」にしかわからない心意気のようなものを根っ子にした敬愛の上に成り立つ共感の対象であるような何かを感じました。


    船村先生と舟木さんにあい通じ合う匂いは「昭和の男」というごく単純な言葉。でも、そんな匂いを纏った男は、今ではもう、そんじょそこらではめったにお目にかかれなくなりました。
    「人の情(なさけ)を知る心根、そして夢をあきらめない気骨」…そういったものを背負ったなんと
    も頼もしくも愛おしい「背中」。

    「演歌の旅人~船村徹の世界」…曲の作り手と、歌い手というふたりの表現者の魅力の融合した見事なステージに多くの方がそれぞれの感動を胸に抱かれたことと思います。

    カッコいい舟木さんと、カッコいい船村先生、平成男子もちょっとだけおふたりのエッセンスをパラッと胸元にでもふりかけてくれたらなァ…なんて思う「昭和生まれの女」の私です。


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    昨日に続いて本日2日放送分も関東の舟友さんが録音をyoutubeにアップしてくださいました。
    感謝を込めてご紹介させていだきます。

    舟木さんからのメッセージと「春はまた君を彩る」をお聴きください


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    【オリコン】舟木一夫、46年ぶり初登場TOP50

    オリコン web サイト ↓
    http://www.oricon.co.jp/news/2053667/full/

    「春はまた君を彩る」について上記の「オリコンニュース・トピックス」情報が動画アップされています



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    kazuyanさんと不肖私、春日局とのタッグで舟木さんへ贈る53年目スタートへのエール動画



    新曲の「春はまた君を彩る」に、熱い想いをかける舟木さん、本当に近年の舟木さんには珍しいほど
    、深い思い入れをもってひときわ、大切に歌っていらっしゃるように思います。そんな舟木さんが6
    月5日からデビュー53年目に入られるのを記念して、いつもお世話になっている舟友のkazuyanさん
    にお願いして、今回ご紹介する2曲をあらたに動画作品にしていただきました。

    1曲目の「風」は、先月、5月8日(大阪メルパルク)と16日(東京メルパルク)で開催された「ラヴリー・コンサート~日本の名曲たち ふ・る・さ・と」で歌われてとても印象に残りました。

    そして2曲目の「少年いろの空」は、これまでのコンサートでも度々歌われていますが、今年、2015年のツアー・コンサートで「高校三年生」「学園広場」などデビュー時代のヒット曲のラストに置いて歌っていらっしゃいます。十代の頃のヒット曲のラストを「少年いろの空」でしめくくるという舟木さんの想いもまた、私の胸にしみてきました。

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    そういったこともあって、この2曲を選んでkazuyanさんにご無理をいって、現在の舟木さんのお写真をバックに入れたステキな動画作品になりましたので、ご紹介させていただきます。

    私のわがままな想いを快く受け止めて下さって、素晴らしい動画にしてくださったkazuyanさんとともに53年目を迎えられる舟木さんへのエールという想いを込めて掲載いたします。kazuyanさん本当に今回もありがとうございました。

    この2つの音源はいずれも下記ライブアルバム収録です。

    アルバム「舟木一夫 ゴールデンコンサート」収録
    (1974年11月 郵便貯金ホール)

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    イメージ 4風  作詩:北山修   作曲:端田宣彦

    人は誰も ただ一人旅に出て
    人は誰も ふるさとを振りかえる
    ちょっぴり寂しくて 振りかえっても
    そこにはただ風が 吹いているだけ

    人は誰も 人生につまづいて
    人は誰も 夢破れ振りかえる

    プラタナスの 枯葉舞う冬の道で
    プラタナスの 散る音に振りかえる
    帰っておいでよと 振りかえっても
    そこにはただ風が 吹いているだけ

    人は誰も 恋をした切なさに
    人は誰も 耐え切れず振りかえる




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    イメージ 5少年いろの空  作詩:井口愛  作曲:田村博正

    その眼はむかし 空だった
    悲しいときには 素直に泣けた
    きらきら 蒼い空だったイメージ 8
    その眼はむかし 海だった
    愛する心が 静かにゆれた
    少年いろの 海だった

    いつからか 泣くことも ルル…
    いつからか 笑うことも
    歯車みたいな 毎日の
    カレンダーの中に わすれたの

    その眼はむかし 風だった
    明日という名の 青空の中を
    自由に飛べた 風だった

    その眼はむかし 夢だった
    果てない砂浜 裸足でかけた
    少年いろの 夢だった


    イメージ 6いつからか 泣くことも ルル…
    いつからか 笑うことも
    歯車みたいな 毎日の
    カレンダーの中に わすれたの

    ルル……
    少年いろの 夢だった
    少年いろの 夢だった
    ルル……
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    本日3日放送分も関東の舟友さんが録音をyoutubeにアップしてくださいました。
    毎日本当にありがとうございます。感謝を込めてご紹介させていだきます。


    舟木さんからのメッセージと「春はまた君を彩る」をお聴きください



    6月に入ったらとたんにアジサイが色鮮やかになりました。うちのすぐそばの神社境内のアジサイ

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    祝!デビュー53年目スタート

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    「月刊 歌の手帖」ブログにも「春はまた君を彩る」オリコンランキング「演歌チャート2位」の情報がアップされています

    舟木さんは「月刊 歌の手帖8月号」の表紙・巻頭に登場とのことです。発売日は7月21日


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    「祝・デビュー53年目 その1」では、舟友のkazuyanさんのお祝いエール動画「風」「少年いろの空」(1974年ライブ音源)をご紹介しました。

    「その2」では、舟木さんのデビュー5周年記念に発売された写真集(近代映画社)の中から、当時の舟木さんが「歌」への熱い想いを綴られた詩「わが愛 わが歌」「特別手記」(一部抜粋)をご紹介します。
    デビュー5周年記念写真集

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    わが愛 わが歌  舟木一夫

    なぜときかれても
    イメージ 2ぼくには答えようがない
    幼い日 神様と交わした
    ちいさな約束
    運命がぼくの未来に
    置き忘れていった贈りもの

    歌の中に ぼくのすべてが在る
    ひとにぎりの愛
    ――そのよろこび
    ひとにぎりの命
    ――そのかなしみ
    ひとつのメロディーが
    大空に吸いこまれていくとき
    ぼくの人生は
    キラキラと風に走るメルヘンだ

    雲が描いた恋文のように
    遠い過去の思い出は消えても
    この世に太陽がある限り
    けっして滅びないもの
    ――それは愛
    ――それは歌


    特別手記の一部を抜粋して掲載します。

    仕事に対する ボクのファイトだけは 信じて下さい~ 特別手記 舟木一夫

    イメージ 33か月ほど前のある日のことだった。
    「歌い手になってから5年間の出来事や、考えたこと、感じたことを自分の手で書いてみないか」とまったく突然に、そして半ば強制的に近代映画社のイジワルなS氏がボクに言った。
    「しまった!」
    おだてられて、へたくそな詩などをあれこれと書いたりしなければ、こんなハメにはおちいらずにすんだのに…と悔やんだがもう遅い。~中略~

    昭和38年6月5日ボクはレコード歌手として、またテレビタレントとして芸能界にスタートをきった。

    まず、この世界に入って驚いたことは、常識的な年齢差別があまりないことだった。10年前からこのこの世界にいようが、昨日、今日、デビューしようが、いったんステージに上がったら、そんなことはおかまいなし。一番お客様に喜ばれたものが勝ちである。
    うすうす、そうしたことは判っていたが、これほどキビシイものだとは思っていなかった。デビューの日から、ある時は楽しく、ある時は悲しい一種の戦いがはじまった。

    ボクは男だ。戦いには勝たねばと思った。そして、この戦場で半年が過ぎたころ、ある先輩から「新人賞」と名づけた大きな「槍」を贈られた。一目、この「槍」を見たとき、ボクは「しめたッ!」と思った。素手よりは武器を持っていたほうが戦いは有利に決まっている。
    しかし、それは、まさに一瞬の歓びにすぎなかった。うやうやしく受け取ったその「槍」は芸能界に誕生してまだ半年のボクが持ち歩けるほど軽くはなかったのだ。
    重荷だとわかったが、捨てるわけにはいかなかった。この時から、ボクにとっての戦いの相手は他人ではなく「新人賞」の対象になった「高校三年生」というヤツが「テキ」になったのである。

    イメージ 12デビューして1年たったころ、ボクはマスコミというとてつもない大きな力をもった台風に出っくわした。いや、最初からその台風の中で自分が育っていたということに、1年たってから気がついたといったほうが当たっているかもしれない。
    とにかくボクは、この台風に息もできないほどの苦しさを感じた。そんな状況の中で「高校三年生」という大きな「テキ」を倒す「体力」と「気力」をはぐくむのに丸3年間かかった…
    そう「絶唱」の歌と映画のヒットまで3年という長い時間が…
    やっと宿敵を倒してホッとしたところへ、また先輩から贈りものが届けられて来た。包装紙に「歌唱賞」と書いてある。開いてみると、3年前に手渡された「槍」に勝るとも劣らない立派な「楯」が入っていた。正直言ってゾッとした。


    「槍」よりもはるかに重いに決まっている。そして、それから2年がたった。残念ながらこの「楯」は今だに持ち上げることが出来ずにいる。

    それのみか、「楯」を手にした瞬間、今度は「高校三年生」よりも強い力を持った「絶唱」という、新たな「テキ」が出来てしまった。
    この「テキ」にも、まだ勝つことが出来ていないし、いつ勝てるかもはっきりとは判っていない。
    以上がボクが歌手として純粋に仕事の上で感じてきたことで、5年間にたったこれだけしかない。

    この文章を書かれた当時は、まだ23歳。その時点で、デビュー当時の心境や「新人賞」を受賞された時のこと、そして「絶唱」で当時最年少記録の歌唱賞を受賞された時の気持ちを回想して書かれた文面ですが、拝見していて、今の舟木さんとなんら変わることのない全く浮かれたところのない悲しいほどにひたむきな胸の内であることに驚きと感動を覚えます。

    今の舟木さんの御活躍と進化し続けるステージを拝見している私たちファンの目には、舟木さんがご自身の中で「テキ」という言葉で、歌い手として「それを超えることを」目標となさってきた「高校三年生」も「絶唱」も含めて、今は、既に、その懐にすっぽりと包み込んで、「歌の旅路」をさらに遠くへと、またその高みへと、邁進し続けていらっしゃる姿がはっきりと見えていることは間違いありません。


    シャクナゲが朝まで降っていた雨の露を宿してきれいでした。近くの神社の境内にて

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    高校三年生
    https://youtu.be/wsAp_UeBItA (1963年紅白歌合戦)
    https://youtu.be/jnNvTTDZJvc


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    地元一宮での映画「高校三年生」のロケ風景

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    同じく映画「高校三年生」ロケの合間のスナップのようです

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    絶唱
    https://youtu.be/s63yKBnxgHU (1966年紅白歌合戦)
    https://youtu.be/2m6HEn2cUwg (私のお気に入りのkazuyanさんの動画です)

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    映画「絶唱」の西河克己監督と撮影スタッフとの記念写真


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    映画「絶唱」の奥多摩ロケの休憩中

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    明日6月5日のデビュー記念日は神戸こくさいホールでのコンサートです
    関西では初の2015 舟木一夫コンサート 大盛況を祈ります

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    6月4日放送分も関東の舟友さんが録音をyoutubeにアップしてくださいました。
    毎日本当にありがとうございます。感謝を込めてご紹介させていだきます。

    舟木さんからのメッセージと「春はまた君を彩る」をお聴きください



    さんぽ径の桑名のメインストリート「八間通り」の植え込みのアジサイ。私の顔より大きいくらいの大輪

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     日帰りで神戸まで行ってきます 

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    本日5日の放送分も関東の舟友さんが録音をyoutubeにアップしてくださいました。
    今回が最終です。一週間、毎日、録音とアップのお骨折りに心からの感謝です。
    本当に、ありがとうございました。感謝を込めてご紹介させていだきます。

    デビュー53年目の記念日についてのコメントと「春はまた君を彩る」への想いなど…

    舟木さんからのメッセージと「春はまた君を彩る」をお聴きください





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    「夏木ゆたかのホッと歌謡曲」(6月1日~5日放送分)の舟木さんのメッセージと「春はまた君を彩る」を連日、youtubeにアップして下さった、舟友さんが、早朝から早々とアップして下さいました。

    ラジオ放送/生島ヒロシのサタデー一直線6月6日放送分(*5月30日放送分の続きです)



    舟木さんのデビュー5周年記念の写真集に掲載の舟木さんの当時の想いの手記などです。再掲載します、よろしければ併せてご覧ください。 ↓

    祝・デビュー53年目 その2~「わが愛 わが歌」&「特別手記」/デビュー5周年記念写真集より


    以下は5月30日放送分の動画です。こちらは沢田舟木さんがアップしてくださっていましたので再度ご紹介させていただきます。

    ラジオ放送/生島ヒロシのサタデー一直線5月30日放送分


    おふたりに心からの感謝です。ありがとうございました。


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    オリコンランキング 6月5日付  26位

    前日までは初夏のような陽気でしたが、6月5日は一転して気温も下がり肌寒い一日でした。
    私が三ノ宮に到着したのは11時頃。舟友さんからご連絡をいただいて、こくさいホールの正面入り口から、ビルの周りをぐるっと時計の針と反対に回り込んで楽屋口に向かうと、もうすでに長蛇の列でした。新歌舞伎座の初日の時の2倍ほどの長さの列でした。

    11時半頃からポツポツ降りだした雨がだんだん本降りのようになってきました。予想に反して、舟木さんの到着がかなり遅くて、どんどん列の長さがのびていきました。結局、この日の舟木さんの楽屋入は12時15分頃だったと思います。


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    今回も舟友のkazuyanさんが8時前から並んでくださって、撮影して下さいましたので、まずはコンサートの報告の前に、「神戸国際会館こくさいホール サービス編」としてご紹介します。
    いつも、早朝からお骨折り下さるkazuyanさん、この度も本当にありがとうございました。

    舟木さんはちょっと寒そうで、立ち止まっていただくのが申し訳ない気がしましたが、ファンの皆さんも雨の中、かなり長時間お待ちの方も多かったようですから、双方が「お疲れ様でした」という感じがしました。そんなこんなで、ちょとうらめしい雨だったですが、近畿地方も6月3日に梅雨入りになったこともあり、お天気はままならないものですから仕方ないですね。

     こめんね 待たせたね  いつまでも  いつまでも  そばにいるから 

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     舟木さん、肌寒い雨の中、ありがとうございました 

    そして、kazuyanさんにも感謝です

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