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舟木一夫さんをキイワードに無限大に広がるかも知れないブログです

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    舟木さんの71回目のバースディーをお祝いする恒例の「バースデー・ディナーショー」に参加なさった舟友さんからのご報告をちょうだいいたしましたのでご紹介します。お写真のご提供、および内容のご報告をお寄せくださった皆さま、ありがとうございました。心より御礼申し上げます。


    ホテル・ニューオオタニ

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    ディナー・メニュー

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    お楽しみの記念品は、今年は舟木さんセレクトの紅茶だったそうです
    メッセージが素敵ですね

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    うれしいビッグニュースの発表もあったそうです

    2016年の新橋演舞場舟木一夫特別公演が12月開催に決まったとのこと

    以下、ご報告していただいた内容をまとめました。

    参加者は600人ほど、 花束はじめ沢山のプレゼントだったそうです。始まって直ぐに♪ハッピーバースデー・トゥ・ユー♪が流れて、舟木さんが、ローソクを一気に吹き消されました。

    衣装は黒ベスト、黒パンツ、ワイシャツ、ジャケットは黒か濃紺で小柄の織り柄がありました。蝶ネクタイ、ポケットチーフ、エナメル靴。

    今こうして皆さんの前で歌ってる事が一番幸せとおっしゃって、僕だけ元気でも駄目だし皆さんも、お達者で…という舟木さんからの感謝とねぎらいの言葉がありました。

    ショータイムのセットリスト

    北国にひとり
    立ち話
    君の手で花束を
    今日かぎりのワルツ
    夜霧のラブレター
    北風のビギン
    銀色の恋
    追憶のブルース
    いつか愛したおまえ
    想い出通り
    春はまた君を彩る



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    昨晩夜半から東海地方でも吹雪いてきて、朝起きたら、外はすっかり雪景色になっていました。

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    犬はよろこび 庭かけまわり…うちのカメちゃん、テンション上がりっぱなし

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    うまく撮れませんでしたが…と舟友さん。いえいえ、いつもの私の「証拠写真」よりずっとナイス!

    こんな寒さにもめげず、早朝から多くの舟友さんが、「お出迎え」に並ばれたようです。1枚だけですが、お骨折りいただいた貴重な今朝の舟木さんです。ジャンパーは演舞場のサンクスコンサートの日と同じもののようですね。お写真を提供して下さった舟友さん、御送り下さった舟友さんに感謝を込めてご紹介させていただきます。
    本日も、舟友のkazuyanさんも早朝から待機してくださっていますので、また、後ほど、第二弾の「今朝の舟木さん」をご紹介できると思います。お楽しみに!

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    この季節にピッタリの曲。昨日のバースデーのショーでも歌われたという「北風のビギン」をどうぞ♪

    北風のビギン   作詩:西沢爽  作曲:和田香苗   
    https://youtu.be/03bsxLzwnqE  (kazuyanさんの動画です)
    (1968年1月「くちなしのバラード」カップリング曲)



    北風にむかって 僕は叫んだ
    君の名をそっと 思いをこめて
    北風にむかって 僕は叫んだ
    どこまでも僕と いっしょにおいで・・・

    見つめあう瞳に 燃えてる愛の火よ
    頬よせてゆこうよ ああ この道を
    北風にむかって 僕は叫んだ
    春が来るごらん あの山越えて
     
    北風はつらいと 君は泣いたね
    こごえてる指を あたためた僕
    北風はつらいと 君は泣いたね
    黒髪が風に むせんだあの日

    今日からは僕たち ひとりじゃないんだよ
    かなしみの涙は ああ ふりすてて
    北風はつらいと 君は泣いたね
    春が来るごらん あの山越えて
     
    北風にむかえば 勇気がわいてくる
    この腕に可愛い ああ 君がいる
    北風の彼方へ 歌ってゆこう
    春が来るごらん あの山越えて

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    おまけです。「北国の街」の原作となった「雪の記憶」の著者である、昭和の三十年代、四十年代に、いわゆる十代の愛や性へのめざめを題材にした純愛小説で人気を博した富島健夫さんの作品や活動をまとめた公式webサイトを見つけましたのでご紹介します。舟木さんに関連する項目のみ抜き書き転載させていただきました。

    富島健夫ライブラリー 公式webサイト
    http://tomishimatakeo.sakura.ne.jp/nenpu/nenpu1962.html

    昭和38年(1963年)
    11月
    「明日への握手」が倉石功、姿美千子、高田美和、舟木一夫出演で「高校三年生」として東映東京から映画化される(11月16日封切り)。

    4月
    《明星》に「君たちがいて僕がいた」を連載(6月号まで)。執筆に先立って、主演女優本間千代子らと小田原に取材旅行。

    5月
    「君たちがいて僕がいた」が舟木一夫、本間千代子主演で東映東京から映画化される(5月23日封切り)。

    昭和40年(1965年)
    3月
    「雪の記憶」がニッポン放送から連続ラジオドラマとして放送される(午前9時40分から10時。「お茶の間名作集 雪の記憶」。3月1日~3月31日まで。寺田農、樫山文枝主演)。つづいて、舟木一夫、和泉雅子主演で日活から「北国の街」として映画化される(3月20日封切り)。

    9月
    《美しい十代》に「あゝりんどうの花咲けど」を連載(11月号まで)。舟木一夫主演でテレビドラマ化が決定していたが、放映されなかった。同タイトルの主題歌はヒットしている。

    *「あゝりんどうの花咲けど」の連載については、全く知りませんでした。すごく残念!今頃気づいても遅すぎますね。どんなストーリーだったのか、とってもとっても気になります。

    昭和42年(1967年)
    10月
    10月15日、大手町サンケイホールにて女学生の友創刊250号記念愛読者大会(小学館主催)が開かれ、舟木一夫とともに出演、「ジュニアの愛と悩みと」と題して講演をおこなう。


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    暖冬でも、流氷の初観測は、ほぼ平年並みだそうです。

    流氷まつり 詩:北炭生  作曲:中原華道
     
    https://youtu.be/1rgUD6FTOAc (kazuyanさんの動画です)
    (1977年 アルバム「一葉舟」収録)





    北海道新聞webサイトより

    流氷いよいよ 海保巡視船、枝幸沖で初観測

     同海保によると、流氷帯は北に向かって切れ目無く続いており、サハリン付近から南下する流氷帯の先端とみられる。流氷は、ぶつかり合って縁がめくれ上がった直径30センチ~3メートル程度のハス葉氷が約6割、直径2メートル以下の小板氷が約2割などで混在していた。南下は、去年より10日ほど遅く、ほぼ例年通りだという。
     同海保は、流氷帯では船が破損したり、身動きできなくなる恐れがあるとして、周辺を航行する船舶に注意を呼びかけている。(川崎学)

    今季初めて巡視船そらちから観測された流氷(紋別海保提供)


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    本日の大阪フェステバルホール~ 「お出迎え」の模様 その2 ~の舟木さんのお写真は、舟友さんの舟友さんの舟友さんから私へというリレーでちょうだいしたものです。舟友さんの輪の広がりの結晶ですね。お骨折りいただきました皆さまへ心からの感謝を込めてご紹介します。ちょっと逆光で後光が射してる舟木さん

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    さんぽの途中で赤い実を見つけました。調べてみたらアオキミズキとか…

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    寒木瓜の花も咲き始めてます

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    私の携帯カメラで撮ったのはボケてます(笑)からネット上からきれいな寒木瓜の画像を…

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    1月20日、大阪フェステバルホールでの新春ビッグステージ「お出迎え」の模様 舟友のkazuyanさんからのご提供です。寒い中、この度もお骨折りいただきありがとうございました。感謝を込めてナイスショットをご紹介させていただきます。フェステバルホールではいつもの「撮影タイム」はなくて、車を降りてそのまま楽屋口に入られたそうですが、さすがkazuyanさん、見事なカメラワーク。感謝ですね。


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    キビシイ寒さながらも、日、一日と陽射しに春の気配が…本日は、昼食後に桑名市街地の北西の山手を歩いてきました。梅がほころびかけ、水仙は今が真っ盛りです。

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    今日は、守山市民ホールでの新春ビッグステージ。野口五郎さんとの楽しいジョインコンサートの最終日。舟木さん、五郎さん、お疲れ様でした。お出かけになられた方から舟友さんがいただいた舟木さんの「お出迎え」の模様のお写真をこの度もリレーでちょうだいいたしました。心からの感謝を込めてご紹介させていただきます。お骨折りいただいた皆さま本当にありがとうございます。

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     やまも のはらも わたぼうし かぶり 

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    またまた降りましたね。母の薬をもらいに行った帰り道の薬局の隣の公園です。私が通った幼稚園ですが今は園児の数が規定数に達していなくて閉園になっているので園庭が公園になっています。

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    一昨日は、年が明けて初「愛唱会」活動の日、寒波がやってきている中でしたが、まだそれほど風も強くなく、曇天でしたが、雪も降っていなくてラッキーでした。昨年の8月から、なんと皆勤で参加させていただいています。不思議に毎回、天候に恵まれて、気持ちよく名鉄電車に揺られての萩原へのプチ舟旅を楽しんでいます。

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    四季折々の舟木さんの故郷である萩原の風景に様々な想いをめぐらしつつ町歩きをしたり、同窓生の皆さんの温かさと明るさに癒されて楽しんでいます。「毎回、遠いところをありがとうございます」と歓迎の笑顔とねぎらいの言葉をいただく嬉しさもあって、自然と毎月足が向くんですね。今回は萩庭小学校の周囲をぐるっと回ってみました。

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    通用門脇のソメイヨシノ…三月の「愛唱会」の頃には見頃かな

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    モクレンかこぶしかどっちかな?つやつやした毛でおおわれた冬芽


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    こちらも花が咲くのが楽しみです


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    2016年 1月愛唱会 1月23日(土) 萩原町串作公民館  曲目リスト

    ふじの山~あたまを雲の上出し
    一月一日~年のはじめのためしとて
    お山のお猿~お山のお猿はまりが好き
    お猿のかごや
    アイアイ
    桃太郎
    金太郎
    牛若丸
    鞠と殿さま
    通りゃんせ
    北風小僧の寒太郎
    雪~ゆきやこんこ あられやこんこ
    スキー

    寒い朝 作詩:佐伯孝夫 作曲:吉田正
    https://youtu.be/1Vqhyk-E9jI



    白い思い出~雪が降ってきたほんの少しだけど
    東京ラプソディー
    東京の花売娘
    高校三年生


    舟木さんも今年は年男ですが、もちろん、ほとんどの同窓生の皆さんも同じ申年。申年にちなんで「お猿さん」関連の歌が3曲入っていました。ラストの曲は「高校三年生」。指導の先生から「今年は申年、年男の舟木さんもますますご活躍されることでしょうね」との言葉に皆さん拍手。故郷の皆さんの舟木さんへの想いはずっと変わらずこうして「愛唱会」という催しを続けながら皆さん仲良く、地域の中で活動されていることに毎回、感動します。

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    鞠と殿さま  作詩:西條八十  作曲:中山晋平
    https://youtu.be/NGQNsBBuhJI

    てんてんてんまり てん手まり
    てんてん手まりの 手がそれて
    どこからどこまで とんでった
    垣根をこえて 屋根こえて
    表の通りへとんでった 
    とんでった


    イメージ 19今回歌った中の「毬と殿さま」…西條八十の詩だったんですね。今頃、知りました(笑)子どもの頃から慣れ親しんだ歌ですが、古い手毬唄かと思い込んでました。話しが脱線しますが、「毬と殿さま」の詩について少し…
    大名行列の殿さまのお駕籠の屋根にこともあろうか、小さな女の子が遊んでついていた毬が乗ってしまうという発端から、その手毬が、紀州にお国入りする殿さまに「あなたのお国のみかん山をわたしに見させてくださいな」とたのむという展開になり、殿さまはその手毬を抱いて無事紀州に入り、手毬は紀州の山のみかんになった…というストーリーなのですね。
    一説では、その手毬というのは女性で、殿さまに見初められて紀州入りしたとも…、また、手毬を殿さまの駕籠に転がしてしまった女の子は粗相した咎でお手討ちになったので云々…というわらべ唄にありがちなおどろおどろしいエピソードを想像させる詩だとも…。

    でも、この歌が誕生した理由の真相は以下のようです。

    「毬と殿様」 - SUZUKI HOME SONGS webサイトより抜粋
    http://www.tfm.co.jp/homesongs/index.php?itemid=66178

    この歌は、「コドモノクニ」という児童絵本の昭和四年・お正月号で発表された童謡です。
    作詞の西条八十は、お正月の童謡を作って欲しいと依頼を受け、手まり唄の形式で、子どもの遊び歌ができないかと考えました。
    すごろく遊びにヒントを得て、大名行列で東海道を旅し、最後は紀州のみかんになるという、まるで連想ゲームのような、面白い詩を考えました。それに中山晋平がメロディをつけて誕生した歌です。

    そして、紀州の殿さまと言えば、舟木さんは、テレビ時代劇・水戸黄門に紀州藩主の徳川光貞役で出演されたんでしたよね。手毬になりた~い…って?

    将軍が最も恐れた男・江戸(第29部1話/2001年4月 2時間スペシャル)
    激闘!忍びの対決・和歌山(第30部14話/2002年4月)

    ネット上から携帯で撮った画像なのでボケてますが、凛々しい紀州の殿様

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    「スキー」または「スキー唱歌」については、皆さんもご存知の通り、舟木さんが語っていらっしゃいますね。

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    限りない青春の季節 舟木一夫15周年記念リサイタル
          ~歌とモノローグで綴る15年の歩み収録~(1977年12月発売) より

    イメージ 14生い立ちと巣立ち

    今晩は、15周年のリサイタル、ようこそおいで下さいまして、ありがとうございます。今回はいつものコンサートとかリサイタルみたいに歌い手が、歌をうたいこんで、ショーアップしていく、そういう形のものではなくて多分この三日間しか僕が歌い手をやっている間中で、出来ないだろうと思うスタイルで進めて行こうと思います。
    と言うと大げさですけれども、特にどうという事はないんです。僕はやっぱり青春時代を15年間、歌ですごしてきました。その陰で、色々な事がありました。皆さんが御存知の事も、御存知でない事も・・・。で、僕と一緒に青春を過ごして下さった皆さんの為にも、今回のステージは是非、僕の青春を正直にしゃべりながら、歌っていきたいと思います。ですから、普段のステージよりもうまくは歌えないかもしれませんけども、とにかく正直にしゃべって正直に歌っていきたいと思います。僕が人の前で一番最初に唄を歌ったというのは、小学校の三年生の学芸会。  この唄でした。

    スキー  作詩:時雨音羽  作曲:平井康三郎

    山は白銀 朝日を浴びて
    すべるスキーの風きる速さ
    とぶは小雪か舞いたつ霧か
    おおお この身も
    駆けるよ 駆ける
    真一文字に 身を躍らせて
    飛べば踊れば 流れる斜面
    ・・・・・・・・・・・・・

    何にせ20何年前の事です。二番まではよくおぼえてません。忘れました。


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    毎回、ラストソングは舟木さんの曲で〆ます。今回は「高校三年生」

    高校三年生  作詩:丘灯至夫 作曲:遠藤実
    https://youtu.be/1xvqPvPTces



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    オマケで~す


    舟友さんから情報いただきました。こちらもどうぞ!この方の「高校三年生」
    https://www.youtube.com/watch?v=fM4QVadd9qM

    ついでと言ってはなんですが、おなじく、この方の「銭形平次」も…
    https://youtu.be/oQaHi-5p4ZM

    高田社長は、舟木さんファンのようです。
    http://case.dreamgate.gr.jp/mbl_t/id=424

    <高田 明をつくったルーツ.2>
    恋もおしゃれも全くの門外漢。歌と英語に明け暮れた青春時代 
    (抜粋して転載させていただきました)
    高校時代も相変わらず歌が好きでしたね。予餞会、今でいえば文化祭では学年の代表としてステージで歌いましたし。そのときの歌が舟木一夫さんの「あヽりんどうの花咲けど」。残念ながら、いくら探してもこの曲が今のカラオケ店にはないんですよね(笑)。

    高田氏が舟木さんファンというのは同世代なので、納得ですが、「あゝりんどうの花咲けど」を男子高校生だった頃に、セレクトされてるというのが意外!(笑) でも、ここにも、昭和を共に生きてきた「同世代あり!」という気持ちになって、とっても嬉しいですね。ちなみに高田氏は、1948年生まれとのこと、それにしては若いですね。やっぱり第一線にいらっしゃる方は皆さん若いんですね。

    最後はいつもように、お隣同士、手をつないで童心にかえり「夕焼小焼」でしめです。


    来月の「愛唱会」 2月27日(土) 16時半~17時半  萩原町・串作公民館

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    タイトルに掲げた本は、例によってネットの海を泳いでいて見つけたものです。

    「純愛の精神誌 昭和三十年代の青春を読む」(新潮選書)

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    目次を先ずご紹介しておきます。

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    舟木さんのデビュー曲「高校三年生」をはじめとする、青春歌謡を読み解いていく章もありますが、ほかにも昭和三十年代の若者たちの心を捉えその「精神誌(≒精神史)」に影響を与えた作品群や一連のブームなどがとりあげられています。「愛と死をみつめて」に代表される若い女性たちによる手記は、高校時代によく読みました。「生命ある日に」は「愛と死をみつめて」の中でこの本のことが書かれていて知り、この著者が名古屋在住の短大生であったこともわかって、彼女の在籍していた短大に憧れて受験もしたほど影響を受けました。合格はしたものの、父の転勤で結局、東京で進学することになったのですが…。また漱石の「こころ」や亀井勝一郎の人生論も、難しくて理解しきれないままでしたが、文章の手触りは好きだったので高校の図書館で借りて読んだものですから、どの章も、私的には興味深いもので私自身の青春時代の風景の中にあってとても身近に感じられました。

    でも、ここでは、勿論、舟木さんに関連する章のみを抜き書きさせていただきつつ、少しだけ私自身の感想なども記してご紹介しようと思います。
    舟木さんファンは、当然のことながら十人十色。最初の出逢いも、舟木さんとの旅の長さや、舟木さんへの想いの温度や形もそれぞれに違うことでしょう。そして、お気に入りの歌も、お気に入りの映画などもそれぞれにおありかと思いますが、私の場合は…ということで、この本に行き当たることになった経緯も含めてちょっとご説明させていただきます。

    イメージ 14私の中の「舟木一夫というイメージ」の原点となっているキイワードが「純愛」なんですね。それは多分「まだ見ぬ君を恋うる歌」「あゝりんどうの花咲けど」「北国の街」「絶唱」という私が少女時代に強烈な印象を受けた舟木さんのイメージ 15ヒット曲のテーマとなっているのが「純愛」だからなんだと思います。そして私が少女時代に夢見た「純愛」を体現させる具体的な「理想の初恋の人」もきっとぼんやりとではあるのですが、舟木さんのイメージと重なっていたのだと思います。


    舟木さんがデビューした頃の時代背景を当時のサブカルチャーを紐解いていく中で、どうして、まだ子どもだった私が、舟木さんに対して「理想の初恋の人」という印象を抱いたのかを、探ってみたいと思い、なんとなく、あたりをつけて「舟木一夫 純愛」という二つのワードを並べて検索をかけてみてるうちに、やっと100項目あたりに出てきたのが、この本のタイトル「純愛の精神誌 昭和三十年代の青春を読む」だったというワケです。なんてヒマ人な私なんでしょう(笑)でも、ヒマがあったおかげで、とってもいい本にたどりつきました。

    舟木さんが18才でデビューしたのが昭和三十八年。その年、私は11才の小学校五年生。当時はティーンエイジャーという言葉がよく使われてましたからちょうどそのティーンエイジャーの仲間入りをした年でもあったわけです。そろそろ思春期前期というお年頃ですね。
    その頃の小学校高学年の女の子にとってのテレビというのは大人にとってと同じようにもっとも大きなサブカルチャーの情報源だったように思います。その次は、大人も今のようにネットで情報を得ることはできませんでしたから、大人には大人向けの雑誌、週刊誌が情報源でした。そして女の子に限定して特有の情報を与えたのが少女雑誌だったと言えるでしょう。

    それまでにも芸能情報誌の「平凡」や「明星」などはありましたから、私も、お正月号に限ってはお年玉でスターたちの晴れ着姿が表紙を飾っている華やかな号を胸はずませて楽しみにして買っていました。付録に付いている歌本もお楽しみのひとつでした。

    少年向きのマンガ週刊誌は既に先んじて創刊されていましたが、少女雑誌はまだその頃までは月刊誌のみでした。小学校にあがるかあがらないかの頃には毎月、発売日からちょっと遅れて貸本屋さんが届けてくれるのを楽しみに待っていました。私には母が「少女」(光文社)という雑誌を借りてくれていました。他にも時々「少女ブック」(集英社)が不定期に届いたような記憶があります。「りぼん」や「なかよし」との出会いは、もう少し後だったと思います。夏休みの時期には付録が欲しくて自分のお小遣いで買うようになりました。


    舟木さんがデビューしたのと同じ昭和三十八年に、それまでは月刊誌のみだった少女雑誌に週刊誌ができました。少女フレンド(創刊:昭和38年1月1日号)です。週刊マーガレットの創刊は同じ年の4月でした。その週によって「少女フレンド」を買うこともあれば「マーガレット」を買うこともあったような気がします。いずれにしても、月刊誌から週刊誌という形態の進化が昭和三十年代終わり頃からの時代の流れの加速度を象徴的に表していると今になれば思い至ります。

    舟木さんが表紙に登場している「少女フレンド」と「マーガレット」

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    さて、本題の「純愛の精神誌 昭和三十年代の青春を読む」からの舟木さんに関連する部分の紹介です。カバーに記載されている著者のプロフィールからです。1994年6月15日発行なので、もう20年余り前の情報ですが原文のまま転載させていただきます。

    著者:藤井淑禎(ひでただ)
    昭和25年豊橋生まれ。慶応義塾大学文学部卒。立教大学大学院博士課課程修了。近現代日本文学・文化論専攻。ノンフィクション、ミステリー、TVドラマ、流行歌等にも旺盛な関心を示すいっぽう、時代を丸ごと復元したなかで作品を生活読者の立場から捉えかえす試みを一貫して続けている。そうした方法を実践した著者として「不如帰の時代―水底の漱石と青年たち」(名古屋大学出版会)がある。現在、立教大学教授。

    カバーの裏表紙の推薦文  ねじめ正一氏の文面

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    カバーの帯の表、本書のコピーという感じの文面

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    カバーの帯の裏、著者による本書内容の主旨紹介の文面

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    以下は 「プロローグ 波勝岬慕情」から抜粋させていただきました。 「舟木歌謡」という言葉がキイワードとなっています。

    波勝岬

    群青色のドロリとした工業用印刷インクをあたり一面に流したかのような海が、際限もなく広がっていた。本当にこんな色だったのか、という、いわくいいがたい思いがぼくのなかでじわじわとわきあがってきていた。
    ―南伊豆の妻良から、野猿の楽園として名高い波勝岬に渡る遊覧船上でのことである。
    ここを訪ねようとしたキッカケは、この岬が、ぼくが前々から気にしていたひと昔も前の流行歌に歌われているからであった。歌ったのは、今はむしろ作詞家として知られている、かつての東映映画を代表する青春スターの本間千代子さんで、作詞は丘灯至夫、作曲は山路進一。タイトルは「愛しあうには早すぎて」てという、今となっては何とも奇抜な題の昭和三十九年三月発売の歌だ。

    愛しあうには早すぎて  作詩:丘灯至夫 作曲:山路進一
    https://youtu.be/0mzWZLR4Cd4 (kazuyanさんの動画です)
    (1964年3月/映画「君たちがいて僕がいた」挿入歌)



    イメージ 19憎くはないのに 憎まれ口を
    きいて悔やんだ 日もあった
    愛しあうのは 早いのね
    コバルト色の
    波も散る
    波勝岬は 純情岬

    ひとりになったら 口惜しいけれど
    涙ほろりと こぼしてた
    愛しあうのは 早いのね
    南の伊豆の 春の夢
    波勝岬は 青春岬

    青春時代は かえってこない
    みんな大事に
    しましょうよ
    愛しあうのは 早いのね
    鴎の歌も しおなりも 
    波勝岬は 思い出岬


    この歌が気になりだした経緯というのが、そもそもこの書物全体のモチーフとも重なってくるのだが、実は当初この歌は、最近のなつメロブームで復活の兆しいちじるしい舟木一夫の一連の青春歌謡の意味を自分なりに考えていく過程で付随的に引き出されてきたものに過ぎなかった。

    ―ぼくは舟木歌謡を昭和三十年代にブームをまきおこした手記や人生論等のさまざまな「表現」と並んで、その時代の青春の風景を描き出す際の重要なキイのひとつと考えているのだが、いったいなぜ、その手がかりがいわゆる「文学」にではなく、手記や流行歌に求められなくてはならないのか。

    「青春」といえば、切っても切れない関係にあるのが「愛」とそして「性」の問題だが、石原慎太郎の「太陽の季節」(昭30)や谷崎潤一郎の「鍵」(昭31)、さらには伊藤整訳の「チャタレー夫人の恋人」(昭25)や澁澤龍彦訳の「悪徳の栄え」(昭34)等の文壇史上を賑わした問題作にひっぱられる格好で、戦後の文学が「愛」や「性」の領域を果敢にきりひらいてきたことはよく知られている。そうした性表現の冒険は映画など他のメディアにも及び、昭和三十年代も後半に入ると、婦人雑誌や週刊誌を中心としてむしろ性の氾濫、過剰が取り沙汰されるようにすらなってくる。


    舟木歌謡の向こうに

    さて、そこで肝腎の「愛しあうには早すぎて」に戻ると、この歌になぜ注目したかといえば、ほかでもない、この歌は時代精神解明の手がかりとなるべきはずの一連の舟木歌謡と遥かに呼び交わして、それらを補完する役目を果たしてくれるのではないかと期待したというわけなのだった。

    もっとも、ある意味ではそれは当然で、この歌の作詞者の丘灯至夫は「高校三年生」「修学旅行」「君たちがいて僕がいた」「まだ見ぬ君を恋うる歌」「北国の街」「東京は恋する」などの舟木一夫の初期の一連のヒット曲の作詞者でもあったのだし、何よりも、この「愛しあうには早すぎて」という歌自体が、舟木一夫主演の東映の青春歌謡映画「君たちがいて僕がいた」(原作=富島健夫、脚本=池田一朗、山本英明、監督=鷹森立一、昭和39)の挿入歌としてつくられたものだったのである。

    「キネマ旬報」による紹介を借用すると、この映画の中身は「観光地・小田原を舞台に、大学受験という大難事に挑む高校生の心理の葛藤、若い教師への淡い慕情、高校生同士の初恋、それに大人たちの恋愛や醜い争いを織り込んで、高校生という"社会"に目覚めようとする世代を描くもの」という「青い山脈」顔負けの「教育的」な内容だった。そして、そこで舟木一夫によって歌われる、

    君たちがいて僕がいた  作詩:丘灯至夫  作曲:遠藤実
    https://youtu.be/IwxBJnOgbFE (kazuyanさんの動画です)



    イメージ 20(セリフ)
    清らかな青春 爽やかな青春
    大きな夢があり かぎりないよろこびがあった
    はかない希みがあり つらい別れもあった
    そんな時はいつも… 母にも似た 優しい 目差しの
    君たちがいて そして 僕がいた

    心の悩みを うちあけ合って
    眺めたはるかな 山や海
    言葉はつきても 去りかねた
    そんなときには いつの日も
    ああ 君たちがいて僕がいた

    涙をこぶして ぬぐっていたら
    遠くでこっそり 見つめてた
    あの娘の瞳も ぬれていた
    そんな日昏れも あったけど
    ああ 君たちがいて 僕がいた



    さよならする日は 肩くみあって
    しあわせ信じて うたおうよ
    大人になるのは こわいけど
    そんなときにも 離れずに
    ああ 君たちがいて 僕がいた


    イメージ 21という、あたかもグループ交際を推奨しているかのような同題の主題歌と「愛しあうには早すぎて」なる挿入歌とが、一種のハーモニーをかなでるような仕掛けとなっていた。
    あるいは「高校三年生」の、

    泣いた日もある 怨んだことも
    思い出すだろ なつかしく
    ああ 高校三年生 ぼくら
    フォークダンスの 手をとれば
    甘く匂うよ 黒髪が

    という、いわば男女の接近の限界線の提示と、「愛しあうのは 早いのね」という自己抑制の論理とは、確かに共鳴しあってもいたのだった。つまり、若い男女のありうべき恋のかたち、愛のかたちの提示であり、当代の男女交際の指針とも規範ともいうべきものを掲げていた、とみなすことができるのである。

    イメージ 25


    丘先生が語る、舟木さんとの心あたたまるエピソードも記されています。

    昭和四十七年のマーガレット・ラインの開通により、波勝岬は観光バスがひっきりなしに往来する大型観光地化してしまったとはいえ、遊覧船上から見上げる絶勝奇勝の数々は依然として壮大なものだった。陸路からの秘境性は失われてしまったけれども、海路からのそれはまだまだ健在であったわけで、不十分ながらもそのメタファー性を体感できた以上、今回の波勝岬行きの目的はまがりなりにも果たせたことになる。そして何よりも驚かされた、ドロリとした青い印刷インクのような海の色…「愛しあうには早すぎて」にいう「コバルト色の波も散る」を、どうせ流行歌にありがちなオーバーな表現だろうと、高をくくっていただけに、胸をつかれたような思いがしたのだ。畏怖すべき「リアリズム」、と大げさにいってみてもいいが、あるいはこれなども、昭和三十年代精神の現れのひとつとみなすこともできるかもしれない。ひとつの仕事に全身全霊を打ちこむ職人芸の世界がそこにあるとしたら、それもまた、もはや現代においてはなかなか見出だしがたくなってしまった精神のありようだからである。

    イメージ 22ここで思い出しておきたいエピソードがひとつある。
    何年か前に神田の古書店で手に入れた「舟木一夫大全集」(昭和45・9)なるLPレコード五枚セットの分厚い付録冊子に収められた丘灯至夫のエッセイが教えてくれる、途方もない一種の人情話だ。

    ―「高校三年生」でデビューして二年目、超売れっ子、超多忙のスケジュールをこなす舟木一夫が、福島県の山奥で開かれた丘氏の生涯の記念ともいうべき「郷土訪問リサイタル」に、万難を排して、ゲストとしてはるばる駆けつけてくれたというエピソードである。

    ~たいへん辺鄙な土地であり、すでに若いながら、スター歌手となっている舟木君には、とても来て貰えないだろうと思ったが打診してみた。ところが舟木君は二つ返事で、「ぜひ行かせてください。スケジュールはなんとか都合します。」心良く承知してくれた。(中略)それだけではない。舟木君は私とともに、私の菩提寺を訪ねてくれて、すでに世にない私の父母の墓詣でをしてくれた。(中略)しかも、あとから知ったことだが、舟木君はこのとき、足の親指のなま爪をはがしていての旅であった。舟木君はそれでも、最後まで足指の痛みなど、おくびにも出さず、終日、笑顔で、私の郷里の人たちの歓迎に答えていてくれたのである。~(「舟木君と私の七年間」)

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    「純愛の精神誌 昭和三十年代の青春を読む」より~その2 エピローグ「高校三年生」―ひとつの時代の終わり― に続きます



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    るるぶ.com より

    冬の風物詩、「智頭宿雪まつり」が鳥取県智頭宿で開催!

    期間:2016/02/06~2016/02/06
    冬の風物詩、「智頭宿雪まつり」が鳥取県智頭宿で開催!

    今年で17回目を迎える「智頭宿雪まつり」が2月6日(土)、鳥取県智頭町(ちづちょう)で行われる。奈良時代以前から畿内と因幡地方を結ぶ主要道として、また江戸時代には参勤交代の道であった智頭往来。このエリアは今も古い町並みが残り宿場町の雰囲気漂う場所。歴史漂う智頭宿一円で開催される冬のイベントへ是非足を運んでみよう!


    智頭宿一帯がこの日限りの冬の祭典エリアに早変わり!?

    智頭宿一帯がこの日限りの冬の祭典エリアに早変わり!?

    午前10時、国指定重要文化財の石谷家住宅前で行われる開会式では地元よさこいグループが華やかな踊りを披露するほか、豆まきやもちつき、雪灯籠作りなどの体験イベントやライブ、屋台村や特産村、灯りの小路など智頭宿一帯がこの日限りの冬の祭典エリアに早変わり!

    昼はワクワク! 幻想的な夜にドキドキ、一日中たっぷり楽しもう!

    昼はワクワク! 幻想的な夜にドキドキ、一日中たっぷり楽しもう!

    昼はライブやイベントにワクワク。そして夜は幻想的な灯りに包まれた智頭宿一帯に心温まる。手作りの雪灯籠



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    雪国へ 作詩:植田俤子 作曲:山路進一  (1966年11月発売 17cmLP4曲収録)    
    https://youtu.be/U3XnysMGOH4 (kazuyanさんの動画です)



    イメージ 2雪国の夜を 汽笛は低く鳴る
    いま帰りゆく ふるさとに
    あゝ あゝ
     ねむるあなたは 小さな胸に
    待ちわびただろう 春がくるのを
    もう一度 笑顔見たかった
     
    雪国の道は はてなくつづくのか
    いまひらけゆく ふるさとよ
    あゝ あゝ 
     愛していれば いつか逢えると
    信じていたろ おなじ心で
    幸せなひとに したかった
     
    雪国の恋は かえらず涙わく
    いまあけそめる ふるさとに
    あゝ あゝ 
     あの人の瞳か 白い星ひとつ
    さびしかったろ ひとり逝くのは
    好きだった花を ささげよう
     



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    1月19日に大阪のホテルニューオオタニで開催されたバースデー・ディナーショーで歌われた中には、最近のコンサートでは歌われていない曲がいくつかありましたので、行かれた方はラッキーでしたよね。その中から、3曲、ネット上にアップされているものをチョイスしてみました。

    それぞれ、舟木さんが二十代、三十代、四十代の頃にリリースされたものなので、あらためて原盤を並べて聴いてみると、年代と共に変わってきた舟木さんの声も楽しめますし、作品の中に歌われているそれぞれの時代の心の風景が見えてきて、人生の旅路の縮図のようでもあります。

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    夜霧のラブレター  作詩:安部幸子 作曲:山路進一
    https://youtu.be/3M8BCqyUF1I (kazuyanさんの動画です)
    (1965年8月/「たそがれの人」カップリング曲)



    イメージ 3なんの返事も もらえぬ手紙
    かいてふるえる 文字ならば
    あおい夜霧に したいもの
    わかってくれぬ あなたの窓に
    すがる 夜霧に したいもの

    たまらないほど 悲しいきもち
    口に出せない なみだなら
    あおい夜霧に したいもの
    ふりむきもしない あなたの影と
    ついて いっしょに ゆけるよに

    好きになってと といきがにじみ
    ひとりみだれる 文字ならば
    あおい夜霧に したいもの
    いのちをあつめて あなたの傍で
    きえる 夜霧に したいもの



    イメージ 5立ち話  作詩:尾中美千絵 作曲:三木たかし 
    https://youtu.be/EPEMxgj7B_0
    (1978年6月/カップリング曲は「この胸に帰れ」)

    あなたは美しい 今も変わらない
    夕暮れの人波に 押されてめぐり逢い
    久しぶり元気かと ありふれた言葉
    煙草のけむりに 心かくして立ち話

    あなたも覚えてる 忘れたふりしても
    傷ついた恋の日を その瞳(め)がなつかしむ
    見る夢が違うのさ 男と女は
    二人で過ごした 淡い季節の中でさえ
     
    あなたは逃げるのか 急ぐだけなのか
    さりげない物腰に さよならも優しく
    忘れよう今日かぎり 捨てよう思い出
    一つの青春 今は二つの物語
    一つの青春 今は二つの物語



    いつか愛したおまえ 作詩:秋元康  作曲:杉本真人
    https://www.youtube.com/watch?v=5yJTPSi3-rw
    (1991年11月/「友よ」カップリング曲)

    イメージ 4いつか 愛した
    おまえのことなど
    今じゃ 何んにも
    覚えていないよ

    街で 偶然
    出逢ったくらいで
    遠い昔を
    思い出せないよ

    おまえと何を話せばいいのだろう
    俺には飲むしか
    飲むしかないよ
     
    いつか 愛した
    おまえのすべてを
    酒と一緒に
    飲み干してしまおう

    痩せたみだいだね
    そんなあやふやな
    愛の名残じゃ
    時は 戻らない

    後悔なんて ただの幻だよ
    あの日の二人が
    美しすぎる


    イメージ 7いつか 愛した
    女はいたけど
    しあわせにさえ
    できなかったから

    おまえと何を話せばいいのだろう
    俺には飲むしか
    飲むしかないよ

    いつか 愛した
    おまえの背中を
    見送りながら
    どうしようもないね



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    「純愛の精神誌 昭和三十年代の青春を読む」より ~その1 舟木歌謡の向こうに

    上記の記事からのつづきです

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    「その1」では、本作の「プロローグ 波勝岬慕情」という章をご紹介しました。著者は「高校三年生」をはじめとする舟木さんの学園ソングを「時代精神解明の手がかりとなるべきはずの一連の舟木歌謡」と位置づけ、「愛と死をみつめて」や、漱石の「こころ」、「石坂洋次郎作品」ほかの、いくつかのキイワードと並べて「昭和三十年代の青春を読む」ことを試みたわけです。 

    そして、著書の冒頭では、「波勝岬」をモチーフにした丘灯至夫作詩の「愛し合うには早すぎて」と、その歌を挿入歌として使った、東映青春映画「君たちがいて僕がいた」の同名の主題歌をピックアップし、同時に「高校三年生」の歌詩をも引き寄せて、これらの歌が男女の接近の限界線の提示、つまり、若い男女のありうべき恋のかたち、愛のかたちの提示であり、当代の男女交際の指針とも規範ともいうべきものを掲げていた。」と紐解いていったわけです。

    「舟木歌謡」に触れているのは、その1で紹介させていただいた「プロローグ」と今からご紹介する「エピローグ」なのですが、「舟木歌謡」がこの著書の最初と最後に置かれているということに注目したいと思います。、「昭和三十年代の青春」というのは、やはり「高校三年生」をはじめとする一連の学園ソングに集約され、また象徴されるひとつの「貌(かたち)と精神」に貫かれていたのだと確信できるのではないでしょうか。

    今夜の「木曜8時のコンサート~名曲!にっぽんの歌」では、またまた「高校三年生」が流れました。
    舟木一夫といえば「高校三年生」……「高校三年生」という歌は、もう舟木さんの勲章のようなものなのかもしれません。流行歌は、時代を背負っている…という言葉がこれほど説得力をもって迫ってくるという意味では「高校三年生」の右に出るものはないのかもしれませんね。

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    ここで、皆さんご周知のことだと思いますが、舟木さんが語る「高校三年生」もご紹介しておきます。
    (1992年「歌手生活30周年記念 舟木一夫大全集―陽射し・旅人―」別冊解説書)より

    イメージ 13この曲は僕のデビュー曲ということもあって、いろいろな思い出があります。まず、デビュー曲決定にあたって、詩を10編つくり、どれをAB面にするか、制作スタッフ、そして作家の先生方と、何回も会議を重ねました。そして最終的に「高校三年生」と「水色のひと」に決定したのですが、ここで一つおもしろいエピソードがあります。実を言うと、この「高校三年生」は、御蔵になりかかった作品なのです。当時のコロムビアの会議で、「この作品は流行歌ではなく、学芸部のジャンルに入るのではないか。だから舟木一夫のデビュー曲は他の作品にしたらどうか」という意見が数多くありました。しかし、その時の僕のプロデューサーが、どうしても舟木一夫のデビュー曲は「高校三年生」であるという強い信念で押し通してくれて日の目を見ることができた作品です。
    又、この作品の録音は、僕の記憶では、コロムビアでの最後の同時録音だったと思います。
    そして、月日が流れた今、この「高校三年生」は、もう舟木一夫個人の歌ではなく、日本の歌になっていると思います。そういう歌に出会えた僕は、本当に幸せだと、今つくづく感じています。


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    「純愛の精神誌 昭和三十年代の青春を読む」(藤井淑禎著/新潮選書)より
    エピローグ「高校三年生」―ひとつの時代の終わり―
    *ここで掲載したジャケット等の写真は私が補足編集したものです。本書掲載のものではありませんのでご了承ください。

    赤い夕陽が校舎をそめて…
    「高校三年生」の大ヒットぶりはもはや伝説化しているけれども、波勝岬の章でも引いた丘灯至夫の「舟木君と私の七年間」によると、実際その売れゆきは「私が(丘氏―引用者注)レコード会社の専属となって以来、はじめて見るハイピッチの記録的数字だった」という。
    丘氏のメモによると、六月五日に発売して七月二十日には十一万五千七百五十二枚、八月三日には十六万一千六百十三枚、九月十六日には四十一万一千四百九十四枚と数字を飛躍的に伸ばし、年末には百万枚の大台にまでのせている。

    結局舟木は当然のことながらこの年の日本レコード大賞新人賞を受賞、暮れのNHK「紅白歌合戦」にも初出場を果たし、さらに翌年三月には浅草・国際劇場で初のワンマンショーを開くなど、驚異的な躍進ぶりをみせることになる。デビュー曲の「高校三年生」の売上げも最終的にはシングル盤だけで二百二十万枚にも達し、「修学旅行」(昭38・8)、「学園広場」(昭38・10)、「仲間たち」(昭38・11)などの後続の学園ソングも幅広い支持を集めた。

    ところで舟木歌謡の特色として、しばしば〈哀愁〉〈哀調〉ということがいわれる。これを、かりに、歌い手や作詞・作曲者の個性に帰する、という安易な考え方に与しないとすれば、いったいその根っこは何だったのか。
    ――学園ソングあるいは青春歌謡というと、ただちに、たとえば「青い山脈」のような青春を謳歌する雰囲気の歌を思い浮かべがちだけれども、一連の舟木一夫の歌は実はそれとは裏腹な方向性をもっていたのだった。すなわち、〈別れ〉こそは一連の舟木歌謡を貫く最大のモチーフだったのである。
    具体的に、それを確かめてみよう。

    イメージ 6赤い夕陽が 校舎をそめて
    ニレの木蔭に 弾む声
    ああ 高校三年生 ぼくら
    離れ離れに なろうとも
    クラス仲間は いつまでも

    泣いた日もある 怨んだことも
    思い出すだろ なつかしく
    ああ 高校三年生 ぼくら
    フォークダンスの 手をとれば
    甘く匂うよ 黒髪が

    残り少ない 日数を胸に
    夢がはばたく 遠い空
    ああ 高校三年生 ぼくら
    道はそれぞれ 別れても
    越えて歌おう この歌を

    ここにあるのは現在の謳歌などではなくして、身近に迫った別れの予感なのである。歌の時点はまちがいなく高校三年次の現在にあるにもかかわらず、遠くない将来にくるであろう別れの時が歌われているのだ。基点は現在であるにもかかわらず、いわば未来のある時点を仮設して、そこから現在を振り返る=「思い出すだろ」というものだったのである。やがて近い将来、この今を「なつかしく」思い出すだろう、というわけだ。このように「高校三年生」という歌は、意外にも、哀切な別れの予感ないしは懐旧のトーンに色濃く縁取られた青春歌だったのである。
    こうした特徴は先にあげた後続する学園ソングにも共通してみられるものであった。たとえば第二作「修学旅行」はどうか。

    イメージ 7二度とかえらぬ 思い出乗せて
    クラス友達 肩よせあえば
    ベルが鳴る鳴る プラットホーム
    ラララ…
    汽車はゆく 汽車はゆく
    はるばると はるばると
    若いぼくらの 修学旅行

    地図をひろげて 夢見た町を
    僕のカメラで 撮した君を
    思い出すだろ いついつまでも
    ラララ…
    汽車はゆく…汽車はゆく
    ひとすじに ひとすじに
    若いぼくらの 修学旅行

    霧の港に 湖畔の宿に
    名残りつきない 手と手を振れば
    あとを追うよな 小鳥の群よ
    ラララ…
    汽車はゆく 汽車はゆく
    さようなら さようなら
    若いぼくらの 修学旅行


    ここでも「高校三年生」と同じく未来の仮設点からの懐旧となっている。ばかりでなく「二度とかえらぬ 思い出」であるとか「手と手を振れば」とか「さようなら さようなら」とかいったように、およそ充実した現在の謳歌とはほど遠い情感の世界が繰りひろげられているのである。
    四作目の「仲間たち」になると、現在時点自体が、すでに卒業して離郷後の時点に移行してしまっている。

    イメージ 8歌をうたっていたあいつ
    下駄を鳴らしていたあいつ
    思い出すのは 故郷の道を
    みんな一緒に はなれずに
    ゆこうといった仲間たち

    帽子まるめているあいつ
    リンゴかじっているあいつ
    記念写真は とぼけていても
    肩をならべた ツメエリにゃ 
    夢をだいてた仲間たち

    手紙よこせというあいつ
    あばよあばよというあいつ
    口じゃ元気に どなったくせに
    ぼくが故郷を たつ朝は
    涙ぐんでた仲間たち



    「ぼく」が現在いるのが東京かどうか、それはわからないが、いずれにしても仲間たちはもはや記念写真のなかの存分でしかない。「ぼく」を見送る彼らは「涙ぐんでた」というが、その涙は当時の、そしてその当時を想い起こしている現在の「ぼく」のものであったかもしれないのである。ともかく、懐旧一色に染めあげられた世界が、ここにはある。

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    そうだとしたら、みてきたような別れの予感と懐旧というトーンこそが、舟木歌謡を特徴づける〈哀愁〉の源泉だったのではないか。作中の現在時と未来の仮設時点とのあいだにあるのは「高校三年生」「修学旅行」、あるいは離郷後の現在時と故郷にあった過去の時点とのあいだにあるのは「仲間たち」、いうまでもなく〈別れ〉の時である。高校進学率七〇%という世相を背景として大多数の若者たちにとって人生最初の節目として受け止められるようになった高校卒業であり、高校時代というひとつの時代の終わりである。しかし、そこにはもうひとつの時代の終わりが重ね合わされていたのではなかったか。そんなふうに仮定すると、確かに「修学旅行」で繰り返される「さようなら さようなら」というフレーズにしても、あるいは「仲間たち」の「あばよあばよ」にしても、単に学生時代との別れを懐かしむにしては、あまりにも重すぎるという気がしないでもない。

    青春の謳歌ならぬ哀切な別れの予感、あるいは仮設点からの懐旧・哀惜のトーンは単にひとつの青春とか学生時代に対してのものであったと考えるよりは、むしろ、ある時代の終焉に捧げられていたととったほうが、よりふさわしい。―ひとつの時代が終わろうとしている。そしてそれを悼む役割を担って登場してきたのが舟木歌謡だとして、それでは、その始まりはいったいいつだったのか。ヒントは歌自体のなかにいくらでも埋め込まれていたはずだった。たとえば、赤い夕陽に染まった「校舎」(当然、木造の)であり「フォークダンス」であり、「汽車」であり、「下駄」であり、丸めた「帽子」(当然、学生帽)であり、「ツメエリ」であり、といった具合に。おそらく高度経済成長以降の眼からみればレトロ調としかみえないそれらの道具立てが明らかにするのは「フォークダンス」に結晶させられている戦後的理念の時代との連続性にほかならなかった。

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    しかも、「音階」という側面に着目して戦後の流行歌を分析した小泉文夫の「歌謡曲の構造」(昭和59・5)によると、日本の大衆歌謡のほとんどは五音音階の長調か短調であるのに対して、この歌は「学校で習う」「純西洋的」な七音の「和声的短音階」でできているという。詞・曲ともに理念的な色合いの濃い、生粋の戦後的なものであったことになるが、そういう意味では「戦後的理念の時代との連続性」は「青い山脈」との連続性といいかえてもよいかもしれない。「青い山脈」に始まり、「高校三年生」に終わるひとつの時代。

    イメージ 10「青い山脈」が昭和三十年代末くらいまでは同時代の文学としての生命力を保っていたことは、石坂洋次郎の章で紹介した圧倒的な支持率からもわかるが、より卑近な例としては、吉永小百合が主演した何度目かの映画化が昭和三十八年であったという事実をあげてもいい。これ以降ももちろん映画化されることはあったが「青い山脈」がレトロではなく同時代の映画として受け止められたのはおそらくこれが最後だったのではあるまいか。その意味でも、ここでひとつの区切りが打たれたと考えなくてはならないのである。もうひとついえば「高校三年生」の作詞者である丘灯至夫が「青い山脈」の作詞者西條八十の愛弟子であったということも、ふたつの作品の連続性のささやかな証ではあるだろう。いずれにしても、この時代の出発点に位置する「青い山脈」が現在を謳歌し、帰結点に位置する「高校三年生」が過去を哀惜していたというのも、こんなふうに考えれば、きわめて自然なことであったといわなくてはならないのである。


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    ほんのちょっとですが、聴けますよ!… 軽快な応援歌風、明るくて元気の出る曲ですね
    村木弾さんの「ござる~GOZARU~」試聴(日本コロムビア公式サイト)
    http://columbia.jp/artist-info/murakidan/COCA-17111.html


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    こちらは、ちょっとマイナーな舟木さんの学園ソング…いずれも舟友のkazuyanさんの動画作品です。

    さらば古い制服よ 作詩:丘灯至夫 作曲:戸塚三博
    https://youtu.be/ZAr8QTbYobc
    (1964年3月/「涙の敗戦投手」カップリング曲)



    イメージ 5水の流れが かえらぬように
    過ぎてゆく日は もどらない
    君もそうだろ 僕だって
    二度とおくれぬ 学生時代
    古い制服も 淋しかろ

    憎いあいつに 話せるあいつ
    別れ別れにゃ なるけれど
    やがてどこかで また逢おう
    つらいあの日も たのしい歌も
    古い制服は 知っている

    風も吹くだろ この世の中は
    だけど僕たち いつまでも
    声をかけよう 励まそう
    君はセーラー 僕つめえりの
    古い制服よ さようなら




    定時高校生  作詩:三浦康照 作曲:遠藤実
    https://youtu.be/V08rWnVZpwQ
    (1964年 アルバム「花のステージ第2集」収録)


     
    イメージ 6古い校舎を 夕暮れが
    今日も包んで 夜が来る
    僕等は 定時高校生
    ノートブックに 走らすペンも
    明日の希望に つづいているさ

    昼の疲れも 忘れさす
    銀杏並木の 窓灯り
    僕等は 定時高校生
    語り明かそう 今夜は君と
    汗と油に まみれた友よ

    やがて灯りも 消える頃
    みんな校舎に さようなら
    僕等は 定時高校生
    帰る夜空の またゝく星に
    燃える若さを 歌って行こう






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    「舟木一夫・森昌子」学園ソング決定版   中野サンプラザホール

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    舟友さんのリレーでちょうだいしました。でも、動画から私が編集したものなので画像が悪くてすみません。ご容赦くださいね。舟友さんたちのご厚意に感謝です。ありがとうございました。

    画像では、色がブルーがかってますが、黒のセーターにパープル系のブルゾンのようですね。

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    ファンの皆さんの方を向いて立ってる舟木さんの前にスタッフ(ガードマン?)の方が急に移動してきて遮る形になったので、「もうちょっとヨケテ…」って感じで、ファンを気遣われる舟木さん。

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    二月になってしまいましたね。昔から「一月は行く、二月は逃げる、三月は去る。 」と言われていますが、本当に年が明けてからの三ヶ月は、とりわけ過ぎるのが早いように思います。もうすぐ節分。

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    昨日は、毎年この時期恒例の味噌の仕込みをしました。材料は大豆、米麹、塩。これだけです。

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    こちらは、去年の今頃、仕込んだ味噌。約9ヶ月ほどねかせるとこんな色合いになります。

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    新春ビッグステージ・「舟木一夫・森昌子」学園ソング決定版 中野サンプラザ 

     セットリスト(行かれた舟友さんからの情報です。ありがとうございます。)

    *最初は「学園ソング」からかな?

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    君たちがいて僕がいた

    せんせい
    修学旅行
    同級生
    仲間たち
    中学三年生
    あゝ青春の胸の血は

    ~デュエット~
    夕陽の丘

    (*原曲は石原裕次郎さんと浅丘ルリ子さん)
     
    湖愁
    https://youtu.be/7MECZzvLyWA (kazuyanさんの動画です)


    津軽のふるさと

    休憩

    *おふたりとも遠藤実門下ですから、以下の4曲は、遠藤先生の作品を…ということだったのでしょうね

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    おかあさん
    哀愁出舟
    すきま風
    https://youtu.be/sGNqEPweTUk (kazuyanさんの動画です)


    北国の春

    *それぞれのヒット曲
    ~昌子さんコーナー
    花魁(おいらん)
    なみだの桟橋
    立待岬
    哀しみ本線日本海
    心は哀しいものですね
     
    ~舟木さんコーナー
    君へ心こめて
    初恋
    絶唱
    高校三年生
    学園広場
    春はまた君を彩る
     
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    *それぞれのラストソング

    越冬つばめ

    高原のお嬢さん

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    銭形平次
    ~サインボール

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    1月の下旬に開花し始めた白梅が、ほぼ七分咲きになっていました。桑名市の山手、走井山勧学寺境内

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    先だっては「純愛の精神誌 昭和三十年代の青春を読む」について掲載しました。そこで少しとりあげたのが、当時の少女雑誌です。時系列でいうと「少女」「なかよし」「りぼん」「少女フレンド」「マーガレット」などです。小学校の高学年あたりまではこれらの少女マンガ雑誌に親しんだわけですが、中学入学が目前になってきた頃、六年生の三学期くらいから、気になりだしたのが「女学生の友」です。「女学生」という言葉そのものが今では死語のようになっているようですね。「男子学生」に対する「女子学生」…というのとはニュアンスが異なる「女学生」という響きが、今となっては、なんとなくレトロ感があります。

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    「純愛の精神誌 昭和三十年代の青春を読む」(藤井淑禎著)でもテーマとして取り上げられている「純潔」という概念が、少年・少女をまとめて「青少年」と呼んだ上で、その特定の年齢層の男女交際のあり方が社会的な論議として浮上してきたのが昭和三十年代であったように思います。ことに、その年代の「女子」の心身の成長にともなう様々な関心事(ファッション、芸能、趣味等々)に焦点を当て、「男子」との「正しい交際の仕方」に至るまでが示唆されていたのが「女学生の友」という雑誌でした。
    今、ここで「女子」「男子」という言葉を使いながら、現在、頻繁に使われている「女子」「男子」という言葉の意味合いと、昭和三十年代に使われていた「女子」「男子」という言葉との意味合いとの解離を感じずにはいられません。時代とともに、言葉の持つイメージというものが、どんどん変わっていくものだとあらためて思います。

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    中学校にあがる前から気になっていた「女学生の友」ですが、やはり小学生の頃は、この雑誌は中学生になってから読むものだと思い込んでいましたから、それまでは、ぐっとガマンして初めて本屋さんで手にしたのは中学生になってセーラー服を着るようになってからだったと記憶しています。私は定期購読はしていなくて、毎月、発売日に本屋さんで購入していました。でも、中一から高一の中頃までは毎月愛読していました。その後は、物足りなくなったのかちょっと背伸びして「婦人公論」を、時々買って読むようになっていきましたが、多分、中学生時代に「女学生の友」を愛読することで培ったベースがあったから、「婦人公論」へとスライドしていったのだと思います。十代の頃に読んだ雑誌の変遷をたどっていくと、「流行歌」と同様、昭和という時代の大衆文化の潮流を垣間見ることができるように思います。

    今回、ご紹介する「女学生の友」は、昭和四十年(1965年)の二月号ですから、私が小学校六年生の1月に発行されたものになります。主にこどもの雑誌の古書をネット販売しているサイトで購入したもので、私が当時買ったものではないのですが、ちょうど舟木さんがデビューして人気もマックスという頃ですので、「舟木さん情報も、かなり掲載されています。ちなみに、当時買った雑誌類は、当然のことながら一冊も手元には残っていません。こうして、手元に残している人がいて古書として販売されているのはありがたいことです。

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    「女学生の友」誌上人気投票の発表ページ

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    多岐にわたるテーマが、盛りだくさんに取り上げられていて、写真は少なくてモノクロがほとんですし、小さな文字で誌面がギッシリ埋まっていますから、今の若い人向きのパラパラっと開いて眺める雑誌ではなく、読ませる雑誌だったんだなぁと思います。ネットもないし、情報も文字でしか得ることのできなかった時代なので、「雑誌」の果たした役割は今とは比べようもなかったんだと痛感しました。

    マルベル堂のプロマイド販売数のトップテン 上段が男性で下段が女性
    *クールキャッツって?

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    *こんなグループ、あったんですね。全然記憶にないんですが…(笑)

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    映画「花咲く乙女たち」は、1965年1月24日公開(「名画座」というページに掲載)

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    花咲く乙女たち
    https://youtu.be/bbaevB10wxY
    (音源は1977年盤のようです)



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    「女学生の友」の目玉は、やっぱり「少女小説」だったんでしょうね。
    平岩弓枝、北条誠など、当時の人気作家が執筆しています。

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    「女学生の友」(1965年2月号)掲載の舟木さん関連の記事 その2 につづきます




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    昨日は節分、今日は立春

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    桑名の大福田寺で福豆をいただきました

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    恵方巻は母の手作りでおなか一杯食べました。

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    特別書簡  新人賞の西郷君に贈る三つの願い  舟木一夫
    (写真は「女学生の友」掲載のもの以外にも使用しています。)

    イメージ 9☆君は泣かないで堂々と
    西郷君、新人賞おめでとう。そして、明けましておめでとう。
    元日はどこで迎えました?おそらく郷里の鹿児島へ帰るひまはなかったでしょうね。でも今頃は、やっと静かに、新人賞受賞のよろこびをかみしめていることと思う。
    どの職業でもそうだろうが、とくにわれわれの年末は忙しい。映画出演とか地方巡業、それにテレビの仕事などに追われて、ゆっくり受賞のよろこびにひたっているひまはないものね。
    一昨年の暮れは、ぼくがそうだった。新人賞受賞決定の報せを受けたのは、新宿コマ劇場に出演していたとき。守屋浩さん、高木たかしくんと三人で「花咲く学園」というショーに出ていたから、目の前の舞台が気になったり、ほかの仕事が重なったりで、”自分が賞をもらったのだ”という実感がわかなかった。
    授賞式は、たしか12月27日だった。コマ劇場での公演のあいまに日比谷公会堂へかけつけたのだが、その車に乗ってから、やっとうれしさがこみあげてきた。あわただしい歳末の町の風景も、まるでぼくの受賞を祝福してくれているかのように、車の窓越しにぼくの目と胸にしみこんだものだ。
    その夜、四谷の下宿では、おふくろが赤飯を炊いて祝ってくれた。
    「ありがとう、おかあさん。ぼく、来年はもっともっとがんばってみせるよ!」
    そう言ったら、おふくろもうれしそうに涙ぐんでくれた。ふだんのぼくなら、テレくさくて、とてもそんなことばは口に出せないのに…。
    イメージ 10日比谷公会堂の舞台では「高校三年生」「学園広場」を歌った。そのあいだ、なぜかぼくの胸の中には、小さい頃からの思い出――過去十何年間のことが、走馬灯のようにうかんできた。歌う時間はわずかなのだから、ふしぎといえばふしぎなことだ。しかし、長い夢も一瞬のうちにみるというし、人間にはそうした心のはたらきがあるのだろう。西郷君もきっと、そんな経験があると思う。
    とにかく、涙がこみあげてきて、どうしようもなかった。「高三」の一、二番はどうにか歌えたが、三番はもう歌にならなかった。
    新人賞といえば、その年にデビューした新人の中で一番優秀な歌手にさずけられる賞だ。その賞をもらいながら、自分の歌を最後まで歌えなかったなんて…。
    ぼくは、恥ずかしくてたまらない。雑誌などは、舞台で泣いたぼくのことを、”純真”とか”そぼく”とかいってほめてくれたが、それを読むたびに、ひや汗が出る思いだった。
    歌手は、いったん舞台に立ったら、歌手以外の何者であってもいけない。あるだいじなときに、歌手以前の舟木一夫をさらけだしてしまったぼくは、ほんとうの新人賞歌手としては失格だったかもしれない。


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    西郷君は、ぼくのような失敗をせず、最後まで堂々と歌ってほしい。これは、ぼくがきみに願うことの一つだ。西郷くんならきっとできると思う。ぜひ、堂々と歌ってくれたまえ。年末はぼくも忙しいが、きっとどこかでテレビを見るから…。
    さっきは、「明けましておめでとう」と言いながら、どうも話がややこしくなってきた。でも、西郷君、かんべんしてほしい。じつはこの原稿、まだ”昨年”の、きみの受賞式の数日前に書いているんです。
    しかし、今さらこんな弁解は不必要かもしれない。もうNHKの「紅白歌合戦」での顔合わせもすんだつもりになって…。西郷君、あらためて、新年おめでとう!


    イメージ 8☆ぼくも西郷君の歌が好き
    ぼくがきみにはじめて会ったのは、あれは昨年の5月大劇の楽屋でだった。
    忘れもしない。「舟木一夫ショー」の千秋楽の日で、西郷君は、その翌日からの「こまどり姉妹ショー」に出るため下見に来たんだってね。デビューしてまもない西郷輝彦君だったわけだが、ひと目見て、うわさどおりの好青年(好少年?)だと思った。とりとめもない話しばかりだったけど、初対面にしては、よく話がはずんだよね。
    二度目は、都立体育館でショーがあったとき、舞台そででぶつかって「ネクタイがまがってるよ」と注意してあげたら、頭をかいて、明るいえがおでお礼を言ってくれたっけ。
    その後もテレビでいっしょになったことがあるが、ほとんど話をする機会はなかった。こんどいつか、おたがいにひまをつくって、ゆっくり語り合おう。
    西郷君の魅力は、ひとことで言えば”さらっと明るい魅力”だと思う。”からっと底抜けに明るい魅力”ではない。あくまでも、”さらっと”という形容がぴったりだ。ぼくはむろん、きみの歌も好きだ。まだ人の歌をとやかく言う資格はないけど、きみの人がらとおんなじでサラッとした飾り気のない魅力がある。「君だけを」などは、いわゆる”ラブ・ソング”とちがって、プラトニックなあこがれみたいなものがにじみでている。若くて、清潔で、とってもいい歌だな。
    なまいきなようだけど、ぼくは早くから、きみの歌に感心していた。いつかも「女学生の友」から「ことしの新人賞の最有力候補は?」と聞かれたときも、まよわず「西郷君」と答えた。ほかの人にはわるいけど、心の底から、そう答えずにはいられなかったのだ。
    ところが…。近ごろ、いろんな週刊誌などが、ぼくたちの仲を、ヘンに思わせぶりに書きたててくれる。「舟木と西郷が仲たがい?」だとか、「舟木が西郷との共演を拒否」だとか…。ほんとうことを知らない人が、新聞の広告だけを見たら、きっとぼくたちがケンカをしたと思い込むだろう。
    「なあに、そんなこと、ぼくらの知ったことじゃないさ。ファンの人たちだって、ぜったい誤解なんかしないよ!」きみは、そう笑いとばしてくれるにちがいない。もちろんぼくも、同じ気持ちだ。しかし、まるでぼくのほうからケンカを売ったみたいに書かれているだけに、やっぱり、ちょっぴり気になる。そこで、このさい、あえてその問題にふれておこう。どうか笑い話のようなつもりで、かるい気持ちで読んでくれたまえ。

    ☆自分のきのうの歌と勝負しよう
    「歌のアルバム」(TBSテレビ)の正月特別番組と「歌の饗宴」(フジテレビ)の300回記念番組に、ぼくが出演を辞退した――。これは確かだ。しかし、その理由が、「西郷君と共演したくないから」だなんて、とんでもない話だ。そんなこと、ぼくは夢にも思ったことがないし、ましてや、人に語ったりするはずがない。それなのに、なぜ、そうしたおくそくをされなければいけないのだろう。
    〈舟木は西郷を意識的に避けている?〉〈西郷と同じ舞台ではり合うことは舟木の自尊心がゆるさないのだろう〉
    もし、ほんとうに人からそう思われているとしたら、ぼくはすなおに反省しなければならない。ぼくの人間性がいたらないために、そんな誤解を人にあたえるのだ。だが、ぼくは、そうしたうわさは、あくまでもジャーナリズムの好奇心からつくりだされたものであり、ぼくたちのファンには関係のないことだと信じたい。たしかにぼくには、歌手としてのプライドがある。しかしそれは、、西郷君との共演を拒否するような、そんなケチな自尊心ではないつもりだ。
    西郷君も、やはり、歌手としての大きな自尊心をもっている。だから、ぼくの気持ちはよくわかってくれるだろう。
    あの二つの番組にぼくが出なかったのは、どうしてもスケジュールのやりくりがつかなかったからであり、それ以外の理由は何もない。〈西郷と舟木の”仲たがい”は、本間千代子が原因?〉これはもうバカバカしくて、弁解する気にもなれない。本間さんとは、映画「君たちがいて僕がいた」で初共演する前、ラジオのディスクジョッキーでコンビを組んでいたころから、いろいろイワクありげに書かれ、まったくへんてこな気持ちだった。しかし仕事の上では、本間さんは、ほんとうにいいパートナーだった。彼女と新コンビを組んだかたちの君も、同じ意見だと思う。ヘンなうわさなんか気にしないで、のびのびとやってほしい。
    おたがい芸能界にいるかぎり、”ライバル”といわれるのは、しかたのないことかもしれない。だが、ぼく自身は、たとえば橋幸夫さんをライバルと考えたことはないし、西郷君を競争相手とも思わない。西郷輝彦は西郷輝彦。舟木一夫は舟木一夫。ぼくと西郷君とは異質の歌手であり、舟木のもたないものを西郷がもち、西郷にないものが舟木にはある――それでいいんじゃないだろうか。「歌手は他人と勝負するのではなく、自分が、きのううたった歌と勝負すべきものだ」これが、現在のぼくの信念だ。きみも、同じことを感じているのではないだろうか。

    イメージ 12☆もう二つのお願い
    昨年の12月12日、ぼくは満二十歳の誕生日を迎えた。もうすぐ、”成人の日”がやってくる。ハタチになったからといって、自分では、とくにどう変わったとも思わない。酒はタバコをのみたいとも思わない。むかしのまんまの平凡な男だが、まわりの人たちがぼくを見る目はきびしくなるだろうし、いつまでも甘えん坊ではいられない。つねに自分で自分をみつめて、まっすぐ芸能界の道をきりひらいて行きたい。「この道より我を生かす道なし。この道をゆく。」武者小路実篤先生の有名な句だが、ぼくはこの言葉が大好きだ。
    ことしは、歌はもちろんだけど、一本道の幅を広げる意味で、いろんな勉強をしたい。テレビの「赤穂浪士」で少しは度胸がついたから、時代劇映画にも出るつもり。ぼくの矢頭右衛門七がはじめてブラウン管に登場した直後、ある友人から電話がかかって「馬がカツラをかぶってるみたいだ」といわれたものだけど。おかげさまで、泉岳寺の右衛門七の墓前にはお花や線香がたえないとか。まったくファンはありがたいものだ。
    西郷君は、もうすぐ18歳だね。たったの二つちがいなのに、つい先輩づらをして、いい気なことばかり書いちまった。申しわけない。だが、一年だけ早くレコード界にデビューした同輩のことばとして、もうひとつだけ聞いてもらいたい。「人気に自分をかけて、人気を得てはいけない。歌に自分をかけて、その結果として人気を得てほしい」ということだ。じつは、こう書くのに、ぼくはずいぶん勇気がいった。ひょっとして、きみの人気へのアテツケにとられたら……そんなためらいがあったからだ。気にしない気にしないと言いながら、やはりぼくは、どこか心の片すみで、あのイヤなうわさを気にしているのだろうか?
    いや、ぼくは、うわさなんかにまけない。だから、あえてこの忠告を西郷君におくる。もちろん、これはぼく自身に対するいましめでもあるのだが……。
    「うん、きみがためらった気持ちは、よくわかる。でも、思いきって言ってくれてありがとう。ぼくも舟木さんの意見に同感さ!」西郷君は、きっと、そう答えてくれるにちがいない。こちらこそ、ありがとう!
    では、最後に、約束をやぶるみたいで申しわけないけれど、こんどこそもうひとつだけ、お願いの追加がある。
    「西郷君、もっとふとってくれたまえ!」とたのみたいのだ。どう見たって、きみはスマートすぎるよ。
    「じょうだんじゃない。オレは舟木さんみたいなヤセッポチとはちがって…」などとおこりたもうことなかれ。ゆだんは大敵。ぼくは二キロもふとったんですゾ!くやしかったら、ことしはふたりで、ふとりっこをしようよ。だれにもえんりょはいらない、この点は、大いにライバル意識をもやして……。


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    全調査 青春スターの心に秘めた初恋公開!! 
    →その相手から、はかない結果までの美しい報告書は?

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    舟木さんのほかに、八人の青春スターに、質問 
    浜田光夫、倉石功、久保浩、和泉雅子、吉永小百合、安達明、姿美千子さん

    質問内容 舟木さんのこたえ

    イメージ 15いつ、どんな人と?
    中三のとき

    相手は、どんな人?
    おなじ中学の一級下。中肉中背で、冬になると手にしもやけをつくってたけど、とても清潔な感じだった。農家の子だったんです。
    彼女は、ぼくと同じ音楽部員でもなかったし、口をきき合ったのは、ほんの二、三度だけ。もっと男のぼくのほうから話しかけるべきだったかもしれないけど、なにしろ、あのころのぼくは、今とちがって、とびきりの無口だったから・・・。そのとびきりぶりは、デビュー当時のぼくを知ってる人なら、よくわかってもらえると思います。

    結果は「ほとんど話もせず、ひとり胸の中で。」実際は交際とまではいたらず終わったようです。

    今のきもちと、理想のタイプは?
    高校がべつになったので、進展なし。もう完全に過去の思い出です。
    あの子、どうしてるかな?と思うことはある。だけど、べつだん会いたいとは思わない。好きな女性のタイプは、中学時代と、ぜんぜん変わっていない。理想は、藤間紫さんのようなひと。十二月のはじめ、テレビの「コロムビア・ステージ」に藤間さんがいらしたときは、思わずまっかになっちゃった。どうにもテレくさくて、いつまでもモジモジしてたから、”ヘンな子”と思われたにちがいない。気になるなあ。


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    昨日も、快晴で陽射もあたたかくて散歩日和でした。紅梅が色あざやかに青空に映えて春うらら…

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    第17回 智頭宿 雪まつり webサイト
    http://www.tottori-inaba.jp/new-events/2016/01/15.html

    今年も雪まつりの季節がやってきました。
    雪灯籠や竹灯篭の幻想的な灯りに酔いしれてみませんか?
    屋台村や地元の特産品、
    様々な体験がみなさまをお待ちしています♪

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    明日、智頭宿まで舟旅に行ってきま~す


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    舟友のkazuyanさんが、新作の動画を作られました。今回は、ご自作の折り紙細工を使われた映像です。まさに、100%「手づくり」の見事な作品ということですね。次々と新たなチャレンジをされているkazuyanさんのエネルギーに拍手喝采です。感謝と共にご紹介させていただきます。


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    紙の指輪  作詩:吉田旺  作曲:遠藤実
    (1975年4月 アルバム「暦 十二ヶ月の愛の詩」収録 二月の詩)



    貧しくても、若い恋人同士、お互いのために相手がいるだけで、それでめいっぱいの幸せ…。ごく庶民的な恋の歌は、どこかひなびた匂いもする遠藤さんの演歌ワルツでまとめられています。今の舟木君には、もしかすると、これが一番素直で、寸法に合った沁み方をする曲ではなかろうか…などと、ひょいと思ったりもします(解説:小西良太郎 )

    イメージ 8おまえはこよりを 指に巻きつけ
    結婚指輪と さびしく笑う
    抱きしめようと 腕をのばせば
    甘えるように ほそい身をよせる
    ガラス窓打つ みぞれの音も
    今夜のふたりを やさしくつつむ
    祝ってくれる 人はないけど
    俺と明日から 暮らしてゆこう

    夢みていただろ きっとおまえは
    花嫁姿で 嫁ぐその日を
    あなたのそばで 暮らせるならば
    これでいいのと おまえは指をかむ

    *
    冬もおわりさ 春にはどこか
    ふたりで気ままな 旅でもしよう
    祝ってくれる 人はないけど
    俺と明日から 歩いてゆこう
    (*くりかえす)



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    日本コロムビア公式HP より


    ござる~GOZARU~

    ござる〜GOZARU〜

    2016年2月17日発売

    CD:COCA-17111 MT:COSA-2293
    各¥1,204+税
    1. ござる~GOZARU~

      作詩/舟木一夫 作曲/船村徹 編曲/蔦将包
    2. 北の男旅

      作詩/喜多條忠 作曲/船村徹 編曲/蔦将包
    3. ござる~GOZARU~(オリジナル・カラオケ)

    4. 北の男旅(オリジナル・カラオケ)

    5. ござる~GOZARU~(半音下げオリジナル・カラオケ)

    6. 北の男旅(半音下げオリジナル・カラオケ)

    7. ござる~GOZARU~(2コーラスカラオケ)

    8. ござる~GOZARU~(半音下げ2コーラスカラオケ)






    • 魅力的に感じないかも知れませんが、何の色もついていないところにこそ村木君の魅力を感じました。
      例えて言うなら同じ秋田市出身で大先輩の東海林太郎さんのような襟を正してしっかりした歌が唄える歌手になって貰いたいです。
      船村 徹
    • 「三十六歳の旅立ち」
      昨年、五月の或る日、「久し振りに、メシでも食おうよ」と船村先生からTELあり。
      和食を御馳走になりながら、雑談の花畑を歩いていたら先生がボソッ…「実は最後の内弟子をそろそろデビューさせたいと思うンだが、そのことについて、ちょっとばかり手を貸しておくれよ」で「村木 弾」は念願のプロの歌い手になった。
      記念すべき一作目は「ござる~GOZARU~」。彼自身が敬愛してやまない、船村先生の作品(「ござる」のメロディーは、とびっきり楽しいのです)でスタートを切ることが出来る弾は倖せ者だ。
      歌を大切に人を大切に、息の長い歌い手になって欲しい。それこそが十二年余りも懐の内で、この時のための力を心を育んで下さった先生と奥様への何にも勝る贈りものになるのだから。
      ---どうか皆様、三十六歳の旅立ちに奮いたちながらも少しビビッている「村木 弾」を是非、一人前にしていただきます様に、心よりのお願いを申し上げます。
      舟木一夫

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    日本コロムビア公式HP

    2016.02.05 
    舟木一夫が唄う船村徹の世界。
    復刻CD「こころのステレオ」シリーズ2タイトル2/17発売!

    「雪のものがたり」は、今回が初のCD化です。


    Information インフォメーション


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    2016年2月7日 日本海新聞

    ほのかな明かり幻想的に 智頭宿雪まつり

    イメージ 1 鳥取県智頭町の冬の風物詩「第17回智頭宿雪まつり」(実行委員会主催)が6日、同町智頭の旧因幡街道智頭宿一円で開かれた。雪灯籠や竹灯籠が道沿いに並べられ、ほのかな明かりが宿場町を幻想的に彩った。
     例年は同町内の山中から雪を運ぶが今年は暖冬で雪がなく、智頭建設業協会の協力で隣接する鳥取市用瀬町から2トントラック約50台分の雪を確保した。日没後には街道沿いや寺院に続く参道などに並べら
    れた灯に次々と灯がともされ、来場者は格子戸から漏れる光との絶妙なイメージ 2コントラストを楽しんだ。
     国重要文化財の石谷家住宅前で行われた開会式では、地元のよさこいグループが華やかな踊りを披露。観光ガイドを務める智頭農林高の生徒2人が司会した。ジャズやフォークソングのライブ、スタンプラリーもあり、屋台村も多くの人でにぎわった
     かわいらしい着物を着せた5歳と0歳の娘を連れて訪れた鳥取市南町の寺谷未来さん(29)は「雰囲気が好きで毎年来ています。昔ながらの町と雪、街道の明かりがすてき」と満足そうに話した。


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    2月6日開催の智頭町の雪まつりに行ってきました。智頭駅に到着したのは12時半頃。夕方までは、上記のニュースにもあるように雪は降っていなかったものの、夜に近くなるにつれて徐々にしんしんと冷え込んできて、7時半頃になるといい具合に雪模様になってきました。河内屋旅館さんで、夕食をいただいているうちにかなり吹雪いてきたのでせっかく雪を楽しもうと訪れたのですから寒さをグッとこらえて、再び外に出て町の人たちが手づくりしてくださった雪灯籠の幻想的な世界を堪能しました。宿のおばあちゃまも、昔は当たり前のように降っていた雪も近ごろは本当に降らなくなったとおっしゃって、私たちの幸運を喜んでくださいました。地元の方たちにとってもすっかり珍しくなった雪景色に遭遇することができ、本当にいい舟旅になりました。

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    駅前の観光協会

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    映画「絶唱」のこの場面のロケは、この森林組合建物の前あたりの鉄道の引込線があったところ

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    雪まつりの会場へ…


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    梶屋・諏訪酒造の杉玉

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    西河監督作品「絶唱」を記念して作られた地酒「絶唱」鈴木清順監督とのツーショット

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    智頭町の旧村役場

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    光専寺
    智頭宿の智頭往来沿いに位置する浄土真宗本願寺派の仏教寺院。本堂の「うぐいす張り」が有名。
    石谷家の欄間彫刻を施した仏師・国米泰石の墓がある。

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    光専寺のあじさいの冬芽

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    諏訪神社
    1782年(天明2年)より、諏訪大社の御柱祭に倣った「柱祭り」が行われている。以来6年ごとの申年と寅年の4月に、柱を献上する者の山から4本の杉が伐り出され、町内を練り歩いた後、宮入りして本殿四隅に建立される。

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    西河克己監督が「絶唱」に登場する山林王の旧家のモデルとした「石谷家住宅」 

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    陽が落ちると雪灯籠に灯が点りました

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    竹と灯りのアート

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    7時に河内屋旅館さんで晩御飯。地酒「絶唱」で乾杯!

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    夜も更けかけた頃には吹雪いてきました

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    一夜明けるとあたりは一面の雪景色
    河内屋旅館の玄関前は早朝から雪かきをしてくださって歩きやすくなっていました。

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    智頭駅前

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    駅のホームもすっかり「北国の街」風…

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    私は、朝の列車で智頭をあとにしましたが、舟友さんたちは、さらに鳥取砂丘へと…
    映画「絶唱」のロケで、舟木さんが踏みしめた砂丘を見学された舟友さんからちょうだいした写真です
    今回も西河克己映画記念館の館長に大変お世話になりました。館長さん、ありがとうございました。

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    あなたが聴きたい歌の4時間スペシャル2016/2月8日19時~放送

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      92/「高校三年生」舟木一夫(昭和38年)/選曲・千昌夫 (全118曲)

    流れた映像はこちら…ワンコーラスだけでちょっとサビシかったですが

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    奇しくも、昨日2月8日は、「高校三年生」の作詩者である丘先生の御誕生日だったのですね。生誕地の福島県の地方紙で、下記の記事が掲載されたようです。

    丘 灯至夫(おか としお)
    1917年2月8日 - 2009年11月24日。作詞家。本名は西山安吉。丘灯至夫以外にも丘十四夫、河野一郎などの数々のペンネームを持つ。

    歌は時代を超える(2月8日)  ~福島民報webサイト2016年2月9日(火)あぶくま抄・論説~
    https://www.minpo.jp/news/detail/2016020828661

    「キャー、ステキ」「こっち向いて」。還暦を過ぎているであろう女性たちが黄色い声を上げた。跳びはねて手を振る人もいる。歌手の舟木一夫さんが登場しただけで、この熱狂ぶりだ。「高校3年生」を歌い始めると、会場の盛り上がりは最高潮に達し、大合唱となった。
     ♪離れ離れになろうともクラス仲間はいつまでも―。*作詞した小野町出身、丘灯至夫さんの90歳を記念したステージだ。親交のある歌手が数多く出演した。あれから9年。<人は歌がある限り、何歳になっても青春時代に戻れる>。他界した丘さんの言葉を思い出す。
     昭和60年代の人気バンド、レベッカが昨年復活した。テレビを見ているだけで、かつて行ったコンサートの興奮がよみがえった。心も若返った。歌の力を感じる。今の若者も将来、音楽を通して過ぎた時代を懐かしむのだろう。それが、どんな曲なのか気になる。
     ちょうど1年後の2月8日は丘さんの生誕100年に当たる。「高原列車は行く」をはじめ、アニメ曲「ハクション大魔王のうた」など愛着のある明るい作品を数多く世に残した。歌は時代を超える。丘さんがこだわり続けた日本語の美しさは脈々と受け継がれる。

    春日局・註(大倉明「青春賛歌」資料)より
    *平成19(2007)年6月15日:東京赤坂プリンスホテル「丘灯至夫90歳の青春パーティー」ゲスト出演。

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    少し古いですが、同じ福島県の地方紙「福島民友新聞」の昨年8月5日の記事



    【歌謡編-(3)高校三年生】男女が平等に青春謳歌
    歌謡編−(3)高校三年生
    舟木一夫さんのレコードを前に高校時代を振り返る清水達子さん
     東京五輪が約3カ月後に迫った1964(昭和39)年夏。郡山市内の女子高に通う達子さんは16歳。1年前にデビューした20歳の男性歌手に夢中だった。
     初めはファンではなかったが、仲の良いクラスメートと話すうち、その魅力に引き込まれた。「ひたむきに頑張るところがすてき」。後援会(今のファンクラブ)にも入会した。
     そして、いよいよ歌謡ショーの日が来た。達子さんはクラスメートと2人で船引町(現田村市船引町)へ出掛けた。
     会場がどこだったのか覚えていない。スターと会える興奮で舞い上がっていた。覚えているのは、学校の体育館で、床に筵(むしろ)と座布団を敷いて座ったこと。周りは、お年寄りから子どもまで多くの人であふれていた。地方にスターが来るなんてめったになかった時代だ。
     そして、あの「舟木一夫」が現れた。トレードマークの、詰め襟の学生服で。
     「生でスターを見ると、その世界に入っちゃいますよね。ただただ『きゃーっ』と歓声を上げていたんでしょう」。磐梯熱海温泉「湯のやど楽山」の女将(おかみ)清水(旧姓・池田)達子さん(67)は「思わず16歳に戻ってしまう」と目を細めた。
     アイドルという言葉がなかった時代、舟木一夫さんは間違いなくアイドル、青春スターだった。「高校三年生」は大ヒットし、「青春歌謡」の代表曲となった。詞は小野町出身の作詞家丘灯至夫(としお)が書いた。
          ♪
     60年代前半、若者の夢と希望を歌った青春歌謡が数多く世に出て大流行した。
     「新版 日本流行歌史 下」(古茂田信男ほか著)によると、60年代の大衆音楽の特徴は、若い世代の好みが大きく影響するようになったことだった。
     背景には第1次ベビーブーム世代の成長がある。出生数800万人余の団塊の世代が若者となった。同時に、池田内閣が60年に決定した長期経済計画、いわゆる「所得倍増計画」を追い風に高度経済成長が加速した。
     国内のレコード売り上げは、68年には1億2千万枚に上り、米国に次いで世界2位。その6割以上を、若者が購買層の中心となる歌謡曲が占めた。
          ♪
     数ある青春歌謡のなかで「高校三年生」の人気は群を抜いた。魅力の一端は丘灯至夫の詞にあったようだ。
     丘の妻ノブヨさん(82)=千葉県柏市=は「『高校三年生』は、夫にとって特別な創作のモチーフだった」と明かす。
     48年ごろ、丘は「毎日グラフ」の記者として東京・世田谷の定時制高校を訪れ、男子と女子が手をつなぎフォークダンスを踊る様子を取材した。
     「男女7歳にして席を同じゅうせず」が常識だった時代が終わって数年。男女が同じ教室で学ぶ「新時代」の情景に刺激されて書いた詞が「高校三年生」だった。だが、舟木さんの歌とは全く別物。レコーディングされることもなかった。それでも、丘はモチーフを温め続けた。
     丘は幼少時から病弱で、20代の大半が戦争の時代だった。
     「修学旅行にも行けなかった。海軍に召集されたが、病気で出撃できず、乗るはずだった船は撃沈された。そんな人だからこそ、男女がフォークダンスを踊るような青春時代の情景に人一倍あこがれた」とノブヨさん。
     そして「男も女も平等に謳歌(おうか)する青春を描いた。だから『高校三年生』は多くの人に支持された」と言う。確かに丘の詞は「ぼくら」を「私たち」に置き換えてもほとんど自然だ。
     達子さんは、高校の修学旅行で、もちろん「高校三年生」を歌ったと言う。当時、ベビーブーム世代の教室は1クラス50人以上。「そのたくさんいるクラスメートが一緒に口ずさめた。歌詞に、難しい言葉はなく、私たちの日常を歌っていたし」。達子さんは今も舟木さんの公演へ駆け付ける。胸に響いたあの曲を同世代と一緒に歌う時間が最高なのだと言う。

      高校三年生 1963年6月、日本コロムビアから発売された舟木一夫さん(1944~)のデビュー曲。作詞は丘灯至夫、作曲は遠藤実(1932~2008)。63年の年末までに100万枚を売り上げ、この曲で同年、舟木さんは紅白歌合戦に初出場、日本レコード大賞新人賞を受賞。青春歌謡の流行は62年の「いつでも夢を」で始まり「高校三年生」で最高潮に達したといわれる。
    (2015年8月5日 福島民友ニュース)


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    明日2月10日は、2016 舟木一夫コンサートの幕開けです。大宮に行ってきま~す

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