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舟木一夫さんをキイワードに無限大に広がるかも知れないブログです

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    ひとつ前の日記「明治座~二十代の舟木さんの舞台公演の足跡をたどる・その3(上)」の続きをもう少しだけ・・ 
    明治座の座長公演の三年目の昼の部のお芝居「新吾十番勝負」、パンフレットで拝見する舟木さんの新吾は本当に水も滴る美剣士ぶりで、舞台写真の一場面からも当時の女性ファンを魅了しただろうことが窺われます。では、原作者の川口松太郎氏は、この初演時(1970年)の「舟木新吾」をどのように評価なさったのかが気になるところです。その評価とも言えることが、翌年(1971年)、明治座で、上演された「新吾十番勝負・完結編」のパンフレットで知ることができます。前年の舟木さんの新吾をご覧になった川口氏のご挨拶文からの抜粋です。
    イメージ 1
     
    申し分なき新吾  川口松太郎
     
    新吾は戦後間もなく書いた小説だが二十年後の今でも命を保って芝居やテレビに採用されるのは主人公新吾に対する大衆の支持があるからだ。今、その理由を考えてみると、第一に新吾は正義の武士であること。人間は正しい事を好む性質に生まれついている。これは疑いのない事実だ。正義が好きで不正を憎むのが人間の正しいあり方で、中には不正を働く人間もいるが、それとても楽しんでやっているのではなく、良心の呵責を感じながら持ち前の弱さで知らず知らず不正への沼へ落ち込んだので、やがては正しい道へ戻るものと信ずる。第二に新吾は強い剣士であること、人は誰でも強さを喜び、強い人間を尊敬し弱い者を軽蔑する。~中略~この点で舟木君の新吾は申し分なく強く颯爽と剣をふるって不正を討ち砕く、剣の強さが観客を喜ばせる。第三には美しいこと、人間ほど美しさを喜ぶ生き物はいない。~中略~舟木一夫にぴったりで新吾の印象として残る姿の美しさ申し分なく舞台に再現するだろう。その上、彼は新吾にはなかった声の美しさを持って新吾以上のイメージを盛り上げる。颯爽たる剣士で類まれなき美青年でその上に声が美しいのだから三イメージ 4拍子揃った新吾役者というべきである。三拍子揃ってはいるがもう一つ正義の士として申し分なき人物を創造できるかどうか、これは演技で処理する問題ではなく演技以前の人格形成が舞台ににじみ出て観客の心を打つものだ。舟木君の舞台が新吾の正義感を完全に出し切った時、彼の人間も完全に近づいたと思いたいしその意味で今度の舟木君の新吾は従来以上に楽しみである。
     
     
    この川口氏の「舟木新吾」評を拝見して、私は、さすが舞台脚本を数多く手がけていらした方の言として実に的を射たものであると諸手を挙げて共感しました。私も舞台人に不可欠なのは、顔や姿もさることながら声の良さであると思っています。そして、「顔・姿・声」が揃っているからそれで良しというかというと、全く違うのですね。この三拍子揃っていることの前提として~つまりこれらの三拍子よりもさらに大切なのもの~巧まずして滲み出る人間としての品性がベースに要求されるのだと思います。表現者の人格を通すことによって作品の登場人物に対して始めて共感を持つことができるのだと思います。舞台では恐ろしいことに三百六十度、すべての角度からその人が見えてしまいます。私は、舞台芸術を観るたびに、表現者には「演技が巧い」という小手先のテクニックや経験則だけでは片づけられない人間的なクオリティの高さが求められるように常に感じています。もちろん歌い手もそうだと思っています。舟木さんがしきりにおっしゃっている「巧い歌い手」ではなく「いい歌い手」であることを目指していらっしゃるのは、受け手の心に響くものを送り届けることができるか否かだということを常に胆に銘じていらっしゃるからだと理解しています。まさに「芸は人なり」です。この言葉は、真理を突いた名言で私の大好きな言葉です。
     
    もうひとつ、「新吾十番勝負」に関して、ご紹介しておきます。当時の後援会主催の運動会は5月5日開催が恒例だったんですね。この年の運動会では8月の明治座公演に向けて下記のようなプレイベントで公演を盛り上げようとなさっていたのですね。素晴らしい後援会の力と後押しがあっての一ヶ月公演成功なのだとあらためて舟木一夫後援会の熱意と結束力を痛感しました。
     
    イメージ 7
    後援会運動会イベント写真と文パンフレットより
     イメージ 8
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
    みんな「クタビレタ・・」 舟木「見てるほうがつかれるよ」
     
    5月5日は、恒例、舟木一夫後援会の運動会の日、この日のハイライト!舟木一夫公演「新吾十番勝負」上演を記念して行った「葵新吾・扮装コンテスト大会」珍な新吾の行列だなんて、云ってはいけません。みんななかなか美男子でした。でもね、新吾がアベコベに斬られてしまったり、刀が抜けなかったり、ゲラゲラ笑ってばかりの新吾だったり・・立ちまわりの人や、見ている人をハラハラさせました。でも、無事にすんで記念撮影。「私、舟木一夫に斬られたいわ!」この新吾たち、変なところに弱い・・・

    イメージ 9夜の部  5時開演 
      日本の旋律~荒城の月 音楽の主題に依る2幕
    作:霜川遠志  演出:松浦竹夫  
     
    滝廉太郎:舟木一夫
    黒岩涙香:伊志井寛
    滝大吉:花柳喜章
    大吉の妻:淀かほる
    広瀬武夫:内田良平
    高木チカ:光本幸子

    舞台脚本のあらすじ(パンフレットより抜粋)
     
    明治28年、舞台は大分県竹田町にある岡城址。戦勝の喜びにわきかえっている町の様子。竹田町では名士となった海軍軍人広瀬武夫中尉が帰郷しているとの噂。そこへ、竹田郡役所の小使い孫爺が東京の音楽学校の生徒滝廉太郎をさそってイメージ 11岡城址へ登ってきた。白絣の着流し姿で、どことなく弱々しい廉太郎である。彼は病気のため、一時帰郷しているのだ。廉太郎は、町の英雄広瀬武夫となにかと比較されるのだ。音楽がいまだ理解できない人々には音楽など、男子一生の仕事ではないときめつけられている。そこへ広瀬中尉が現れる。手に尺八を持った軍人とは見えない姿に驚く廉太郎。年代が異なっても二人の間には固い友情と尊敬の念がある。たんなる先輩後輩というのではなく心から信頼し合った美しい、燃えるような情熱で交際しているのだ。音楽を勉強する廉太郎の良き助言者は広瀬武夫であった。音楽を語り、芸術を語る二人には互いに共通するなにかがあった。廉太郎は自分で作曲した歌を彼の前で披露した。しかし、広瀬の口から出た言葉はきびしかった。廉太郎の精神が間違っていると言う。日本の音楽、西洋音楽を取り入れて新しい日本の旋律を創作するのが、滝廉太郎の目指す理想であろうと言うのだった。
     
    イメージ 10明治30年の晩春、
    廉太郎は東京麹町の叔父大吉の家に帰った。廉太郎は広瀬の言葉に励まされ新しい旋律を創作中だった。琴唄をたしなみ古い民謡にもあかるい大吉の妻の民子は廉太郎のよき理解者である。この日、廉太郎を慕う美しい高木チカ訪ねてきた。廉太郎はチカを呼び、新しく書いた曲をぜひ聞いてもらいたいらしい。廉太郎とチカは新曲の喜びを語り合った。その二人を寂しく見守る民子である。そこへ、夫の大吉が広瀬武夫と一緒に入ってくる。広瀬は近々露国へ留学するとのこと。廉太郎はそんな広瀬が羨ましい。自分も外国へ留学して西洋の音楽を研究したいと願っていたのだ。廉太郎は新曲「花」を弾きはじめた。岡城址で広瀬と誓った新しい音楽の第一作目だったからだ。それから一年が過ぎた。廉太郎は彼の才能を高く評価している「万朝報(よろずちょうほう)」の黒岩涙香に、留学して西洋人の風俗にもふれ、その音楽の精神を学ぶようにと勧められている、涙香は音楽学校が一名をドイツへ留学させることになったと告げる。涙香は「万朝報」の新聞記事で廉太郎を絶賛してくれた。しかしドイツ留学は廉太郎ではなく幸田幸に決定する。失望した廉太郎だが、気を取り直して、ピアノに向かった。新曲「荒城の月」が静かに流れていった・・。その一件以来、廉太郎は家に閉じこもりがちになったが、この頃には、童謡や唱歌にとりくイメージ 2んでいた。そして「荒城の月」や「箱根八里」が評判をよんでいた。しかし、留学への夢はあきらめきれずにいた。そんな廉太郎をやさしく包んでくれたのは民子であった。廉太郎に同情していた民子だったがいつしか淡い情愛をかけるようになっていた。廉太郎も民子の心やさしい好意のすべてに許されない心のうずきを感じるのだった。そんな時、念願だったドイツ留学が決まった。
    明治25年、ドイツに留学した廉太郎は研究途上で病に倒れた。帰国した廉太郎は故郷の町に戻ってきた。思い出の岡城址に立つ廉太郎は今日までの過ぎ去った事が走馬灯のように浮かんでくる。「永遠」という言葉は滝廉太郎の魂であったろう。「荒城の月」の旋律が草陰にただよい流れていく中を滝廉太郎はその短い生涯を終える。
     
    以下は、この作品の作家である霜川氏の書かれたものからの抜粋です。滝廉太郎は実在の人物であり、しかも肺結核という病に倒れ、そのあふれるばかりの才能を秘めたまま夭折した天才音楽家であることから、評伝とすることも難しく、さらにその短い生涯を舞台化することはなおのことかなり困難なことではなかったかと思います。加えて廉太郎の知人や友人が実名で登場していることもあって、事実関係から捉えれば批判や非難も当然出てきたことでしょう。滝廉太郎を取り上げた小説や映画もあるようですが、やはりフィクションに彩られて情緒的に薄倖の天才音楽家の生涯を描いたものになっているようです。しかし、そんな部分を差し引いても滝廉太郎が黎明期の日本における西洋音楽に日本的なる独自の抒情性を生かして、従来の邦楽とは異なった新たな「日本の旋律」を生みだした功績は、遺された多くの作品が明確に物語っています。舟木さんがこの「廉太郎」を演じられてから四十年以上経ちますが、今もなお舟木さんが歌い継いでいきたい歌として第一に挙げられているのが「荒城の月」であることを思えば、私たちもまた、この夭折の天才音楽家である滝廉太郎の若き心の裡に秘められた、豊かな感性の発露を共に音楽の道を歩んだ美しき同窓生や、廉太郎の哀しみに心を添わせ、学究への情熱を支えてくれた義姉への淡い恋心ではなかったのかと想像せざるを得ません。例え短い生涯であったとしても、この作品で描かれているような「廉太郎の青春」は確かに存在したのだという気持ちになるのですね。
     
    イメージ 3劇作余談   霜川遠志  (パンフレットより一部抜粋)
     
    ~前略~名曲であればあるほど、人はそれに文学的情緒的伝説を付け加えたいものである。あながち、このドラマの虚構性のみを咎めだてしないで欲しい。ちなみに、このドラマはすべて実名で書き、できるだけ史実に即して書かれているが、それでも高木チカが廉太郎に想いを寄せていたとの事実はない。高木チカとは後の東洋音楽学校の教授杉浦千歌子先生であるが、当時の廉太郎の同窓生の写真などに見えている同先生が、ずばぬけて美しく可憐であったのでこの劇に登場してもらった。~中略~これは叔父大吉の妻民子の場合も同じである。廉太郎が義姉に姉弟愛以上の想いを寄せていたとう実証はなにもない。しかし、留学中の廉太郎の便りの殆どが義姉の民子に寄せられており、その文面にも深い愛情が篭っているし、秘かに日記をつけて義姉に送った事実もある。しかし、それらの一切の遺品や五線譜、手紙類は廉太郎の病気が肺結核だったという理由で、死後、母のタツが感染を恐れてことごとく焼いてしまったという。当時の事情からやむを得ない処置であったともいえるが、その焼かれたものの中に・・私の劇的エモーションが廉太郎の義姉への禁じられた恋情としてふくれ上がったのもその辺に推理があるのである。
     
    イメージ 52 舟木一夫ヒットパレード  
         ~夏祭り 唄の浜町~
     
    青春の鐘/すてきなあなた/うわさのあいつ/木曾節・金比羅舟々・小原節(赤坂小梅)/やなぎ小唄/江戸っ子だい/喧嘩鳶/銭形平次/すみだ川/明治一代女/白山(詩吟・赤坂小梅/殺陣・舟木一夫)/新吾十番勝負/あゝ桜田門/山の彼方に/あいつと私/東京は恋する/北国の旅情/友を送る歌/心配だからきてみたけど/再会/北国にひとり/荒城の月
     
    イメージ 6

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    9月17日は歌人若山牧水が亡くなった日です。1928年(昭和3年)没
    牧水忌は季語~「季寄せ」(角川書店)~となっています。
     
    牧水忌もの知りそめし風のころ   豊田都峰
     
    イメージ 2舟木さんがカバーしていらっしゃる「白鳥の歌」・・・後援会主催のコンサートなどでは、歌われているのですが、私はナマでは、まだお聴きしたことはないので、ぜひ聴いてみたいなぁと思っています。
    舟木さんのLPアルバム「ひとりぽっち2集  舟木一夫の思い出の歌」と「ひとりぽっち 舟木一夫魅力のすべて2」に収録されています。舟木さんがコンサートで涙して歌われているのは牧水の歌に込められた以下のような想深く感ずるところがあるからなのではないでしょうか・・・
     
    ~私は常に思っている。人生は旅である。我等は忽然として無窮より生まれ、忽然として無窮のおくに往ってしまう。その間の一歩一歩の歩みは、実にその時の一歩々々で、一度往いては再びかえらない。私は私の歌をもって、私の旅のその一歩々々のひびきであると思いなしている。言いかえれば、私の歌はその時々の、私の命の砕片である。 ~
    (若山牧水 第二歌集「独り歌へる」自序より)
     
    「白鳥の歌」は、若山牧水の短歌の中でもひろくに知られたもの三作が古関裕而氏の作曲で歌曲となっており、昭和22年のラジオドラマ「音楽五人男」の中で歌われたものだそうです。(藤山一郎・松田トシ歌唱)
    舟木さんの歌唱ではないのですがメロディーラインはこちらで↓
     
    イメージ 3白鳥の歌  作詩:若山牧水 作曲:古関裕而
     
    白鳥は悲しからずや
    空の青 うみのあをにも
    染まずただよふ
     
    幾山河越え去りゆかば
    さびしさのはてなむ国ぞ
    きょうも旅ゆく
     
    いざゆかむ 行きてまだ見ぬ
    山を見む このさびしさに
    君は耐うるや
     
    白鳥は・・・の解説
    群青の空の色にも染まらず、また紺碧の海の色にも染まらないで、ただひとり純白な姿を波の上に浮かべている白鳥の、なんといとしく愛らしく、せつないまでに悲しいことよ。世に交わることもなく、ひとり清純の魂をはばたかせている自らは、とりもなおさず、白鳥である。
     
    幾山河・・・の解説
    どれだけ多くの山や河を越えれば、寂しさのない国に行けるのだろうか、いやそんなものがないことは承知しているが、今日もあらたに旅をして行こう
     
    いざゆかむ・・・の解説
    人妻園田小枝子に宛てた手紙に書かれた恋歌である。
    さあ行こう。行ってまだ見たことのない山を見よう。この寂しさにあなたは耐えられるだろうか。さらに意訳すると、「一緒に生きよう。僕とともに生きる未知の人生は寂しいものだが、あなたは耐えられるだろうか?」

    イメージ 1若山 牧水(わかやま ぼくすい、1885年(明治18年)8月24日 - 1928年(昭和3年)9月17日)は、戦前日本の歌人。本名・繁(しげる)。
    宮崎県東臼杵郡東郷村(現・日向市)の医師・若山立蔵の長男として生まれる。1899年(明治32年)宮崎県立延岡中学校に入学。短歌と俳句を始める。18歳のとき、号を牧水とする。
    1904年(明治37年)早稲田大学文学科に入学。同級生の北原射水(後の白秋)、中林蘇水と親交を厚くし、「早稲田の三水」と呼ばれる。 1908年(明治41年)早稲田大学英文学科卒業。7月に処女歌集『海の声』出版。翌1909年(明治42年)中央新聞社に入社。5ヶ月後に退社。
    1911年(明治44年)創作社を興し、詩歌雑誌「創作」を主宰する。この年、歌人・太田水穂を頼って長野より上京していた後に妻となる太田喜志子と水穂宅にて知り合う。1912年(明治45年)友人であった石川啄木の臨終に立ち合う。同年、喜志子と結婚。1913年(大正2年)長男・旅人(たびと)誕生。その後、2女1男をもうける。
    1920年(大正9年)沼津の自然を愛し、特に千本松原の景観に魅せられて、一家をあげて沼津に移住する。大正11年10月、御代田駅より岩村田へ向かい、佐久ホテルに逗留し、数々の作品を残す。1926年(大正15年)詩歌総合雑誌「詩歌時代」を創刊。この年、静岡県が計画した千本松原伐採に対し、新聞に計画反対を寄稿するなど運動の先頭に立ち、計画を断念させる。1927年(昭和2年)妻と共に朝鮮揮毫旅行に出発し、約2ヶ月間にわたって珍島や金剛山などを巡るが、体調を崩し帰国する。翌1928年夏頃より病臥し、自宅で死去する。享年43。沼津の千本山乗運寺に埋葬される。戒名は古松院仙誉牧水居士。

     

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      2013年9月17日 名古屋市 フォレストホール 14時・18時
     
    イメージ 1
     
    セットリストは2013年通常コンサートバージョンです。
    いつものように舟木さんのトークを挟んでコンサートを再現します。
    ピンクの文字は舟木さんのトークです。
     
    オープニング
    ~さよならの朝に
     
    昨日はエライ目に会いましたね。おととい、「明日は、早めに名古屋に行ってパチンコやろうか」って云ってたんですが・・・パチンコはやるな!っていうことですか(笑)で、夜のに乗ってきましたが、十分くらい遅れただけでした。今日は、ひとときをごゆっくりお過ごしください。
     
    イメージ 6
    東京は恋する
    北国の街
    くちなしのバラード
    花咲く乙女たち

    「花咲く乙女たち」は今、聞いても古いって感じはしませんね。ひとりの歌い手がこんなにたくさんのタイプの歌を歌わせていただくのは今の時代では有り得ないですね。いただきもの、これみんなタダですからこんな嬉しいことはない・・ジョーダンはさておき・・とお茶目な舟木さんです。この言葉は、ステージを飾り、ステージの構成のアクセントになっている、このプレゼントタイムがあることを舟木さんが歓迎なさっていることの表れではないかと私には思えました。「舟木さんが嬉しいこと」なら可能が限り続くといいなぁと思いました。
    ステージでは、いろんなハプニングが起こる。いろんなことに臨機応変に対応できないといけない。と以前の舞台で「この五十両で借金を返さないと・・」という場面で(懐から五十両を出さないといけない場面で)、それを入れ忘れたことに気づいて、持っていた手ぬぐいに包んだふりをしてその場を切り抜けたというエピソードなども・・
    私なども、様々な方たちのナマのステージや舞台を拝見していてプロフェショナルだなぁと感服するのは、そういう予期せぬことが起きた時の対処の見事さに遭遇した時です。決まった事を決まったように水準以上にこなしていくのは当然ですが、いわゆる「アドリブ」が「立派な芸になってしまう」ところがプロのプロたる所以ですね。舟木さんのトークでこんな裏話が聞けるのも私の大きな楽しみです。
    僕はデビュー当時からいろいろともらいものをしてましたが、見た目がやつれてたから喰うに困っていると思われてたのでしょう(笑)西条八十氏の詩の素晴らしさを讃えて、次の抒情歌の紹介
     
    夕笛
    絶唱
     
    今ではもうこういう歌は創り手もいませんし、歌ってるとつくづく幸せだなぁ・・と思います。昔、僕らの頃の歌謡曲は夏は夏の歌・・「渚のお嬢さん」「太陽にヤァ!」「夏子の季節」・・今日は三曲とも歌いませんけど・・(笑)なら云うなよ!とひとりツッコミ(笑)自作曲を作るようになった背景などをお喋りしてから、この二曲へ
     
    みんな旅人
    潮どき 
     
    ステージをやっていく流れの中で、ここでこういう歌が欲しい・・「自分の想いを正直に伝える歌」が欲しいと思って創った。・・と・・ああ、舟木さんはやっぱり「WHITE」の曲の数々もステージで歌うことをイメージして創っていらっしゃんたんだとこの言葉を聞いてあらためて胸におちました。舟木さんの中ではいつでもどんな時でも、お客さんのイメージ 3前で歌う自分、ステージに立っている自分の姿を描いていらしたんだなぁと胸がいっぱいになりました。「WHITE」が生まれた頃はまだ歌い手としての旅路は冬のさなかだったはずですが、そんな中でもご自身の「正直な想い」をファンに伝えたいと思っていらしたのですよね。私は舟木さんがトークの中で「正直に」とか「うそつきに思える」とかいう言葉を自然に使っていらっしゃることがとても新鮮で、大好きです。人としてこれほどシンプルで大切なことはないのですが、今の時代、どうもこの一番シンプルで大切なことが軽く扱われているような気がしているからです。「適当に、周囲と合わせて、妥協しながら穏便に泳いでいくのが賢い」という風潮が強い時代にあたり前のようでいながら当たり前でなくなった「正直」という人間の美徳を思い出せてくれる瞬間でもあります。なんとも自然にこの言葉をなんのてらいもなく言えてしまう舟木さんは素敵だなぁと思うのです。
    このあたりで来年3月28日と29日の名古屋・中日劇場でのコンサートのことや、同じく来年10月の終りから11月にかけての一ヶ月公演のことを話されて、宜しくお願いしますとごあいさつされました。そして、この一ヶ月公演の頃は70歳一歩手前です・・あと三カ月で69歳です、もう知らん!笑)そうか、来年の12月には、満70歳なんですね。69歳と70歳って一年違うだけなのに印象が全然違うんですが、どうやらトシをとることを楽しんでいらっしゃるような舟木さんですから、ますますお元気になっていかれるんだろうなぁと思います。9月が演舞場、10月が中日劇場のれんちゃん一ヶ月公演というまさかの展開が刻一刻と近づいてきているのですね。来年は「祝・古希イヤー・スケジュール」がこの二つの一ヶ月公演をメインに続々と企画されていくのでしょうか?今の舟木さんなら難なくこなしていかれること間違いなしだといえるでしょう。2014年も楽しみがいっぱいですね。
     
    銭形平次
    ~スタンディング
     
    イメージ 4さて、盛り上がるべきスタンディングタイムなのですが・・「銭形平次」のイントロが賑やかに始まってしばらくすると、舟木さんが突然、バンドの方に振り返って両手を上げて演奏を制止!・・「真ん中から後ろのお客さん、知らん顔してるんだもん~この「もん」がとっても可愛いのです~この薄情もの・・ご協力お願いします。」確かに振り向いてみたら、私は前方ブロックと後方ブロックの間の通路から二列目後ろよりの席だったのですが、私より後方の方は座ったままの方が多かったです。この「薄情もの!」を久しぶりに聞けて、私的にはとっても楽しいスタンディングタイムでした。名古屋は地元という感覚があるのですが、今回のコンサートは特別に舟木さんファンという方以外の方もたくさん来られていたような感じでした。これを機会に、リピーターの方が増えると嬉しいです。
    舟木さん二階席がある会場では、どうしても二階席までボールを飛ばしたいんですよね(笑)二球だけ二階席まで届いたとご満悦でした。もちろん二階席のお客さんにも届けたいというお気持ちもあるでしょうが、このサインボール打ちタイムは体力試し、運動能力試しという遊び心もおありかと・・(笑)確かにどこまで飛ばせるかは舟木さんの若さのバロメーターになりそうですね。
     
    デビューした頃は50年も歌っているとは思ってませんでした。なんとなく、いつかは自分の好きな仕事に切り替わるんだろう・・と・・ルームインテリアが好きだったので二十代の頃いっとき勉強したこともあるんですよ。バカでもインテリア(笑)とこれまた、ダジャレが入ります。以前、舟木さんがどこかで歌手になっていなかったら何をしていたか?という質問に「ルームインテリア」の仕事と答えていらした記憶がありますが、実際、ナマのトークでお聴きしたのは初めてでした。すべてについて「センス」の良さを感じさせる舟木さんですから、不思議ではないのですが、二十代の頃って前半なら、人気がピークで一番活躍なさっていた頃ですから、後半なのでしょうか?歌い手として一生やっていけるという手ごたえに翳りを感じ始めた頃なのでしょうか?それとも、自分の中の未知数の部分に夢を抱いている青年期特有の心の揺れを感じたからなのでしょうか?そこまでは、わからないのですが、客観的に見れば、あのスーパーアイドルとして頂点まで登りつめた舟木一夫が、芸能関係ではない仕事につくことも射程に入れていたという事実に、少なからぬ衝撃を受けました。考えてみれば、舟木さんは、生まれながらにマルチな才能を備えていらしたのだと改めて思いました。歌い手としての道を歩み続けてこられたのは、稀にみる舟木一夫ファンの熱く強い想いになんとしても応えなければならないという舟木さんの責任感であり、義理人情に厚い心意気が人一倍強かったからではないかということも今回の舟木さんの「ルームインテリア」のお話から感じ取ることができました。「歌を歌うことしかできなかった」のではなく「ファンを裏切ることや悲しませることができなかった」というのも、舟木さんが見事に復活なさった大きな要因であったのではないかとあらためて感じました。舟木さんはそのようなことはおっしゃらないのですが、この日の「歌い手以外の道」の可能性があったというお話を舟木さんの口からじかにお聴きして、今はそんな気がしてきています。

    ジャケットを白に着替えて・・目をつぶってバットを振ったら当たってしまったという印象が強い頃の曲を・・と
     
    イメージ 5明日咲くつぼみに
     
    あゝ青春の胸の血は
    修学旅行
    仲間たち
    君たちがいて僕がいた
    高校三年生
    学園広場
     
    「学園広場」も、のどかで豊かな世界・・昔の歌と今の歌、一番変化したのは詩でしょうね。次がアレンジ、楽器ひとつでも種類が昔と比べるとずいぶん増えましたから・・僕は、本当にいい時代に歌い手になったと・・これからは「日本の名曲」をレギュラーで舞台にのせたい・・「ゴンドラの唄」なんかも若い頃にはお客様には届かない、そんな若い頃には、届けられなかった世界の歌です・・と次の二曲を
     
    船頭小唄
    浮世まかせ
     
    このバージョンのコンサートは何度も何度も聴かせていただいていますが、やっぱり今の舟木さんの声の響きに一番ぴったり添っているのがこの二曲だと思います。「船頭小唄」を舟木さんは二十代前半からステージにかけていらっしゃるのですが、背伸びをして歌っていた頃の「船頭小唄」を大切にあたため続けて、今、私たちの胸を打つ見事な説得力で語りかけるように歌う舟木さんの旅路をも想いながら、しみじみとした感慨にふける私でした。「浮世まかせ」について、明瞭な言葉を記憶できてませんが、なんとなく舟木さんのおっしゃりたかったような内容です。~ワンコーラス目は恋を、ツーコーラス目は父母・・・若い頃は自分が誰かの子どもだったことを忘れてるけど、ある年令になるとそれを思い出すようになる・・そういう想い、情がなくなってくると(多分「歌が」とおっしゃりたかったのかな?)面白くなくなる・・
    青春、若い頃を振り返る時、どうやったって外せないのが初恋・・ラストブロックは若い時代のラブソングを
     
    たそがれの人
    哀愁の夜
    高原のお嬢さん
    End Love
     
    アンコール
    ~グッド・バイ・ソング
     
    純情がいっぱい詰まったラブソングを今の舟木さんの豊かな歌唱と深い響きで聴くと、当時の音源で聴く繊細さや甘さとはまた違った味わいがあります。舟木さんの円熟した歌唱を受け止めることができる自分の感受性をさらに磨いていけたら、これからの舟木さんとの旅路はもっともっと豊かなものになっていくのだろうと思っています。

    イメージ 2プレゼントを渡すファンの列はいつもより長くて、それだけプレゼントの数も多くて、前半のプレゼントタイムの時点でほぼテープルいっぱいになっていました。歌唱中のプレゼント受け渡しについては賛否両論あるようですが、私は舟木さんの意向次第だと思っています。ファンの心理としてはプレゼントを渡すことの意味合いは人それぞれあると思いますが、あの花束やペーパーバッグが並んだテーブルは舟木さんのステージを彩る背景であり、もっといえば「舟木一夫という歌い手だから可能にしている舞台美術のひとつ」だと感じています。花束や紙袋はものであって単なるものではなく、ファンから贈られた舟木一夫という唯一無二の「永遠のアイドル」への勲章が形を変えたもののように思えます。舞台の下でひたすらプレゼントを渡す瞬間を待つ「乙女たちの姿」は、私の目には愛おしくなるほど可愛らしく写っています。そして、黙々と受け取る舟木さんんの姿は今なお「スターの輝き」に満ち溢れていつつも、ファンからの想いに応えようとする「スターの使命」をもしっかり背中に背負っている責任感や、当然ながら感謝の想いに裏打ちされたものがあることが伝わってきます。ですから、私としてはこのプレゼントの光景をずっと見ることができたらいいなぁと思っています。

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    「明治座~二十代の舟木さんの舞台公演の足跡をたどる」というタイトルで連載を継続中ですが、「その1 http://blogs.yahoo.co.jp/ycmay26/68556298.htmlで、少し記載した、これら明治座公演に先だって1966年(昭和41年)に開催された大阪の新歌舞伎座での初座長・一ヶ月公演の「雨月道成寺」「若君風流」の資料が手に入りましたので「新歌舞伎座篇」として、ご紹介しておきます。
     
    イメージ 1資料は「別冊・近代映画」1966年11月号・臨時増刊号
    「舟木一夫 秋の特大号」です。
     
    イメージ 2ちょうどこの頃は映画「絶唱」が公開された直後、同時にテレビドラマ「雨の中に消えて」の放映も終了した頃でしょうか、新歌舞伎座公演の他に、これらの記事も掲載されています。また、芸術祭参加作品として「心のステレオ その人は昔」も制作が終わり近いうちに発売されるという記事もあり、高校三年生でデビューして三年後、舟木さんがセカンドステージに立ち始めた頃の仕事ぶりが詳細に記載されています。
    ところでこの「近代映画」で舟木さんが特集されている号がどれくらいあるのかを調べてみると昭和38年の「高校三年生特別号」に始まり昭和44年あたりまで、ほぼ四カ月に一冊ほどの間隔で企画されていて、全部で20冊以上はありました。
    この11月号が発売されたのはおそらく初日(10月1日)が開いて間もない頃かと推察できます。
     
    大阪新歌舞伎座特別公演  1966年10月1日~28日 (初座長公演)
     
    イメージ 4昼の部 11時30分開演
     
    1 大江戸はやし 2幕4場
    2 雨月道成寺~秋成の「蛇性の婬」より 3幕12場
    注:『蛇性の婬』(じゃせいのいん)は、「雨月物語」に収められた一篇。上田秋成によって江戸時代後期に著わされた読本(よみほん)作品『雨月物語』(うげつものがたり)は、日本・中国の古典に題材を得た怪異小説9篇から成る。「雨月道成寺」は安藤鶴夫氏が「蛇性の婬」をもとに、舟木さんのために舞台脚本として書き下ろしたもののようです。
    安藤鶴夫:作  程島武夫:演出  振付:花柳啓之
     
    大宅の豊雄:舟木一夫
    父 大宅の竹助:沢村宗之助
    兄 太郎:岩井半四郎
    懸の真名子:葉山葉子 ほか
     
     
    イメージ 5~物語の導入部分~
    紀伊国三輪が崎(現在の和歌山県)に大宅の竹助という網元がいた。三男の豊雄は、優しく、都風を好む性格だが家業を好まず新宮の神官を師と仰ぎ和歌や詩などを学んでいた。父や長兄も好きに振舞わせていた。ある日、師匠の神官の元から帰るとき、激しい雨になり、みやびた門の下で雨宿りをした。すると、侍女を連れた二十歳ばかりの女が雨宿りに入ってきた。この女は大層美しく豊雄はひかれた。豊雄は自分の傘を貸し、後日返して貰いに先の女、懸イメージ 6
    の真女子の家に行くことになった。侍女の案内で行った家は立派な屋敷で、豊雄は真女子と楽しいひと時を過ごした。真女子は自分の夫を
     
    イメージ 7亡くし身寄りのない境遇を打明け、豊雄に求婚した。豊雄は父や兄のことを思い迷ったけれど、ついに承諾し、その日は宝物の太刀を貰って、家に帰った。その翌日、自宅の家の庭で笛を吹いていた豊雄は、突然、許嫁の富子に声をかけられた。「豊雄さま、苦しい夢を見ました。豊雄さまがわたくしのところからさらわれてあの月の世界に吸い寄せられていくのです」「月の世界に?」驚いて聞き返す豊雄に「そうです、月の世界にです。女ばかりの青白い顔をした死人ばかりのいる、あの月の世界へです」という富子の顔は蒼白かった。~以下略~
     
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    ~豊雄という美しく心やさしい若者が、蛇の化身である美女に執りつかれる幻想的な物語。「道成寺伝説」と上田秋成の「雨月物語」から、安藤鶴夫士が舟木さんのために書き下ろした脚本のようです。原典の「雨月物語」の中の「蛇性の淫」では、真名子は退治され、豊雄はその後つつがなく暮らすとなっていますが、新歌舞伎座の「雨月道成寺」では、以下のような結末になっています。舟木さんの儚さと憂いの漂う佇まいには哀しくも美しい幕切れがふさわしいというインスピレーションを安藤氏が感じられたからでしょうか。
     
    ~終幕部分~
    観音経の読経に魔力を失った真名子が、蛇の姿に変わり松の木を登り始めると豊雄は、その後を追い、松の根元にすがった。その時に轟然と雷が松の木に落ちた。それから、どれほどの時が流れただろうか。はるかの大空に血のように赤い大三日月がするするとのぼった。その月光を浴びた豊雄の死に顔は夢みるような美しさだった。
     
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     3 ヒットパレード  全10景   
     限りなき歌声  音楽:山路進一
     
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    2013年9月17日20時50分撮影の満月です。
    ~三重県桑名市七里の渡しに近い我が家より~
    「雨月道成寺」の豊雄は、月の世界で、今も
    美しい女人たちに囲まれて笛を奏でているのでしょうか・・
     
     

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    大阪新歌舞伎座特別公演  1966年10月1日~28日 (初座長公演)
     (15日より昼夜演目入れ替え)
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    資料は
    「別冊・近代映画」1966年11月号・臨時増刊号
    「舟木一夫 秋の特大号」です。
     
    夜の部 5開演
     
    1 黄金の卵  1幕8場
     
    2 若君風流~松平長七郎 2幕5場
    作・演出:村上元三
     
    謎の虚無僧~淀の渡し~ともる青い灯~唐人屋敷~翼があれば
     
    松平長七郎長頼:舟木一夫
    虚無僧一夢:近衛十四郎
    一色七之助:岩井半四郎
    紀州家息女由良姫:瀬戸よう子
    お菊:御影京子
    お金:葉山葉子
    唐人朱水虎:沢村宗之助 ほか

    イメージ 4若君風流  作詩:村上元三 作曲:不詳 編曲:佐伯亮
     
    松はゆたかな お江戸の春を
    すねて御身の おとしざし
    三葉葵が 気にかかる
    まかり通るぞ 若君風流
     
    おおて下馬先 毛槍が揺れる
    伸びたさかやき ふわりと風が
    恋をささやく 伊達男
    まかり通るぞ 若君風流

    松平 長七郎(まつだいら ちょうしちろう、生没年不詳)は、江戸幕府の第3代将軍徳川家光の弟・徳川忠長の子とされる架空の人物。後に村上元三が長七郎を主人公とした歴史小説『松平長七郎旅日記』を発表して広く知られるようになり、1970年代末から1980年代にはテレビ時代劇『長七郎天下ご免!』『長七郎江戸日記』が作られている。ともに人気作品となり、後者はシリーズ化されている。このため松平長七郎の名は、現在となっては戦後の大衆文学やテレビドラマにおける貴種流離譚の物語を代表するキャラクターとして知られている。
     
    では、長七郎とは、どのようなキャラクターとして描かれているか、近代映画に掲載の若き日の舟木さんが演じた「若君風流~松平長七郎」あらすじより一部抜粋しておきます。若き日の舟木さんの佇まいを想像しイメージ 5てお読みくださいね。

    ~謎の虚無僧より~
     
    正保四年(1647)の秋のはじめ、京都東山、清水寺の舞台から参詣の男女がことごとく追い払われて、その後に二人の侍女を従えた紀伊大納言の妾腹の息女由良姫が姿をあらわした。美しいがすこぶる驕慢の性格で配下の役人たちも手を焼かされていた。「ここは通行の者が多く目ざわりになる。わたくしが清水寺に詣でること、所司代にはかねて申し達しているはずではないか」由良姫の目は回廊を渡ってくる三人の武士の姿をとらえた。一人は編笠をかぶり、他の二人は従者らしい。「このあたり、通行まかりならぬ。引き返せ!」たちまち三人の前後を囲む所司代の役人たちの中でたったひとり与力の大草藤馬だけが、この一行が松平長七郎と供の三宅宅兵衛、田村右平次であることを知っていた。「音に聞く紀州家のわがまま娘由良姫とはそこ許か」大草から事情を聞かされた長七郎が編笠をとって笑いながら云うと「わたくしも、あなた様のお噂、聞いておりまする。将軍家の甥御というご身分でありながらお役にもつかず風流に世の中を過ごしておられまイメージ 8すそうな」由良姫も負けてはいなかった。「はて、さて、これは手がつけられぬ」苦笑した長七郎はいきなり由良姫の手をとった。「なにをなさる」「立腹なさらずと、これへ出て都の景色をご覧なされ。このようにのどかな都の中を、庶民の足を留めるなどど、無風流なことを申されては、せっかくのその美しいご器量が損なわれまするぞ」
     
    ~淀の渡しより~

    数日後、長七郎一行が姿を見せたのは、伏見口の淀の渡しだった。・・松平長七郎長頼。将軍家の弟に生まれた父が、謀反の志ありと見られて、上州高崎で自害して以来、母方の実家築地の織田家に身を寄せ、将軍家から下される三千石の捨扶持で気儘な毎日を送っている身の上である。柳生流は免許皆伝、学問風流の道にも造詣深く、これまでいく度となく大名に取り立てようとの話があったが、辞退しつづイメージ 9けてきた。
     
     
    さる大身の旗本とだけで、身分を隠して東海道を西へ下る旅の途中だが、まれには疑惑を抱く者がないでもなかった。
     
     
    ~ともる青い灯より~
     
    長七郎の一行が、長崎船大工町の西国屋に食客をきめこんで、はや十日あまりの日が流れている。「ご前様のお力を拝借することがあるやも知れませぬ」伏見を出立する朝、松右衛門がいった謎めいた言葉のイメージ 10意味がようやく長七郎にもわかりかけてきた。西国屋にはお金(本名を紅金)、お蘭(本名を愛蘭)という姉妹が身を寄せていた。二人は十数年前、日本人を母に、明国人を父に持つ国姓爺(こくせんや)の娘たちである。松右衛門の望みはこの姉妹に力を貸して台湾で第二の国姓爺を盛り立てることであった。長七郎はそれを見抜いていた「そのほうが今日まで蓄えた財宝はオランダ人、それに唐人を相手に得たものであろう」松右衛門は将軍を叔父に持つ長七郎を利用しようとしていたのだ。
     
    注:この時の舞台は原作にもある国姓爺鄭成功への軍資金を集める謎の一味と戦う長七郎の活躍を描いたもの。亡き父の名を汚す奴らを許しておけぬと勇躍立ち上がる長七郎ですが、事件の背後には紀伊徳川家を巻き込み、海をも越える謎と陰謀が・・やがて事件は反清復明の軍資金を巡っての攻防戦に発展、勇躍長七郎一党は、謎を追って九州に向かう…というストーリーのようです。舟木さんをイメージして村上氏が、あらたに書きおろしされたそうです。
     
    ~唐人屋敷より~
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    その頃、唐人屋敷内の朱水虎の住居で、自ら国姓爺の二代目を志すと称している主の水虎と、片腕の張献忠が虚無僧一夢の話に耳を傾けていた。一夢は、父の甲田源兵衛が長七郎の父、駿河大納言忠長のた
    めに手討ちになったと信じている。事実は逆だった。一夢の父が大公儀のさる重臣に頼まれて忠長を殺害しようとして見咎められ家中の者に斬られたのだ。忠長はことを明るみに出すまいとしたが公儀の重臣たちの策略で手討ちになったことにされ、そのために遺された家族たちも一家離散の悲惨な運命にあったのである。彼らはただ一夢の長七郎への憎しみを利用して陰謀の妨げとなる長七郎を一夢の手で殺害させようと利用しているのにすぎなかった。
     
    イメージ 2注:
    この後、舞台は、長七郎一行と朱水虎一味との死闘という激しい立ち回りの場面に・・
     
    ~翼があればより~
    ほのぼのと夜が白みかけるころ、凄惨な死闘はようやく終わった。一色七之助の口から、父の死の真相を聞かされた一夢は、長七郎に向けてい刃を返して浪人たちの中に斬り込み、めざましく立ち働いた。
    長七郎の柳生流水月のの鮮やかな剣さばきは、朱水虎を一刀のもとに斬り伏せた。「西国屋、わしは、そなたの船で、知らぬ異国とやらへ行こう。この日本に住んでいたとていつまでも将軍の甥という身分が妨げとなり、わしは自由が得られぬ」長七郎が云った。が、その時、唐人屋敷から深傷を負った七之助がよろめ出て、長七郎の前に手をついた。「ご前おん自ら、海外渡航の法度をお破りなされては天下に示しがつきませぬ。あなた様はどのようなことがあろうとも将軍家を叔父君に持たれるご身分にござります。天下万民のため誤った道をお示しなされてはなりませぬ。よくお考えのほどを・・」それが、
    イメージ 3七之助の最期の言葉だった。「ご前さまが、そのようなご身イメージ 7分でなかったらなぁ」松右衛門が呻くように云った。「いずれに参っても、わしが自由気儘にふるまうのも狭い世界だけのこと。わしに翼があれば、あの高い空へ舞い上がり、海を越えて、まだ知らぬ異国へ飛んで行こうものを・・」長七郎は天を仰いだ。うるむ目に、空の青さがしみて、痛かった。
     
    以下舞台のレポートより(文:和田竜夫)
     殺陣のうまさ! 若君風流
    ~気品のある松平長七郎は舟木くんの哀愁がにじんで適役。殺陣が巧いのにも驚かされた。とくに、みどころは序幕の美しい清水寺での由良姫との出逢い、淀の渡しの近衛さんとの対決。唐人屋敷の朱水虎との対決。ラストの唐人浜などで、舟木君の柳生流もスピードがあって印象に残る。場内で舟木弁当(250円)、舟木ずし(400円)が飛ぶように売れていたのも楽しいお土産ばなしになった。~
     
        3 ヒットパレード  全12景 
         ひたむきな青春  音楽:山路進一
     
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    これぞ正真正銘の「ちょっと箸やすめ」決定版!?
     
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    最初にこの写真を見つけた時には、私の好きな若手歌舞伎俳優の中村勘九郎さん?・・と思ってしまいました(笑)お顔の骨格や目や口元がとてもよく似ているお二人です。
     
    この鬘や簪や鹿の子絞りの髪飾りや装束などから「弁天小僧菊之助」の扮装ではないかと思うのですが・・・この写真は、1972年の国際劇場の公演「新春歌いぞめ 舟木一夫 特別公演」(1月8日~14日)のパンフレットの中でみつけたものです。でも、どうやら、この時の公演の中の扮装ではないようです。
     
    パンフレットの「舟木一夫スナップ集」というページの中でさらに「舞台扮装七態」というくくりで、明治座公演やテレビ出演したものの中からの写真のようです。舟木さんが女形扮装をなさったのはどこのどのような場面だったんでしょうね。かなり興味津々の私です。ご存知の方、ぜひぜひ教えてくださ~い
     
    この写真が掲載されていた、パンフレットの表紙です。
     
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    オマケです。
     
    これも、このパンフレットの中の写真。欧州旅行の思い出とあります。飛行機嫌いの舟木さんですから、そう度々海外には行かれていないように思いますが・・1972年以前の欧州旅行、これもいつごろ、なんのために行かれたのか知りたいで~す
     
    ロンドンでのものですね。兵隊さんのポーズを真似てお茶目な舟木さんが可愛いですね
     
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    加筆:ゆふぎりさんのコメントに関連して追加画像アップします。
    「雨月道成寺」豊雄の舞台化粧風景
     
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    舟木さんが、デビューから一年を待たずに1964年3月1日(8日まで)に浅草国際劇場の大舞台で「舟木一夫ショー」を開催した際に郷里の一宮からファンが「舟木一夫号」で大挙して上京したというエピソードは、広くに伝わっているところですが、その約一年後にも、二回目の「舟木一夫ショー」(4月28日~5月5日)が同じく浅草国際劇場で開催されています。その時の模様が掲載されている雑誌から、ステージ衣装の数々を掲載します。
     
        「別冊・近代映画6月特大号 デビュー2周年 舟木一夫」(花のステージ特集号)
         ~1965年(昭和40年)6月1日発売~
     
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    舟木さんが、20歳の時のファッションショー?をお楽しみ下さい
     
    このショーでは11点もの衣装替えをして28曲を歌ったのだそうです。軽いお芝居もあって猛練習したウクレレの成果も御披露なさったとあります。和服の色柄はなんだか「着せられてる」って感じもなきにしもあらずですよね(笑)驚いたことには、このショーで既に「船頭小唄」を歌っていらっしゃいます。なんとまあ、オマセさんなこと!でもその頃の想いをずっとあたため続けて、今私たちに届けて下さる「船頭小唄」はまさに舟木一夫の歌い手としての旅路のすべてを思わせる名曲として響いてきます。下記の写真の中に「船頭小唄」を歌う舟木さんのお写真もあります。すぐにわかるはずですよ
     
    そういえば、当時はプレゼントとして大きなレイを首にかけるという風景も見られましたよね。「着物にレイ」というミスマッチなお写真も昭和のあの時代ならではですね。ちなみに、一番女性ファンに受けた衣装は白い軍服姿だったそうです。確かに舟木さんの軍服姿って凛々しくて憂いを帯びていて乙女心をキュンとさせるんですね。「高校三年生」から二年が経過していますが、「詰襟」も、まだ登場しています。そして、なんと裏表紙の「広告」まで舟木さん一色です。当時の熱烈ファンにはたまらない特集雑誌だったんでしょうね。
     
     
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    私には初めての「風 アダルトに」でした。

    今回は舟木さんのお好きなブルース系の流行歌特集です。

    なづけて~なんとなくブルース~を

    携帯からなので取り急ぎセットリストのみアップします。

    ~オープニング
    哀愁の街に霧が降る

    なみだ恋

    新宿の女

    女心の唄

    銀座の恋の物語

    夜霧よ今夜もありがとう

    星の流れに

    夜霧のブルース

    霧にむせぶ夜

    孤独の太陽

    女のためいき

    恍惚のブルース

    一度だけなら

    グッドナイト

    誰よりも君を愛す

    東京ブルース

    骨まで愛して

    君こそわが命

    ~アンコール
    アカシアの雨がやむとき

    赤いハンカチ


    舟木さんの深い響きのある今のお声にはブルース系の曲はしっくりきます。
    聴き慣れてるはずなのにリアルタイムでは聴き流してた曲がリフォームされて新鮮に甦ったような不思議な感覚でした。
    詳細は後日アップします。

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    携帯からですので、チョー簡単ですが…
    いつものコンサートのようにオープニング「さよならの朝に」で登場した舟木さんのご挨拶は…

    「例年だと締めくくりは12月なんですが今年は新歌舞伎座があるんで早めになりました。だから1ヶ月早くトシとったような気分…」と

    プレゼントタイムのヒットメドレーは2曲増えてました。

    東京は恋する
    北国の街
    ブルートランペット
    くちなしのバラード
    花咲く乙女たち
    友を送る歌

    さて、どの曲が増えたかわかりますか?
    ビデオカメラが後ろと左右と計三台入ってました。今回のファイナルの模様はDVDで発売されるかもしれませんね。

    昼夜ともプレゼントはステージのテーブルに載りきらないほどたくさんでした。さすがファイナルですね。

    照明もいつも素晴らしいのですがさらにゴージャスで華やかでした。

    「風 アダルトに」の後、2日しか経ってませんでしたからお疲れかと心配しましたが、お元気な舟木さんでした。

    一年間のツアーコンサート、北から南まで本当にお疲れ様でした。


    2014年のツアコンの幕開けとなる大宮と相模原のコンサートのチラシをいただきましたので画像アップします。


    中野サンプラザファイナルでは毎年翌年のグッズの初売りがあるんですね。

    私は卓上カレンダーと可愛いメガネケースを購入しました。こちらもチラッと画像アップ…卓上カレンダーの中身のアップはまだ発売したばかりなのでちょっと控えさせていただきますが、2013年のツアーコンサートの衣装でにこやかな笑顔の舟木さんがいっぱいです。

    今年の卓上カレンダーも私のお気に入りの舟木さんの写真でしたが来年の写真もバッチリ!ステキです。

    このあと新歌舞伎座でも販売されるでしょうね。
    私のイチオシ舟木さんグッズで~す


    ではまずはこれまで…あとは後日詳細を報告します。

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    11月3日の「後援会員の為のON-STAGE~風アダルトに」と11月6日の中野サンプラザ・ファイナルコンサート・・・いずれも、昨年の9月に「復活」したばかりの私にとっては「デビュー」という意味合いがあるコンサートでしたから、ちょっと緊張気味で臨みました(笑)先ずは、3日の「風 アダルトに」から、御報告しますね。
          後援会発足50周年 舟木一夫 CONCERT 「風 アダルトに」
               ~KAZUOのわがまま選曲 なんとなくブルースを~
                    2013年11月3日  14:30  18:00
     
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    後援会主催のコンサートのスタイルは、開演10分ほど前に舟木さんが、ラフな服装で舞台に登場されます。緞帳は、まだ降りたままです。ゆったりとマイク片手に、お喋りしながらお客様からのプレゼントを受け取って、スタッフの方が次々にプレゼントをステージのテーブルに運んで並べていらっしゃるようです。緞帳が上がった時点では、既にきれいにプレゼントがテーブルに並べられ、舞台を彩ってくれています。
    イメージ 2舟木さんのこの日のプレゼントタイムの服装は白地に黒か紺の糸の刺繍があるような感じのゆったりしたシャツ(左画像っぽいカンジ)、ブルージーンズにスポーツシューズっぽいものでした。夜の部のこのプレゼントタイムのお喋りでは一年のうちの半分以上夏物を着て過ごしてる感じ・・これも夏物のシャツ・・最近は昔あったようないいセーターがみつからない・と嘆く舟木さん。確かに舟木さんの若い頃からの写真も爽やかなニットセーター姿のものがたくさんありますよね。セーター好きの舟木さんのお好みに合うセーター、見つかるといいですね。
    前日2日の国際フォーラムホールでの日本テレビ開局60周年記念のコンサートのステージのことなどに巨人×楽天戦の話題なと絡めてのお喋りなども。・・・昨日があって、今日(3日)があって、6日は中野ファイナル・・・もう、イヤッ!・・毎年、今ぐらいが一番慌ただしいんですと言いつつも来年のコンサートの構成はみんな終わりました。なんて楽しげにおっしゃってました。年が明けると、いろんなコンサートが始まって、それがみんな選曲が違うワケだから・・もう、イヤッ(笑)
    スタッフの間では、あたしの右腕は「黄金の右腕」と言われてます。たくさん、ものは稼いでくるわ・・・(笑)
    と紙袋を受け取りながら軽快なお喋りを続けます。TVの情報番組(?
    ノンストップ」の取材で映ってたカット・・ステージでいただきものをするポーズが、このところ(腰を庇って)慎重になってますネ・・アブナイ!
    ほぼ10分ほどで、すべてのプレゼントを受け取って、「では、着替えてまた出てきます・・」と舞台袖へと。
    いつものように、以下は舟木さんのトーク(主に昼)に沿って、コンサートの模様をご紹介します。

    ~ピンク文字が舟木さんのトークです~

    緞帳が上がって、コーヒーブラウンのスリーピースに白のシャツ、胸にはオフホワイトのバラにシルバーのペンダントという秋らしいシックな装いの舟木さんが登場。いつもながらですが、とってもステキです。

    イメージ 7~オープニング
    哀愁の街に霧が降る
     
    今日は「なんとなくブルース」っぽい歌を・・ブルースという言葉にこだわらず、泪、夜、霧、女、男、ネオン・・・そういうところの雰囲気を楽しんでいただければ・・今回はアップテンポの曲もスタンディングもなしですから、安心して下さい(笑)
     
    なみだ恋
    新宿の女
    女心の唄

    流行歌は、男がワルモノ・・女が悪く聞こえるような歌は、気持ちよく聴けないですね・・と
    そして、舟木先生の「ブルースって何?」っていう感じの「流行歌講座」のはじまり、はじまり・・・
    19世紀の終わりごろ、アフリカ系アメリカ人の人たち(主に下層階級)の間で歌われた、祈りの唄、霊歌、賛美歌、労働歌のようなもの・・でも、この説明では、日本人が聞いてもよくわからない。流行歌のブルース系(ブルーストーン)は、また別のもの、独自のものでしょう。
    ここで裕次郎さんの歌を2曲・
    ・と
     
    銀座の恋の物語
     
    舞台下手側のシャイニー・リップス(三人の女性コーラス)の皆さんの方にむかって半身になって、かけあいでデュエットする部分は、通常のコンサートでは、あまり見られない光景で、舟木さんのお三人を見つめるまなざしも艶っぽくて、いい感じのムーディーな「銀恋」で新鮮な心持ちで楽しませていただきました。

    イメージ 8夜霧よ今夜もありがとう
     
    「夜霧よ・・」はサックスがとってもステキでした。
    50代の半ばに思った・・もし、あたしが「高校三年生」でなくブルース系でデビューしていたら・・似合わないですね・・細くって、可愛らしくて・・あの頃のあたしが、泪とか男と女とか歌っても・・・ねぇ。デビュー当時の学園ものとか抒情系からブルースには行きそこなった。若い頃、オレもそっちの方を歌わしてくれないかなぁ・・・・と思ってた。そうこうしてるうちに「ヒルネ」しちゃった(笑)
    流行歌のブルースのルーツのような歌
    ・・と紹介して2曲

    星の流れに
    夜霧のブルース

    こうしてみると、やっぱり今の声には合ってるんですよね。デビュー当時のあの甘い声には・・・ここからなぜだか突然に、12月の新歌舞伎座の話題にワープ(笑)
    新歌舞伎座の「いろは長屋の用心棒」は肩の凝らないお芝居・・質屋のおかみが稀世さん、口うるさい姉上が葉山さん、おぶんちゃんがかずきさん、あたしは、酒が飲めない、御汁粉と羊羹好きな侍(信兵衛)・・
    ここで、「昭和の・・」という感じの曲を2つ
     
    霧にむせぶ夜

    孤独の太陽
     
    「孤独の太陽」は、コロムビアの後輩の有田弘二さんの歌った曲で、西沢(爽)先生の詩・・と紹介。
    自分の持ち歌なしのコンサートは、むしろラフに歌えるのでラク・・と

    イメージ 9女のためいき
    恍惚のブルース

    「一度だけなら」を歌ったあと、こういう女性に逢いたい逢いたいと思いながら70(才)になっちゃった(笑)
    女心の温ったかさ、優しさ、切なさ、意地・・あの世界で生きてきた山口洋子さんならではの詩。
    ものすごく好きな歌のひとつ・・吉田メロディーというか松尾和子さんヒットメドレー・・・
     
    グッドナイト
    誰よりも君を愛す

    この2曲はアタマのメロディーが似てて前に間違って歌ったことがあった・・デビューしたばかりの頃は、松尾さんが、ずいぶん大人の女性に見えた。もうその当時はドラマーと結婚なさってて、色っぽいオトナの女性で・・と・・当時デュエットでフランク永井さんと松尾さんが歌っていらした頃に舟木さんが遭遇したちょっと艶っぽいエピソードも交えての想い出話もありました。でも、これは、オフレコ(笑)
    こういった系統の歌はもっとも好きなタイプ、オレはこんな歌が歌いたかったんだ!どうしてくれるんだ!(笑)・・ジョーダンっぽくもあり、結構ホンキっぽくもありという調子の舟木さん。歌いたい歌を並べました。と力が入った紹介で3曲・・これが、またチョー意外というか、ラストは「へぇ~ッ、そうだったんですかぁ!」と
    いう3曲が並びました(笑)

    東京ブルース
    骨まで愛して
    君こそわが命

    でも、聴き終えてから考えてみたら「東京ブルース」と「君こそわが命」は、舟木さんが二十代には既に、アルバムに収録されてるんですよね。こういう歌も「流行歌としてのブルース」のくくりの中に入るということなんだと今さらながら気づいた私。
     
    ~アンコール
     
    アカシアの雨がやむ時

    赤いハンカチ

    イメージ 3デビュー当時、というか「歌い手」になりたいと思った時点から「歌いたかった歌がブルース系」だった。ということは、舟木さん自身が書かれたものにも、コンサートのトークでも、何度もの何度も聞いて、知ってるはずなんですが、やっぱり「高校三年生」で鮮烈に私たちの前に現れたこと、「絶唱」を初めとする抒情の世界を歌える数少ない個性として印象づけられている「舟木一夫という歌い手」から「ブルース系流行歌」をイメージするのは、正直、抵抗感もあります。でも、少なくとも今の舟木さんの深くて厚みのある声とブルースは、ムリなく重なり合います。二十代でレコード化~「ひとりぽっち5集・舟木一夫と大都会の夜」~されたいくつかの「ブルース系流行歌」の音源と、この日、ナマで聴いた同じ曲を比べれば、圧倒的な重量感と説得力が、舟木さんの長い旅路の中で培われ熟成されてきたことをあらためて思わずにはいられません。
    「ブルース」が歌いたくて歌い手になった・・・その原点ともいえる想いを胸に抱えて、歩き続けてきた舟木さんが、今こうして、たくさんの聴き手を前に、その夢を現実のものとしていらっしゃることを素直に心から祝福したい気持ちがあふれてくるようなコンサートの場に居合わせることができたことに感謝です。
    すっかり「舟木さんの幸せが私の幸せ」というところにまで来てしまった私になってると実感した一日でした。
    最後に・・この日の全20曲、どれもあらためて舟木さんの「今の」歌唱で聴いてみて、初めて出逢った歌のように新鮮に感じました。個性の強い歌手の方たちのカバー曲であるにもかかわらず、オリジナルの印象が全く吹っ飛んでしまっていることに驚きました。それは舟木さんが「歌」をご自身の身体の奥深くまで沁み込ませているからなのではないかと・・「歌」の上澄みだけを掬い取って喉で転がしているだけではないからなのだと・・そんなことを思いました。この日聴いた歌の中で、今も耳に残っているのが「一度だけなら」です。かなりヒットした曲だと思いますが、舟木さんの歌を聴いて、その歌詩がはじめて聴いた歌のように心に深く沁みました。
     
     
    イメージ 4一度だけなら  作詩:山口洋子 作曲:猪俣公章

    一度だけなら 許してあげる
    好きな貴方の 嘘だもの
    騙されましょう 聞かぬふりして
    許してあげる
     
    一度だけなら 酔わせてあげる
    飲みたいでしょうよ 辛いのね
    夢がこわれた おとこのこころ
    酔わせてあげる
     
    一度だけなら 忘れてあげる
    ほんの短い 気まぐれと
    あの人のこと 水に流して
    忘れてあげる
     
    一度だけなら 愛してあげる
    たとえ明日は 泣こうとも
    今日に生きるわ 胸を焦がして
    愛してあげる
     
     
    イメージ 5ひとりぽっち5集  舟木一夫と大都会の夜
    (1970年10月発売)収録曲
    舟木さん歌唱

    孤独の太陽 作詩:西沢爽 作曲:和田香苗
     
    抱いてやりたい 細い肩
    じっとこらえて 目をつぶる
    これが別れの 夜なのに
    おれは涙を この胸に
    ひとり燃えてる・・・
    孤独の太陽
     
    おれのことなら 泣かないで
    どうせはじめは ひとりぼち
    あすはどこかの 街の空
    風にふかれる 流れもの
    それが運命(さだめ)さ・・・
    孤独の太陽
     
    せめてくちづけ ほしいけど
    夢を残して 別れよう
    濡れた瞳に 背をむけて
    夜のむこうに 消えてゆく
    おれは未練な・・・
    孤独の太陽
     

    君こそわが命

    東京ブルース

    夜霧よ今夜もありがとう  
    http://www.youtube.com/watch?v=mT4qVvnMZZg 舟木さん歌唱
     

    イメージ 6アルバム「花もよう 舟木一夫」
    (1976年10月発売)収録
     
    アカシアの雨がやむ時
    http://www.youtube.com/watch?v=PgcWOH7oEns 
    舟木さん歌唱 2曲目

    0 0

    11月3日の「風 アダルトに」から2日だけおいて、11月6日には、例年よりも一ヶ月早い「中野サンプラザ・ファイナルコンサート」が開催されました。私にとっては、今回が「初・中野ファイナル」でした。昨年も行くチャンスはあったのですが、行こうかどうしようかギリギリまで迷っていたのですが結局行かずじまいでした。中野ファイナルの2週間ほど前の南座のシアターコンサートにも行ってたこともあり、12月の中日劇場のチケットも購入済みだったので、年末の忙しい時期に、そんなに舟木さんのコンサートばかり・・っていうのも新参者としては気が引けるというか、気恥ずかしいというか・・(笑)それに、昨年は年末の26日の新橋演舞場のシアターコンサートにも行くことにしていたので、中野は結局、スルーしてしまいました。昨年の今頃は、まだ私の熱病は今ほど重症ではなかったというわけですね(笑)
     
              中野サンプラザ ツアー・コンサートファイナル 
                                2013年11月6日  14:30  18:30
     
    イメージ 1
     
    事前に舟友さんから、中野ファイナルでは、2014年のグッズが発売されるという情報を教えていただいていたので、早めに会場に向かいました。既に二、三十人ほどの方が列を作ってたので、その後ろに並んでイメージ 11待つこと3、40分ほど。さいわい、風はキツかったのですが、お天気はよかったので外で待っていても暖かくて助かりました。例年なら「中野ファイナル」は12月に入ってからの開催ですから、毎年みなさん外で寒い思いをしてグッズ購入のために並ばれてるんですね。私は、卓上カレンダーがお目当てでした。今年の3月に萩原の「うお六」さんのお店に飾ってあった卓上カレンダーを見つけて、こんなのが欲しい!と思い、4月の一宮でのコンサートの時にグッズ売り場で購入しました。来年の舟木さんの卓上カレンダーは、2013年のツアーコンサートの衣装の6ポーズです。並んで待ってる間に、もらったカタログを見てたら可愛いメガネケースを見つけたのでそれも一緒に購入しました。

     
     
     
    さて、いよいよ2013年ツアーコンサート・ファイナルの開幕です。やっぱり何か特別の想いがしました。私は、1月の高松での2013年ファースト・コンサート(勝手に名づけてます)も拝見しました。その時から今年は、「ファイナル」にも必ず行こう!と心に決めていましたから、「心願成就」で本当に嬉しかったです。客席に入ると、後方にカメラ、左右にカメラ・・・撮影の準備がされていたのでDVDが後日発売される可能性もあるのかな?と思っています。それではいつものように、舟木さんのトークを交えて、コンサートの進行状況を再現してみます。ピンク文字は舟木さんのトーク~
     
    ~オープニング
    さよならの朝に
     
    朝晩、涼しくっていうか、寒くなってきましたね。通常はファイナルは誕生日の12月なんですが、12月は
    新歌舞伎座があるんで早めに・・だから、一ヶ月早くトシとったような気分に・・
    いつものようにメドレーになるとマイクを右から左にポイッ・・という感じに軽く投げるように持ちかえる舟木
    さんの若々しいこと!
    イメージ 2
    東京は恋する
    グリーンライトが放射線状に舞台から客席に届きます。いつもより明らかに照明がゴージャス!

    北国の街
    ホワイトのシャワー状のライト
     
    イメージ 10ブルー・トランペット
    今回、この曲が加えられました。ブルーとイエローから次第に五色のライトへ

    くちなしのバラード
    ブルー・イエロー・ピンクの円錐形のライト
     
    花咲く乙女たち
    ブルー、イエロー、ピンク、グリーン、ホワイトのライトが次第に靄のように演出されて・・
     
    とにかく、通常でも素晴らしい照明美術が今回はさらにグレードアップされてスペシャルバージョンなのに感動しました。いつもなら、花咲く乙女たちでメドレーは終わってプレゼントタイムも終りですが、この日はファイナルでもあり特別にプレゼントの列がさらに長いことが予想されたからでしょうか、最後にもう一曲「友を送る歌」が加えられました。
    イメージ 12
    友を送る歌
    オレンジ、パープルのライト

    その年のステージのスタートから一年も経ってくるとステージが練れてくる。お芝居好きな人は、初日、真ん中、千秋楽をご覧になる。特に評論家の方なそうですが・・今日も二回(昼・夜)ありますから、夜も・・(笑)となにげにアピールする舟木さん。コンサートも一年終わって4、5日すると、あそこは、こう歌ってたんだ・・なんて・・でもきりがないから気にしないで・・(笑)抒情歌系の歌を2曲、どちらも映画の主題歌・・というのにこだわってみました。

    イメージ 7夕笛
     
    絶唱

    「夕笛」のイントロで、なにやらずっと聴きなれてきたものとアレンジが違うような感じがしました。テンポも
    ほんの少し早めになったような・・そして今年の「夕笛」は一番から二番になる時に間奏がほとんど入らず「おさげ髪・・」と二番に入ってた気がするんですが、今回は間奏が入ってる?・・・と思っていると、舟木さんが後ろを向いてバンドの方に手を挙げて中断・・・私は気づかなかったんですが三番の歌詩を歌ってしまったから最初からしきりなおし・・とおっしゃいました。夜の部の「夕笛」のときに、舟木さんが今回は最初の頃の船村先生の本来のアレンジに戻しましたとおっしゃったので、多分、アレンジを変えたことで、ツーコーラス目をスリーコーラス目だと勘違いしてしまわれたのかな?と・・夜の部の時に、やっぱり船村先生のアレンジはきれいですねとおっしゃってましたが、私もどちらかと言えば今回の元祖?「夕笛」のアレンジの方が好きかも・・と思いました。でも、私の一番お気に入りの別格「絶唱」は今のアレンジが、好きで、この一年間、聴き続けてきても少しも飽きることなく、毎回毎回、胸をときめかせながら、最後には切なく胸がしめつけられるような思いで聴いてきました。「高校三年生」も名曲ですが、私としては「絶唱」のナンバーワンの座は不動です。舟木さんの「絶唱」は、最高です!願わくば来年の「絶唱」は二番も聴かせていただきたいで~す!
     
    イメージ 13
    絶唱 作詩:西條八十  作曲:市川昭介
     
    愛おしい 山鳩は
    山こえて どこの空
    名さえはかない 淡雪の娘(こ)よ
    なぜ死んだ ああ 小雪
     
    結ばれて 引き裂かれ
    七年(ななとせ)を 西東
    いのち短く 待つ日は永く
    泣きぬれた ああ 小雪
     
    山番の 山小舎に
    春が来る 花が咲く
    着せて空しい 花嫁衣装
    とこしえの ああ 小雪

    なぜ死んだ ああ 小雪

    イメージ 3旅を続けていく中で、いろんなことを思ったりする、自分がこんなことを思っている頃は、きっとお客様も同じようなことを思っていらしたんではないかと・と御自作の曲を2曲
     
    みんな旅人

    潮どき 

    最初のヒット曲で、歌い手のセンターラインが決まっておおむねがそのヒット曲の方を向いてる。僕の場合は最初がアレ(「高校三年生」)でしたからそのままほっとくワケにいかないので、ずいぶんあっちこっちの方向へボールを打った感じです。「火消し若衆」のB面に「木挽哀歌」が入った、こんな方向も歌うのかと思った。今日は、歌いませんけど・・(笑)
     
     
     
     
    ~スタンディング
    銭形平次 
     
    12月に69(才)になるワケですよ。完全に70(才)にこうなってる・・と左手を上にあげてぶら下がってるポーズをとる舟木さん(笑)・・79(才)の歌い手さんが、ふたりでジョイントコンサートをして、ラストの緞帳が降りたとたん「もう、(コンサートは)やめようね・・」となったとか、そうなるとカズオちゃんのトシでは、まぁよくやってるなという・・客席から大きな拍手・・・歌い手の声の変化というのは50(才)くらいから・・衰えも含めた変化・・まぁ、しゃあないですよね。唯一の救いはお客様の方も耳が・・・まあ、いいや・・(笑)
     
    イメージ 4
    明日咲くつぼみに
     
    ああ青春の胸の血は
    修学旅行
    仲間たち
    君たちがいて僕がいた
    高校三年生
    学園広場  
    イメージ 5 
    近況報告で~す!こないだスナギモを食べてたら歯が欠けちゃって・・かたいもんが好きなんです。人間がカタイもんですから・・・バカヤロ~ッ・・なんてニコっと笑う舟木さんの可愛いことといったらありません。「バカヤロ~ッ・・」のあのソフトな言い方に私はメロメロになってしまいました(笑)あれ以来、時々、舟木さんの口調をマネて可愛い「バカヤロ~ッ・・」の練習をしてます(笑)
    残り5年区切っているんですが、自分の好きな歌を歌っていければ・・自分の持ち歌にはそんなに歌いたい歌はない・・という取り繕わない舟木さん(笑)に客席からは「え~っ!?」の大合唱(笑)来年からは日本の名曲・・「荒城の月」「ゴンドラの唄」「夜霧よ今夜もありがとう」・・・などジャンルにこだわらず名曲を歌っていきたい。
    やっと投げて届くようなボールになった・・という曲を2曲・・
     
     
     

    船頭小唄
     
    浮世まかせ
     
    「浮世まかせ」は七色のライト・・次第に真赤なライトになるのが本当にステキでした。
    ステージでは流れ、リズムというのが一番大事。考えながら組むんですが、結局考えてもムダなんですよね。歌い手のヒット曲がじゃますることもある。でも、お客様からいただいたヒット曲は間違いない。歌い手が好きでもお客様が選ばない曲はダメなんです・・とラブソングの名曲をラストブロックで・・
     
     
    イメージ 6たそがれの人
    哀愁の夜
    高原のお嬢さん
    End Love
     
    ~アンコール
    グッド・バイ・ソング
     
    ♪Good-bye Love Good-bye Song
    静かに灯りがおちる
    Good-bye Love Good-bye Song
    小さな旅路は終わる
    Good-bye Love Good-bye Song
    明日の出逢いのために

    2013年のツアー・コンサートがスタートしたのは1月23日の高松アルファあなぶきホールでした。私は昼の部だけですが、遠征しました。昼の部ののアンコールは「End・Love」でしたが、夜の部では「グッド・バイ・ソング」となったそうです。それから後のコンサートでは、やはりずっと「グッド・バイ・ソング」で舟木さんとお別れして、またの出逢いを約束してきました。今年のツアー・コンサートはファイナルを終えてしまいましたが、明日の出逢いのための「グッド・バイ」ですから・・・12月は大阪の新歌舞伎座、そして新橋演舞場のシアターコンサートが待っています。舟木さんが、2013年を幸せに締めくくることがお出来になれることを祈って、また一年間のツアーコンサートお疲れ様でしたの気持ちを込めて、れぽを終わります。

     
    蛇足ですけど・・・特別に、今日はもうちょっとだけ・・・
    声の変化~衰えも含めてとおっしゃった舟木さんへの私の気持ちです
     
    イメージ 9
     
    いくら第一線でステージを長年にわたって務めてこられたプロ中のプロの舟木さんであっても確実に年令を重ねてこられているのですから衰えも含めた声の変化というのは当然のことでしょう。
    ファンを大切にされ、ファンの「一日でも長く歌い続けてほしい」という心のうちを痛いほど感じていらっしゃ
    る舟木さん。常に「歌い手としての命」の限界というものを念頭に置いていらっしゃるだろうと思います。そして、なにより「歌が好きで好きでたまらない」という情熱や、その歌う姿を拝見していると本当に「歌い手になるためにこの世に生まれてきた人」だと確信できます。舟木さんのステージを拝見していると、私の心の中に常によぎっていく世界があります。それは日本の伝統芸能の世界です。

    日本の伝統芸能においては「精進」というものが尊重され、大きな価値を与えられています。そのことが一番わかりやすく語られている「能」の世界のことを著した「風姿花伝」(世阿弥著)という名著がありますが、その中で「時分の花」と「真(まこと)の花」についての部分は、私が芸道に携わる方たちを拝見する際にいつも念頭においているものです。
    「時分の花」は、若く美しい時期の役者には誰にでも備わっているのですが、やがて年令とともに失われていきます。「真の花」はそれを求めて精進した者だけが手に入れる事が出来るもので、これを得た者は、生涯、その花を失うことはないというものです。
    能の役者は先ず最も完璧な状態からその道が始まります。(これを「時分の花」)しかし年を重ねると共に最初持っていたものは失われていくと考えられています。その失われていくものを補いながら、能のレベルを下げないように頑張る。(「真の花」を得る)これが世阿弥の芸論の基本的な視点だと言われています。
    「時分の花」が去ってレベルが下がっていく能を「真の花」で支えていきます。「真の花」が失われる事はありません。しかし、今度は「老い」が能役者の体力を奪っていきます。若い頃に、力でやりこなした芸を、技でこなす術を覚えていかなければならない。この「老い」との闘いは、能役者が舞台を捨てるか、死ぬかするまで続きます。
     
    舟木さんは50周年を迎えられてから、新たにあと5年、つまり55周年へと向かう意思を私たちファンに示して下さいました。その舟木さんの胸中を私たちはどう受け止め、どのような心の在り様でこれからの舟木さんのステージを楽しんでいくのか・・すべては送り手である舟木さんと受け手である私たちの間に通い合う想いが一致するのかどうかにかかっているように思います。ただ、受け身で聴くだけの聴き手であっていいのか・・と「時分の花」であれば、私たちは受け身でもいいでしょう。でも「真の花」を受け取る側の私たちには「真の花」を自ら見い出そうとする前向きでよりアグレッシブな姿勢が求めらるような想いがしています。「真の花」である舟木さんの想いをしっかりと受け止められる聴き手でありたいと心から思うこの頃です。
     
    イメージ 8
     
     

     


    0 0

    例年なら12月12日の舟木さんのお誕生日直前あたりに開催されている、「中野ファイナル」が終わると一年のひと区切りという感じなのでしょうが、今年は、12月に新歌舞伎座で一ヶ月公演(3日から22日)が開催されることもあって、舟木さんファンはどなたも落ち着かないというかワクワクがまだしばらく続くという時期なのでしょうね。私も、「風 アダルトに」と「中野ファイナル」の余韻がまだ覚めていない状態ですが、12月の公演への期待でこれまたソワソワとしてどうにも落ち着かない心持でいます。
     
    イメージ 1
     
    舟木さんの曲をレコードやCDなどで聴いたり、DVDを観たりして新歌舞伎座までの間をつないでいますが(笑)そうこうしているといろんなことに気づいてしまいます。来年2月の京都南座のシアターコンサートでは舟木さんの恩師である遠藤実さんの七回忌に偲ぶとして「遠藤実スペシャル」が第二部で特集されるそうですが、その遠藤氏と共に「高校三年生」と「舟木一夫」を世に送り出したもうおひとりの丘灯至夫さんの御命日が今月の24日であることに気づきました。丘氏については、遠藤氏と同様にいろいろなところでそのお顔も作品も紹介されていますので、舟木さんファンの皆さまも私などよりずっと詳しく様々な事柄を御存じだろうと思います。ですから、丘氏についてはここではスルーさせていただき、もうおひとかた、私が常々気になっている作詞家の関沢新一氏の作品をあらためてご紹介しながら、その生みだされる詩の世界の幅広さ、変幻自在の言葉の魅力をあらためて味わいたいと思います。
     
    イメージ 2
    先日の中野サンプラザファイナルのトークでも舟木さん御自身が「最初がアレですから、そのままほっとくわけにはいかないので、ずいぶんあっちこっちの方向へボールを打った感じです」とおっしゃっているように舟木さんのデビュー当時から数年のヒット曲には実に色合いの異なった曲があります。その中でも、常日頃から私が凄くキャパシティの大きな作詩家だなぁ!と感服している作詩家が関沢新一さんです。

    同じ人が創ったとは思えない詩の世界を生みだしていらっしゃることに驚かされました。どんな方なのだろうと興味津々でした。私が、わかる範囲の関沢氏についての資料は、以下に掲げたもののみで、どうも、作詞家というより「東宝の特撮映画」の脚本家としてのお仕事がメインという印象です。
    とはいえ、美空ひばりさんのあの名曲「柔」の作詩をなさったのも関沢氏であることを知って驚きました。
    長い間、舟木さんのステージを御覧になってきたファンの方には何を今更・・・ということだと思いつつも、間もなく関沢氏の御命日の11月19日を迎えるということもあって、関沢氏への感謝と尊敬の気持ちを込めて、舟木さんの作品とからめて、関沢氏のお仕事の一端を御紹介したいと思います。

    関沢新一(1920年6月2日-1992年11月19日)
    日本の脚本家、作詞家、写真家。京都府出身。脚本家として東宝の「キングコング対ゴジラ」などの特撮ものなど娯楽映画を多数執筆。
    テンポのよい軽快な台詞回しは関西出身ということもあり、漫才が根底になっていると自ら述べている。作詞家としても著名であり第7回レコード大賞(昭和40年)を受賞した美空ひばりの「柔」。ミリオンセラーを記録した都はるみの「涙の連絡船」など、今なお語り継がれているものも多い。
     
    「高原のお嬢さん」の「リーフ リーフ・・」「夢のハワイで盆踊り」の「イロハとアロハ・・」などにも、こういったいわゆる言葉の持つ「関西風のノリ」が生かされているという特徴が出ているように思います。
    私が参考にした資料の「作詞の代表作品」の項目には、「学園広場」「高原のお嬢さん」「銭形平次」も記載されていました。この大ヒット曲、三曲に、先に揚げた言葉遊びを駆使した「夢のハワイで盆踊り」、そして私が個人的に大好きな「星の夜北へ帰る」を加えた五曲の作品をここに掲載します。
     
    関沢氏の変幻自在な詩の世界の広がりをこれらの作品を通して、あらためて味わっていただけたら嬉しく思います。

    イメージ 7関沢新一作品(シングル盤)
    1963年
    学園広場
    只今授業中
    1964年
    叱られたんだね
    初恋の駅
    夢のハワイで盆踊り
    1965年
    渚のお嬢さん
    月とヨットと遠い人
    高原のお嬢さん
    夏の日の若い恋
    やなぎ小唄
    1966年
    銭形平次
    太陽にヤア!
    1967年
    一心太助江戸っ子祭り
    淋しかないさ
    1968年
    幸せよ急げ

    1977年(アルバム「15周年記念・限りない青春の季節」収録)
    星の夜北へ帰る(1964年頃の作品)
     

    イメージ 10学園広場 作曲:遠藤実
     
    空にむかって あげた手に
    若さがいっぱい とんでいた
    学園広場で 肩くみあって
    友と うたった 若い歌
     
    涙ながした 友もある
    愉快にさわいだ 時もある
    学園広場に 咲いてる花の
    ひとつ ひとつが 想いでさ
     
    ぼくが卒業 してからも
    忘れはしないよ いつまでも
    学園広場は 青春広場
    夢と 希望が ある広場
     
    学園広場誕生秘話舟木さんのトークと映画の映像付
    (15周年記念アルバム再録音の音源かな?)
     
     
     
     
    イメージ 8夢のハワイで盆踊り 作曲:船村徹
     
    月の浜辺で そろいの浴衣
    ハワイよいとこ 夢の国
    やぐら囲んで 輪になって踊りゃ
    椰子も夜風を ちょいと招く
    いろはとアロハ あなたと私
    アロハのハワイで盆踊り
     
    太鼓ないなら 酒樽たたこ
    樽がないなら 手をたたこ
    遠く離れりゃ こころにしみる
    富士と桜と盆踊り
    いろはと アロハ あなたと私
    アロハのハワイで盆踊り
     
    イメージ 9おどるあの娘は ハワイの花よ
    唄は桜の国の唄
    富士の白雪 朝日でとける
    誰にとけるか 花飾り
    いろはとアロハ あなたと私
    アロハのハワイで盆踊り
     
    年はとっても 気持ちは若い
    若いぼくらは 尚若い
    みんな仲良く 手拍子あわせ
    おどれ今宵も 明日の夜も
    いろはとアロハ あなたと私
    アロハのハワイで盆踊り
     
     
    イメージ 11高原のお嬢さん 作曲:松尾健司 
    (日本コロムビア創立55周年記念)
     
    あの人に逢いたい たまらなく逢いたい
    高原に風はわたり 白樺はゆれていた
    夏がゆけば 恋も終わると
    あの人はいつも 言ってた
    リーフ・リーフ・・・
    君にぼくの恋を語ろう
     
     
    http://www.youtube.com/watch?v=w5IJjdg2kKY  ←舟木さんご自身による「ベスト歌唱」だそうです。
     
    イメージ 12つぶらなる瞳よ つぶらなる瞳よ
    高原の夏はすぎて 別れゆく夜はきた
    一人よせる 夢ははてなく
    残り火は 赤く燃えてた
    リーフ・リーフ・・・
    ぼくの恋は 消えてしまった
     
    あの人に逢いたい たまらなく逢いたい
    東京の空のどこか あの人は住んでいる
    せめて いちど逢ってききたい
    夏の日の 恋は嘘かと
    リーフ・リーフ・・・
    東京の 秋は淋しい

     
     
     
    松尾健司氏は、ご存知の通り「高原のお嬢さん」の作曲をなさった方です。本来はアレンジャーでいらした方の作曲なさった「高原のお嬢さん」が舟木さんの曲の中でも5本の指に入る大ヒット曲となったわけなのですね。
     
     
    イメージ 3銭形平次  作曲:安藤実親

    男だったら 一つにかける
    かけてもつれた 謎をとく
    誰がよんだか 誰がよんだか 銭形平次
    花のお江戸は八百八町
    今日も決めての 今日も決めての
    銭がとぶ
     
    やぼな十手は みせたくないが
    みせてききたい こともある
    悪い奴らにゃ悪い奴らにゃ 先手をとるが
    恋のいろはは 見当つかぬ
    とんだことさと とんだことさと
    にが笑い
     
    道はときには 曲がりもするが
    曲げちゃならない 人の道
    どこへゆくのか どこへゆくのか 銭形平次
    なんだ神田の 明神下で
    胸に思案の 胸に思案の 
    月をみる
     
    http://www.youtube.com/watch?v=qNlkXphul1U  ←1995年の歌唱
     
    イメージ 4(資料)
    安藤実親氏について~フレッシュアイペディアより~
     
    鹿児島県・鹿児島市武町に生まれ、1946年(昭和21年)、国鉄西鹿児島工場に就職。1952年(昭和22年)に鹿児島県立鶴丸高等学校を卒業すると、卒業と同時に国鉄を退職し、上京した。上京後、1954年(昭和29年)にコロムビアレコード専属作曲家であった松尾健司に師事。そして1961年(昭和36年)にコロムビアレコード専属作曲家となり、主に編曲を担当した。1964年(昭和39年)には村田英雄の「姿三四郎」で作曲家としてデビューし、コロムビアレコードからゴールデンヒット賞・新人作曲賞を受け、以後、こまどり姉妹・舟木一夫・村田英雄・美空ひばり等の作曲を手掛けた。
     

    イメージ 5
     
    星の夜北へ帰る  作曲:船村徹
     
    果てしなき 荒野を行けば
    ほほぬらす 星の涙よ
    ふるさとは 母のいる国
    夜ごと見る 夢より遠し
     
    駒とめて 静寂(しじま)の中に
    あおぎ見る 星の思い出
    あの星は 指きりの星
    この星は 恋そめし星
     
    花咲けど その名も知らず
    若き日の 君は旅人
    人の世の 運命(さだめ)はかなく
    あの星に いつの日逢わん
     
    イメージ 6


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    2014年 上半期 観たもの、聴いたものの備忘録(1月~6月)
     
    2月6日   2014年ツアーコンサート 大宮ソニックシティホール
    2月13日  大阪メルパルクホール ふれんどコンサート  14:30・18:00
    2月21日  日本橋社会教育会館 古今亭文菊独演会 
    2月22日  京都南座 シアターコンサート
    2月23日  京都南座 シアターコンサート
    3月12日  2014年ツアーコンサート 相模女子大グリーンホール
    3月28日  中日劇場 舟木一夫スペシャルコンサート 昼夜
    3月29日  中日劇場 舟木一夫スペシャルコンサート 昼夜

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    私たちの世代がものごころつき始めた頃から記憶の奥深くに沁み込んでいる流行歌の中でも女性歌手が唄ってヒットしていた曲といえば、美空ひばりさんと島倉千代子さんのおふたりの歌を自然と思い描きます。
     
    今、私が空(ソラ)で歌える唄もひばりさんとお千代さんの初期の頃の歌かも知れません。子どもの頃に聞き覚えた歌は意味がわかってなくても、記憶の底の方に沈んでいて、ふとした時にふうわりと浮き上がってくるのも不思議です。
     
    ひばりさんとお千代さんは、ひばりさんが先輩なので人気も実力も、上であるというのが通念かと思います。でも、私は、子どもの頃からの曲調の好みとしては、どちらかといえば、島倉さんの澄んだ高音と哀調を帯びたビブラートに心魅かれていたと思います。ひたすら純情派の歌い手のイメージを通し抜かれた島倉さんの数々のヒット曲・・・その中でも「この世の花」「りんどう峠」「逢いたいなァあの人に」「おもいで日記」などが私の記憶に残っています。
    でも、ダントツに好きなのが「からたち日記」でした。当時はどなたの作詩、作曲かは存じ上げませんでしたが、あらためて確認してみたら、西沢爽、遠藤実 の両先生の作品だと今さらながらですが知りました。
     
    60年近い歳月を歌ひとすじに、あゆみ続けてこられた「お千代さん」・・・波乱にとんだ困難の多い人生だったともうかがっていますが、歌とともに生きてこられた幸せな人生だったのでしょうね。
    いつまでも心に残る、あの清純でやさしい歌声と女性らしい佇まいは、もうこれからの時代では生まれてこない唯一無二の魅力に輝いていたのだと、大きな星がこの世から去ってしまった今、きづかされる想いがしています。心からご冥福を祈ります。やさしさあふれる歌の世界をありがとうございました。
     
     
     
    イメージ 1からたち日記 作詩:西沢爽 作曲:遠藤実
    (セリフ)
    幸福(しあわせ)になろうね
    あの人はいいました
    私は 小さくうなずいただけで
    胸がいっぱいでした
     
    こころで好きと叫んでも 
    口ではいえず ただあの人と
    小さな傘を かたむけた ああ
    あの日は雨 雨の
    小径(こみち)に白い ほのかな
    からたち からたち からたちの花

    くちづけすらの 想い出も
    のこしてくれず 去りゆく影よ
    単衣(ひとえ)の袖を かみしめた ああ
    あの夜は霧 霧の
    小径に泣いて 散る散る
    からたち からたち からたちの花

    (セリフ)
    このままわかれてしまってもいいの
    でも あの人はさみしそうに目をふせて
    それから思い切るように霧の中へ消えてゆきました 
    さようなら 初恋
    からたちの花が散る夜でした
     
    イメージ 2
    からたちの実が みのっても
    別れた人はもう帰らない
    乙女の胸の 奥ふかく ああ
    すぎゆく風 風の
    小径にいまは 遥かな
    からたち からたち からたちの花

     
     
    (セリフ)
    いつか秋になり からたちは 美しい
    金色の実がたくさん実りました
    今日もまた私は一人この道を歩くのです
    きっとあの人が帰ってきそうな
    そんな 気がして・・・
     
     
     
    1964年9月に島倉さんと舟木さんとの裏表のカップリングで発売されているシングルEP盤があります。
    http://www.youtube.com/watch?v=gWbebCPD4nM
    「小鳥が来る街」 島倉千代子さんの歌唱です
    (大阪市の緑化PRソング)
     
    舟木さんの曲は「青春の大阪」・・・両面ともに大阪の緑化PRソングとして作られた曲のようです。
     
    イメージ 3青春の大阪 作詩:西沢爽 作曲:和田香苗
     
    いとしい君と 思い出の
    小径に植えた 小さな木
    いつか 誰かが 二人のように
    愛をちかう
    緑の木蔭になるように
    あゝ 大阪を 青春の
    みどりで みどりで つゝもうよ
     
    小雨の朝は 御堂筋
    星ふる夜は 中之島
    べつに 約束 したんじゃないが
    君も 僕も
    緑の並木が 好きなだけ
    あゝ 大阪を 青春の
    みどりで みどりで つゝもうよ
     
    ふたりがいつか 暮らす日は
    小窓に置こう 鉢植を
    夢が 希望が あの青空に
    とどくように
    緑の二葉に 頬よせて
    あゝ 大阪を 青春の
    みどりで みどりで つゝもうよ
     
     
    加筆しました。(11月12日)
    島倉千代子さん歌唱「風のみち」舟友さん御紹介の動画です。
    ほんとうにほんとうにすてきなすてきな「お千代」さんの歌声と映像です。
     
     
     

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    「舟木さんの曲~昔の私のお気に入り」その1が「右衛門七討ち入り」、その2が「あゝりんどうの花咲けど」、その3が「敦盛哀歌」として、既にブログ上でアップしています。その3からずいぶん時間が経ってしまいましたが、「昔の私のお気に入り」の続きを・・・
     
    イメージ 1下記に舟木さんのデビュー曲から2年目までの代表的なシングル盤を年代順に並べてみます。
    (大倉明著「青春賛歌」~舟木一夫・シングル&アルバム 一覧)参考
    1963年
    6月「高校三年生」(水色の人)
    8月「修学旅行」(淋しい町)
    10月「学園広場」(只今授業中)
    11月「仲間たち」(はるかなる山)
    1964年
    1月「叱られたんだね」(初恋の駅)
    1月「あゝ青春の胸の血は」(夕月の乙女)
    3月「涙の敗戦投手」(さらば古い制服よ)
    3月「君たちがいて僕がいた」(青春はぼくらのもの)
    6月「まだ見ぬ君を恋うる歌」(ひとりになると)
     
    正直なところ、私自身がリアルタイムで、舟木さんの曲そのものにインパクトを受けたのはデビュー翌年に発売された「まだ見ぬ君を恋うる歌」だったように思います。当時、私は小学校六年生。その後が、9月に発売された「花咲く乙女たち」、そして「昔の私のお気に入り/その1」で挙げている「右衛門七討入り」で私的にはかなりブレイクしてしまいました。
    ですから、「歌い手・舟木一夫」との出会いは、私としては「まだ見ぬ君を恋うる歌」であったと言ってもいい
    のかも知れません。当時は、舟木さんはまだ詰襟でこの曲を歌っていたのかな?曲そのものはとっても鮮烈に覚えているのですが、舟木さんがどんな服装で歌っていらっしゃったかは、覚えていないんです。
    イメージ 3
    なぜ「まだ見ぬ君を恋うる歌」に心惹かれたのか・・それは、やっぱり歌詩の美しさだと思います。
    「夕陽の空に 希望(のぞみ)をかけて」「心ひそかに夢を見る」「数ある乙女 そのなかの」「やさしく肩に 手おこう」・・・など思春期の入り口にさしかかろうとしている女の子だった私には「キュン!」とくる言葉が並んでいたのが魅力的だったんだと思います。そして、何よりそのタイトルの古風な響きに心を掴まれたんですね。

    「まだ見ぬ君を恋うる歌」・・・舟木さんもコンサートのトークの中で「人を恋うる歌」~妻を娶(めと)らば 才(さい)長(た)けて 身目(みめ)美(うるわ)わしく 情(なさ)けあり(詩:与謝野鉄幹)~という詩のトーンを意識したようなタイトルであることにふれていらっしゃいます考えてみると、「私のお気に入り」の曲は、すべて「文学世界」への広がりを孕んだものであるような気がします。
     
    まだ見ぬ君を恋うる歌  作詩:丘灯至夫 作曲・編曲:山路進一
    (1964年6月発売)

    イメージ 4夕陽の空に 希望(のぞみ)をかけて
    心ひそかに 夢を見る
    逢いたくて 逢いたくて
    この世にひとり いる筈の
    まだ見ぬ君を 恋うるかな
     
    どこかで眠る その人だって
    ひとり苦しい 夜もあろ
    淋しくて 淋しくて
    数ある乙女 そのなかの
    まだ見ぬ君を 恋うるかな
     
    険しい道も 二人でならば
    心強かろ 明るかろ
    逢えたらば 逢えたらば
    やさしく肩に 手をおこう
    まだ見ぬ君を 恋うるかな
     
    ちょっとばかり、話が広がり過ぎるかもしれませんが、「まだ見ぬ君を恋うる歌」の中に出てくる「乙女」という言葉は、舟木さんの初期の曲には度々登場しますので「乙女の時代」と当時の舟木さんの放っていた匂いについて・・・
    イメージ 5「乙女を詠う」抒情歌謡、その最後の時代の担い手であったのが舟木さんではなかったのでしょうか。
    清純な乙女のイメージを歌うにふさわしい清潔感を身にまとい「純愛」を抽象から具現化させた舟木一夫という歌い手の功績は遠ざかりつつある昭和に多感な青春時代を過ごした私たちだからこそ高く評価できるのだと思います。舟木さんがいつもおっしゃっている「同世代の共感」・・・男性がそれを感じるのは学園ソングのようですが、私としては、どうしても「乙女」という言葉に代表される「昭和の時代の抒情性」を帯びた曲に反応してしまいます。
    「女子高生」とか「女子中学生」とかではなく「女学生」という言葉も既に遠い昭和の時代の郷愁の中に見える「後ろ姿」のような言葉になってしまったようで、口に出すと懐かしさと同時になぜか「恥じらい」を含んだ過去の言葉、「古語」のような響きが感じられます。「乙女」となると、さらにもう完全に「古語」でしょうね。
    実際には「乙女」を「タイトル」で使っている曲「夕月の乙女」は「まだ見ぬ君を恋うる歌」よりも5ヶ月前に「あゝ青春の胸の血は」のB面でリリースされているのですが、当時まだ小学五年生だった私が、新人歌手のレコードのB面の曲を知る由もなく、おそらくリアルタイムでは聴いたことはないように思います。もし、この曲を聴いていたなら、「昔のお気に入り」のベストテンには入っていただろうと思います。
     
     
    イメージ 6夕月の乙女  作詩:西沢爽   作曲:遠藤実
    (1964年1月発売「あゝ青春の胸の血は」B面)

    面影あわく しのばせて
    ポプラにかゝる 夕月よ
    この丘で いつの日か
    野バラの歌を うたってた
    君いずこ 君いずこ 夕月乙女
     
    愛しむように 夕月が
    ならんだ 影を 照らしてる
    名も知らぬ おたがいが
    さよならとだけ 云ったけど
    いまいずこ いまいずこ 夕月乙女
     
    イメージ 7
    青春かなし 今宵また
    心にうるむ 夕月よ
    露草の 花咲けど
    はかなきものは 花のみか
    夢いずこ 夢いずこ 夕月乙女
     
     
     
     
     
     
     
    さらに「乙女」という言葉に関連してみていくと、「まだ見ぬ君を恋うる歌」のB面に収録されている「ひとり
    になると」には、「乙女刈り」という言葉が登場しています。実際に「乙女刈り」とはどういうヘアスタイルだ
    ったのか、調べてみたのですが、これだけしかわかりませんでした。画像もみつからないので、こんな感じかな?とイメージしたのが、中原淳一さんの画像です。もしかしたらこんなにモダンではないかも・・(笑)
    イメージ 8
     
    おとめがり(乙女刈り
    ~少女の髪形の一つ。おかっぱに似るが、後頭部をやや短めに切りそろえ、えり足を刈り上げたもの~
     
     
    ちなみに「乙女」の意味を調べてみると次のように書いてありました。
    ~歳(とし)若い娘のこと。特に、感受性が高い、上品、純粋、穢(けが)れていない、といった特徴をもつ女の子を指すとされる。「処女」と書いて「おとめ」と読むこともあり、そのまま処女を示唆することもある。~
     

    ひとりになると 作詩:丘灯至夫 作曲:山路進一
    (1964年6月発売「まだ見ぬ君を恋うる歌」B面)
     
    イメージ 9
    桜の花が ほろほろと
    散ってた夜に 背を向けて
    なんにもいわず 去った人
    ひとりになると 思い出す
     
    いいたいことが いっぱいで
    なんにもいえず だまってた
    涙をためた 乙女刈り
    いまでもいつも 思い出す
     
    過ぎればやがて 忘れると
    誰かが僕に いったけど
    ふたたび逢えぬ 人だから
    淋しくなると 思い出す
     
     
     

    イメージ 10そして、「乙女」をテーマにした決定打の曲が「花咲く乙女たち」・・・これはマルセル・プルーストの大長編小説「失われた時を求めて」全七編の中の「花咲く乙女たちのかげに」から採ったタイトルだそうです。本来は「乙女」=「処女」という概念であることから考えるとキリスト教的世界観の中から生まれてきた語源であるのでしょう。「乙女」という響きになんとなくモダンな感じがするのはそのせいかもしれません。西條八十の手によるこの詩も、まず登場する花が「牡丹」や「芍薬」ではなく「カトレア」であることからも、都会的なモダニズムを感じさせます。 
     
    花咲く乙女たち 作詩:西條八十  作曲:遠藤実
    (1964年9月発売)
     
    さらに一年半後には「山のかなたに」のB面で「ふるさとの乙女」という曲がありますが、この曲を最後に「乙女」は姿を消してしまいます。かろうじて「夕笛」(1968年8月発売)の歌詩の中に、舟木さんファンにはおなじみの「乙女椿」という花の名前が出てくるのですが、その頃に昭和の抒情歌謡も「乙女」という言葉とともに時代の大きな波にさらわれるように消え去っていったような気がしています。
     
     
    イメージ 2ふるさとの乙女 作詩:西沢爽 作曲:遠藤実
    (1966年1月発売「山のかなたに」B面)
     
    逢えなくなれば 心まで
    いつかは 遠く なるだろか
    さよなら 乙女
    あゝ ふるさとは
    ものもいえない せつなさに
    夕やけまでが泣いていた
    夕やけまでが泣いていた

    一番から三番まで「さよなら 乙女」というフレーズが出てきます。文字通りこのあたりで「乙女」という概念も「さよなら」を告げてしまったかのような気がします。昭和は遠くなりにけり・・淋しいですね。

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    舟木さんがトップアイドル歌手であった頃には、多くの青春歌謡のスターがいらっしゃったと思います。でも、そんな中で、舟木さんだからこそ残すことができた仕事のひとつが、「その人は 昔」のアルバムと映画であったたように思います。
    秋の夜長に、あらためて聴きたいと思う第十一回芸術祭参加のアルバム「心のステレオ その人は昔~東京の空の下で」と、翌年に公開された映画「その人は昔」を併せてとりあげてみました。
     
     
     
    イメージ 29・・とはいうものの、私自身は「その人は 昔」のテーマ曲すら全く記憶になく・・というか、このアルバムの存在自体を当時、知っていたのか知らなかったのかおぼつかない状態です。映画が制作されているということを聞いた記憶はあるのですが、ほとんど関心がなかったのか、「絶唱」をあれほど観に行きたい!と思っていた熱が冷めていたのか、日々の高校生活に追われていたのか・・「ゴメンナサイ・・」というしかないほど忘却の彼方なのです。ですから、昨年、「復活」して間もなくのちょうど一年前の11月に大阪の「シネ・ヌーヴォ」で「スクリーンで観る舟木一夫と時代を彩ったスターたち」という企画で上映された時に、初めて観たという次第です。アルバム「心のステレオ その人は昔~東京の空の下で」との出会いはもっと、遅くて今年の3月にオークションでCDを手に入れて初めて、きちんとその作品を鑑賞することができました。

    私としては、映画の舟木さんも素敵で、百人浜をはじめとする北海道の自然描写の映像も美しくいい作品だと感動しましたが、音の世界だけですべてを表現しているアルバムは、「芸術祭参加作品」にふさわしい秀作であると感じました。何より当時の舟木さんの清潔感と抒情性に満ちた表現力の確かさが、生かされていて、この時期に、このような作品を企画し、最高の作家と作曲家とのコンビネーションで「舟木一夫」という個性でしか生み出すことのできない音楽世界を音源のみで残し得たことに当時のプロデューサーやスタッフの方々に深い敬意と感謝を表します。
     
    イメージ 34また、一方でアルバムには組み込まれていない、挿入歌が映画では、効果的に施されていて、「かずおとようこ」という恋人たちの姿がより立体的に、浮かび上がってきているのが映画という媒体のメリットでもあると感じられます。
     
    映画のみの挿入歌
    恋のホロッポ
    白馬のルンナ
    心こめて愛する人へ
    じっとしてると恋しい

    アルバムの発売に先立って「近代映画」で、以下のような紹介がされています。9ページにわたって掲載されている全文から一部を転載させていただきます。
     
    近代映画 1966年11月 臨時増刊号 舟木一夫秋の特大号より
    舟木クンがファンに贈る芸術祭参加ステレオ盤の製作裏ばなし!
    「心のステレオ その人は昔 ~ 東京の空の下で」
     
    イメージ 18このデビュー三周年に、さらに花を添えるような、いえ、これからさき、舟木クンの歌手としての生活が何年、何十年つづくかしれませんが、ともあれ、そのかれの活躍期間を通じての、一つの大きな収穫、傑作として、おそらくいつまでも残るであろう、そうしたLP盤のレコードが近く発売されることになりました。
    タイトル=心のステレオ「その人は昔」ー東京の空の下で=がそれです。なお、このレコードで舟木クンは今年の芸術祭に参加します。ですから、もうすでのご承知の通りの映画の「絶唱」とともに、ことし舟木クンは両部門で芸術祭に初参加するわけ。デビュー三周年にかけた舟木クンのすさまじいばかりのファイトがまざまざとうかがえます。
    ~中略~
    そこで、「その人は 昔」ですが、これはひと言で説明して今までのLP盤には全然見られないような、まったく画期的なレコードだと言えます。歌謡曲のLP盤はご存知のようにシングル盤の作品を、一つに集大成したものだと思ってまず間違いありません。でも「その人は 昔」はそれとは根本的に違います。これは 寄せ集めの作品集などではないのです。
    ~中略~
    さっそく、原作者と作曲家の決定に迫られましたが、担当の栗山ディレクターは躊躇なくそれを松山善三さんと船村徹さんいお願いすることにして、まもなくおふたりの快諾を得たのです。栗山ディレクターは「なまいきなことをいうようですが、ぼくの持論としてこんな考えを持っています。小説にしても映画やテレビのシナリオにしても、また詩にしてもそれを書く作者に一本のシンが通っていなければいけないと思うのです。~中略~その点、叙情といえば松山先生をおいてほかにありません。叙情ひとすじでおしとおしておられます。非常に美しい言葉をお書きになることでも定評がおありでしょう。また船村先生もがんこなほどご自分の作曲のスタイルを絶対に変えようとなさらないかたです。」
    イメージ 25
    松山善三さんは原作の苦心や抱負などをこんな風に語っています。~ほんとうに楽しい仕事でした。僕としては舟木クンのイメージを常に頭に描きながら、できるだけの力を出したつもりですが結果はどうでしょうか。はじめはこの仕事をなぜ僕のところに持ってきたのかまったくわかりませんでした。とまどったくらいです。なにしろ歌のほうの仕事を今までまるっきりしたことのない僕ですから・・・。ぼくとしては叙情だけでとおそうと思ったのですが、できたら、今日の問題をいれてほしいということでそれも盛り込んでみました。後略~
    こうしてできあがった松山善三さんの原作には、散文、自由詩、定型詩、朗読文、対話文などありとあらゆる文章の形式がとりいれられてて、「まるで週刊誌に作曲するようなものです・・」と作曲の船村徹さんに思わずそう言わせたのも無理はないほど、それは内容の充実したものでした。~中略~船村徹さんの作曲が、これまた、たいへんなものです。歌曲、歌謡、ジャズ、民謡、効果音など、およそ聴覚にうったえる、ありとあらゆる音楽形式がとりいれられています。それに松山さんの原作の詩の部分にしても、必ずしも七五調になっていないのでふつうの歌謡曲のように一番と二番以下のメロディーが、まったく同じということはほとんどありません。ですからそれを歌う舟木クンもたいへんです。ふつうの歌謡曲だったら一番のメロディーさえ覚えてしまえばあとは歌詞が違うだけで、二番も、三番も同じです。でも、この場合は別です。とにかく、船村さんが作った譜面が、全部で七十枚だったということだけを見ても、この仕事がどんなに大がかりなものかよくわかります。
    ~中略~
    歌曲に、歌謡に、ジャズに、民謡に、舟木クンの歌のすばらしさはいうまでもありませんが、僕が一番感心した
    のは、かれのセリフです。舟木クンのしっかりした、そしてすばらしいセリフが「その人は 昔」を、かれがあ
    なたに贈る、このうえないプレゼントにしていると断言してはばかりません。
     
    以下は、アルバムと映画の中で歌われている楽曲を中心に据えて、「その人は昔」の物語を私なりに再構築してみたものです。うまく繋がっていればいいのですが・・・
    ここはおかしいよ!という部分もあるかもしれませんので、皆さんのご指摘をお待ちしています。

    その人は昔~テーマ曲 
    (アルバムでは舟木さんの朗読のあと、歌唱があり、二度この詩の全文が続きます。)
     
    イメージ 26
    その人は 昔
    海の底の 真珠だった
    その人は 昔
    山の谷の 白百合だった
    その人は 昔
    夜空の星の 輝きだった
    その人は 昔
    僕の心の 灯だった
    でも その人は
    もう 今は
    いない
    その人は 昔
    僕の すべて
    今もその人は
    思い出の 丘に咲く
    ひな菊の花
    その人は むかし
    僕の いのち
    今もその人は
    僕の日記を 埋める
    かがやき
     
    イメージ 27その人は むかし
    僕の ちから
    いまもその人は
    僕をやさしく みつめる
    こいびと
    でも その人は
    もう 今は
    いない
    その人は 昔
    玉石の
    荒い
    波ぎわ
     
    若駒の
    たてがみ
    つかみ
    いらだつ
    海の向こうを
    見ていた
    胸をはって
    ・・・・
    http://www.youtube.com/watch?v=zdPb2xp10uM  最近の舟木さんの「その人は昔」テーマ曲、渋くてステキ!
     
     
    イメージ 28宇野重吉さんの重厚な朗読で「アイヌ伝説」が語られます。
    ~アイヌの伝説によれば 昔この日高の海には鯨の群れが姿を見せていたという ハマナス スカシユリ センダイハギなどの花が 色とりどりに咲き乱れ 旅ゆくひとびとの眼をなぐさめてくれる・・・

     
    白馬のルンナ~内藤洋子さん歌唱 (映画のみで挿入されています)
    http://www.youtube.com/watch?v=vqWoUn6hH08
     
     
    イメージ 12
     イメージ 23
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
    馬の蹄の音とともに・・舟木さんの朗読で「その人」との百人浜での出逢いの場面の歌唱となります。

    ~僕は十八才
    その人は
    僕より一つしただった~
     
    イメージ 35その人は
    牧場で玉の汗をかきながら
    馬を追いかけ 山麓(やまふところ)に
    鍬をうちこんでは
    乾いた
    おいしい
    空気を
    胸一杯に 吸っていた
    玉の汗は キラキラと光り
    夢や希望をのせて
     
    その人の
    頬から 肩に落ちた
    イメージ 31僕は
    その人の
    澄んだ瞳を
    みつめながら
    ~ああ 抱きしめてやりたい~
    僕は 身も 心も
    ふるわせて
    その人を
    幸せに
    してやりたいと
    叫んだ
    しあわせ
    しあわせ
     
     
    イメージ 2恋のホロッポ  
    舟木さんと内藤さん歌唱(映画のみで挿入されています)
    http://www.youtube.com/watch?v=DT_SuZc8Ov0
     
    ホロッポホロホロ ホロッポホロホロ
    何故君は走っているの
    ホロッポホロホロ ホロッポホロホロ
    何故だか私はわからない
     
    イメージ 32
     
    ホロッポホロホロ ホロッポホロホロ
    何故君は泣いているの
    ホロッポホロホロ ホロッポホロホロ
    何故だか私はわからない
    ホロッポホロッポ
    一緒に泣いてあげようか
    ホロッポホロホロ ホロッポホロホロ
    ホロッポホロッポホロッポホロッポ
     
     
    イメージ 33
    イメージ 36
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
    北海道から東京に舞台が変わります。音楽もジャズ調のものが入ってきますが、百人浜を詠う民謡調の舟木さんの歌唱も挿入されて、当時の舟木さんの表現力の自在さに驚かされます。

    東京には季節がない
    http://www.youtube.com/watch?v=liAuppYFsjc
     
    イメージ 3林の奥に 消え 残る
    雪の扉を
    そっとひらき
    カッツンツン カッツンツン
    たたく音
    あれは キツツキ
    鳥の声
    東京には
    鳥がいないよ
    萌える緑の
    からまつの
    梢に 昼の
    うすい月
    カッコ カッコの
    閑古鳥
    東京には
    鳥がいないよ
    馬のたてがみに

    イメージ 4春がくる
    ハマボウフウの
    白い花に
    夏がくる
    原始の峰の
    秋の空
    冬がくるのを
    教える 海よ
    東京には
    季節がないよ


    夢に見た憧れの東京に手を取り合って出てきたふたりのつかの間のしあわせな時間を歌っています。
    この作品では唯一の「青春ドラマ」風な曲調で、ほっとします。
     
    イメージ 5
    待ち合わせた
    地下鉄の
    プラット・ホームのはずれで
    キミは めだたないように
    本を見ていたね
    近づくと
    はにかんでにっこり笑ったね
    とても
    感じがよかったよ
    人混みの中で
    そっと 指をふれあい
    たそがれの 街の
    スズラン灯の 路を
    どこまでも 歩いたね

    イメージ 6車がくるたびに
    キミはアッと 声あげた
    感じがよかったよ
    今でも覚えてる
    レストランでの キミは
    フォークとナイフを
    なんども 持ちかえて
    これでいいのって
    つぶらな 瞳に
    いっぱいの はじらいを見せて
    感じがよかったよ
     
     
    イメージ 7キミを送る
    夜更けの みちに
    甘い 恋の
    香りが 匂っていた
    さようなら
    ボクの 手に
    ふるえる キミの小指がふれた
    感じがよかったよ

     
    夜間大学で学ぶふたりの幼い恋が育っていきます。以下の楽曲はアルバムでは舟木さんの歌う一番だけが収録されていますが、映画では二番の歌詞で内藤洋子さんも歌っていましたね。

    イメージ 8一日 逢わないと
    こぼれてしまう
    この想いを
    明日は キミのかぶる
    ネッカチーフに くるんで
    渡そう
    想うことが
    こんなにも つらいことだと
    僕は知らなかった
     
     
    イメージ 9一日  逢わないと
    あふれてしまう
    この想いを
    明日は あなたの服の
    胸のポッケに たたんで
    渡そう
    想うことが
    こんなにも つらいことだと
    私知らなかった

     
    あこがれの都会での生活・・・でも、やがて暗い影がふたりの上に射し始めます。

    心こめて愛する人へ  1967年7月の映画公開時にシングル盤発売
    http://www.youtube.com/watch?v=kk_xW5io2qg
     
    イメージ 30こん こん こん こん
    君はいま なぜ泣いているの
    君はいま なぜ悲しいの
    こん こん こん こん
    君はいま 人を好きになったね
     
    こん こん こん こん
    君はいま なにを見てるの
    こん こん こん こん
    君はいま なぜひとりなの
    こん こん こん こん
    君はいま そっと何か言ったね
     
    こん こん こん こん
    君はいま なにをしているの
    こん こん こん こん
    君はいま なぜさびしいの
    こん こん こん こん
    君はいま 僕をじっと見てたね
     
    じっとしてると恋しい 1967年7月の映画公開時にシングル盤発売
    http://www.youtube.com/watch?v=CDYnfRsneeI
     
    イメージ 10じっとしてると恋しい
    じっとしてると恋しい
    君に 手紙を書いている
    夜は とっくに ふけている
    愛の 言葉を さがしては
    じっとしてると恋しい
    じっとしてると恋しい
     
     
     
     
    イメージ 11じっとしてると恋しい
    じっとしてると恋しい
    君に 手紙を書いている
    別れた あとの 淋しさを
    心の底に かみしめて
    じっとしてると恋しい
    じっとしてると恋しい
     
    じっとしてると恋しい
    じっとしてると恋しい
    君に 手紙を書いている
    書いては 消して 書いている
    こだまを 呼んで みるように
    じっとしてると恋しい
    じっとしてると恋しい

    東京での生活はのびやかな自然の中で育ったふたりには過酷なものでした。そして、ふたりの間を裂く男の出現が、決定的にふたりの夢をバラバラにします。アルバムでは舟木さんの朗読と歌唱
     
    イメージ 13~君と僕は いつの間にか
    東京の街の中で
    腐りはじめていた
    僕は その時 キミの中に
    大きな変化の起こった
    ことを知った
    あいつがその時
    キミの前へあらわれたんだ
     
     
     
     
    あいつは 悪魔のような
    黒いタイツのズボンをはいて
    赤い縞のポロシャツの上に
    ドクロのような
    ペンダントが光ってた

    ・・・・・・・・・
    ・・・・・・・・・

    ふるさとの牧歌的な歌唱と都会の喧騒を唄う歌唱・・・舟木さんの自在な表現力に圧倒されます。

    イメージ 14昔 僕は 人々は
    自分いがいの者のために
    美しく生きるのだと 思ってた

    一枚しかない よそいきに
    チューインガムをつけられたと
    泣いた その日の夜
    キミは 学校の教室の
    机の間に 倒れて 血を吐いた
    キミは なんでもないといった
    でも あの日から キミの心に
    ゴギブリが巣をつくってしまった
    ・・・・・・・・・・
    ・・・・・・・・・・
    ふたりの破局を語りと歌唱で紡ぎだしていく舟木さんの表現力が際立ちます。
    悲劇へと向かう急な下り坂道のような心象風景をモノローグ風に語る舟木さん・・そしてクライマックスへと

    一度は去っていった「その人」が傷ついて再び青年の前に現れる。
     
    雨の日には  ~内藤洋子さん歌唱(映画のみで挿入されています)
    http://www.youtube.com/watch?v=llbb5kntTuU

    しかし、噛み合わない歯車と重なる不幸の偶然が「その人」を死に追いやったのです。

    あのとき キミは もう 死ぬ気だったの!   ・・・舟木さんの悲痛な叫び

    エンディングへと・・・
    http://www.youtube.com/watch?v=w3qYNfLhWZc
     
    イメージ 15僕が 病院の
    手術台に
    寝かされたころ
    キミは
    大森の 釣り船屋から
    ボートに乗って
    羽田の沖へ出ていった
    そして 再び
    帰って こなかった
    ・・・・・・・・・
    ・・・・・・・・・
     
     
    イメージ 16その翌日
    シールをななめにはった
    キミの最後の手紙が
    僕の下宿のポストに入っていた
     
    あおい お空に
    字を書いた
    あなたが好きと 字を書いた

    暗い 夜空に
    字を書いた
    あなたが嫌いと 字を書いた

    イメージ 17僕はなぜあの日
    キミをしっかりと
    この胸に抱きしめて
    くちづけを しなかったんだろう
    キミとかわす
    くちづけを 夢にみながら
    僕には勇気がなかった
    僕がキミを
    殺したんだ

     
     
     
    東京には
    夢があると
    僕が キミを
    誘わなければ
    キミは
    日高の
    山麓(やまふところ)で
    どこまでも走る
    馬にまたがり
    波にうちよせる
    百人浜を 走っていたのに
    僕がキミを 殺したんだ
     
    僕がキミを
    僕がキミを
    僕がキミを
    (エコーのように続きます・・・)
     
    イメージ 20

    美しいメロディーラインのテーマが再び・・

    その人は 昔
    海の底の 真珠だった
    その人は 昔
    山の谷の 白百合だった
    その人は 昔
    夜空の星の 輝きだった
    その人は 昔
    僕の心の 灯だった

    ・・・・・・・・・・
    ・・・・・・・・・・
    百人浜で「その人」と出逢った青年が、夢に描いた「その人を幸せにしたいとやりたいと叫んだ」その想いをこめた哀切な歌唱を再び・・・
    http://www.youtube.com/watch?v=zxOKt9EeELc
     
    イメージ 21~ああ 抱きしめてやりたい~
    僕は 身も 心も
    ふるわせて
    その人を
    幸せに
    してやりたいと
    叫んだ
    しあわせ
    しあわせ

    しかし、現実は・・・

    イメージ 22いま
    僕の ちぎれた指は
    夢の 終りを
    告げている
    その人と
    百人浜の 波に 誓った
    数々の 夢の終りを
    僕は故郷へ 帰ってきた
    はじめて
    その人と 会った
    百人浜へ
     

    いらだつ
    白い 波の中に
    一匹の 
    若駒が 立って
    いつまでも いつまでも
    イメージ 24荒れくるう
    海のはてを
    みつめていた
    あれは
    キミの
    化身だろうか
    そういえば
    その夜
    僕は
    満天の星の下を
    白馬の駆けるのを見た
    あれも
    キミの化身だろうか
     
    その人は 昔・・
     
    その人は 昔・・
     
    その人は 昔・・
     
    アルバムでは、このように終わっていますが、映画では、青年は再び、たったひとりで「その人」を奪い去った東京へ向かっていくのですね。
    あくまで芸術性と抒情性と音楽性を追求した「アルバム 心のステレオ その人は昔~東京の空の下で」と、哀しみと不幸にに打ちのめされてなお、独り現実の厳しさに立ち向かっていこうとする青年のたくましい姿をラストシーンで描いた映画「その人は 昔」・・・
    今となっては、いずれも若き日の舟木さんの等身大の姿のような印象を受けます。繊細で優しくありつつも、強い魂を持ち続ける青年の姿は、やはり舟木一夫という人に、とてもよく似ているのですね。
     
     
     
     
     

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    舟木さんのふるさと愛知県の地元紙である中日新聞で、「舟木さん生誕地に資料館~きょう一宮・萩原に開館」という嬉しいニュースが掲載されてから、一ヶ月半近くが経ちます。以下のような写真入りの大きな扱いの記事でした。
     
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    記事の一部を再掲載します。
    ~ヒット曲「高校三年生」などで知られる歌手、舟木一夫さんの生誕地である一宮市萩原町で、舟木さんにちなんだ郷土資料館が六日開館する。地元の郷土史研究者が私費を投じ、生家跡近くの土蔵を生家の建材を使って改築した。当初は舟木さんの昔の写真などを展示し、その後は萩原町の歴史を紹介していく。~
     
    資料館開館こけら落しの特別展「舟木一夫と萩原町は、10月から年内12月までの月2回の日曜日のみしか、観られないということで、なかなか日程調整ができず、本日17日にやっと行くことができました。私の住まいは三重県桑名市で、限りなく愛知県寄りにあります。桑名から二つ目の駅の弥富から名鉄電車が尾張一宮まで走っていて一時間足らずで萩原に着きます。御一緒して下さる舟友さんがいらしたので楽しくお喋りしながら萩原へと向かいました。舟木さんの「ROCK'N ROLLふるさと」の歌詞とは逆回りですが赤い単線電車でのんびりとした田園風景の続く中、萩原に到着。萩原駅からは、先ず「♪駅の正面 右折して 徒歩で六分 つきあたり♪」の生家跡まで歩き、「生家跡詣で」をしました。
     
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    現在の生家跡はこんな感じです。右手の古い長屋は生家跡のお隣で、電柱の奥左手の白い建物が生家跡に建ったアパート「ユニヴァリィ フナキ」です。「ユニヴァリィ フナキ」敷地内の舟木さんの生家があった場所には、元から郷土史研究会が建てて下さっていた看板が現在もしっかりと立てられています。
     
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    生家跡から名鉄尾西線の線路をはさんですぐのところに踏切があります、生家跡からも資料館がすぐ向こうに見えていますから、子ども時代の舟木さんにとっても遊びのエリアだったということになりますね。そんな場所に資料館ができたことは私たちにとってもとてもありがたく嬉しいことだと、あらためて感じました。ちょうど昼食時だったので、資料館の見学は、ちょっと後回しにして、駅から歩いて10分ほどのところにある鰻屋さんの「うお六」で昼食をいただきました。私のいただいたのは鰻定食の鰻ハーフ(鰻半尾分)
    お値段はとってもお値打ち価格で、お腹も満腹・・・こちらのご主人が舟木さんの同級生ということは皆さんご周知のことですから、萩原にお昼時に来られる舟木さんファンにはおなじみのお店ですね。
     
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    ROCK'N ROLLふるさと 作詩・作曲:上田成幸  
     
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    春の風ふわり 蝶の羽ひらり
    花の影ゆらり 昼寝の雲とろり
    迷い子のオタマジャクシ 
    そろり・・そろり
    ヒバリのラブシーン
    ピィロロ ピィロロ ピィロロ ピィロロ
    俺のふるさと愛知県
    濃尾平野のド真ン中
    学校サボって れんげの畑
    ハモニカ ピップッポー
     
    俺のふるさと愛知県
    一ノ宮からのりかえて
    単線電車で十二、三分
    その名も萩原町

    イメージ 17駅の正面 右折して
    徒歩で六分 つきあたり
    これこそオギャアとこのオレ様が
    お産まれになった 長屋
     
    春はつくしのおひたし
    夏はキュウリの生かじり
    秋空トンビも 年末(くれ)には夜逃げ
    ふるさとROCK'N ROLL
     
     
    俺のふるさと愛知県
    濃尾平野のド真ン中
    恋しさちらほら 想い出きらり
     
    ふるさとROCK'N ROLL
    ふるさとROCK'N ROLL
    ふるさとROCK'N ROLL
     
    ご自作の「ROCK'N ROLLふるさと」には萩原の四季の風景が盛り込まれていますが、秋から冬へ向かう今の萩原の風景をカシャッ!林檎が紅く色づき、たわわに実っていたり、咲き残ったコスモスがさみしげに風にゆれていたり・・・こんな風景を幼い頃の舟木さんも、見ていたのかなぁ・・と思いつつ、お腹いっぱいになって歩いていると、身も心も満足、満足で幸せいっぱいでした。
     
     
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    再び萩原駅から線路に沿って生家跡を左手に見ながら踏切を右に渡って資料館へ・・・
     
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    新聞記事にも掲載されていた舟木さんの「ROCK'N ROLLふるさと」が刻まれた歌謡碑が私たちをお出迎えしてくれます。歌謡碑の裏面は、こんな感じ・・・
     
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    残念ながら館内は撮影禁止なので、写真は撮れませんでしたが、私の手持ちの資料にも展示品をイメージできるかな?と思われるものが何点かあるので、せめて・・・という感じではありますが、ちょこっとアップしておきますね。左下の写真は生家の窓枠と舟木さんの写真で創られた展示品で、この特別展示の目玉ですね。右の方が郷土史研究会事務局の金子さんです。
     
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    一番古いものでは舟木さんの小学生時代のお写真もありました。資料館の管理とお世話をして下さっている金子さんともお話させていただきました。「舟木さんと萩原」に関する資料も、もっと増やしていければ・・と金子さんもおっしゃっていましたので、何か少しでも関わりのあると思われる資料をお持ちなら金子さんに御一報していただけたらいいのですが・・・
     
    入場は無料ですが、「カンパ」は大歓迎とのことですから、なんとかこの資料館の運営が続いていくようにひとりでも多くの舟木さんファンの方が訪れてくださることを願っています。
     
    入り口のところで、館内に展示されている写真など含めて、金子さんが画像をPCを使った画面で見せて下さいました。幼い舟木さん、デビューしてすぐにスターになって故郷に帰ってきた若き日の舟木さんなどに出逢える私たちにとって聖地?のような資料館です。
    いつかお忍びででも舟木さん御自身がこの資料館をのぞきに来られる日がきたなら、金子さんはじめ、御尽力下さった地元の皆さんも本当にお喜びになられると思います。
     
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    上の新聞記事の右上の中学時代の舟木さんのお写真が、とっても可愛くてまるで既にアイドルの兆しが見えるようで、私の一番のお気に入りの舟木さんでした
     
    資料館から線路を挟んで見える白いアパート「「ユニヴァリィ フナキ」が生家跡です。
     
     
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    新歌舞伎座「舟木一夫特別公演」初日開幕まで、あと十日ほどとなりました。
    ワクワク、ドキドキで、待っているのは私だけじゃないに決まってますよね。
    落ち着かないので、ちょっとだけ、第一部のお芝居「いろは長屋の用心棒」について、ちょこっとアップしてみよう~っと(笑) 原作は時代物の第一人者である山本周五郎氏。私としては舟木さんのお芝居で今回が周五郎の作品は初めて?というのは意外な気がしました。山本周五郎氏の作品世界と舟木さんとがなんとなく違和感なく感じられる私です。
     
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    ~いつものようにウィキペディアにお世話になります~
     
    山本 周五郎(やまもと しゅうごろう)
    1903年(明治36年)6月22日 - 1967年(昭和42年)2月14日は、日本の小説家。本名、清水三十六(しみず さとむ)。
    ペンネーム「山本周五郎」の由来として(他のペンネームとして、俵屋宗八・横西五郎・清水清・清水きよし・土生三・佐野喬吉・仁木繁吉・平田晴人・覆面作家・風々亭一迷・黒林騎士・折箸闌亭・酒井松花亭・参々亭五猿を用いた)、自身の出世作となった『須磨寺附近』を発表する際に本人の住所「山本周五郎方清水三十六」と書いてあったものを見て、文藝春秋が誤って山本周五郎を作者名と発表した説があるが、以前にも山本周五郎をペンネームとして使用していた形跡があり定かではない。
    しかしながら雇主であった店主の山本周五郎は、自らも酒落斎という雅号を持ち文芸に理解を持っていた。その為、周五郎を文壇で自立するまで物心両面にわたり支援し、正則英語学校(現正則学園高等学校)、大原簿記学校にも周五郎を通わせている。ペンネームにはそのことに対する深い感謝の念が込められていたと思われる。
    作風は時代小説、特に市井に生きる庶民や名も無き流れ者を描いた作品で本領を示す。
    また伊達騒動に材を求めた『樅ノ木は残った』や、由井正雪を主人公とした『正雪記』などの歴史小説にも優れたものがある。
    山本の小説に登場する人物は、辛酸を嘗め尽くし、志半ばで力尽きてしまうものが少なくないが、かれらに、生きる上でのヒントとなる、含蓄のある台詞を吐かせる、というのも山本の作風である。
     
    人情裏長屋 山本周五郎 新潮文庫 
    (解説 木村久邇典 より 一部転載させていただきました。) 
     
    イメージ 2山本周五郎は「庶民の作家」だといわれる。つねに日の当らぬ吹き溜まりに身を寄せ合い、なお一日一日の人生をまっとうに生きていこうとする最大多数のひとびとに、生理的とすら言える親近感を抱きつづけたのは、作者の出発点が長屋、借間であったことと無関係ではないように思われる。山本周五郎こそホンモノの長屋もの小説の書き手であった。長屋を背景にした山本作品の代表作は昭和三十七年の長編「季節のない街」であることは衆目の首肯するところであろう。~中略~「人情裏長屋」は筆名「折箸蘭亭(俺は知ランデー)」として発表された。浪人者のさわやかな子育て物語であるが、子供をお涙ちょうだいの枷としていなところに「子役」の使い方に対する作者一流の理念があらわされており、娯楽小説としてのふっきれた快さは作者の腕のさえによるものであろう。

    人情裏長屋「一 おちぶれて来る人の寄り場所」より、信兵衛さんのプロフィールっぽいものを少々・・・

    松村信兵衛に会いたい人は京橋炭屋河岸の丸源という居酒屋にゆけばいい。もし丸源にいなくっても、よそを捜すよりそこで待っているほうが早く会える。住居は木挽町一丁目の十六店という裏長屋であるが、殆ど寝るときのほかはいた例がない。・・と、云えばおわかりであろう。彼はいつも酔っている。浪人だということはたしかだし、これといって稼ぐ風もみえないが、年じゅう酒びたりのうえに相長屋で困っている者があるとよく面倒をみる。年はまだ三十になるまい。眼にちょっと凄みはあるが笑うと人なつっこい愛嬌が出て、子供たちにも「松村のおじさん」と人気がある。いつも垢のつかない着物を着て、髷も月代(さかやき)もきれいに剃っているから、素面(しらふ)のときはなかなか凛とした人品だ。初めは「さる御大身の息子」だとか「実は大名の御落胤だそうだ」などという噂まで立ったくらいである。
     
     
    全編でも文庫本で40ページ足らずの短編ですが、連続テレビドラマ風な軽いタッチの小見出しが「一から五まで数ページごとにつけられています。

    二 相手を立てて、それからの沙汰
    三 不幸は友を伴(つ)れて来る故事
    四 蕎麦は夜泣きの子も育つなり
    五 またたちかえるみな月の宵

    もちろん、原作そのままではなく、主人公である松村信兵衛という人物と裏長屋の住人たちの暮らしの匂いをモチーフにした人情の機微の世界をあらたに創り上げられるのでしょう。
    きっと「舟木信兵衛」の魅力が満載の「オリジナル」という意味で「いろは長屋の用心棒」というタイトルがつ
    けられているのでしょうね。
    出演者の方々の座組も、舞台芝居の世界の醍醐味を知り尽くした「多士済々」の俳優さんぞろいですから、上質の「娯楽人情芝居」が期待されますね。
    なんだか笑ったり泣いたり・・私としてはとっても忙しく無条件で自分の感覚を全開にしてパァ~ッと開放的に楽しめそうでわくわくしています。何しろゲラで人情ものには弱い私ですから既に原作を読んだだけでクスッ!としたり、ウルウルしたりしています。
     
    どアップの舟木信兵衛さんの妖しげな表情と手まねき・・・この流し目・・どうよ!(笑)
     
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    舟木さんが、この先も、どんなお芝居にチャレンジなさるのか考えると、結構、ひとりで妄想して楽しめます。私としては、池波正太郎さん原作の「剣客商売」の秋山小兵衛なんかは、これからの舟木さんにピッタリという感じがしています。何しろ早くに妻を亡くし、晩年になって40歳も年下の後添えをもらったという魅力的な男性ですから、今の舟木さんにこれほどピッタリのお役はないような・・・(笑)
    年輪を重ねて円熟した魅力と、一方で若い頃の輝きや可愛らしさを失っていない男の魅力を歌だけではなくお芝居のフィールドでもみせて下さる舟木さんにブラボー!ですね。
     
    もう、お稽古も軌道に乗って、着々と進んでいらっしゃるのでしょう。舟木さん初め、一座の皆さまがお元気で無事に初日を迎えられますことを心からお祈りしています。
     
     

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    酔ってSINGER~青春病大騒ぎ(1983年青山書房)
     
    イメージ 1舟木さんの自著「怪傑!!高校三年生」(1992)と「風来坊」(1999)は、手元にあるのですが、年代的に一番古いエッセー「酔ってSINGER~青春病大騒ぎ」(1983)は、なかなか手に入らず、舟友さんのご厚意でお借りして読むことができました。
    独特の感性と文体で魅力的な文章をお書きになる舟木さんの文才は、古くからのファンの方は後援会の「浮舟」や、なっといっても「WHITE」の世界で、十分に周知されているところだと思います。
    そんな舟木さんがまとまった形として初めて出された著書がこの「酔ってSINGER~青春病大騒ぎ」ということになるのでしょうね。コンサートのトークそのままのような自然体の舟木さんが、ここでも見えてきます。
    年令的には、三十代の後半という時期で、いわゆる「寒い時代」にあたりますが、「今」という地点から、ここに書かれている諸々の舟木さんの想いを読みとっていくと、この時代は舟木さんにとって、二十代には、吐き出す一方だった才能や力を、第二ステージへ翔くために、あらたに蓄積・充電する時期だったような感じを受けます。
     
    本の裏表紙は、舟木さんらしい、こんな装丁になっています。
     
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    全体の構成は7章に分かれています。6章の「THAT'S エピソード」から、何篇か抜粋してご紹介します。
     
    イメージ 2風来坊 PARTⅡ
     
    昭和五十五年十二月九日、午後十二時二十一分 体重3438グラム、身長52.5センチの健康なからだを授かって、野郎が一匹この世の中へ飛び出してまいりヤシタ。
    おまけに、オレと同じ申年の射手座。ご丁寧なことに、曜日まで同じ火曜日の生まれと言う、まったくもってジュニアもイイトコ。要するに、風来坊のPARTⅡ。
    だいたい、この野郎、オレの嫁サンを十ヵ月余りも占領した上に、難産の憂き目にあわせ、最後は切腹にまで追い込むとは親の仇も同然。
    「そのうち目イッパイ仕返しをしてやっから覚悟しろ」とニラミつけてやったんだけど、洟もひっかけずにグーグー寝てやがる。根負けしてこっちがダレて、仕様がないから向こう二十年は面倒みてやることにしたけど、シャクにさわるったらありゃしない。
    ちなみに、この野郎の名前は”純”。数えきれないほどの人たちの気づかいの中で生を受けるとは、何んとも幸せなヤツだと思う。もうあとは、結果的に母親になったオレの嫁サンに泣きをみせたり、元気に育つことを心配してくださっている皆さんに迷惑をかけるような人間にならなければ、他に何も言うことはない。
    オレのほうはどうせ生涯、風来坊に決まっている。オレはオレで、"純”は”純”。
    オレの歩く道に文句は言わせないし、”純”が選ぶ道に、口は一切出さない。お互い五分だ。

     
    イメージ 8高校野球
     
    夏なんだな・・・とオレが実感を持つのは、自然の変化もさることながら、高校野球だ。
    あのムードは、”青春真っ只中”以外の何ものでもないという感じで、実にいい。野球の好き嫌いに関係なく、大勢の人々が目と耳を向ける原因が、なんとなく判る気がする。最近はあれこれお金がかかりすぎているらしいというのがちょっと気になるけどサ。
    高校野球を見るたびにオレが想うことは、やっぱり何歳になっても、何事につけても一生懸命みたいなものは必要不可欠のものなんだナということだ。
    仕事は結果だ、とは言うものの、やはりその過程にはその人、その人のムードが欲しいなと思ったりする。
    生きることに”勝ち””負け”はつきものみたいに言われるけど、他人との比較で勝ったの負けたのよりも、その人らしい生き方、勝負の仕方が実はもっとも大切な事のような気がする。
    思いがけない”勝ち”がころがり込むこともあれば、全力を尽くして”一敗地にまみれる”こともたくさんある
    んじゃないだろうか。
    イメージ 9背伸びをせず、妙な劣等感など持たず、自分にできる限りでの夢を追い、相応に生きる・・・それも幸せの確実なひとつの形であることに違いはないような気がする。
    甲子園で優勝すること、それは彼らすべての夢だろう。その夢を頂点において、地区予選を初めとして一試合、一試合を戦い続けて行く。勝者があれば、当然敗者がある。けれど、他の何かを考えながらでは満足なプレイなどできないだろうし、ましてや勝者にはなれないだろう。
    とにかく夢中になること。それ以外に道はないし、そこに”勝ち”"負け”に匹敵する、いやそれ以上の何かがきっとあるはずだ。
    ・・・何かに懸命になる。そして、そのこと自体にかけがえのない愛しさを覚えるのはオレの若さだろうか。
    オットット、どうでもいいけど、”ちょっと”じゃなくやたら真面目な話になっちゃったみたいだナ・・・仏滅、仏滅。
     
     
    右衛門七討入り
     
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    例のNHKの大河ドラマに、計三回出していただいた。最初が「赤穂浪士」の矢頭右衛門七、二度目が「源義経」で平敦盛、そして三度目は「春の坂道」の駿河大納言忠長。
    なんでも、歌い手としては今のところ、大河ドラマ最多出場記録らしいが、なんたって初めての”右衛門七”がいちばんまいった。何がって、カツラがあんなに重いものだとは、そのときまで知らなかったもの。それにオレは鶴っ首ときてるから、当時十九歳のバカさながら、いや、くたびれた。
    おまけに時代劇のメーキャップ。”なんで男が壁塗りしたり、マスカラつけたりしなきゃいけないンだ”と内心エライ不機嫌大会。
    細かいことを書けば果てしなくあるけど、まァ、いろいろとあって小一年が過ぎて、いよいよクライマックス、場所は砧のオープンセット。いざ、本番。長谷川一夫さんの内蔵助を先頭に、四十七士はいでだちも勇ましく吉良邸目指してゴーイング。舟木クンの矢頭右衛門七は浪士中最年少のところへもってきて、討入り出演中もっとも新人だから、金魚のフンで最後方の大暴走。あンときは正直言って、少しプライドが傷ついタ。痩せても枯れても、オレは上田家ダントツの長男坊だぞ、オノレ。挙句の果てに短距離はグンバツに速いときてるから、四十六士を追い越して先頭の内蔵助をぶっちぎるコトなんぞ、いともたやすい。けど、それをやっちゃったんじゃ芸能界、生きて行かれないないかもしれないと、生活かけて懸命に思いとどまった。思いとどまるのに苦労しながら、吉良邸目指して駈け出した。刀の柄頭を指先でグッと支えて真っしぐら。
    イメージ 16~矢頭右衛門七散り行く花か 恋も知らない若い身で~レコードの歌詞に合わせて、カッコよく走った。なにしろカッコよくとしか考えてなかった。と・・・左足が何か硬いものを蹴っ飛ばした。振り向いてなどいられない。目指すは吉良の首ひとつ・・・血湧き肉おどったネ。
    ところが突然、どっからだかデッカイ声がして「カット、カット、カット、NG、NG・・・」なんだろうと思って立ち止まったら、ミキサーのオッサンがオレを睨みつけて、スゴイ顔して怒鳴った。「俺の鼓膜を破る気か!」。雪道の中に仕込んであった特大の集音マイクをモロに蹴っ飛ばしたらしいんだオレ、いや、矢頭右衛門七が。アホ。スカタン。自慢じゃないが、マイクを蹴っ飛ばして怒鳴られた赤穂浪士なんて。きっとオレが最初で最後だろうなァ。

    判ンない、判ンない・・・
     
    「学園広場」って歌があります。三人の女性コーラスがバックに入ってマス。一番の真ン中あたりを、よ~く聞いてください。本人ともども女性コーラスが、学園広場で肩組みあって、と唄っておりマス。よ~く聞いてみてください。ひとりだけ歌詞をトチってます。”で”を”え”とやってオリヤス。どういうわけかそれでOKが出たンで。一応ディレクターに伝えたら「判ンない、判ンない・・」このレコード、三ヵ月で七十万枚売れマシタ。
     
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    立往生  
     
    イメージ 14つい一、二年前、とある北国でミニ・コンサートの終了後、「オツカレサマ~」と裏口で待ってくれてるタクシーへ。乗っかろうとしたら、オレのシャツを後ろから引っぱって、「フナキさん、フナキさん」と、しゃがれた女性の声。「ハイ?」と振り向いたら、七十は間違いなく超えていて、細かいカスリの上にグレーの羽織をチョンと着たおばあちゃんがひとり。「何ですか」と向き直って顔を見たらおばあちゃん、ふわっとした深い眼でオレのこと見上げて、「大変だネ、アンタも・・・」不意打ちで意味が判ンなかったから、オレ言葉に詰まったら、続けておばあちゃん、「毎週、毎週、テレビでおンなじ歌、唄ってねェ」と、実に気の毒そうに言った。「銭形平次」のことだと、やっと判った。判ったらよけい言葉にツマっちゃった。立往生ってのは、きっとあれに違いない。けど、オレ、こういうおばあちゃん、最高に好きだ。

     
     
     
     
     
    ゼンマイ仕掛けのガキ大将
     
    イメージ 5「沖田総司」を演ったときのバカな話。見かけがこれだから、胸の病に悩む薄倖の剣士とくれば、オレが当然、総司でアリマス。こういう場合、その実体はとりあえず別でイイ。近藤勇は今は亡き花柳喜章さん、土方は、内田良平サンにやっていただいた。この良平サンってひとは、大先輩にもかかわらずつい内田さんじゃなく良平サンと、後輩のオレが今、実際に書いちゃってるぐらい気さくというか、ズンベラボウというか、ガキ大将の年くったのをプラモで作ってゼンマイで動かしちゃったような、バツグンに楽しいひと。さて、この芝居の中程の山場に、例の池田屋の斬り込みがあった。二階屋のセットを縦横に使っての大立ち回りの末、沖田が血を吐いて倒れる。倒れながらも、敵を斬る。主役だから、斬られる心配はまずない。斬り合いが続き、再度、沖田はせき込み、胸をおさえて用水桶のわきにくずれかかる。
    総司に駆け寄って、からだを支えながら、土方が緊迫した大声で隊士たちに叫ぶ。「オイ!誰か戸板を持ってこい、早く医者を呼んでこい。急げ!」客層はどっちかっていうと大半が総司の味方だから、心配しちゃって”シーン”その土方に向かって、総司が息もたえだえに言う。「大丈夫、土方さん、大丈夫です・・」血ィ吐いてブッ倒れてる奴が、大丈夫なはずがない。でも、この場合は大丈夫。良平さん、ある日気合いが入りすぎちゃったのか、ここでセリフを逆さに怒鳴っちゃった。「オイ!誰か医者を持ってこい、早く戸板を呼んでこい。急げ!」言われた隊士一同、笑いをこらえてソデへ駆け込んだ。客席もあっちでクス、こっちでゲラゲラで、とりあえずアウト。二人っきりに舞台がなって、喀血して苦しんでる総司の眼と口もとに、思わずこぼれる”地”の笑い。笑っちゃったもンは仕様がないけど、よしゃあいいのに台本にないセリフをテレくさまぎれにポコッと言っちゃった。それでも一応苦しそうなふりはしてた。苦しいのは確かだった。だって、肺病で死にそうな奴が、笑いをこらえてひきつってるンだから。「土方さん、戸板を呼ぶのも結構ですが、できれば医者を呼んでください。」これでほぼ、あのゴツイ良平さんの顔がモチャっとなった。どうせお客さんにはウケちゃってるし、ものはついでだと思ったから、悪ノリしちゃってとどめの一発。「ただし、まちがっても産婦人科は困ります」それにしても、なンちゅう時代劇だ、しかし・・・・・
     
     
    総司が行く 作詩:すずきじろう 作曲:山路進一
     
    イメージ 4明治座公演「沖田総司」主題歌(1973)
    アルバム「限りない青春の季節」収録
     
    草葉の上の玉露か・・・
    若き生命の灯がゆれる・・・
     
    人が怖れる三段突きは 
    沖田総司の剣の冴
    胸の病を知りつつひとり
    生きる”誠”の旗の下(もと)
     
    壬生の若獅子 一番隊の
    剣の鬼だと 風が言う
    笑い流して 京洛の夜を
    今日も総司の 影が行く
     
    二十余才の 生命の丈が
    小倉袴の裾に舞う
    孤剣ひとすじ 菊一文字
    ゆくは幕末 修羅の道
     
    舟木和夫
     
    イメージ 6触れないでおくのは何んとなく不親切な気がするので、「上田成幸」がどこで「舟木一夫」になっちゃったのかをカンタンに。名付け親は作曲家の遠藤実先生で、オレはその不肖の息子。「高校三年生」の譜面をもらったのが、1963年の一月十五日、成人の日。その譜面をもらいに行った一月十五日に芸名の話が出て、名付け親の師匠が半紙に「舟木和夫」と書いてくれた。見てお判りのように、「舟木和夫」ってのは全部、字がタテに細長い。えらくヒヨワな感じがしたから、「先生、これ、なんだかすぐ横倒しになりそうで、心細いですねェ」とオレ。師匠、紙を自分のほうに向け直して、「うん、そういえばそうだ」。何の気なしに「和を一にしたらどうですか」と言ったら、「ああ、それがいい」。で「舟木一夫」
    字はともかく、この「フナキ・カズオ」という名前は遠藤先生が、いつかこの名前で手塩にかけた新人をその手から巣立たせたい、と思っていた取って置きの名前だったそうだ。いい名前だと思う。
     
     
     
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    タイトルに「私のお気に入り」の前に「今の」とつけているのは、「昔のお気に入り」に対比させているのですが、その「昔」というのは、私の場合、舟木さんが「高校三年生」でデビューされてから「絶唱」までという短期間です。昨年の9月に「幸せな再会」を果たして以来、舟木さん歌唱の一般発売されているオリジナル音源は、ほとんど集めて聴いてみたのですが、記憶の糸をたぐってみても、やっぱりはっきりと印象に残っているのは「絶唱」までというありさまでした。「初恋」は私の好きな抒情歌系なので、例外的に聴き覚えはありましたが、同じ抒情歌系なのに「夕笛」は、あまり記憶には残っていなくて、その他の曲となると悲しいかな全く圏外なのです。
     
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    でも、改めて舟木さんのレコードやCDなどで当時は知らずにスルーしてしまっていた曲を何度も聴いていくうちに、ほんとうにたくさんの私好みのすてきな曲があることに気づいて夢中になりました。
    ちょっと、タイトルとズレてしまったので、軌道修正して「今の私のお気に入り」にもどしましょう。
     
    「今の」というのも、ちょっと曖昧な言い方ですが、乱暴に分けて言えば、舟木さんが30周年を機に、大きく巻き返しを図って快進撃が始まって以降の曲というアバウトな感じです。
     
    本日から三夜連続で一曲ずつ、年代順に「今の私のお気に入り」を紹介させていただきます。
    なぜだか、3曲ともB面なのですよね。私ってマイナー志向なんでしょうか(笑)
     
    めぐり逢う日を・・・  作詩:建石一 作曲:津村泰彦
    (1994年1月「ありがとうあなた」B面)
     
    イメージ 2もしも出逢いが あるなら
    お前に逢いたい この街
    ひとり悔むよ 別れを
    大人気(おとなげ)なかったと
     
    にわか雨 見上げる 裏通り
    しめった煙草が ほろ苦い
    恋のかたちは ひとつと
    言ってた言葉が ささるよ
    うぶなお前を 笑った
    俺こそ バカだった
     
    どこにいるのか 今夜は
    あれから飲んでも 酔えない
    きっと今なら 素直に
    心を 告げるだろう
     
    にわか雨 上がった 夜の街
    最後の煙草に 火をつける
    めぐり逢う日が 来たなら
    お前と見つけて みたいよ
    おとぎ話の つづきを
    二人で もう一度
     
    イメージ 4 
    にわか雨 見上げる 裏通り
    しめった煙草が ほろ苦い
    恋のかたちは ひとつと
    言ってた言葉が ささるよ
    うぶなお前を 笑った
    俺こそ バカだった
     
     
     
     
     
     
     
     
     
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    我が家の裏庭に咲いているさざんかの花
     
     
     
     

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