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舟木一夫さんをキイワードに無限大に広がるかも知れないブログです

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    楽しみに待っていた新歌舞伎座の一ヶ月公演も過ぎてみれば本当にあっという間に千秋楽を迎えてしまいました。わが町、桑名は、ちっぽけな地方の小さな市ですが、歴史だけは古い町なので昔から、近鉄のイメージ 1特急電車が停車する駅です。わが家から駅までは10分弱。新歌舞伎座は上本町駅の目と鼻の先ですから、気分的にはドアtoドアでも、ほぼ2時間なので、特急料金さえかからなければ毎日でも通いたいところでしたが、結局は予定通り大阪通いは計4回で10公演拝見しました。地元大阪近辺のファンの皆さんは、連日連夜・・という勢いの方も少なくはなかったと思います。また、遠方にもかかわらず、何度か足を運ばれた方も多く、本当に舟木さんの吸引力というのは計り知れないものがあるのですね。今さらながらビックリです。
     
    イメージ 2遠方といえば、新歌舞伎座企画の特別イベントとして「5回観劇記念・特製カレンダー」をgetした人の中から、千秋楽のコンサートのプログラムのちょうど真ん中あたりで、カレンダーと引き換えに回収されたスタンプカードの山の中から舟木さんご自身が直々に引き当てたカードの人に、サイン入りの信兵衛さんの特大パネルが当たるという趣向があったのですが、なんと舟木さんが引いたのは北海道からいらした方でした。なんだか、こんなことひとつとってみても遠い北海道からのお客様が当選なさったのですから「うらみっこなし」の結果になってさすが舟木さん(笑)大変結構でした。舟木さんが、住所を「北海道の・・」とおっしゃった時の会場も、みんな納得!という雰囲気でした。
     
    イメージ 8千秋楽の前日の21日の朝、最後の大阪入りをしました。昼と夜、千秋楽は昼だけの一回公演でしたので、都合、三つの公演をまとめてみるというタイムスケジュールです。元々、私は若い頃から関西暮らしが長くて、三人の娘たちもみんな関西育ちです。長女と次女は大阪府内に住んでますから、お宿代はかからないというありがたさ(笑)そんなわけで長女にも今回は初めて舟木さんの舞台を観てもらうことができました。トークの内容は全く理解できなかったようです(笑)それは仕方ないでしょうね。なにせ「チェッカーズ」世代ですから。でも、舟木さんの姿の良さにビックリしてました。・・・笑ったのは「お尻が締ってて堅そう!」という感想でした。「どこ見てんねん!」と大阪の母娘のノリのいい会話を想像してみて下さい(笑)
     
    確かに舟木さんの後ろ姿のカッコ良さはとても古希間近とは思えませんね。その長女のところの二番目の子どもで「高校三年生」の孫娘にパンフレットを見せたら「むっちゃイケメンのおじさんやん!」まずは上々の感想をいただきました(笑)そして、大学一年の男孫にも「○○くんくらいの年の時から、ずっとファンのおばちゃんたちが、今もいっぱいいるのよ」と教えたら「へぇ~ッ!それはスゴイ!」・・と言ってくれました。
    さて、お茶の間談義の報告はこのくらいにして・・・
     
     
    お芝居 いろは長屋の用心棒  21日昼と21日夜
     
    お芝居なので、全体としては、大きく変わることはないのですが、舟木信兵衛さんのはじけっぷりが毎回の楽しみになっています。毎回、毎回こうもよく次から次へと、湧いてくるものかと思うほど、バリエーションがあるのは舟木さんが、人を笑わせることに貪欲であることの証明ですね(笑)サービス精神でもあり、またご自身が「笑い」のセンスにとても敏感で、「笑い」を楽しめる力にあふれているのだと痛感できました。
     
    二組のカップルがいい感じになって、ひとり取り残された信兵衛さんが凹んで云う毎回変わるセリフ・・・
    ~死にた~い!長屋の横の水たまりに身を投げて・・・だけど鼻の穴を擦り剥くのが関の山・・~
    ~なじみの釣り堀に身を投げて死んでやる・・鮒と一緒に「信兵衛杯」でも・・(泳ぎの競争するという意味?)
    イメージ 9
    めでたく二組のカップルが結ばれる宴の席で、へべれけに酔っぱらった信兵衛さんがうつろな目で倒れ込みながら・・
    ~昼は「ぼく、・・・変・・・」~ そして、「♪酒飲むな、酒飲むなのぉご意見なれどぉ、ヨイヨイ」と唄う場面で「ちょっと唄の文句間違っちゃった・・」(笑)
     
    ラスト墨塗りのお顔は
    ~昼はキツネさんのような可愛いヒゲを書かれてました。夜はほっぺたに渦巻きみたいな・・
     
    ラスト、花道の方に向かって酔っぱらって歩く、歩き方が絶妙に可笑しいんですけど、それでもどこかやっぱり二枚目なのは、「姿」がいいからなんでしょうね。どんなに、汚しても汚しても「汚なくはならない」のがとっても不思議ですよね。

     
    コンサート 21日昼  ピンク文字は舟木さん
     
    オープニング~
    想い出通り
     
    三日に初日を開けさせていただいて中日だなぁ・・と云っているうちに明日千秋楽となりました。ちょっと早いですが、どうもお世話になりました。今日は唄の文句を間違えましたが、まぁ、酔っ払いですからね(笑)
    昔の映画の娯楽時代劇は、現代語も使ってる部分がありました。ヘタをするとカタカナ語も出てくる、そうでないと時代劇と言うのは、パターンが少ないですから・・今回のはそういった時代劇というところで・・
    イメージ 10
     
    北国の街
    花咲く乙女たち
    友を送る歌
     
    こうやって、色々といただきものをしているのですが・・と昔、玉置さんから「君ほどたくさんプレゼントをもらう歌い手はみたことない・・」と言われたことや、プレゼントの受け取り方の作法、テクニック・・など、いつものトークのあと、「これもひとつの芸」・・と笑わせて・・・69才になったワケですが、なんのかのと言いながら、日は明け、夜は暮れていくわけですが・・と「高校三年生」時代の曲を並べたブロックへのつなぎとして「明日咲くつぼみ」を今の時代、こういう歌がヒットしてくれるといいのかなぁ・・・なんて・・などと紹介して歌へ

    明日咲くつぼみに
    高校三年生
    修学旅行
    学園広場

    のどかというかおおらかというか・・流行歌は時代をピンポイントで背負って流れていく・・ラララ、汽車はゆ
    く、汽車はゆく♪
    ・・と歌いつつ今の修学旅行との様変わりなどを話されて・・「プラットフォーム」を僕らの頃は「プラットホーム」と唄っていた。今はステージでは「プラットフォーム」と唄ってますが・・とおっしゃったので、帰ってから、各時代の音源をチェックしてみました(笑)
    確かにデビュー盤オリジナル音源は「プラットホーム」です。10年目過ぎたあたりから「プラットフォーム」に聴こえてきます。15周年記念の再録音版では明確に「プラットフォーム」と歌っていらっしゃいます。でも、先輩の方の歌を唄うときには、そのまま「プラットホーム」と唄うそうです。こんな小さなことも舟木さんが話題を提供してくださると、しっかり確認してみたくなるんですよね(笑)
    これも、よくトークで出てくるお話ですが、西條八十作詩の大ヒット曲「侍ニッポン」~これは舟木さんが若い頃に明治座でこの曲で歌われている「新納鶴千代」役を演じられたゆかりのある曲~で、これを最初に歌った歌い手さんが、レコーディングで「にいろつるちよ」ではなく「しんのうつるちよ」と唄ってしまい、それが音源となったので、今も、どなたが唄う場合も「しんのうつるちよ」と唄うんです。
    これは、有名な話ですね。西條先生は「これは僕が悪いんだよ、レコーディングの時に行かなかったから・・」と・・後に、このことをたずねた舟木さんにこう答えられたそうです。
    この手の隠れた流行歌の裏話的なお話も、私にとっては舟木さんのステージのトークならではの楽しみです「人を斬るのが、侍ならば・・♪」とアカペラで唄いつつ、バンドがないとオンチなんです・・とチャッカリ笑いをとりにいく舟木さんが私は大好き
     
    昔の時代劇と(主題)歌は、きってもきれない・・いい歌がたくさんありますが、これはダントツによくできた名曲・・と紹介して・・
     
    銭形平次

    イメージ 11御祝儀の手ぬぐい撒きが終わって・・第一部のお芝居の立ち回りの後のひとことをここでも使って・・「あぁ、またこれしきのことで、息が切れた・・」と言いつつ、お芝居の「厠侍(かわやざむらい)」を演じてる橋蔵さんのご子息丹羽貞仁さんの話題と、橋蔵夫人の言葉などで笑わせて・・暑いからいやいや着ますが・・とお着替え。
    ここで私は、あれれ???と思いました。17日までは、ここではピンクのジャケットに着替えていらしたのですが、なんとアンコールの時のベージュ~ある舟友さんが「たけのこ色」とおっしゃてました(笑)~に変わってました。19日の「貸切」の日に行かれた舟友さんによると、この日には変わっていたとおっしゃってました。私が17日に拝見した時は、変わってませんでしたから18日か19日から変わったようですね。
     
     
     
    初恋
    絶唱
     
    こういう歌はもう、できない・・・昔のようにはっきりした四季がないと、特に四行詩の歌は難しいです、作る
    方も、歌う方も・・素晴らしい世界観ですねと・・

    イメージ 12私は、今回の昼の部のコンサートで「絶唱」がフルコーラスで聴けるのが最大の感激でしたが、この日が最後のチャンスでしたから、いつも以上に期待してワクワクしてました。中日の前後に少し喉をいためられたのでずっと心配だったのですが、この日の「絶唱」は私的には、それまで5回聴かせていただいたのよりダントツにいい「絶唱」だったと思いました。久々にうるうるしてしまいました。やっぱり「絶唱」は私のナンバー・ワンだ!とあらためて思いました。
     
     
    お芝居でもコンサートでも大詰めはどういう風に終わるか、それを最初に考えます。今回のラストブロックは青春という季節の中でも特にキュッと詰まった部分・・間違いなく外せないのは初めての恋・・

    東京は恋する
    高原のお嬢さん
    眠らない青春
     
    イメージ 13
    若々しくのびやかな舟木さんの声が完璧に戻ってきていて、69才なんて思えないほど、ほんとうに素敵な「初めての恋」の世界を届けて下さいました。

    アンコール~
    哀愁の夜 五番付き
     
    緞帳が再び上がり、ピンクのジャケットの舟木さん登場。ピンクのジャケットにブルーのライトがコントラスと
    なって舟木さんの魅力を引き立てていました。オーラスのジャケットはやっぱり鮮やかな色合いがインパクトがあって演出上はいいのかも知れませんね。
     

     
     
    コンサート 21日夜
     
    イメージ 14オープニング~
    くちなしのバラード
     
    哀愁の夜
    北国の街
    高原のお嬢さん
     
    「その人は昔」のテーマ
     
    高校三年生
    学園広場
     
    舞:林啓二/長谷川かずき/川上彌生/真木一之
    ~童謡をモチーフにした可愛らしい踊りです~

    京の恋唄
     
    絶唱
    夕笛
    恋唄
     
    右衛門七討入り

    イメージ 15火消し若衆
    喧嘩鳶
    銭形平次

    ~アンコール
    浪花の歌ごよみ   

    今回の公演は十回拝見しましたが、昼の部のコンサートは6回、それに引き換え、夜の部のコンサートは初日とお誕生日だった12日と前楽のこの日だけでした。初日は、なんだかソワソワしてて、12日は舟木さんの喉の具合が気になって・・・などなどでしたので、この日は、ひたすらボーッと舟木さんの歌の世界に浸りきろうと決めてましたが、絶好調の舟木さんの歌唱にボーッとしすぎて、トークの時も舟酔いをしてましたので、トークそのものというより私の印象に残ったことや感想を主にまとめて記載します。
     
     
    夜の部は前半が「学園広場」を唄いながら、花道のすっぽんに消えていくという趣向です。前半は、白のスリーピースに黒のシャツ、胸には赤いバラ、そして、後半は、色変わりに挿入されている楽しい「舞」が終わると、花道のすっぽんから渋い髭紡ぎの着流しで舟木さんが再び登場します。
     
    イメージ 3前半のオープニングのあとは、いつものようにご挨拶。そして、「哀愁の夜」からメドレーになります。「北国の街」から、プレゼントタイムになって「高原のお嬢さん」・・ここで一段落してトーク

    三っつとも全部マコちゃんと一緒でした。昔はポッチャリして可愛かった・・・今は・・・と親愛の情をこめた「マコちゃん」との近況などお喋りして、同級生とはちょっと違う、けど青春時代に一緒に頑張って仕事をした特別の仲間という感だとおっしゃる舟木さん。多分、当時はお二人とも目の回る様な忙しさの中でそれぞれの頑張りを認め合いながら、若いなりに一生懸命仕事に向き合っていらしたのだろうと察しられます。だから今は、冗談を言い合っていても通じ合えるいい関係ができているんでしょうね。いつもながら、あたたか気持ちになれる「マコちゃん」とのエピソードです。
     
     

    そして、前半の聴かせどころは、なっといっても「その人は昔」のテーマでしょう。
     
    イメージ 4内藤洋子ちゃん・・・彼女は16才・・僕は・・といいつつ○○年前だからと全く計算の合わないジョークで煙に巻いて笑いをとる舟木さん。でも、歌に入ると、カンペキに二枚目になって、私たちをあの美しい映像の世界に連れて行ってくれるのです。百人浜の荒れた海から轟くような波の音が迫ってくる中、舟木さんは「その人は昔 海の底の真珠だった・・♪」と清らかで哀しい少年と少女の愛の物語を「語り」はじめます。
     
    ナマのステージで「その人は昔」を聴いたあと、私は、家に帰って必ず、CDのアルバムで「その人は昔」のオリジナル音源を聴きたくなります。当時の舟木さんの声は、もちろん若くて初々しい美声ですが、今の舟木さんがステージで歌われる声のような幅の広さや奥行きの深さという点では、やはりかなうはずもありません。
    タイトルが「その人は昔」ですから、今思うとこういうタイトルがつけられたことは、今のよう後年、舟木さん
    がステージで歌唱されることを意識して作られたのだろうかとつい思ってしまうほど、今の舟木さんの声と表現力で聴けることの幸せを感じてしまいます。もちろん、舟木さんのどんなヒット曲もそうなのですが、私としては「絶唱」と「その人は昔」は特にそういうことを感じさせる不朽の名曲であるように思われるのです。
    年輪を重ねた歌唱でこそ、聴く人の心に訴える力を持つタイプの曲であるという意味でこの二曲は、単にヒット曲という枠組みを超えて共通した力を持っている名曲だといえるでしょう。
     
    イメージ 5人として成熟した魅力にあふれた舟木さんが歌うことで、「ラブソング」を超えたさらに格調高い「人を恋うる唄」として凛とした存在感を放っているのですね。50年近い歳月を経て、若い舟木さんが若い声で歌ったのとはまた別の想いを彷彿とさせてくれる「大人の恋唄」となって、いいトシをした私の心に沁み入ってくることが私には何より感動的です。
     
    そして、「若駒の たてがみつかみ いらだつ海の向こうを みていた 胸をはって♪」と、オリジナルとは違って最後は高く歌いあげるのは、よりドラマチックなクライマックスのステージ曲としての演出スタイルとしてその効果を存分に果たしていると感じます。歌い終わると、くるりと美しい背中をみせた舟木さんのシルエットが浮かび上がり・・・すべての音が消えると再びくるりと客席を向いて・・・またしても二枚目返上(笑)
    まぁ、ざっとこんなところで・・とこんなにテレ屋さんの舟木さんの昔の映画のラブシーンとかを撮り終わった直後のリアクションって、どんなだったのか知りたくなります(笑)さぞかし、二から三へのヘンシンぶりは早かったんじゃないかと(笑)
     
    僕らの頃から歌い手が主演になった映画を撮るようになった・・と・・・三橋(美智也)さんや春日(八郎)さ
    んも映画には出てましたが、あまりしゃべらない役・・まあおふたりともなまりがあったから・・僕らはテレビ
    世代ですから・・でも、やっといて(映画の仕事を)良かった。いい経験をさせてもらった。

    イメージ 6後半は、「京の恋唄」がプレゼントタイムで、その後、抒情歌が三曲続きます。最初の二曲は西條八十の詩・・・たまたま、気づいたんですが、お千代姉さん(島倉千代子さん)が亡くなって、西條先生作の持ち歌を歌えるのは僕ひとりになった・・・西條八十の歌を唄う最後の歌い手なので、今後は大切にしてやって下さい。たまたまそうなっただけのことなんですが、ハ・ハ・ハ・・と豪快に笑いながらおっしゃりつつも、「昭和の流行歌」を担ってきた最後の歌い手であるという舟木さんの自負と、責任感と、また幸福感が、その言葉にはギッシリ詰まっているように感じたのは私だけではないはずです。
    抒情歌の三曲目は自作詩の「恋唄」・・八十の作品と並べても全く違和感なく文学性にあふれた詩の世界観はさすがです。デビュー前の中学、高校時代から文学やことに詩歌にはとても興味がおありでよく本も読んでいらっしゃったようですから、その蓄積はまだ二十代の頃の詩作を拝見しても、十分にうかがわれます。
    不思議なんですが、昭和45年から(きっちり年を限定なさってるのはなぜ?)ぷっつり日本的な世界を唄う歌がなくなった・・ともおっしゃったのが印象的でした。舟木さんが「流行歌の世界」の行き詰まりを感じ始めて「歌うことへの情熱を失い始めた」という時期が、この昭和45年あたりということなのでしょうか?などと考えながらこの「昭和45年」という年に思いを馳せてしまいました。

    イメージ 7夜の部のラストブロックは和物(日本調)の曲、「赤穂浪士」のオープニングテーマをアカペラで歌い、長谷川一夫さんの大石蔵之助のセリフのモノマネまでサービスして下さっての「右衛門七討入り」をフルコーラスで・・この日の昼の部の「絶唱」フルコーラス、そして夜の部の「その人は昔」のテーマと並んで、前楽のこの日の舟木さんの歌唱は私が聴けた中での一番最高の「右衛門七討入り」でした。いつも感じますが、舟木さんは尻上がりに好調になる印象があります。ということは、持久力がハンバじゃないのでしょう。
    ・・ということは・・さらに云えば、まだまだ歌い続けることができるワケです。55年目以降も、まだ「舟木一夫」は歌い続けているような予感がします。
     
    アンコールは賑やかに「浪花の歌ごよみ」(正確な字はどう書くのか不明です)私的には「浪花の唄ごよみ」にしたい(笑)夜の部のご祝儀の手ぬぐい撒きは、このアンコールの曲を歌いながらでした。

     
    ~千秋楽のお芝居とコンサートについては、後日に~
    明日から上京しますので、アップは27日くらいになるかもしれません。

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    イメージ 2

    イメージ 3

    イメージ 4

    イメージ 5

    2013年のラストコンサートも無事に終わりました。


    舟木さんは、3日前までの新歌舞伎座公演の疲れも全く感じさせないパワーと笑顔と素晴らしい歌声を届けてくださいました。

    携帯からなので取り急ぎコンサートの曲目だけアップしますね。2部制です。
    衣装は和服もジャケットもステージ用ではなく普段着とのことです。


    PART1 45分
    チャコールグレーのアンサンブルの和服長襦袢、帯、羽織の紐は淡いグレー、下駄、足袋は濃紺かチャコールグレーかな?


    オープニング~
    恋唄


    あゝりんどうの花咲けど


    夕月の乙女


    あゝ荒城の月かなし

    一葉舟


    ふたつちがい


    初恋


    夕笛


    恋人形


    旅人の唄


    浮世まかせ



    PART2 65分

    ジャケットはスタンディング前はグレー、スタンディングの後は赤煉瓦色、アンコールは青みががったグリーンと三色の色変わりで、黒のシャツに黒のパンツ。
     
     
    オープニング~
    東京は恋する


    センチメンタル・ボーイ


    くちなしのバラード

    北国の街


    花咲く乙女たち


    スタンディング~
     田舎の教会
     君よ振りむくな


    明日咲くつぼみに


    あゝ青春の胸の血は

    修学旅行


    仲間たち


    君たちがいて僕がいた


    高校三年生


    学園広場



    高原のお嬢さん


    絶唱


    哀愁の夜(四番付)


    アンコール~
     想い出カフェ・オ・レ
     たそがれの人

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    もう、新歌舞伎座の千秋楽から5日も経ってしまったんですね。本当に、2013年の師走は、文字通り舟木さんを追っ掛けて走り続けの一ヶ月だったようです。舟木さんはご自身は勿論ですが、舟友の皆さまもお疲れさまでした。
     
    イメージ 1
    さて、やっと千秋楽公演のご報告をさせていただくのですが、何だかもう忙しすぎて霞の彼方に・・・(笑)
    多くの舟友の皆さんが既に、それぞれのブログで詳しく、また楽しいご報告を届けて下さっていると思いますので、ここでは、私の覚書メモ程度になりますが、簡単にご報告をさせていただきます。

    第一部 いろは長屋の用心棒
     
    恒例の千秋楽の「お遊びたっぷりのお芝居」は、舟木座長の独壇場です(笑)、まあ、いたずらっ子のように、共演者、おひとりおひとりに、「公平に」あの手この手の仕掛けをする舟木さんが可愛いったらありません。その「お遊び」にお付き合いくださる、共演の俳優さんたちも、既に舞台上で「打ち上げ」気分でノリノリでいらっしゃるのを拝見していると、この座組のチームワークの良さをあらためて感じました。
     
    では、舟木信兵衛さんの「いたずらメモ」から抜粋して・・・
     
    イメージ 2
    いつもは、居酒屋「丸源」の衝立の向こうから箸立てが飛んできてから、信兵衛さんが、握りこぶしを突き出して、蟹さんのハサミのようにチョキに変えてから登場するのですが、その箸立てが、ひとつではなく、三つも飛んできました(笑)高利貸の三河屋に雇われた借金取り立てのならず者の鮫吉役の原口さん始め、子分たちも「いったい、いくつ飛んでくるの?」という表情(笑)
     
    しかも衝立の後ろから登場した信兵衛さんは、顔に墨塗りしたように黒いシールを貼ってます。いつもなら、ラストの場面で墨塗りされるのに、もう最初っからこの有様・・
     
    そして、姉上役の葉山さんが初めて舞台下手から「信兵衛、信兵衛はいずこに?」と登場するときに下手までチョコチョコ走りで走って行って「書き割り塀」の陰に隠れて、シールを付けたままの顔を出す・・
     
     
    ヨミアサ瓦版屋の桜木さんが犬に吠えられて逃げてきた体(てい)で舞台に登場する場面では、下手から四つん這いになってワンワン吠えながら信兵衛さんが登場しました(笑)
    さらに、桜木さんの芸歴を暴きつつ「あっ、オレより長いことやってるんだ・・先輩、どうもと急に低姿勢に
    なる信兵衛さん
     
    イメージ 9
    場面は変わって、いろは長屋。下手から登場する信兵衛さんですが、いつも携帯している扇子~これは張り扇で三河屋の手下の鮫吉の原口さんが一番の標的です(笑)でも、時々信兵衛さん自身も張られてます(笑)~が、ボロボロに破れてました。細かな小道具にも仕掛けをなさるんですね。そして、セリフを喋りかけてから「あ、いけねぇ、飴出すの忘れてた・・」と口から飴玉を出してもうひと押しする舟木さん(笑)

    またまた、姉上の葉山さんに仕掛け…「ヨメ取りを」しつこく迫る姉上が苦手の信兵衛さん、葉山さんの声を聞きつけて逃げるはずの場面なのに「姉上に会うのは久しぶりだからなぁ・・」と座布団を用意して、葉山さんの登場を待つ信兵衛さん(笑)・・台本では、もうそこにいないはずの信兵衛が座布団出して拍手で迎えてるのを見た時の葉山さんのお顔がなんとも「どうお芝居したらいいの?」という感じで絶妙(笑)
    その葉山さんに座布団を勧めつつ、やおら、お二人のお付き合いのなれそめを、思い出話のように話し始める信兵衛さん。~昭和41年に初めて新歌舞伎座で共演した時からのお付き合い…あの時拙者は○○才、姉上は二つ上…「喜びも悲しみも幾歳月」で子役をした時は何歳でしたかな?・・葉山さんはとても素直ないい方ですから「七つです」と・・桜木さんも先輩、葉山さんはさらに先輩と、またしてもうやうやしく葉山さんに、頭を下げる舟木さん。葉山さんのお年がバレてしまいましたよ。
     
    イメージ 10舟木さん、これは「張り扇もの」です!葉山さんに「張り扇」を渡してあげたくなりました(笑)
    それにしても葉山さんは若くて綺麗すぎですね。ビックリしました。舟木さんより二才くらいは年下かと思ってました。結果としては、葉山さんが、どれほどお若くてお綺麗かということの証明になったわけですね。
     
    そして、信兵衛さんは、またしても例のシールを顔のあちこちに貼っては、はがして位置を変えるけど段々粘着力がなくなって落ちてしまいます・・そのうちに、あんまり面白くないからコレやめよう」…と最後はシ
    ール貼りは断念する舟木さんでした(笑)
     
    イメージ 11
    折笠道場の場面では、師範代の榎本さんとの手合わせをなかなかやめず、いつまでも続けるのでバテる榎本さんに「もっと足腰鍛えなきゃ駄目だよ!」といたずらっ子のような目で、カツを入れる信兵衛さん。榎本さん、お疲れ様でした(笑)
     
    三河屋のなべさんが登場して、お客さんを「花」に見立て、この「花」もみんな、あの浪人が歌を聴かせて、育み、そだてた・・・などなど、台本とは、あまり関係ないアドリブで出番を引っ張ってるところに、舞台下手から、フツーに出てきて、なべさんの前を通り過ぎながら「長いぞ!」とひとこと云って、す~ッと上手袖に引っ込む信兵衛さん
     
    イメージ 12「厠侍の」謙之輔役の丹羽さんが幕の降りた舞台を下手から上手へセリフを言いながら歩いている、後ろからなぜか無言で、信兵衛さんが雪駄でなく、楽屋スリッパみたいなのを履いたまま出てきて、丹羽さんの後ろからトコトコとついて引っ込む・・ただそれだけのことなんですけど、この手のナンセンスな笑いがわたしには一番のツボです

    終盤の婚礼の宴の場面では「高砂や」をこともあろうに「絶唱」のメロディで歌う信兵衛さん…白無垢の綾香さんを見て小雪とのあの悲しくも感動的な「葬婚」の場面を思い出したんでしょうか・・それにしても、ここで、私にとっての聖域である「絶唱」をかぶせるなんて、本当になんてことするんでしょうね。これも「張り扇もの」です!(笑)
     
    私の好きな場面、へべれけに酔いつぶれ倒れ込むところでは、うつろな目で「きたぁ~ッ!・・南、西・・東」(笑)
     
     
     
    最後に顔に墨塗りされる場面は、千秋楽だからでしょうかおめでたい「朱墨」まで入って二色刷になった舟木さんのお顔です「なんだか顔がむずかゆい、へ~ぇくしょん!!」(笑)
     
    共演の俳優さんたちもそれぞれに、千秋楽バージョンのセリフなどの趣向で大いにはじけて、笑わせてくださいました。あぁ、楽しかったぁ!
     
     
     
    第二部  千秋楽 コンサート
     
    イメージ 13千秋楽のコンサートもお芝居と同じように、特別バージョンで、それまでとは全く異なったセットリストです。
    持ち歌でも、通常はあまり聴けない曲や、持ち歌以外の曲がほとんどですから、とにかく全身を耳にして・・という感じでした(笑)舟木さんの歌声や、歌詩を聴きとるのでエネルギーを使い果たして余韻にひたり、トークの時にはいささか脱力してましたから、ぼんやりした部分も多いのですが、印象に残ったところだけを御紹介します。
     
    千秋楽のコンサートは、ステージ中のプレゼントタイムは設けていなくて、開演前に舟木さんが幕前に私服で登場して、一気にプレゼントを受け取っていきます。この日は、黒の丈の長めのシャツに同系色の綿(?)のパンツに黒のシューズ、胸にはペンダントというスタイル。
    10分ほどかけてすべてのプレゼントを受け取る舟木さんですが、やはり身体をかがめて受け取るので腰に負担がかかっていらっしゃるようです、時々腰をトントンと叩いたり、伸ばしたりしていらっしゃいます。見ている分には、どちらかというと一気に受け取る方が負担がかかるように感じます。歌いながら受け取るのも大変ですが、同じ姿勢を続けるのではなく、プレゼントを受け取るのと歌うのを一定のリズムと間隔で交互にする方が、むしろ腰には負担がかからないのでは・・・と思います。
    これからは、試行錯誤で、プレゼントの受け取り方は舟木さんに肉体的な負担があまりかからない方法を考えていただくといいのかなと、千秋楽だけは感じました。

    イメージ 14ちなみに、以下は、25日の新橋演舞場のシアターコンサートのパンフレットで舟木さんが、大倉明さんのインタビューに答えていらっしゃるものです。
     
    大倉:来年末は古希、70歳です。プレゼントタイムは今まで通りで大丈夫ですか(笑)
    舟木:最近、ワンステージやると下半身に来ているなという感じもありますが、全然大丈夫。もっとも、この間DVD見てたら、やっぱり踏ん張ってるのね。~以下略~

     
     
     
     
     
     
    さて、千秋楽の舟木さんのステージ衣装。藍色のスリーピースに白のシャツ、胸にはクリーム色のバラ、ゴールドのペンダント。

    オープニング~
     友よ
    3日に初日を開けさせていただいて、おかげさまで、今日が千秋楽。今日は例によって歌詩カードを置いてやるんですが、この字の大きさが、アブナイ・・もう2、3年したらワンコーラスずつ分けなきゃならない(笑)
                                                        1970年代初め頃の舟木さん↓

    イメージ 15遥かなる草原   1971年
     
    明日に向かって走れ! 1973年
     
    よみがえる夜明け   1972年

    ステージのテーブルの上に置いてある、カップを手にしつつ・・いつもは、麦茶なんですが・・飴湯にしてみました・・と一口飲んでみて・・これは薄いぞ!もう少し濃くしてよ・・と舞台の下手へもっていく(笑)
          
    今回のお芝居みたいなのはいいんですが、若いとき、明治座で「荒城の月」という滝廉太郎のお芝居をやりました・・胸の病になってだんだん悪くなって、最後は、はぁはぁ・・て感じで花道を人力車に乗って・・そうなると本当に身体の調子が悪くなってくる・・病は気から・・お芝居も気から(笑)

    次は船村先生の世界を・・・と二曲
     
    さいはての月
     
    さいはての月は銀色 
    凍りつく夜の深さに 
    思い出がゆれて泣いてる
     
    さいはての月は銀色
    いつまでも待つと言ってた
    あの人の ここはふるさと
    ・・・・・・・・・・・・・・・・

    イメージ 16星の夜北へ帰る
     
    作詩は関沢新一先生なんですが、ひょっとすると関沢先生は満州かどこかでお生まれになったのかな・・と北海道も広いですが、駒というのは馬のことで、「駒を止める」というのは馬に乗って旅をしている・・ということだから、もっとスケールの大きな風景じゃないかと・・・
     
     
    ~以下もよろしければ併せてご参照下さい~
     
    http://blogs.yahoo.co.jp/ycmay26/68052714.html  ←気になる曲があります/「星の夜北へ帰る」
     
    http://blogs.yahoo.co.jp/ycmay26/68763614.html   ←関沢新一氏について
     
    イメージ 3~公開抽選会~
     
    ここで新歌舞伎座から、5回分のチケットでスタンプを5個ためたら信兵衛さんのいろんなポーズの写真の「特製カレンダー」がもらえるのですが、そのカレンダーをもらった人の中からひとりだけ、信兵衛さんの特大パネル~もちろん舟木さんのサイン入り~が当たるという抽選会がありました。舟木さんが結構、ボックスの底の方から引き当てた方は、北海道の方だそうです。おめでとうございました!「星の夜北へ帰る」という曲の後だったから、なんだか暗示的でしたね。
     
     
    ~大阪の歌を・・・と~

    大阪の女(ザ・ピーナッツ カバー 1970年)

    宗右衛門町ブルース(平和勝次とダークホース カバー 1972年)

    大阪しぐれ(都はるみ カバー 1980年)
    ~アルバム「どうしているかい」音源収録(1981年)~

    浪花盃(五木ひろし カバー 1986年)
     
    浪花恋しぐれ(岡千秋・都はるみ カバー 1983年)

    このイントロが始まった途端・・あのセリフも聴けるの!?と期待感が膨らみましたが、ラッキー!きっちりセリフ入りでした。やったね!あの「高校三年生」のハイトーン・ボイスだった舟木さんが、こんなドスのきいたセリフがビシッとキマるような渋い声になるなんてねー(笑)

    そりゃ わいはアホや 酒もあおるし 女も泣かす
    せやかて それもこれも みんな芸のためや
    今にみてみい! わいは日本一になったるんや
    日本一やで わかってるやろ お浜
    なんやそのしんき臭い顔は
    酒や! 酒や! 酒買うてこい! 
     

    五つ目の季節に
     
    あなたのこと 思い出しています 
    あの日知った 5つ目の季節の真ん中で
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    別れの訳を 本当のことを
    教えてほしい 
     
    ピエロの晩秋(あき)
     
    うすい夕暮れの街の灯りは 
    とりとめもなく窓にばらけて どこか人待ち顔
    待てば もどる人 待ちわび
    あれから 私 笑えないピエロ
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    うらまずに生きてください
    気にせずに生きてください
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    幸せになってください
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    ひとりできるのは 祈ること 願うことだけ
     
     
    「浪花恋しぐれ」で上方の落語家の象徴とも云うべき初代桂春団治の世界を歌ったあとに、こんな曲を置くのが、これまたニクイ演出です。舟木さんのレパートリーの広さというか、「万華鏡」の魅力を見せつけます。御自作の上記の2曲は1980年代の作品のようです。私は音源では聴いてはいて、その詩がとても印象に残っていましたが、今回、初めてナマで聴くことができて本当に感激でした。なかなか通常のコンサートではめぐり逢えない曲ですから、超ラッキー!

    イメージ 17七年くらい前に演舞場で「鶴八鶴次郎」を演ったあと、疲れがひどくてもう最後かな・・と思った。その後また少したって初めてやった時はしんどかったけど、今は大丈夫です!この分だとあと20年くらいは・・客席から大きな拍手・・・○○才・・んなワケないだろ!(笑)
     
    よく家族とファンとどっちが大切か・・なんてことをいわれますが・・そんなのね・・同じに並べられるものではない・・舟木一夫としてステージで歌っている以上は・・・
    そのあとの言葉は、はっきりとは聞こえなかったのですが、「秘すれば花」でしょう。そんな野暮なことを訊ねる人が今でもいるんでしょうか(笑)舟木さんがやおらこんなことをおっしゃったこういった次元のことは、今さら確認するまでもないでしょう。私が舟木さんのトークの一番好きなところ、人間性を感じるところは、すべてを語らないところです。聴き手が、それぞれに想像力をふくらませる余白を持たせる、あのお喋りこそが「舟木一夫」そのもの「秘すれば花」の魅力なのです。
     

     
     
    そして最後の二曲は、初演の「野口雨情ものがたり」(新橋演舞場1997年八月公演)で、歌われた曲2曲。
     
     
    ~以下もよろしければ併せてご参照下さい~
    ↑今の私のお気に入り・その2 第二夜「最後の恋」

     
    風、好きに吹け~迷夢本望
     
     
    アンコール~
     大阪ラプソディー
     
     
    曲の途中、舞台の両袖からお芝居の共演者の皆さんが登場、全員で御祝儀の手ぬぐい撒き。なんと三階席まで届いた手ぬぐいもありました。この千秋楽の前日の前楽・夜の部の終演後に、舟友の皆さんとご一緒した「カラオケ・オフ会」でも歌った「大阪ラプソディー」が最後にとびだして、大阪ならではの明るさに満ちた長期公演の幕となりました。大盛況だった新歌舞伎座公演、舟木さん、本当にお疲れ様でした、そして、大成功おめでとうございました
     

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    イメージ 1大阪新歌舞伎座公演の千秋楽12月22日から三日目、移動日も含めわずか2日あとの25日は、新橋演舞場でのシアターコンサートでも、絶好調の舟木さんの歌声とトークを楽しませていただきました。
    今年は歌舞伎座の十二月大歌舞伎公演で「仮名手本忠臣蔵」の通し狂言や、国立劇場では、新作の「主税と右衛門七」がかかっていることもあり24日から上京して先ずは、一日、歌舞伎を楽しみました。
    イメージ 2国立劇場の「主税と右衛門七」については、もちろん、舟木さんの右衛門七さんがらみで、また後日、ちょっとだけご紹する予定です。24日の歌舞伎観劇後、夜はいつも通り、私の好きな浅草で宿泊。翌日は、朝早く起きてまず浅草寺界隈を散歩して、駅前で朝カフェをしてから、泉岳寺に向かいました。もちろんお目当ては右衛門七さんの眠るお墓に決まってます(笑)
    新歌舞伎座公演の初日には京都祇園の辰巳大明神に公演の成功と一座の皆さま方の安全を祈願してきましたが、二度目に新歌舞伎座に行った、ちょうど舟木さんのお誕生日の前の日に喉の調子が良くなかったので、これは大変と、大阪の福島の「浄祐寺」の右衛門七さんのお墓にも祈願に行きました。どうやら右衛門七さんのおかげで御利益があったようで舟木さんはその後、メキメキと回復なさって翌日のお誕生日の夜あたりから、いつも通りのお声がもどってきました。さて、その右衛門七さんへのお礼をするには・・と考えました。もう、これしかありません(笑)泉岳寺の右衛門七さんのお墓に御礼参りをする!
    考えてみたらなぜか「忠臣蔵」大好きな私としたことが一度も四十七士のお墓参りに行ったことはなかったんです。きっと浄祐寺にお参りしたご縁で、右衛門七さんが泉岳寺まで私を呼び寄せて下さったんですね。
    イメージ 7浅草から都営浅草線で30分足らずで泉岳寺に到着。駅から目と鼻の先でした。ここは平日でも結構お墓参りをする人がたくさんいるようです。忠臣蔵の四十七士というのは、リクツ抜きに日本人の心に何か響いてくるものがあるのでしょうね。
    泉岳寺で右衛門七さんのお墓にお線香をあげて、御礼も含めていろんな気持ちを込めてお参りをすませて東銀座に向かいました。写真を撮ったり、チケット売場の裏手のお稲荷さんにコンサートの安全と盛況をまたまたお願いしにいったり・・うろうろしているうちに開場となりました。
    イメージ 8
    久しぶりの二部制のシアターコンサートで、前半と後半の間に35分の休憩が入りました。
    前半が45分、後半が65分というトータル110分・・実際はもうちょっと長かったです~舟木さんの歌とお
    喋りがたっぷり聴けるのですから、本当に贅沢な時間なんですよね。最初から最後まで一緒に時間を過ごせるんですから、ファンにとってまさに「至福の時」なのです。

    ちょっとズボラして、昼と夜のトークをまとめて記載します。ごちゃまぜで申し訳ありませんが想像力をはたらかせて解読してくださ~い!
    ピンク文字が舟木さんのトーク部分です
     
     

    PART1 45分
     
    イメージ 9チャコールグレーのアンサンブルの和服。長襦袢、帯、羽織の紐は淡いグレー、下駄、足袋は濃紺かチャコールグレーかな?

    オープニング~
    恋唄
     
    なんだかんだと言ってるうちに一年も終りということで・・クリスマスなのにデートもせず、よくこんなところに(笑)・・ジョーダンはともかく、年末のお忙しい中、お時間を割いていただいて本当にありがとうございます。
    パンフレットに構成が一応載ってますが、一部、コロッと変わってしまいました。よく僕らは「声をとっておく」という言い方をしますが、今日は今年最後ですから残ってる声を全部出しちゃいます。なくなってしまった日本の四季、その情というか風景を並べてみました。

    あゝりんどうの花咲けど
    ↑舟木さんの曲 昔の私のお気に入り(よろしければご参照下さい)

    夕月の乙女

    イメージ 10あゝ荒城の月かなし 作詩:石本美由起 作曲:遠藤実
     
     
    約束もない恋ならば また会うことも かなうまい
    しあわせいずこ 荒城に 春高楼の 唄哀し
     
    みどりの髪に 矢絣の 紫似合う君はなく
    崩れて残る 荒城に おもかげ草は 今も咲く
     
    月日はうつる人の世に 変わらぬ姿 月ばかり
    待つ人もない 荒城の 草笛さびし 恋哀し

     
     
     
     
    一葉舟
     
    一葉舟の色彩をイメージさせるようなグリーンのライトが舟木さんを照らし出します。
    大阪での一ヶ月公演からまだ二日ですが、まだどっかに疲れが残っているんですが、千秋楽は今日という感じで思ってました・・・ついに69才になりました。あっという間に時間が過ぎる・・皆さんの前でこうやって歌わせていただけるのは過分な幸せですから・・四の五の言えるものじゃないですから楽しみながら・・・
    和服は日本の男の子の普段着でしたが、最近はあまりみられない・・素足に下駄・・小さい子・・お孫さんに下駄履かせるといいですよ。幼年期、少年期の5月から10月くらいのいい季節に履かせると、身体のバランスがよくなります。小さなお子さんの下駄履きを推奨する舟木さんでした。おっしゃる通りですね。舟木さんもお孫さんには是非下駄を履かせてあげてね!(笑)
    デビューして日本調の曲を歌うようになると和服を着るようになったんですが、わからないから任せていたらひどいんですよ、出てきたのが・・桜吹雪、松に鶴・・オレは花札じゃない!(笑)雀が飛んでたり・・オレは竹藪か!(笑)真っ白な地に紫の唐獅子牡丹・・着てて気持ち悪かった・・でも流行歌手というのはこういうものを着るのかな・・と・・「絶唱」の時から「選ばせてくれ!」と、それで、やっと入れ墨みたいな着物から解放された(笑)

    ここで単独で置いたのは48年ぶりに歌います・・レコーディングしただけ、新吾十番勝負の四曲入りEPに入れた歌です・・今、歌ってみると色気のある歌なんですが・・中年、老年?になるとサラッと歌えてまたいい・・間違わずに歌えるかどうか・・

    イメージ 11ふたつちがい

    ふたつちがいはふるさとの人
    川の流れに 想いをこめて
    そっと別れを 告げた夜
    郡上の八幡出てゆくときは
    雨も降らぬに 袖しぼる
     
    祭り囃子に浮かれた夜に
    月と一緒に 踊ってたのは
    君の袂の萩の花
    踊ろ踊ろうよ 祖師野の宮で
    四本柱を中にして
     
    ふたつちがいはふるさの人
    待てばまたくるふたりの祭り
    櫓囲んで 手拍子とれば
    唄もつづくが踊りもつづく
    月の明るい夜もつづく
     
     
    いい歌でしょ、軽くて・・ホントは音頭系なんですが、このテンポでおちついて歌うと色気があっていい曲でし
    ょ。「月と一緒に・・君の袂の萩の花」こんな歌詩は今どき出てこない。西沢先生の「右衛門七節」の「おしゃらく雀」は「おしゃべりな」という意味・・だったり、もうこういう詩が書ける人はいない。
    抒情歌中の抒情歌を・・と「初恋」から「恋人形」

    イメージ 12初恋

    夕笛

    恋人形
     
    「恋人形」はいつも申し上げるのですが「音源」がない・・ステージでしか歌っていない。舟木さんには御自作のいい歌が本当にたくさんあるので、レコード化・CD化されてない「音源」のないものがいっぱいでもったいないし、手元におけないのも残念です。
    日本の四季の風の香りが吹いてくる・・こういう歌をほったらかしにしとくのは歌が可哀そう・・新曲だ、新曲だってキャンペーンやってるうちに終わっちゃう・・自分の持ち歌の中で若い頃には歌いこなせなかったものを掘り起こして歌っていきたいという舟木さんの「歌に対する敬意と愛しみ」のような言葉が強く感じられました。
    私自身も全く同じ想いでいましたから、舟木さんのこの言葉をお聴きしてとても嬉しく、その感性にさらに共感し、やっぱり、私の思ってる通りの歌い手さんだと感動しました。どこまでもついていきま~す!
    ブルースが好きで歌い手になりましたが、例えば「たそがれの人」・・この曲は20才の頃ですが、その時、40才くらいの大人にならないと歌いこなせないと思った。そういう感覚が20才で持てること自体がタダものでない証拠ですよね。
    「うまいへた」ではなく「響き」ですね。非日常・・こうして劇場に足をはこんで下さって、面と向かってる人
    に聴いていただく・・そういう想いがないと歌が可哀そう・・新しい歌を歌えばいいってもんじゃない!
    そうきっぱり言い切れる舟木さんのカッコよさったらありません。歌への熱い想い、強い愛を感じました。
     
    旅人の唄 作詩:野口雨情 作曲:中山晋平
     
    西條先生が野口雨情を大好きでした、そういう歌を・・と言われたので「船頭小唄」かと思いきや、まさかの「旅人の唄」でした。この曲はライブアルバム「舟木一夫リサイタル~秋に謳う・76」に収録されています。
     
    舟木さん歌唱のものがyoutubeにはありませんが、中山晋平作曲の以下のようなメロディーがつきます。
     
    イメージ 13山は高いし 野はただ広し
    一人とぼとぼ 旅路の長さ
     
    かわくひまなく 涙はおちて
    恋しきものは 故郷の空よ
     
    今日も夕陽の 落ちゆく先は
    どこの国やら 果てさえ知れず
     
    水の流れよ 浮寝の鳥よ
    遠い故郷の 恋しき空よ
     
    ↑「ライブアルバム・1976年舟木一夫コンサートより」 
    こちらもよろしければご参照下さい。

    浮世まかせ
     
    この曲は舟木さんが40周年を記念して作られたもので皆さんお馴染みですね。おそらくこれは舟木さんご自身も自信作として自負なさっているのではないでしょうか。私は勿論大好きです。これ以上の作品は、そう簡単には生まれないような気もするほどの詩も旋律も素晴らしい名曲だと思います。パープルのライトがこの曲には似合うなぁと思いました。本当にいい曲は十年前の作品でも、何度聴いても飽きることがないのですね。新曲の乱発などより、こうしてじっくり名曲を歌い込んでいっていただきたいです。
    私は、そういった境地にある数少ない歌い手である舟木さんだからこそ大好きなのですから。
     
     
    PART2  65分
     
    イメージ 14ジャケットはスタンディング前はグレー、スタンディングの後は赤煉瓦色、アンコールは青みががったグリーンと三色の色変わりです。そして、黒のシャツに黒のパンツ。胸のバラはなしでした。
     
    オープニング~
    東京は恋する
     
    二部で~す!・・わかってらぁ!となんだか二部のスタート早々にひとりツッコミする元気いっぱいの舟木さん。一部の和服も自分の普段着なんですけど・・一応、昨日全部、今日のステージ衣裳を出したんだけど、それを手伝ってくれた人も帰ってしまって寝ようとして電気消して真っ暗になってから、なんか明日はちょっと違うな・・・・そういうことしょっちゅうあるんですね。あしたはステージ衣装じゃなくもっとラフな感じで歌いたいなぁ・・この演舞場というところは、すごく落ち着くんですよ。なんとなく、ただぼお~っと歌うことが好きなヤツが出ていって、歌を聴くのが好きな人にむかって歌いたいなぁ・・と思って。今日は二部とも全部普段着で・・なんとなくのんびりと・・とそういう気分になってくるお年頃なんでしょう(笑)
    ・・というワケで、この日の色違いのジャケットは全部舟木さんの普段着だそうです。でも、舟木さんの普段着は、あくまで舟木さんの普段着であって決して私たちのイメージする普段着ではない!(笑)

    センチメンタル・ボーイ

    くちなしのバラード

    北国の街

    花咲く乙女たち

    イメージ 3二部の方は、今年やったコンサートをまとめながら構成してます・・・とプレゼントのお花や紙切れなどの小さなゴミをこまめに拾いながらトークもするという働きものの舟木さん(笑)こうしてゴミが落ちてるのがどうかしたはずみに目に入ると気になって歌詩を間違えちゃうから、掃除は早めに・・・(笑)
    「センチメンタル・ボーイ」から「花咲く乙女たち」まではプレゼントタイムです。今年最後のコンサートということもあり、後半のプレゼントタイムの学園ソング系の曲数もいつもより多くて、最後はやっぱりプレゼントがたくさんすぎてテーブルには載りきらなかったです。
    衰えも含めて声の変化があります。コレ、変わるからいいんですよ、見た目だけ変わってるのに声は変わらないというのは気持ち悪い!どこまでいっても「うまいへた」の問題ではない。そこに立って2.3曲歌ってるだけでいいよ・・ってそんなところまでいきたい。そうなるとステージ15分(笑)そういうものを「獲得」できれば・・「そういうものを獲得できれば・・」と確かに舟木さんはそうおっしゃったように私には聞こえました。もし、確かに舟木さんがそう言われたのであれば、その境地を既に舟木さんは、少なくとも舟木一夫ファンから確実に「獲得」されていると言いきってもいいのではないのでしょうか。あるいは、流行歌手としての舟木一夫は大衆からもそう認知された立ち位置に既に立っていらっしゃると言ってもいいかもしれません。さらに・・一部の話をつなげていけば、最近の自分のVTRとかDVDとか見てますとね、声の変化・・もともとのキイにこだわる人がいるんですが、その時の声のキイの響きのいいところを歌う・・変化していくのを楽しんでくれる方も・・今年の2月にあと5年やろうと決めたばっかり・・69才になったばっかり・・こんな「ばっかり」って(笑)来年は70才・・それからあとは数えない・・(笑)質を落とさず量を減らす・・声は出し惜しみしてる場合じゃない・・やれるうちにやっとかないと・・・パワー全開の舟木さん・・スタンディングに・・(笑)
     
    イメージ 4スタンディング~
     田舎の教会
    (ジングル・ベルのメロディもちょっと入ってたようでした)
     君よ振りむくな
     
    新歌舞伎座のときはご祝儀の手ぬぐいでしたから、サインボール打ちは久しぶり。それだからか、舟木さんはとにかく力いっぱい遠くへ遠くへと打ち込んでました(笑)演舞場の三階席まで何球も届いてたようです。一階の方はご不満だったかも・・(笑)数年前までは、「入り待ち」の方に全部サインしてた。何百枚も・・ある時から疲れるなぁ・・となって握手だけになった・・歌い手と握手したところで・・ねぇ・・二年くらい前に待ってるファンの方で具合が悪くなった方がいて・・年をとってくると真冬、真夏、階段、風邪・・この辺に気をつけていただければ・・(笑)ジャケットを赤レンガ色に着替えながら・・・これも私服ですよ。普段もこんなの着てるんですよ。還暦すぎたからいいんです!(笑)・・・私ひとり暑い!でも仕事ですから・・仕事というより稼業・・ご自分でカギョウと言って気づいたのか、またしても「カ行変格活用」などどボソッとダジャレを言ってしまう舟木さんです。まぁダジャレひとつとってみてもアカデミックで知性的です(笑)どこまでも笑いをとりにいこうとするそのアグレッシブな精神が若さのヒケツでしょうね(笑)

    イメージ 5明日咲くつぼみに

    あゝ青春の胸の血は

    修学旅行

    仲間たち

    君たちがいて僕がいた

    高校三年生

    学園広場

    定番とは言うものの、この辺の歌はこの時代の名曲、歌い手も作曲家にも運があって、僕のデビューが遅れていたら、遠藤先生とは出逢っていない(遠藤先生は、二年後にミノルフォンへ移籍された)長くやっているとお客さんにきれいごとを言ってても仕方ない。例えば、今日は機嫌がワルイ・・パチンコで負けたから・・とか今のトシだから言える・・お客様もトシとってきたから「あ・うん」の呼吸が生まれてきた。舟木一夫という歌い手はとても幸せなヤツ!(さらにトシを重ねても)歌える歌だけを歌っていく・・拍手・・ここで拍手が自然に起きることこそがまさに「あ・うん」の呼吸ですね。
    来年入ってすぐに南座、中日劇場・・遠藤先生の七回忌スペシャルをやってみようと・・その辺から徐々に「日本の名曲」~アカシアの雨がやむとき、川は流れる、王将、お富さん、ゴンドラの唄、荒城の月など古典も・・再来年ぐらいから・・もう再来年のハナシしてますが(笑)あと5年て自分で区切ったところでふっきれた。こういうハナシは縁起が悪いとかいう人もいますが、そうじゃない・・僕のおばあちゃんは魚が好きだったから親父に魚を供えて・・と言っていた、親父はやってましたよ。親父は葬式はどんちゃん騒ぎしてくれイメージ 6と・・だから、やりましたよ!
     
    やっと青春というもののすばらしさ、愛おしさがわかってきたというところなんでしょうね。名曲の中からさらにチョイスしてラブソングタイプの中から・・まったく違ったタイプの映画の主題歌三曲並べました。

    高原のお嬢さん

    絶唱

    哀愁の夜(四番付)
     

    アンコール~
     想い出カフェ・オ・レ
     たそがれの人
     
     
    2013年の締め括りのステージでは、舟木さんの歌声も、そして熱い想いも、十分すぎるほどに、胸一杯に受けとめることができました。来年もさらに「阿吽の呼吸」で舟木さんと少しでもたくさんの時間を御一緒できればこんな幸せなことはありません。
     
    今年の私のブログは、これで最後となります。また、年の明ける頃に新年の御挨拶ができればいいのですが、なにせ、小さい孫たちが大晦日からやってきますので怒涛のような年末年始になりそうですから、やっぱりムリかな?まぁ、それも幸せなことです。
     
    申し遅れましたが、今年の3月からこの日記を掲載し始めてから、十ヶ月足らずですが、クリスマスイブに5万件を超えるご訪問数になりました。ご訪問いただきました皆さま、また、いつもあたたかなコメントをお寄せいただく皆さまに心より御礼を申し上げます。
    来年も舟木さんにとって素晴らしい年になりますこと、また多くの舟友さんと、楽しい舟旅を続けていけますことを心から祈念して御挨拶とさせていただきます。
                           
                                 れんげ草の咲くさんぽ径 ~ 舟木一夫の世界   春日局より

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       明けまして おめでとうございます
     
        舟木さんにとって また舟友さんにとって 
       
          2014年が幸せ多い年になりますよう
    イメージ 1
     
    皆さま、良い元旦をお迎えのことと思います。
    新しい年の幕開けは、私の地元桑名の揖斐・木曽・長良の三川の河口から昇ってくる「初日の出」の画像を皆さんに御紹介したいと思っていたのですが、残念ながら当地の「初日の出」の時刻のお天気は雨模様でした。天気予報を気にしつつ、初日の出の時間が7時1分ごろというので、きっちりアラームをセットして起き、外に出てみると、案の定、ポツリポツリ・・と小雨が降っています。それでも、万が一・・・・とあきらめずに10分ほど歩いていくと、向こうから帰ってくる人もチラホラ・・・さらに、あきらめずに河口へ向かいました。
     
    もう、あきらめたのか、お帰りモードの人、「どうしよっか?帰る?」・・なんて相談し合ってる人、三脚をセットして東の方をにらみつけてる人・・・
    私は、先ずは住吉神社にお詣りしてたら、なぜだかわかりませんが、雨もパラついてるのですが、「きっと初日の出は拝める」という根拠のない想いが湧いてきたので、堤防の一番先っちょの方まで歩いていきまた。
     
    イメージ 2すると、なんだかうっすらと東の空に紅をさしたような明るさが見えてきました・・・時間は既に7時15分くらいでしたから、水平線よりちょっと上の方に上がってましたが、間違いなく「初日の出」です。逃してはならじと、携帯カメラにおさめ、あれこれ欲張ったお願いをしてめでたく、「初日の出拝み」は大成功でした。
     
     
     
     
     
     
     
    イメージ 3ちなみに昨年2013年の「初日の出」も御紹介しておきます。
    本来なら、こんな風に見事な「初日の出」を拝めるのです。
    ですから今年は、去年のと比べたら、ショボイです(笑)
    でも、今年、日の出の時刻に顔を出してくれたのはほんの2、3分でしたから、そのタイミングできちんと拝めたのは、ラッキー!・・・と、どこまでもプラス志向の極楽トンボの私です(笑)
     
    まだ、舟木さんの写真が出てませんね・・すみませ~ん!
    あまりお正月関連の写真が手元にありませんが、ちょっと並べてみます。
     
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     昭和41年・・・デビュー3年目くらいの頃の舟木さんと自筆の  「明けまして おめでとう」です。達筆ですね
     
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    お馬さんに、乗ってる舟木さん。「その人は昔」でも
    乗馬の場面がありました、敦盛も乗ってました。
    舟木さんの乗馬の腕前は、どうなんでしょう?
    御存じの方教えてくださ~い!
     
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                       亡き父の作品。切り絵の寿午です→
     
     
     
     もう一枚、ちょっとボケてますが・・お正月モードで
     
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    今年も、私たちの大切な大切なお宝である舟木さんと一緒に元気で楽しい「舟旅」ができますように・・・「宝舟
     
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    イメージ 1「明けまして おめでとう」から、もう、お正月「三が日」が過ぎようとしています。三重県桑名市の私の地元では、元旦と、二日は、お日様の御機嫌もイマイチでしたが、今日は、青空が広がって気持ちの良いお天気となりました。
    長女と長女の娘(早く言えば孫娘)と一緒に散歩に出かけて、新年の風景をちょっと携帯カメラにおさめてきました。さて本日のテーマは・・・とアレコレ思い巡らしていて、今の季節にピッタリな舟木さんの歌はどれかな?・・・と思いつき、私の好きな「北風のビギン」がいいなぁ・・・と
    作詩はどなたかしら?・・・と歌詩を確認していたら、昨年末のコンサートのトークでも話題に出ていらした西沢爽氏でした。それで西沢氏の作詩による舟木さんの曲をひろってみましたらシングル盤では14曲見つけました。もちろん舟木さんの曲のうちダントツにたくさんの詩を創っていらっしゃるのは丘灯至夫氏です。二番目が先に拙ブログでも御紹介した関沢新一氏でした。そして三番目に多くの作詩をなさっていらっしゃるのが西沢氏です。
    例によって、ウィキペディアにお世話になって調べてみると、西沢爽氏のお誕生日が1月9日とのこと・・・これもグッドタイミングということで、西沢氏についての豆情報も添えて氏の作詩による曲のリストアップをさせていただきます。
     
     
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    西沢 爽(にしざわ そう、本名、西澤 義久(にしざわ よしひさ)
    1919年(大正8年)1月9日 - 2000年(平成12年)7月19日)は、日本の作詞家。
    東京府出身。1954年(昭和29年)から日本コロムビアの専属となり、島倉千代子「からたち日記」、美空ひばり「ひばりの佐渡情話」、「波止場だよ、お父つぁん」、「東京ワルツ」、「さすらい」など数々のヒット曲を世に送り、戦後の大衆音楽に多大な影響を与えた。
    1974年(昭和49年)休筆を宣言し、作詞活動の第一線から身を引く。その後、中世以降の歌謡曲研究に専念し、「日本近代歌謡史」、「雑学歌謡昭和史」などを著した。「日本近代歌謡史」で文学博士号(國學院大學)取得。日本音楽著作権協会理事などを務めたほか、1982年(昭和57年)紫綬褒章、1994年(平成6年)勲四等旭日小綬章を受けた。2000年7月19日、敗血症のため東京都内の病院で死去。 81歳没。

    イメージ 12西沢爽氏の作詩による舟木さんのヒット曲です
    *( )内は作曲者名
     
    1963年(昭和38年)11月
    仲間たち(遠藤実)
    歌をうたっていたあいつ
    下駄を鳴らしていたあいつ

    はるかなる山(遠藤実)
    さみしいときは 憧れた
    はるかなる はるかなる
    山を越えてゆこう
     
     
    イメージ 71964年(昭和39年)1月
    ああ青春の胸の血は(遠藤実)
    溢れる若さあればこそ
    未来に向かいわれら立つ

     
    夕月の乙女(遠藤実)
    面影あわく しのばせて 
    ポプラにかゝる 夕月よ
     
     
     
     
     
    イメージ 81964年(昭和39年)9月
    青春の大阪(和田香苗)
    いとしい君と 思い出の
    小径に植えた 小さな木
    http://www.youtube.com/watch?v=nD4Qm73OQjI 
     
    1964年(昭和39年)11月
    右衛門七討入り(遠藤実)
    ふりつむ雪を血に染めて
    四十七士の鬨の声
     
    右衛門七節(遠藤実)
    江戸の娘はおしゃらく雀
    一目惚れじゃと またさわぐ
    http://www.youtube.com/watch?v=Zxt7nGXPeCM
     
     
     
    イメージ 91965年(昭和40年)6月
    あありんどうの花咲けど(遠藤実)
    さみしく花に くちづけて
    君は眠りぬ 永遠に

    待っている人(遠藤実)
    遅れちゃ悪い すまないと
    夜学を終えて 急ぐ僕
     
    1966年(昭和41年)1月
    ふるさとの乙女(遠藤実)~山のかなたに」のB面
    逢えなくなれば 心まで
    いつかは 遠く なるだろか
     
     
     
    1968年(昭和43年)1月
    北風のビギン(和田香苗) 
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    1969年(昭和44年)7月
    ああ桜田門(船村徹)
    剣じゃ斬れない 天下の流れ
    知っていながら おれは行く

    恋のお江戸の歌げんか(山路進一)
    好きなあなたは 深川育ち
    木場の木よりも 気が多い
     
     
     
    イメージ 111974年(昭和49年)1月
    寝顔(遠藤実)~「旅路」のB面
    おまえの寝顔の ほつれ髪
    そっとなおした おれの指 
     
     ウイキペディアによれば、1974年(昭和49年)休筆を宣言し、作詞活動の第一線から身を引く。とありますから、この曲を作られた頃が西沢氏の作詩家としての最後のお仕事をなさっていた頃にあたるのでしょうね。そして、この年あたりから舟木さんも、それまでとは違った意味で歌と向き合い、歌い手としての新たな旅路という第二ステージに入っていかれたんではないでしょうか。
     
     
     
    北風のビギン  作曲:和田香苗
    (A面は「くちなしのバラード」1968年(昭和43年)1月
    http://www.youtube.com/watch?v=rVMmH7mvt6U 
    ~舟友のkazuyanさんの抒情あふれる美しい雪景色の動画でお楽しみください~
     
    イメージ 13北風にむかって 僕は叫んだ
    君の名をそっと 思いをこめて
    北風にむかって 僕は叫んだ
    どこまでも僕と いっしょにおいで・・・
    見つめあう瞳に 燃えてる愛の火よ
    頬よせてゆこうよ ああ この道を
    北風にむかって 僕は叫んだ
    春が来るごらん あの山越えて
     
    北風はつらいと 君は泣いたね
    こごえてる指を あたためた僕
    北風はつらいと 君は泣いたね
    黒髪が風に むせんだあの日
    今日からは僕たち ひとりじゃないんだよ
    かなしみの涙は ああ ふりすてて
    北風はつらいと 君は泣いたね
    春が来るごらん あの山越えて
     
    北風にむかえば 勇気がわいてくる
    この腕に可愛い ああ 君がいる
    北風の彼方へ 歌ってゆこう
    春が来るごらん あの山越えて
     
     
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    西沢氏は昭和を代表する多くの偉大な歌い手の皆さんの名曲もたくさん手がけていらっしゃいます。
    下記に御紹介する2曲は舟木さんもステージでとりあげて下さっていますので、あらためて御紹介します。
    私たちの世代から上の方たちには、日本の流行歌の最高峰として記憶され、心に沁みる名曲として生き続けていますね。

    からたち日記  作曲:遠藤実
    (2014年2月 南座 シアターコンサート二部 「遠藤実スペシャル~七回忌を偲ぶ」歌唱予定)
    http://www.youtube.com/watch?v=KZDgd9p0xI0 (島倉さんの歌唱)
     
    イメージ 14こころで好きと叫んでも 
    口ではいえず ただあの人と
    小さな傘を かたむけた ああ
    あの日は雨 雨の
    小径(こみち)に白い ほのかな
    からたち からたち からたちの花
     
    (セリフ)
    幸福(しあわせ)になろうね
    あの人はいいました
    私は 小さくうなずいただけで
    胸がいっぱいでした
     
    くちづけすらの 想い出も
    のこしてくれず 去りゆく影よ
    単衣(ひとえ)の袖を かみしめた ああ
    あの夜は霧 霧の
    小径に泣いて 散る散る
    からたち からたち からたちの花
     
    (セリフ)
    このままわかれてしまってもいいの
    でも あの人はさみしそうに目をふせて
    それから思い切るように霧の中へ消えてゆきました 
    さようなら 初恋
    からたちの花が散る夜でした
     
     
     
     
    イメージ 15からたちの実が みのっても
    別れた人はもう帰らない
    乙女の胸の 奥ふかく ああ
    すぎゆく風 風の
    小径にいまは 遥かな
    からたち からたち からたちの花
     
     
    (セリフ)
    いつか秋になり からたちは 美しい
    金色の実がたくさん実りました
    今日もまた私は一人この道を歩くのです
    きっとあの人が帰ってきそうな
    そんな 気がして・・・
     
     
    ひばりの佐渡情話  作曲:船村徹  
    (2013年6月30日 新橋演舞場サンクスコンサートで歌唱なさいました)
     http://www.youtube.com/watch?v=-5vKe_3sBes(ひばりさんの歌唱)
     
    イメージ 3佐渡の荒磯の 岩かげに
    咲くは鹿の子の 百合の花
    花を摘み摘み なじょして泣いた
    島の娘は なじょして泣いた
    恋は・・・つらいと
    いうて 泣いた
     
    波に追われる 鴎さえ
    恋をすりゃこそ 二羽で飛ぶ
    沖をながめて なじょして泣いた
    島の娘は なじょして泣いた
    逢えぬ・・・お人と
    いうて 泣いた
     
     
     
     
    イメージ 4佐渡は四十九里 荒海に
    ひとりしょんぼり 離れ島
    袂だきしめ なじょして泣いた
    島の娘は なじょして泣いた
    わしも・・・ひとりと
    いうて 泣いた
     
     
     
     
     
     
     
     
                   
     
                  画像がボケてますが、めずらしいひばりさんとのお正月らしいツーショットです
     
     
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    イメージ 12昨年の12月の新歌舞伎座公演の真っ最中に、アップした
    「右衛門七討入り」にまつわるアレコレを(上)↓
    から、ずいぶん時間が経ってしまいましたが続編の(下)を掲載します。

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    舟木さんの2013年の最後のステージである「新橋演舞場シアターコンサート」が開催された12月25日の前日24日から上京して、歌舞伎観劇をしました。国立劇場では播磨屋御一門が柱となった「知られざる忠臣蔵」というサブタイトルがつけられた狂言のラインナップでした。
     
    その中で私が今回お目当てで足を運んだのが「主税と右衛門七~討入前夜」という新作歌舞伎です。
    「矢頭右衛門七散りゆく花か 恋も知らない若い身で」と舟木さんが唄って以来、哀れを誘うイメージがより強く印象づけられた矢頭右衛門七教兼の十八年の生涯に「恋」の匂いはなかったのか・・・そういった想いを誰しも抱くのではないでしょうか。
    私の親しんできた歌舞伎の世界で、その右衛門七の淡い恋・・・淡い恋というより、人を恋うる想いが芽生えてくる十代の半ばを「主君の仇討」を亡き父になり代わり、青春時代のすべてをその一点のみに賭けるイメージ 2日々を過ごさねばならなかった右衛門七が、人に恋われ、その恋心に応えることのできない自分の身に悩み、苦しむ・・そういった思春期の切なくもまた甘い葛藤と言ったほうがより正しいのかもしれませんが・・せめて、そのような人並みの青春期らしい葛藤も経験させてやりたかったという・・「忠臣蔵ファン」「矢頭右衛門七ファン」の想いを脚本化し舞台化したような作品だと感じました。
     
     
    イメージ 11翌日25日の午前中、舟木さんの演舞場でのシアターコンサートの開演前に「お礼参り」に訪れた泉岳寺で撮影した写真をちりばめつつ、この作品をご紹介させていただきます。                  山門前の内蔵助の像→
     
    国立劇場十二月歌舞伎公演(12月24日観劇)
    ~以下パンフレットより~
    赤穂浪士の討入りを描く「忠臣蔵」の世界には、代表作「仮名手本忠臣蔵」を始め数多くの作品があります。無尽蔵の面白さにあふれています。今回は、そんな「忠臣蔵」の世界から”知られざる忠臣蔵”と銘打ち、上演機会の少ない作品を選りすぐってお送りします。~後略~
     
    主税と右衛門七 討入前夜  一幕三場
    成澤昌茂:作 織田紘二:演出
    矢頭右衛門七:中村歌昇
    大石主税:中村隼人
    お美津:中村米吉
    大石内蔵助:中村歌六
     
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    泉岳寺四十七士の墓地の全景 ↓
     
     
     
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    あらすじ
    赤穂浪士中、いまだ十代で討入りに参加したのが大石主税と矢頭右衛門七でした。家老の子と足軽の子という立場を超え、二人は強い友情で結ばれていました。いよいよ討入りが明日に迫った日。主税が滞在する日本橋の呉服屋を舞台に、さまざまな思いを抱いて動揺する二人の姿を、右衛門七に惹かれる娘お美津の恋心をからめて描きます。不安な心を鼓舞しようと酒を酌み交わす純真な若者たち。二人の様子を温かく見守りつつ叱咤し、静かに立ち去る大石内蔵助の姿からも、深い余情が溢れる名品です。
     
     
    イメージ 19~以下、いずれもパンフレットより抜粋させていただきました~

    作者のことば 処女作  成澤昌茂 平成二十五年 晩秋 
    昭和33年の秋、築地の松竹本社・会長室。大谷竹次郎会長が・・「あなたが成澤さんですか。若いんだねえ、いくつ・・33才。錦之助の映画を見てシナリオが気に入ったので来てもらった。あなたね、歌舞伎を書きなさい。忠臣蔵の四十七士の中に十代の若者が二人いる。一人は大石の息子で主税。もう一人は足軽の息子で矢頭右衛門七。身分差のある二人が討入り前夜に、なにを思い、なにを考え、なにを語り合ったのか。そこをじっくり掘り下げて書いてほしい。一幕三場、六十分。この中で人間をしっかり描く。そして芝居を緻密に組み上げる。分かりましたか?分かったら頼みましたよ。」私は家に帰って資料を読み、机に向かった。しかし一行も書けない。歌舞伎と映画の壁は厚かった。二ヶ月の余、苦闘の末ようやく「処女作」を脱稿した。                                                                         
                                               ↑向かって左は右衛門七、右は主税 ともに少年時代のご兄弟
     
    こうして成澤氏の「処女作」は昭和34年1月(初日は2日)に新宿第一劇場初春興行で初演されたそうです。右衛門七は当代松本幸四郎(当時染五郎16歳)、主税は実弟の当代中村吉右衛門(当時中村萬之助14歳)~再びパンフレットより抜粋↓
     
    ~染五郎は、右衛門七の役をしっかりと身につけてダイナミックに演じる。萬之助は気品ある主税の役を格調高く見事に演じた。厳しい目で見ていた会長は、幕が下りると眉を開く。「次の吉右衛門と、次の幸四郎が決まりました・・」破顔一笑、部屋を出て行く。芝居は成功だ。~中略~平成二十五年の十二月。国立劇場歌舞伎公演で「主税と右衛門七~討入前夜」は脚光を浴びる。初演から五十四年ぶりだ。今回の演出は、国立劇場の織田紘二氏にお願いした。また、中村吉右衛門さんが「処女作」を覚えていてくださったのはうれしく、なつかしい。 
     
    NHK大河ドラマ「赤穂浪士」の撮影風景 左は主税の中村賀津雄
    (現嘉葎雄)さん、右隣りが右衛門七の舟木さん ↓
     
    イメージ 20演出のことば 苦悩する青春  織田紘二
    「討入前夜」は昭和34年1月新宿第一劇場で初演された。成澤氏は溝口健二監督に師事し、「新・平家物語」や「赤線地帯」をはじめとして、「浪花の恋の物語」「宮本武蔵」「親鸞」「関の弥太っぺ」など数多くの名作を世に送り出した。シナリオライターとして戦後の映画界で大切な役割を担った重鎮の演劇処女作だった。赤穂浪士四十七士の運命は夫々異なり、忠臣蔵銘々伝も多種多様だが、今回のこのエピソードも討入りの前夜の短い濃密な時間に凝縮された若い三人三様こもごもの青春を描く。大石内蔵助の長男である主税と足軽の子である右衛門七との身分の違いが戯曲全体に通低音として流れている。主税には迷う事ない運命が、右衛門七には低い身分ゆえに自裁した父母の苦衷と悲劇とがまとわりついている。お美津の恋慕の告白に揺れる右衛門七の心。主税と右衛門七、幼さ残る若い二人が夫々の不安を抱いて酒を酌み交わし、主税の謡と鼓の拍子、右衛門七は小舞に一時の心の迷いを払拭しようとするところに、お美津の弾く琴の音がからみつき、立ち往生してしまう若さゆえの危うさを大石内蔵助は予知していた。かくあらんという。まさにその場に現れて諄々と二人に説く「この内蔵助とてお前らの心が判らぬではない。色恋一つ知らずに散らす不憫さも、人の親として知っておる。しかし未練は許されぬのだ。よいな」という一言に籠められた、人の親としての情愛と武士の使命の狭間に揺れる心の奥底からの吐露に、時代の哀しい定めを感じざるを得ない。そしてまた残されたお美津はいかなる生涯を送るのだろうか。そんなことが観劇後の印象として残ってくれるような、舞台でありたいと思う。~後略~
     
     
    墓碑銘が薄くなってますが中央に「刃擲振劔信士」右には「矢頭右衛門七」、左には「行年十八歳」と彫られています↓
    (お線香をあげてきました)左下の設えの立派なお墓は大石主税のお墓です。身分の差が如実に顕れています。
     
     
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    矢頭 教兼(やとう のりかね)
    貞享3年(1686年) - 元禄16年2月4日(1703年3月20日)
    江戸時代前期の武士。赤穂浪士四十七士の一人。通称は右衛門七、一般には矢頭 右衛門七(やとう えもしち)として知られる。四十七士の中では大石良金に次いで若年であり、母妹の世話に苦難したことで知られる。『仮名手本忠臣蔵』の佐藤与茂七(さとう よもしち)のモデルとなった。
     
    イメージ 13元禄15年(1702年)8月15日、父が病床に右衛門七を呼び、くれぐれもその遺志を継いでくれるよう嘆願しつつこの世を去る。この時右衛門七は17歳だった。しかし義挙に加わらねばならない身の上なので、母と妹3人をどこかに預けなければならない。右衛門七は母と妹をつれて大坂を出ると、母の実家がある奥州白河藩(祖父の仕える松平家はこの地に転封となっていた)へと向かったが、旅慣れない少年のこと、女人通行手形を携えていなかったために荒井関所を通ることができず、仕方なしに大坂へ帰って知人に母たちを預けるしかなかった。9月に千馬三郎兵衛・間十次郎らとともに江戸へ入り、南八丁堀で潜伏生活がはじまった。吉良屋敷討ち入りでは表門隊に属し奮戦、父の志を遂げた。その後、三河岡崎藩 水野監物の芝中屋敷にお預けとなり、元禄16年2月4日に水野家家臣・杉源助の介錯で切腹した[。享年18。他の浪士とともに主君・浅野内匠頭と同じ芝泉岳寺に葬られた。法名は刃擲振劔信士。
     
    ~以下パンフレットより~
     
    イメージ 3中村歌昇(四代目)談
    右衛門七を勤めます。右衛門七は足軽の子、主税は家老の息子と、お互いの立場が違います。でも主税が弱さを見せる時には、兄のような気持ちになるのでしょうね。討入りへと逸る一方で、人生の多くの事を知らずに死んでいくという、十代なりの虚しさがほろりと出ればいいのですが。仇討が彼らにとってどれほど大事であったのか、お客様にまずそこを納得していただけるよう、演出の織田先生のもと、懸命につとめたいと思います。作者の成澤昌茂イメージ 4先生は大叔父の(萬屋)錦之介の映画の脚本を多く書いて下さった方なので親戚の一人としてご縁を感じています。

     
     
     
     
    中村隼人談
    主税のお役は歌舞伎では初めてなので光栄です。「仮名手本忠臣蔵」の力弥(主税は力弥となっています)とはまた違い、主税の心情や人物像が率直に描かれています。十五歳でこの世を去った主税の気持ちが少しでもお客様に伝わればと思います。右衛門七役の歌昇さん、お美津役の米吉君とは、普段から吉右衛門のおじさまの許で一緒に修業させて頂いております。主税と右衛門七は親友同士なので、仲の良さが滲み出ればいいですね。
     
     

    歌昇さんは、三代目中村又五郎の長男。平成元年5月6日生まれ。6年6月歌舞伎座〈四代目中村時蔵三十三回忌追善〉の『道行旅路の嫁入』の旅の若者で四代目中村種太郎を襲名し初舞台。23年9月新橋演舞場『舌出三番叟』の千歳などで四代目中村歌昇を襲名。
    隼人さんは、二代目中村錦之助さんの長男。平成五年11月30日生まれ。14年2月歌舞伎座で中村隼人を名のり『寺子屋』の松王一子小太郎で初舞台。19年4月歌舞伎座『菊畑』の腰元白菊、12月国立劇場『堀部彌兵衛』の娘さち、20年6月歌舞伎座『身替座禅』の腰元小枝など女形もつとめる。
    いずれも萬屋の家系で映画界の時代劇俳優として人気実力ともに一時代を築いた萬屋(中村)錦之介さん(歌舞伎役者としての名前は錦之助という字を使っています)の親戚にあたります。
     
     
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                                              舞台での「右衛門七討入り」のお稽古に励む舟木さん 
     
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    イメージ 22右衛門七討入り 
    作詩:西沢爽 作曲:遠藤実
     
    ふりつむ雪を血に染めて 
    四十七士の鬨の声
    矢頭右衛門七 散りゆく花か
    恋も知らない 若い身で
     
     
    討たれるものも 討つものも
    ともにこの世は 夢の夢
    赤穂浪士の 誉にかけて
    ゆけととゞろく 陣太鼓
     
     
    勝利のあとの 哀しみを
    抱いて見返る 吉良屋敷
    四十七士の 去りゆく影に
    ふるははかなき 江戸の雪
     
     
     
     
     
    五十四年ぶりの再演というのですから、リアルタイムで観劇することができたこと自体がミラクルというか、幸運なことでした。「恋も知らない若い身」で散っていったはずの右衛門七さんの生涯に、このようにたとえ風花のように儚いものであっても「恋」の物語を創って下さった成澤氏に感謝したい気持ちです。
     
    24日の国立劇場で「主税と右衛門七」、吉右衛門さんの「弥作の鎌腹」を観劇してから、歌舞伎座に移動して、玉三郎さんの綺麗でとっても可愛い「七段目」の遊女おかるを拝見しました。何度観ても、いつ観ても素晴らしいです。十二月はやっぱり「忠臣蔵」ですよね!大星由良之助役は54年前に右衛門七を演じた松本幸四郎さんでした(笑)こうなると、舟木さんの大石内蔵助も観たくなってきますね。コンサートのトークで舟木さんが忠臣蔵の内蔵助を演ってみたいとおっしゃっていたように思います。そうなると浅野内匠頭を演る人がいないなぁ・・両方演るか・・なんて感じだったかな?(笑)私的には、悲劇の武士である早野勘平も舟木さんにはとってもお似合いだから、いっそのこと三役全部舟木さんにお願いしたいところです(笑)
     
     
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    『陽射し・旅人』あの頃の舟木さん・その12~「初恋 舟木一夫 抒情歌謡をうたう」
    http://blogs.yahoo.co.jp/ycmay26/68666186.html
    上記のタイトルでブログを掲載したのは、昨年の10月です。この時は、LPレコード盤のアルバムを手に入れていたのですが、一部に針飛びがあって、どうしても聴きづらかったので、その後復刻盤のCDも購入しました。音質は、レコードとはiいくらか違うものの聴きやすくて、無駄にはなりませんでした。また、オリジナル盤LPの解説とは異なった切り口の解説も付いていました。日本の抒情歌謡が生まれた時代背景や、戦争も含めた歴史の流れの中で「抒情歌」がどうように変遷していったかなどが、やや論文的で堅い文体ではあるのですがわかりやすく記されていますので、ご紹介します。ちょっと長いので前半と後半のふたつに分けて掲載させていただきます。
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    「初恋 舟木一夫 抒情歌謡をうたう」の各発売年とその時代の舟木さん。
    オリジナル盤(1971年12月発売)
    *おそらく舟木さんにとって精神面でドン底にいらした時期かと思われます。
    オリジナル盤(1974年6月再発売)
    *一時活動休止の後、結婚、新たな旅立ちへの時期でしょう。
    CD復刻盤発売(2003年7月発売)
    *30周年を機に快進撃が実を結び完全に復活。「同世代」との順調な旅路へ。
     
    このアルバム「初恋~舟木一夫 抒情歌謡をうたう」が三度にわたって時を移して発売されている事実は、舟木さんが昭和歌謡史の中で「抒情歌の歌い手である」と揺るぎない評価で広く大衆に認められていることの証となっているのだと思います。しかも、三度目のCD復刻盤は、1971年のオリジナル盤の発売から30年以上を経た後のことです。願わくば、2003年盤のCDでは新たに吹き込みをしていただきたかったというのが正直なところですが・・・
    アルバムのタイトルに掲げられている「初恋」は、舟木さんにとって、最後の紅白歌合戦出場の際に歌唱した曲となりました。(1992年に21年ぶりの「高校三年生」歌唱での出場は除いています)
     
    以下、大倉明氏著の「青春賛歌」から引用させていただきます。
    ~(1971年)大晦日の「NHK紅白歌合戦」では、9番目に島崎藤村の「初恋」を歌った。この歌は舟木が数年前に企画したもので、新しいディレクターに「いよいよ困った時には中ヒットが狙えるものがあるよ」と温存していた。それを出さざるを得ない状況になっていたのだが、舟木の予言通り最後のヒット曲となってしまった~
     
    このような曰くのある歌が「初恋」であることを思えば、舟木一夫という歌い手が「人気」と言う点において
    ピークにあった時期の終焉に立ち会い、ひとりの歌い手が大多数の大衆の前に立つ表舞台から姿を消していくのを見送ったのが「初恋」であったといってもいいのかもしれません。そして、それが「日本の抒情」を象徴する歌であったことは、私としては、今にして思えば、「有終の美」を飾ったのだと十分に得心がいくものです。
     

    「初恋~舟木一夫 抒情歌謡をうたう」CD復刻盤   解説(池田憲一)
     
    イメージ 2日本近代詩における抒情の形成は、島崎藤村の「若菜集」に始まる。それは独歩を理論的支柱にした六人の合作詩集「抒情詩」より四ヶ月ほどおくれた明治30年8月に、春陽堂から刊行されたが、そのみずみずしい感情の流露と平易な言葉の新しい発見とは、新体詩運動から生まれたものを、詩の領域まで昴めたものであった。
    その後、自然主義文学の抬頭は、そこにもりこまれた浪漫主義の色を薄め、川路柳虹を中心とする口語自由詩が論壇を覆ったが、やがて再び、北原白秋の「思い出」、佐藤春夫「殉情詩集」を頂点とした抒情の再生と復活が行われる。それは、短歌と詩の中間形態ともいえる感傷性を含んだ浪漫的情感に彩られた抒情小曲を中心としたものである。
    歌謡詩の初期を開拓した西條八十、大木惇夫といった人々は、この影響下にあった。昭和期とともに、レコード企業が新しい発展をとげたとき、歌謡曲は流行小唄とよばれたように、その本質を社会現象の風俗描写と、現実からの逃避においたがために、抒情歌はその中心的位置をもたず、むしろ、日清、日露戦争期のいくつかの軍歌の中に抒情歌謡の要素を有し、唱歌に近づいてゆくという宿命的な遊離をもってスタートした。それがひとつの歩みよりをみせたのは、皮肉なことに、国家的要請をその背後にもつ、NHKの「国民歌謡」においてであった。
    昭和11年6月1日、「日本よい国」で始まったこの啓蒙的音楽活動は、藤村の「椰の実」を東海林太郎に、惇夫の「夜明けの唄」を奥田良三に、有明の「牡蠣の殻」を東海林太郎に、といった風に抒情歌謡の確立を萌芽させるかにみえたが、やがてそれは、新聞社の募集歌や関係官庁の選定歌にすりかわってしまう。
    考えてみれば、抒情の本質を支えるものは、青春の息吹であり、詩人のもつ内的情緒の発現にあり、それは自我の確立を前提とするものであるが故に、戦争体制の一環として行われた文化統制の中から生まれるべくもなかった。いま、生田春月の「相寄る魂」を再読しながら、その中に描かれた春夫の「殉情詩集」出版記念会であろうと想像される中巻の一節で、園子が詩集の一篇を歌うシーンを意味深く感じるのである。韻律をふんだ抒情詩は、その必然的要請として歌われるべき音楽的要素を持ちながら、日本の歌謡曲が、音楽取調所以来、それとある意味で無縁の場所に育ち、そのため、真の意味の抒情歌謡の確立をなし得なかったことを・・・。
    歌謡曲における抒情は、感傷を軸として時により、メロドラマの主題歌までもその中に含めなければならなかった。というより、それが抒情歌謡というものの主流となっている。
    戦後、「ラジオ歌謡」のジャンルから、いくつかの本当の意味での抒情歌謡が生まれ育ち、愛唱されたことは記憶に新しいが、こうして改めてふり返ってみれば、その形成までに長く苦しい九十九折りの道程を歩んできたのである。
     
    ~「解説文」の後半が、まだ続きますが、(下)でご紹介します~
     
    イメージ 3初恋  作詩:島崎藤村 作曲:若松甲 
    http://www.youtube.com/watch?v=IXG62cIumrI
     
     
    まだあげ初めし前髪の
    林檎のもとに見えしとき
    前にさしたる花櫛の
    花ある君と思ひけり
     
    やさしく白き手をのべて
    林檎をわれにあたへしは
    薄紅の秋の実に
    人こひ初めしはじめなり
     
    わがこゝろなきためいきの
    その髪の毛にかゝるとき
    たのしき恋の盃を
    君が情に酌みしかな
     
    *以下は歌唱されていません
     
    林檎畠の樹(こ)の下に
    おのづからなる細道は
    誰(た)が踏みそめしかたみぞと
    問ひたまふこそこひしけれ
     

    イメージ 4惜別の唄  作詩:島崎藤村 作曲:藤江英輔
    http://www.youtube.com/watch?v=hqdVvt5FH1E
     
    遠き別れにたえかねて
    この高殿に登るかな
    悲しむなかれ我が友よ
    旅の衣をととのえよ
     
    別れといえば昔より
    この人の世の常なるを
    流るる水を眺むれば
    夢はずかしき涙かな
     
    君がさやけき目のいろも
    君紅のくちびるも
    君が緑の黒髪も
    またいつか見んこの別れ
     
     
     
     
    *以下は歌唱されていません
     
    君の行くべきやまかわは
    落つる涙に見えわかず
    袖のしぐれの冬の日に
    君に贈らん花もがな
     

    さすらい 作詩:西沢爽 作曲:植内要(採譜)狛林正一(補曲)
    http://www.youtube.com/watch?v=pHu4NnxRXLs

    イメージ 5夜がまた来る 思い出つれて
    おれを泣かせに 足音もなく
    なにといまさら つらくはないが
    旅の灯りが 遠く遠くうるむよ
     
    知らぬ他国を 流れながれて
    過ぎてゆくのさ 夜風のように
    恋に生きたら 楽しかろうが
    どうせ死ぬまで ひとりひとりぼっちさ
     
    あとをふりむきゃ こころ細いよ
    それでなくとも 遥かな旅路
    いつになったら この淋しさが
    消える日があろ 今日も今日も旅ゆく
     
    北帰行   作詩・作曲:宇田博  
    http://www.youtube.com/watch?v=ynmz981FF2k(2曲目)
     
    窓は夜露に濡れて
    都すでに遠のく
    北へ帰る旅人ひとり
    涙流れてやまず
     
    夢はむなしく消えて
    今日も闇をさすろう
    遠き想いはかなき希望(のぞみ)
    恩愛我を去りぬ
     
    今は黙して行かん
    なにをまた語るべき
    さらば祖国  愛しき人よ
    明日はいずこの町か

    (補足):原曲は、宇田氏が母校である旅順高等学校の在校中に作った寮歌だそうです。
     
     
     
    北上夜曲 作詩:菊地規 作曲:安藤睦夫
    http://www.youtube.com/watch?v=GomMTnOI1Hs

    イメージ 6匂い優しい 白百合の
    濡れているよな あの瞳
    想い出すのは 想い出すのは
    北上河原の 月の夜
     
    *二番と三番は歌唱されていません
     
    宵の灯(ともしび)点(とも)すころ
    心ほのかな初恋を
    想い出すのは 想い出すのは
    北上河原のせせらぎよ
     
    銀河の流れ仰ぎつつ
    星を数えた君と僕
    想い出すのは 想い出すのは
    北上河原の星の夜
     
    雪のチラチラ 降る宵に
    君は楽しい 天国へ
    想い出すのは 想い出すのは
    北上河原の 雪の夜
     
    僕は生きるぞ 生きるんだ
    君の面影 胸に秘め
    想い出すのは 想い出すのは
    北上河原の 初恋よ
     
    ~作詩者の菊地規と「北上夜曲」の背景については以下をご参照下さい~
    http://www.esashi.com/kikuchinorimi.html

     
     
    サビタの花  作詩:大倉芳郎 作曲:原六朗
    http://www.youtube.com/watch?v=_69cbHn6Gs4
     
    イメージ 7
    からまつ林 遠い道
    雲の行くえを 見つめてる
    サビタの花よ 白い花
    誰を待つのか メノコの胸に
    ほのかに咲いた サビタの花よ
     
    いとしの君は ほろほろと
    にれの並木を どこへ行く
    花かげ白く 月の宵
    待てどはかない メノコの恋は
    かなしく咲いた サビタの花よ

     
     
    (補足):サビタはユキノシタ科アジサイ属の落葉潅木。和名のノリウツギ(糊空木)。山野に自生し7月から8月にかけて白い可憐な花をつけます。サビタはアイヌ語由来とされています。
     
     
    ~ 『陽射し・旅人』あの頃の舟木さん・その13「初恋 舟木一夫抒情歌謡をうたう」再び(下) に続きます~

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    『陽射し・旅人』あの頃の舟木さん・その13「初恋 舟木一夫抒情歌謡をうたう」再び(上)のつづきです。
     
                    CD復刻盤ジャケット (2003年7月発売)

    イメージ 1
     
     
    しれとこ旅情  作詩・作曲:森繁久弥
    http://www.youtube.com/watch?v=suMtliYa-aU
     
    イメージ 2しれとこの岬に はまなすの咲く頃
    思い出しておくれ 俺たちのことを
    飲んで騒いで 丘に登れば
    はるかクナシリに 白夜は明ける
     
    旅の情けか のむ程にさまよい
    浜に出て見れば 月は照る波の上
    今宵こそ君を 抱きしめんと
    岩陰によれば ピリカが笑う
     
    別れの日は来た ラウスの村にも
    君は出て行く 峠を越えて
    忘れちゃいやだよ 気まぐれ烏さん
    私を泣かすな 白いかもめよ
     
     
    山のけむり 作詩:大倉芳郎 作曲:八洲秀章
    http://www.youtube.com/watch?v=VEixO-PY6vw

    山の煙の ほのぼのと
    たゆとう森よ あの道よ
    幾年消えて 流れゆく
    想い出の あゝ夢のひとすじ
    遠くしずかに ゆれている
     
    イメージ 4
    谷の真清水 汲み合うて
    ほゝえみ交わし 摘んだ花
    山鳩の声 聴きながら
    行きずりの あゝ君とともに
    下りた峠の はろけさよ
     
    山の煙の たそがれに
    別れた人の うしろ影
    あとふりかえり 手を振れば
    うすれゆく あゝ淡い夕日が
    染めた茜の なつかしく
     

    あざみの歌  作詩:横井弘 作曲:八洲秀章
    http://www.youtube.com/watch?v=PkI_iKZbt-Y
    イメージ 5
    山には山の 愁いあり
    海には海の 悲しみや
    ましてこゝろの 花ぞのに
    咲きしあざみの 花ならば
     
    高嶺の百合の それよりも
    秘めたる夢を ひとすじに
    くれない燃ゆる その姿
    あざみに深き わが想い
     
    いとしき花よ 汝はあざみ
    こゝろの花よ 汝はあざみ
    さだめの径は 涯てなくも
    かおれよせめて わが胸に
     

    花言葉の唄  作詩:西條八十 作曲:池田不二男
    http://www.youtube.com/watch?v=gIfdCIiFfJM 
    (この曲のみ、舟木さんの歌唱ではなく岡本敦郎さん歌唱です)
     
    イメージ 6可愛い蕾よ きれいな夢よ
    乙女ごころに よく似た花よ
    咲けよ咲け咲け 朝露夜露
    咲いたらあげましょ あの人に
     
    風に笑うて 小雨に泣いて
    なにを夢みる 朝花夜花
    色は七色 想いは十色
    咲いたらあげましょ あの人に
     
    白い花なら 別れの涙
    紅い花なら うれしい心
    青い花なら 悲しい心
    咲いたらあげましょ あの人に

     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
    さくら貝の歌  作詩:土屋花情 作曲:八洲秀章
    http://www.youtube.com/watch?v=_dkBSeOjVL8

    イメージ 7美しき 桜貝一つ
    去り行ける 君にささげん
    この貝は 去年の浜辺に
    われ一人 ひろいし貝よ
     
    ほのぼのと うす紅染むるは
    わが燃ゆる さみし血潮よ
    はろばろと かよう香りは
    君恋うる 胸のさざなみ
    ああなれど 我が想いは儚く
    うつし世の なぎさに果てぬ
     

     
    チャペルの鐘 作詩:和田隆夫 作曲:八洲秀章
    http://www.youtube.com/watch?v=YDhUF6J5-B8

    イメージ 8なつかしの アカシアの小径は
    白いチャペルに つづく径
    若き愁い 胸に秘めて
    アヴェ・マリア 夕陽に歌えば
    白いチャペルの あゝ
    白いチャペルの 鐘が鳴る
     
    嫁ぎゆく あのひとと眺めた
    白いチャペルの 丘の雲
    あわき想い 風に流れ
    アヴェ・マリア しずかに歌えば
    白いチャペルの あゝ
    白いチャペルの 鐘が鳴る
     
     
     
    忘られぬ 思い出の小径よ
    白いチャペルに つづく径
    若きなやみ 星に告げて
    アヴェ・マリア 泪に歌えば
    白いチャペルの あゝ
    白いチャペルの 鐘が鳴る
     
    これらの抒情歌の系譜を、持ち歌として受け継いでいった男性のソロシンガーとしては、おそらく舟木さんは唯一無二の存在ではないかと思います。今さら、言うまでもなく「絶唱」、それに続く「夕笛」は西條八十の四行詩の世界が舟木一夫と言う素材によって「抒情歌謡の名曲」として完成されたものといえるでしょう。そして、さらに以下に掲げる曲もまた舟木さん独自の匂いと体温を纏った優れた「抒情歌謡」であると思いますので、ご紹介しておきます。

    イメージ 10「あざみの歌」の作詩者である横井弘氏は、舟木さんの以下のオリジナル曲も作っていらっしゃいます。
     
    「帰郷」 1972年7月発売
    「白鳥」(A面:都井岬旅情)1973年1月発売
    「サンチャゴの鐘」 1973年9月発売
    「霧のわかれ」(未発表オリジナル)LP「限りない青春の季節」(10枚組)収録 1977年6月発売
     
    いずれも「抒情歌」の香りを感じさせますが、中でも「白鳥」は「あざみの歌」で詠われた「愁い」や「人の
    世の運命(さだめ)」の哀しみを詠ったものとして相似形を成しているように感じられます。

    白鳥 作詩:横井弘 作曲:竹岡信幸
     
    はてしなく 雪の舞い散る
    湖に 浮かぶ白鳥
    その鳥は 恋に疲れて
    還らない 君の姿か
    衿足も細く ああ哀しく
     
    イメージ 3花かげに 君と築いた
    ささやかな 愛の山小屋
    人の世の つらい掟が
    ここにまで あると知らずに
    頬よせた日々の ああはかなさ
     
     
    なにもかも みんな運命と
    湖を 埋める粉雪
    その雪に 独りたたずみ
    口笛を そっと鳴らせば
    白鳥の影も ああ泣いてる
     
     
    横井 弘(よこい・ひろし、1926年(大正15年)10月12日- )
    昭和期の作詞家。
    1926年(大正15年)10月12日東京府東京市四谷区出身。
    1946年(昭和21年)、上京すると共に、作詞家:藤浦洸に師事するようになる。
    1949年(昭和24年)8月8日、日本放送協会のラジオ歌謡で放送された「あざみの歌」で作詞家デビュー。
    同曲は1951年(昭和26年)8月、伊藤久男の歌唱でレコード発売され、大ヒットとなる。
    1950年(昭和25年)、コロムビアの専属になる。1953年(昭和28年)、キングレコードに移籍する(1968年(昭和43年)にフリーとなる)。
    1974年(昭和49年)、第16回日本レコード大賞第1回中山晋平・西條八十賞を受賞。
    1992年(平成4年)、第34回日本レコード大賞功労賞受賞。

    代表作
    『心の窓にともし灯を』(昭和34年11月) 作曲:中田喜直、歌:ザ・ピーナッツ
    『達者でナ』(昭和35年10月) 作曲:中野忠晴、歌:三橋美智也
    『川は流れる』(昭和36年11月)作曲:桜田誠一、歌:仲宗根美樹
    『下町の太陽』(昭和37年11月) 作曲:江口浩司、歌:倍賞千恵子
    『さよならはダンスのあとに』(昭和40年4月) 作曲:小川寛興、歌:倍賞千恵子
     

    さらに、横井弘氏が師事した藤浦洸氏も舟木さんのオリジナル曲「逢う瀬」の作詩をなさっています。
    私は、初めてこの曲に出逢った時に歌詩の中の「宵待草」から当然のことのように「夢二」の世界を連想しました。背景も京都祇園界隈を舞台にしていて、夢二がしばらくの間、彦乃と暮らした高台寺門前にほど近く・・・藤浦洸氏は、夢二の「宵待草」をテーマに作詩なさったのだろうと思ったのです。
     
    逢う瀬 作詩:藤浦洸 作曲:戸塚三博
    (アルバム「友情/舟木一夫の新しい名刺」収録  1974年10月発売)
     
    イメージ 9京は加茂川 たそがれに
    誰を待つのか 川べりの
    宵待草の 花ひとつ
    君によく似た うつくしさ
     
    けぶるむらさき 東山
    鐘の音色に ゆれながら
    ひとりさびしく 待ちわびる
    君のすがたの いじらしさ
     
    あいにゆこうか あうまいか
    あわねばなおも かなしさを
    耐えてたたずむ 横顔に
    散るは祇園の ともしびか

     
     
    藤浦 洸(ふじうら こう、1898年9月1日 - 1979年3月13日)
    昭和時代の作詞家、詩人。現在の平戸市に生れる。同志社大学神学部に入学してほどなく中退、3年の放浪を経て慶應義塾大学文学部に入る。在学中は児童小説を書いたり、尾崎士郎らと共に雑誌「令女界」や「若草」に小女小説、音楽物語などを執筆していた。大学卒業後は、浅草オペラの俳優等を経て、1930年から、コロムビアレコード文芸部のエドワードの私設秘書となり、ジャズソングの訳詞などを手掛けていた。1937年、「別れのブルース」の大ヒットにより名声を得た。1938年にコロムビア・レコードに入社して同社専属の作詞家となり、「戦前戦後を通じて多数のヒット曲を世に送り出した。特に美空ひばりには「悲しき口笛」、「東京キッド」など初期楽曲を多く提供している。

    竹久夢二といえば抒情詩人であり抒情画家としてもその名を日本近代文芸史の中にとどめています。
    そして、夢二の死後、「宵待草」に二番の歌詩を加えたのが八十でした。それほど夢二と親しく作風としても近しい関係であった八十。抒情詩をめぐる鎖の連なりのゆく先に、舟木一夫という歌い手が存在したことはまぎれもなく、そういった意味でも、やはり舟木さんは、昭和歌謡のジャンルの中での「抒情歌謡」の中央に燦然と輝きを放っているのだと思います。最後に、このCD復刻盤の解説の後半部分をご紹介して結びとします。
     
    イメージ 11「初恋~舟木一夫 抒情歌謡を歌う」CD復刻盤 
    解説(音楽評論家:池田憲一)
     
    舟木一夫は、戦後の歌謡史を代表するひとりの歌手であり、その出発に「高校三年生」という青春歌謡をもちいわゆる”御三家”の一員として華やかな履歴を持っているが、その本質は、抒情歌謡にあると私はかねてからひそかに考えていた。「仲間たち」という初期の作品に接したとき、そこの溢れる青春への回顧が抒情としての美しさをもっているのを感じた。「絶唱」や「夕笛」などに、賞の対象というものとは違うこの人だけの世界を確実に知らされた。「雪のものがたり」のようなLPにも、抒情歌手としての本領が発揮されていた。どちらかといえば重く、暗いトーンの音質が、繊細なリリシズムとロマンチシズムを持っているためであろうか・・・この作品集も「初恋」を中心に、自己のベースをしっかりと守りながら、淡彩の絵画のようなほの暗い詩情をただよわせながら、耳なれた歌に新しい生命をよみがえらせている。おそらく、舟木一夫という歌手は、すぐれた抒情歌手としての位置を、歌謡史の中に占めることであろう。今後ともに長く・・・・・
     

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    心に沁みた流行歌(はやりうた)  35thに~舟木一夫~ (1997年7月発売のCD)
     
     
    イメージ 1「高校三年生」18才。
    デビューしてから、35周年を迎えさせていただいている今日までの長い時間の中で、ボクの心に沁みた流行歌はどう数えたって数百曲はあるのに、その中から”演歌パターン”6曲、”ニューミュージックパターン”6曲、計12曲を選んで・・という云うんだから、これ程乱暴な話もそうはない。それを承知であえて、このカバーバージョンアルバムが、35周年の中のひとつの足跡になってくれたら幸せだと想って、やらせていただく事にしました。ここに入っている12曲は全て、1度はステージで歌ってみたことのある作品の中から、タイプがずいぶんと違う名曲を選ばせていただいたつもりです。それぞれの作品を初めて耳にした時、詩に大きなショックを受けたものもあれば、曲・アレンジにショックを受けたものもあります。何にしても、このアルバムは単なるカバー・バージョンではなくて、今も、そしてこれからも、ボクの歌ごころ更には身体の内にしみじみとあたたかく生き続けてくれる作品ばかりであることに間違いはないでしょう。
    竜崎孝路さんのアレンジ共々、1曲1曲の持つフィーリングと鮮やかな風景を楽しんでいただけたら無上の幸せです。
     
    イメージ 9舟木さんの35周年に発売された全曲カバーのCDアルバムです。以前から手に入れたいと思ってamazonやオークションで出てくるのを待っていて、やっとつい最近手元に届きました。
    ほとんどがyoutubeで聴くことができていたのですが、あらためてまとまったアルバムとして聴いていくと舟木さんの魅力がより際立ってきます。このアルバムのタイトルである「心に沁みた流行歌」の「流行歌」には「はやりうた」とルビがふられています。歌謡曲でもなく、流行歌(りゅうこうか)でもなく「はやりうた」というのがちょっと洒落たネーミングのタイトルですね。舟木さんご自身が、前説を記していらっしゃるのも嬉しくその一語一語をしっかり胸において聴きたくなります。
    まず、全12曲の作詩・作曲の方とオリジナル発売年と歌唱された方を並べてみます。そして、その後にブログのタイトルにも記したように、なかにし礼氏の著作の”歌謡曲から「昭和」を読む”についてご紹介したいと思います。
     
     
     
    いずれも舟木さんの歌唱です ↓
     
    ガキの頃のように 作詩:荒木とよひさ 作曲:堀内孝雄 
    1988年5月発売(歌唱:堀内孝雄)
    http://www.youtube.com/watch?v=MLH5eqTFjl8 3曲目
     
     
    さらば友よ   作詩:阿久悠 作曲:猪俣公章
    1974年4月発売(歌唱:森進一)
    *youtubeには現在見当たりませんが、舟木さんの歌唱がとてもステキです。
     
    イメージ 10
    この次の汽車に乗り遠くへ行くと
    あのひとの肩を抱きあいつはいった
    お前にはこの恋を わかってほしいと
    くり返しそういって あいつは泣いた
    さらば友よ もう何もいわない
    ここでここで見送ろう うしろ姿を
     
    打ち明けてくれたのがせめてもの救い
    裏切りといえるけど許してもいい
    何かしらいいたげな あのひとの瞳
    きらきらと光ってる 涙を見た
    さらば友よ もう逢うこともない
    胸で胸で音たてて 何かが消えた
     
    ベルの音ききながらしみじみ思う
    ふたりともそれなりに悩んだだろう
    しあわせを祈るよと いいたいけれど
    なぜかしら素直には いえなかったよ
    さらば友よ もうふりむくじゃない
    俺の俺のこの涙 知られたくない
     
     
    石狩挽歌  作詩:なかにし礼 作曲:浜圭介
    1975年6月発売(歌唱:北原ミレイ)
    http://www.youtube.com/watch?v=8IQjOSecdvc  3曲目

    イメージ 11海猫が鳴くから ニシンが来ると
    赤い筒袖の ヤン衆がさわぐ
    雪に埋もれた 番屋の隅で
    わたしゃ夜通し 飯を炊く
    あれからニシンは どこへ行ったやら
    破れた網は 問い刺し網か
    今じゃ浜辺で オンボロロ
    オンボロボロロー
    沖を通るは 笠戸丸
    わたしゃ涙で にしん曇りの 空を見る

    燃えろ篝火 朝里の浜に
    海は銀色 にしんの色よ
    ソーラン節に 頬そめながら
    わたしゃ大漁の 網を曳く
    あれからニシンは どこへ行ったやら
    オタモイ岬の ニシン御殿も
     
     
    今じゃさびれて オンボロロ
    オンボロボロロー
    かわらぬものは 古代文字
    わたしゃ涙で 娘ざかりの 夢を見る
     
     
    天城越え  作詩:吉岡治  作曲:弦哲也 
    1986年7月発売(歌唱:石川さゆり) 
      
    http://www.youtube.com/watch?v=7MNS4sdN71c 2曲目
     
     
     
    旅の終りに  作詩:立原岬(=作家五木寛之氏の作詩のペンネーム) 作曲:菊池俊輔
    1977年11月発売(歌唱:冠二郎)
    http://www.youtube.com/watch?v=1hxPGsp4-dY
     
    イメージ 12流れ流れて さすらう旅は
    きょうは函館 あしたは釧路
    希望も恋も 忘れた俺の
    肩につめたい 夜の雨
     
    春にそむいて 世間にすねて
    ひとり行くのも 男のこころ
    誰にわかって ほしくはないが
    なぜかさみしい 秋もある
     
    旅の終りに みつけた夢は
    北の港の ちいさな酒場
    暗い灯影に 肩寄せあって
    歌う故郷の 子守唄
     

     
     
    イメージ 13熱き心に  作詩:阿久悠  作曲:大瀧詠一
    1985年11月発売(歌唱:小林旭)
    http://www.youtube.com/watch?v=YTjx-JAgoPo 2曲目
     
     
    あずさ2号  作詩:竜真知子  作曲:都倉俊一
    1977年3月発売(歌唱:狩人)
    http://www.youtube.com/watch?v=rpfCnLe3QxE
    限りない青春の季節「舟木一夫15周年記念リサイタル」
    (1977年11月東京郵便貯金ホール収録)の音源もあります。
     
     
       サボテンの花  作詩・作曲:財津和夫
        1975年2月発売(歌唱:チューリップ)
        http://www.youtube.com/watch?v=v6xifUQiV88
         アルバム「花もよう」(1976年発売)の音源もあります。
     
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    五番街のマリーへ 作詩:阿久悠  作曲:都倉俊一
    1973年10月発売(歌唱:ペドロ&カプリシャス)
    http://www.youtube.com/watch?v=xk9p_Q2L7YQ
    舟木一夫ゴールデンコンサート・ライブ盤(1974年11月/東京郵便貯金ホール収録)
    の音源もあります。
     
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    水鏡  作詩・作曲:鈴木一平
    1980年8月発売(歌唱:鈴木一平)
    鈴木 一平(すずき いっぺい、1951年1月6日 - )
    北海道札幌市出身のシンガーソングライター。
    http://www.youtube.com/watch?v=A2O8BM_ZEQE
     
     
    イメージ 16一生一度きりの別れならばいいものを
    人は幾度となく 悲しみを繰り返す
    手さぐりの中でふと抱かれるような
    甘い思い出は通りすぎてゆく
    振り返ることなく 明日だけをみつめながら
    いつか来た道と気付かずに歩いた
    そこは幸せと不幸の別れ道
    悲しみおぼえた 出逢い道
     
    私だけの貴方にはなってくれるはずがない
    心のぬくもりも今は
    わすれてみるわ わすれてみよう
    揺れる二人の 夢もよう

    水に浮かぶ枯葉に目を向けると
    丁度今の私 同じようにみえた
    風に打たれ雨に打たれ たどる道は
    苦しみおぼえた迷い道
    はかない恋の ほろにがさを知って
    強がりはよせよと口ずさんでみます
    あふれる涙はとめどなく流れて
    とまどう私は 闇の中
     
    私だけの貴方にはなってくれるはずがない
    心のぬくもりも今は
    わすれてみるわ わすれてみよう
    揺れる二人の 夢もよう

     
    イメージ 3ジョニーの子守唄  
    作詩:谷村新司  作曲:堀内孝雄
    1978年6月発売(歌唱:アリス)
    http://www.youtube.com/watch?v=y2sqM34-wQw 2曲目

     
     
     
     
     
     
    イメージ 4ラヴ・イズ・オーヴァー  作詩・作曲:伊藤薫
    1980年7月発売(B面)以降アレンジの変更等を経て
    数回目の発売の1983年にヒット(歌唱:欧陽菲菲)
    http://www.youtube.com/watch?v=_sWZTAWnxb8 
    4曲目
     
     
     
     
     
     
     
    イメージ 5”歌謡曲から「昭和」を読む” 
    なかにし礼著 NHK出版新書 366  
    (2011年12月10日 第一刷発行)
     
    心に沁みた流行歌・・・ここでは「流行歌=はやりうた」とルビがふられていますが、「流行歌=はやりうた」と「歌謡曲」という言葉の使い方に違いがあるのかどうか・・・ずっと気にかかっていました。
    舟木さんがコンサートのトークで毎回のように「流行歌」「歌謡曲」の変遷について想いを込めてお話しして下さるので、それまで深く考えもせずに使っていたこれらの言葉について私なりに考えるようになりました。また「昭和歌謡」という言葉もよく耳にしていたのでことさらに「昭和」と冠されていることの意味合いも追究したいとも、かねがね思っていました。
     
     
    そんな折に、昨年の暮れに、何か参考になる資料がないかネット検索をかけていたら、なかにし礼氏の著作”歌謡曲から「昭和」を読む”という本が目にとまりました。
    なかにし氏は、舟木さんのオリジナル曲は手がけていらっしゃいませんが、舟木さんの若い頃のアルバムには、なかにし氏の訳詩の「今日でお別れ」「知りたくないの」などが収録されていますし、ライブではなかにし氏が「石狩挽歌」などと並んで自薦作品として挙げていらっしゃる「グッド・バイ・マイ・ラブ」なども収録されています。舟木さんファンの方に人気のある「五月のバラ」もなかにし氏の作品でしたね。
     
    このように、まさにヒットメーカーとしてその名を広く知られているなかにし礼氏ですから、私の好奇心を満たしてくれる著作ではないかと期待を込めて読んでみました。体裁は、新書版です。あまりにもアカデミックな内容ならとても食指が動かないのですが、これくらのコンパクトなものならなんとか読破できるかなと思いつつ読み進めていくと面白くて止まらない(笑)第一章の”日本の「うた」をさかのぼる”は「うたの誕生」から展開して、そのルーツを明瞭簡潔で過不足なく論じています。なんと一気に2時間余りで興味深く読破することができました。一番知りたかった舟木さんがいつもおっしゃる「歌謡曲のすそ野がすっかり狭くなってしまった」ことの理由も私としては目からウロコでした。時代の変遷とともに、いわゆる日本人の音楽的な嗜好(志向)というソフト面の変化ばかりに心を奪われていた私ですが、さすが音楽業界の中心にいらしたなかにし氏ですから、商品としての大衆音楽をめぐるハード面の諸事情からも「歌謡曲の衰退」の要因を読み解いていらっしゃるのです。
    イメージ 6舟木さんは後に、ご自身のヒット曲に翳りが見えてきた頃のことを回顧して、「22才の頃には、それに気付いていた。」とある番組の中でのインタビューでおっしゃっていますが、プロデューサーも含めたレコード業界の変化が歌い手の運命を左右することもこの著作を読んでいるとすんなり納得できてしまいます。「流行歌」が「流行歌」と云われる所以はまさに、時代の生んだ産物が「流行歌」であるからにほかならないこともストンと腑に落ちました。
    私の拙い説明では、もちろん、何も伝わらないと思いますのでぜひこの著作をご一読下さいね。

    歌謡曲と昭和・・・舟木さんがこの「昭和の歌謡曲の時代」の中で~どのような時系列において~人気歌手になり、またその後の時代の変化の中で、頂点に登りつめたスター歌手であったがゆえに急降下していくジェットコースターに乗せられたかのような恐ろしさを味わい、心身ともに摩耗し疲弊していく体験をなさったか、また、そのどうしようもなく変わりゆく時代を受け止め、凍てつくような冬の季節をじっと耐えて、新しい芽吹きの春を呼び寄せてこられたか、なかにし氏も、少し時期はずれるのですが、歌謡曲の作詩家としての情熱を失わざるを得なかった「時代の変遷」を乗り越えてこられたという意味では相通じるものがあると思いました。昭和の歌謡界の第一線にいらしたおふたりの作品を通して”歌謡曲から「昭和」を読む”というこの著書のタイトルをあらためて噛みしめています。
    なかにし氏の、この著作には、昭和歌謡の黄金期の先陣を駆け抜けてこられたヒットメーカーとしての、説得力が全編を通じて流れています。その含蓄のある言葉の数々の中から、ほんの一部ですが私にとって一番印象深く心に響いたところを転載させていただきます。言葉に携わる人らしい格調高く情味深い文章です。そして、日頃私が感じていた今現在、テレビで活躍されている歌い手さんたちに失礼ながら漫然と感じていたフラストレーションのようなものの本質を解き明かしてくれたような爽快感がそこにはありました。

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    ~歌謡曲という大河 憧れとアンチテーゼより~
    歌謡曲が終焉へと向かう時期に、私が考えたことを最後に記しておこう。歌はもともと、大人のためにあった。とりわけ悲しみややるせなさに押しつぶされながらも、なお生きていかなければならない大人のためにあった。悲しみに耐え切れずに伏せていた顔を、ふと上げたときに見る朝日の光、あるいは夜空に輝く月の光。人はそれに一瞬、心を奪われ、そして憧れる。同じように、人は歌に一瞬、心を慰められ、そして憧れる。戦争の時代や戦後の混乱を生きる人びとにとって、歌とはいつもそんな憧れの対象としてあった。しかし、高度成長の時代、人びとは生きることに自信をもつと同時に、歌に対する憧れを理解しなくなった。さらに、女性歌手がドレスを着て歌うことがなくなったとき、歌は日常生活の延長になり、このとき、歌に対する憧れは最終的に消えた。
    一方、歌が日常生活の延長となったことで、スター歌手たちがしだいに身近な存在になってきた。歌で世の中を説得するだけが彼ら彼女らの芸ではなく、テレビのバラエティ番組に出てさわいだりはしゃいだりするのも芸とみなされる。歌は、スターたちが世の中に露出していることによって総合的に支えられるので、それほど力強いものである必要がない。だから、歌そのものの力はどんどん弱まっているーー。
    こんなことを考えたのは、昭和五十三年(1978)のことだった。私はスターたちが自分の総合的な音楽世界を確保するために迎合している、テレビのなかの世界やそこに盛られている価値観に嫌悪感を覚えた。それらは、親しみやすさであり、安心感であり、遊戯性であり、幼稚性だった。そんな世界にどっぷり浸かっている歌手に、本来大人の歌であり、魔性や危険性すらもっている歌謡曲が歌えるはすがない。私は、放送禁止になるくらいの作品を書くことで、テレビ番組とそれに迎合しているスターたちにアンチテーゼを突きつけたいと思った。そして、歌に力があれば売れるということを証明したいと思った。そうして書いたのが「時には娼婦のように」であった。「時には娼婦のように/淫らな女になりな/真赤な口紅つけて/黒い靴下をはいて/大きく胸をひろげて/片眼をつぶってみせな/人差し指で手招き/私を誘っておくれ」案の定、放送禁止にはなったが、レコードはヒットした。私は時代に対するささやかなクーデターを敢行したわけだ。むろん、蟷螂の斧であることは百も承知だった。
    しかし、一九八〇年代(昭和五十五年~)にかかるころには、歌の力は全体として押しとどめようもないほど落ちていると考えずにはいられなかった。歌というものがもっていた力が消え去りつつある。そろそろ、歌らしい歌の時代は終わるのではないかーそんな思いを私は心の奥底に感じはじめていた。

    ~終章 歌謡曲の時代のあとに~より
    平成元年(1989年)末、私は「風の盆恋歌」(蚊帳の中から花を見る・・作曲:三木たかし、歌:石川さゆり)をけじめの作品として、作詩家であることをやめた。
     
    なかにし氏は、この著書の終章で上記のように記していらっしゃいます。「歌謡曲の終焉」は昭和という時代の終わりと運命を共にしたということを物語る決断であったといえるのでしょう。
     
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    これからご紹介する「写真集」は、昨年末にオークションで見つけたのですが、発行年、「非売品」という情報以外はわからず、画像も、下のような真っ黒な地に「Papyrus」と金文字が入った表紙と、もう一枚舟木さんの私服のスナップ写真だけだったので、中身とか発売の主旨もわからず、入札をしばらく躊躇していました。それで、この写真集をお持ちだろうという方に頼って、おたずねしてみましたところ、丁寧に説明していただき、情報を得ることができたのでこうして手に入れることができました。
    この場にて、あらためて、御礼申し上げます。
     
                   Papyrus 舟木一夫写真集 1970
     
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                昭和45年、舟木さん26歳の頃に発行された写真集です
     
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    昭和43年に舟木さんは所属事務所「第一共栄」から独立し「㈱舟木一夫音楽事務所」を設立。独立して2年後の昭和45年に自社から限定本(非売品)として発行されたものだそうです。その頃の状況は、大倉明氏著の「青春賛歌」第3章「どん底をさまよった”寒い時代”」に以下のように記されています。
    一部を抜粋させていただきます。
     
    「ディレクター栗山章の突然の退社」という最初の項を受けて・・・
     
    悪いことは重なるものだ。舟木は昭和43(1968)年2月21日、東京ヒルトンホテルで”懇談会”を開き、5月1日に「舟木一夫音楽事務所」を設立すると発表した。
     
    ~中略~
    舟木率いる最初の仕事は、舟木自身の企画で実現した日本テレビの連続ドラマ「泥棒育ち・ドロボーイ」で、連ドラの主演は初めてだった。「ねずみ小僧」の現代版という内容で、昭和41年9月8日公開の東映映画「太陽に突っ走れ」で共演した大原麗子のほか、横山道代、大坂志郎、小坂一也らが出演した。撮影は6月から始まり、放送は10月3日から12月26日まで。ウケる自信はあったが、漫画やテレビでスポーツ根性ものが流行っている時代。第2話まで見た段階で、舟木自身が「ちょっぴりキザで、おしゃれなドロボーが主人公では浮いている。これはフライングだ」と感じた。~
     
    ~中略~
    歌も10月に”心のステレオ"第2弾のアルバム「雪のものがたり」をリリース。このアルバムをメインに10月4日の東京サンケイホールを皮切りに11月11日まで、デビュー5周年記念全国縦断リサイタルを25都市で計45回開催。スタッフと舞台装置、照明機材などは東京公演のものをそのまま大型バス1台と大型トラック2台で運ぶという、これまで以上の力の入れようだった。
     
    ~中略~
    表向きは順調に見えた舟木だったが「昭和43年は舟木一夫が思い切り暗転するスタートの年で、歌の企画もロクなもの出てこず、自分の歌もズタズタに崩れ、ドロ沼に入り込んでいった」(舟木)そんな風には見えなかったのは、「デビュー以来、それまでに積み上げた実績の余力、果実を食いつぶしながら走っていたにすぎなかった」からだという。
    故郷・愛知県一宮市から上京させて東京世田谷区代沢で一緒に暮らし始めた家族の”崩壊”もこれに追い打ちをかけていく・・・・
     
    ~中略~
    昭和45(1968)年・・舟木がこの年発売したシングルは「心配だから来てみたけど/再会」「青年の唄/うわさのあいつ」「紫のひと/東京みれん雨」「霧の街/二人の夜」のわずか4枚。舞台は四月に大阪・新歌舞伎座(8日から26日)、8月に東京・明治座(1日から28日)、12月には名古屋・御園座(4日から10日)で公演しているが、目立った活躍はなかった。明治座では、「新吾十番勝負」「日本の旋律・荒城の月」と題した公演を行ったが、公演中の8月12日午前4時30分、詩人・西條八十が急性心不全のため亡くなった。78歳だった。
     
    デビュー以来、またたく間に頂点にのぼりつめた舟木さんにとって、ご自身がおっしゃる「寒い時代」の始まりの頃が、この写真集の発行された時期と重なります。
    いわゆる、雑誌用のポートレートなどの写真ではなく、舟木さんが私服でプライベート風なスナップ写真のようなものもいくつか掲載されていますが、そういった、その頃のリアルタイムの写真の表情にはデビューから数年間の写真のような、溌剌とした爽やかさは、やはり、感じられない気がして、ちょっと切ないです。
     
     

    イメージ 3Papyrus 舟木一夫写真集1970 
    昭和45年8月1日発行
    編集:(株)舟木一夫音楽事務所

    パピルス(pspyrus)とは古代エジプトの葦の名である エジプト人はこの葦のようなパピルスで舟を作り太西洋を横断し偉大なるエジプト文化を南アメリカに伝えインカ帝国の文化の礎を作ったのではなかろうかといわれている 葦は子どもの手でも折れる柔らかな水生植物であるそんな葦で釘もない時代に作った舟なのだ。その舟が 木造でもなく鉄鋼船でもないその舟が 風にも耐えてあの広い大西洋を横断するのである パピルスのように柔軟でありながら鋼にも匹敵する強靭さこそ舟木一夫の舟ではなかろうか あえて舟木一夫の写真集のタイトルをパピルスとする所存である 舟木一夫クン君こそ現代のパピルスであって欲しい 
     
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    芸術には国境がない 
    なんの説明を加えないでも 世界のすべての人の魂に話しかけることができ 心と心を通わせることができる
    そこに人類相互の信頼と調和が生まれ 平和が訪れる
    そこに芸術家に期待される社会的使命がある
     
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    イメージ 10プロの歌手になるというボクの人生の第一目的をはたした年 でも仕事が 自分自身になにかもうひとつピンとこないで ただもう無我夢中で雲の上を歩いているようでした
    それからこの年の10月「学園広場」を歌ったとき ”ああ プロの歌手になってホントによかったなあ”と感じた
    12月にレコード大賞の新人賞をもらったときは嬉しさのまえにその責任の重大さを痛感しました そして思いました ”ファンの皆さん ありがとう”と
     
     
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    1963年(昭和38年)発売シングル盤
     
    イメージ 12高校三年生 
    作詩:丘灯至夫 作曲:遠藤実
    http://www.youtube.com/watch?v=nhXoeMxs4Mw

     
    只今授業中  
    作詩:関沢新一 作曲:遠藤実
    http://www.youtube.com/watch?v=QBwa4zx9bMo
     
     
     
     
     
     
     
     
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    イメージ 18舟木君に望む  川口松太郎 
     
    流行歌手の生命は短いというが舟木君は長い人だ。今後も長く唄いつづけるだろう。歌ばかりでなく芝居もぐっとうまくなった。私もかつて彼
    のために「春高楼の花の宴」という舞台脚本を書いたことがある。明治書生の役をそれらしくやって成功したが、彼の舞台にはユウモアがある。村上元三君の時代劇脚本では二枚目半的なアクションで観客を喜ばせるシーンが随所にあった。躰に備わる愛嬌だからユーモラスな特徴を生かす脚本を得て、その方面の演技を開拓し得たらそれこそ鬼に鉄棒だ。(*金棒の意)
    舞台人の大事なことは他人の持たない特技を身につけることで、特徴のない芸能人は永続性がない。舟木君は歌という特技に加えて舞台俳優の演技を身につけている。美しい二枚目の上へ愛嬌のあるユウモア演技を自分のものにしたら両手に鉄棒を持つのと一緒だろう。若い二枚目なら誰でもやる。平凡な二枚目ではつまらない。舟木君でなければならない持ち味が完璧になったら舞台人としての生命は永遠であろう。そういう舟木君になってくれることを望む。
     
     
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    イメージ 19
     
     
    イメージ 20”君たちがいて僕がいた””花咲く乙女たち”などを歌っ
    ていて悩んだこと・・・・・
     
    それは、学園ものや青春ものだけを歌っていて どこまでやれるだろうか? 限界があるんじゃないだろうか でもファンの方々は喜こんでくれている それなのにボクはそれをすてなければならないかもしれない どうしたらいいんだろうボクは?・・・・・
     
    こんなことを考え悩み苦しんだ年だった 
     
    3月に初めての国際劇場でのワンマン・ショーが大入りで大カンゲキ 
     
    それからちょっぴりはずかしいけど言っちゃおうホントのことをこの年に初恋をしました 相手は誰だって? 
    まあ それはカンベンしてください
     
     
     
    イメージ 241963年(昭和38年)発売シングル盤
     
    初恋の駅   作詩:関沢新一 作曲:山路進一
    http://www.youtube.com/watch?v=gWoEQQg1GDk

     
    さらば古い制服よ  作詩:丘灯至夫 作曲:戸塚三博
    http://www.youtube.com/watch?v=ZAr8QTbYobc(kazuyanさん)

     
    青春はぼくらのもの 作詩:丘灯至夫 作曲:遠藤実
    http://www.youtube.com/watch?v=hvGl3tKe6vE(kazuyanさん)

     
    少女  作詩:石本美由起 作曲:山路進一
    http://www.youtube.com/watch?v=i77y8CHaBX4

     
    若き旅情  作詩:西條八十 作曲:遠藤実
    http://www.youtube.com/watch?v=q4o-_EvPvNY(kazuyanさん)

     
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    イメージ 22右衛門七節  作詩:西沢爽 作曲:遠藤実
    http://www.youtube.com/watch?v=xx-dDbUk06A
     
     
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    ~「Papyrus」 舟木一夫写真集 1970 その2につづく~

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    15日から17日まで、上京しました。今回は直接は舟木さんお目当てではありませんでしたが、やっぱりどうしても「舟木さん探し」をしてしまいます(笑)
    あまり期待せずに、笑って読み流していただけたら、幸いです。
     
    新宿末廣亭  小三治師匠のネタ:15日夜「転宅」/16日夜「厩火事」
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    まずは、初日の15日、そして翌日16日の夕方からは、大好きな新宿末広亭へ大好きな柳家小三治師匠をお目当てに向かいましたので、舟木さんをむりやりからめてみます。
    毎年、柳家小三治師匠が寄席に出演される「席」は決まっているので、そこを目掛けて都内に4か所ある寄席に出かけます。寄席はひと月を十日ずつに区切って、上旬を上席(かみせき)、中旬を中席(なかせき)、下旬を下席(しもせき)と呼びます。お正月の1月だけは、特別に呼び方が変わって1日から10日までを初席(はつせき)11日から20日までを二ノ席(にのせき)と呼びます。小三治師匠の新宿末広亭の出演は例年二ノ席の夜部のトリと決まっているので私は毎年この時期には上京して2日から3日は通います。今年は15日、16日の二日連続で足を運びました。

    いきなり落語と寄席のお話で申し訳ありませんが、舟木さんが落語通でいらっしゃることはファンの皆さんも既にご周知のことだと思います。
     
    イメージ 2以下は、6月の私の日記です。舟木さん御自身による落語とのかかわりについての談話があります。
    ~舟木さんが落語情報誌「東京かわら版・6月号」に寄稿されています~↓
     
    小咄や短い前座ネタなどの音源になっているものをお聴きになっている方もいらっしゃいますよね。落語においても、舟木さんの勘の良さと間合いの良さは、さすがだと思います。歌もお芝居も、もちろん落語や朗読など言葉に命を吹き込むというのは本当に難しいものだということが自分自身がやってみると身に沁みてわかります。
    私も、朗読サークルや落語のお稽古をすこしかじったことはありますが、共通するのは「巧い下手」というより一番大切なのは持って生まれた「個性」というか『独自性」の魅力だということを痛感します。
    イメージ 13その人らしさを表現手段を通して具現化できる才能は残念ながら誰にでもあるという類のものではないと感じています。ベースになるのは、人となりであって、技巧(テクニック)はあとからついていくものといえるのかもしれません。
     
    柳家小三治師匠は歌好きで有名です。ソロ・コンサートも数回開催していらっしゃいます。CDも出てます(笑)私はコンサートにも行ってその美声を楽しませていただきました。舟木さんの音源にもある「山のけむり」ほか、日本の抒情あふれる歌や、小椋佳さん、さだまさしさんの曲などがお得意です。  柳家小三治師匠のCD↑         
     
     
    16日の午前中は、舟木さんが卒業なさった自由が丘学園に「さんぽ」に行きました。
     
    自由が丘学園  16日 
     
    イメージ 14東急の自由が丘駅下車、駅を背中にしてすぐ、某銀行を右折れします。なんとここの通りは「カトレア通り」です。これにはビックリ(笑)舟木さんの「花咲く乙女たち」と関連するのかな?それとも偶然?
     
     
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    3分ほど坂道をのぼって、左折れすると学園通りに入ります。さらに5分ほど坂道をのぼっていくと学校の看板が見えます。
     
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    さらに、校舎の敷地をぐるっと一周して
    みました。
     
     
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    再び「カトレア通り」を通って駅前
    へ・・・駅前には、昭和36年に建てられたという女神像「あおぞら」(澤田政廣作)がありました。
    舟木さんも通学の時に見てたのかな?
     
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    自由ヶ丘をあとにして、半蔵門の国立劇場へ・・・・
    12時開演 「通し狂言 三千両初春駒曳」
     
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    辰岡万作=作『けいせい青陽鳥』より(尾上菊五郎=監修)
     
    この作品の題材は、江戸時代初期の大名の逸話を描いた実録本「大久保武蔵鎧」(おおくぼむさしあぶみ)です。
    幕府の老中、本多正純の改易に絡む将軍暗殺計画や三代将軍家光の甥として生まれながら流浪を続けたとされる伝承上の人物(松平長七郎)などの伝説を取り上げています。
    但し、江戸期の芝居では、将軍家をはじめ、大名などの実名の使用は許されませんでした。そこで、物語の時代設定や登場人物の名前を「太閤記」の世界に移し、徳川将軍家を小田(織田)信長家に置き換え、信長死後の後継者争いを物語の背景に描きました。(以上パンフレットより)
     
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    ・・・というわけでこのお芝居では、主人公である松平長七郎の名は小田三七郎信孝となっていて、尾上菊五郎さんが務めています。そこで、舟木さん見つけました!やれやれ(笑)
    松平長七郎・・・といえば「若君風流」ですよね。
     
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    舟木さんは昭和41年(1966)10月に大阪の新歌舞伎座で初の座長公演をなさって、この時のお芝居の演目のひとつが「若君風流」でした。村上元三氏が舟木さんの長七郎のイメージにあてて脚本を書かれたということでした。殺陣の巧さはその頃から評判だったそうです。
    その舞台の殺陣の部分の映像も少しだけ拝見しましたが、初舞台とは思えない「板についた」ものだという印象でした。
     
     
     
     
     
     
    当代仁左衛門さんのお父上である十三代目片岡仁左衛門の松平長七郎↓イメージ 12
     
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    仁左衛門家なら「松嶋屋!」
    菊五郎家なら「音羽屋!」
    いずれも、水もしたたる美丈夫ですよね!
     
    願わくば、舟木さんにも屋号が欲しいところです(笑)
     
     
     
    私が伝統芸能の世界に魅せられはじめたのはいつの頃からか、はっきり覚えていませんが、多分とっかかりは桂米朝師匠の落語のテープを図書館で借りてきて聴き始めたのが最初のような気がします。落語のネタ(噺)には浄瑠璃(義太夫)、歌舞伎などから題材をとったパロディのようなものがたくさんあります。聴いたことのない言葉や話があるとひっかかりますからちょっと調べてみたりしてるうちに「文楽」を観にいくようになって、次はその浄瑠璃をもとにした歌舞伎を観に行くようになり、歌舞伎では「能・狂言」を題材にしたものがあるので「お能」「狂言」を観にいくようになる・・・という流れだったかな?また、落語には講談や浪曲とリンクした噺もたくさんありますから、そこにも足を踏み入れる・・
     
    舟木さんとの初めての「出逢い」と「別れ」までの期間は、私はとっても短くて、12才から15才の終り頃ま
    での3年ほどだったと思います。それからの長い長いブランクがあり、伝統芸能に出逢ったのが15年ほど前のことですから、一昨年の9月に舟木さんと新歌舞伎座公演の舞台で再会できたのは、おそらく15年の間にそういった諸々の伝統芸能の雑学のようなものがおぼろげに頭のかたすみにわずかながらでも蓄積されていたからではないかと思えています。
    舟木さんはもちろん本業は歌手ですが、2年前に再会した時の舟木さんは、私が15年間の間に拝見してきた世界の敬愛すべき方たちとどこか共通する「修業」を積んでこられた人たちと同じ匂いをお持ちだという印象でした。
     
    子ども時代の3年間は、多分、私は舟木さんが好きだったというより、舟木さんの歌やテレビドラマや映画の世界の中の登場人物が好きだったといっていいのかもしれません。それは、ナマの舟木さんそのものに会ったことも見たこともなく、メディアを通しての一元的な舟木一夫さんしか知らないわけですから、当たり前のことだとも言えるのでしょう。ところが、それなりの人生経験をして、それなりに、優れた舞台人をたくさん観てきた上でナマでその舞台を初めて拝見した時からは、舟木一夫という人の魅力がわかり、やっと初めて舟木一夫さんを好きだという認識ができました。これは、私にとっては嬉しい愕きでした。ですから正確にいえば、今になって初めて本当の意味で舟木一夫ファンになったと言えるのでしょう。でも、さらに言えば、子どもの頃の舟木さんのイメージが50年経った今もなにひとつ変わっていないということが、私を惹きつけて離さない最大の理由だということになるのでしょうね。そして、その上、舟木さんご自身が人間としても表現者としてもめざましい進化を遂げて、歌もお芝居もトークもすべて、大人になった私を堪能させて下さるスケールの大きさを身に纏っていらっしゃることに「今さらながらのファン」としては何よりの幸せと感謝の想いを感じています。「初恋」の人がイメージをそのまま保ち続け、大人の男性としての魅力も年輪として重ねてきた姿を見せてくれた時の幸福感ですね。これは、自分のことを棚上げにした、ずいぶん我がまま勝手な想いですが(笑)
     
    ~舟木さんを探すさんぽ径~2014年1月 真冬の上京日記 その2 につづきます~
     
     
     
     
     
     
     
     
     

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    ~舟木さんを探すさんぽ径~2014年1月 真冬の上京日記 その1のつづきです~
     
    イメージ 1若い頃に数年間だけですが、東京に住んでいたせいか東京は京都と並んで私には親しみのある場所です。実際に暮らしていたのは最寄駅が吉祥寺の武蔵野市寄りの練馬区のはずれだったのですが、大人になって落語を聴きに行ったり歌舞伎見物に行ったり遊ぶ目的で上京するようになってからは下町が好きになりました。ですからホテルを選ぶ時はまずは浅草です。
     
     
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    イメージ 13今回も部屋の窓から隅田川やスカイツリーがすぐそばに見えるホテルに泊りました
    お約束のように、朝一番に、浅草寺~伝法院通り~浅草公会堂などをさんぽししました。
    まだお正月のお飾りが華やかな仲見世通り。
    そして、忘れちゃならない、浅草公会堂の「スターの広場」で舟木さんの手形に御挨拶
     
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    上京最終日の17日は、荷物をホテルに預かってもらって両国にある江戸東京博物館の開館20周年記念特別展「大浮世絵展」に行ってきました。
     
    展示企画のコンセプトは以下のようになっています。
     
     
     
     
      大浮世絵展  江戸東京博物館
    浮世絵の傑作、大集合 
       ~あなたの見たい浮世絵に出会えます~
     
    日本が世界に誇る浮世絵は、江戸時代の初期に始まり、歌麿、写楽、北斎、広重などのスター絵師の活躍や、強烈なインパクトを放つ国芳らの登場を経て、小林清親や橋口五葉などの近代の画家に引き継がれました。
     本展は、浮世絵研究の成果を世界に発信している「国際浮世絵学会」の創立50周年を記念して、浮世絵の名品を日本国内および世界各地から一堂に集めるものです。好事家ならずとも目にしたことのある代表的な作品約430点により、浮世絵の全史を通覧します。まさに浮世絵の“教科書”、“国際選抜”となる展覧会です。(東京会場には約350点が展示されます。展示替あり。)
     会場では、“浮世”を初めて絵画の題材として取り込んだ江戸時代初期の風俗図屏風を筆頭に、菱川師宣の初期浮世絵から、歌麿・写楽が登場した「黄金期」、北斎・広重・国芳が活躍した「展開期」、そして文明開化に沸く明治時代の新聞錦絵、橋口五葉が描いたモダンな女性まで、時代を追ってご紹介します。版画だけでなく、肉筆画も多数展示するとともに、大首絵、役者絵、相撲絵、上方絵などの浮世絵が持つ多彩なジャンルも網羅します。浮世絵の全貌を紹介し、その魅力を再認識していただく展覧会です。(江戸東京博物館HPより)
     
    http://ukiyo-e2014.com/ (公式サイト)
     
    イメージ 18父が絵画好きで、特に日本画の作品全集は、揃っているので今回の「大浮世絵展」の作品は馴染みのあるものがほとんどでしたが、やはり展覧会で見ると壮観です。
    作者、作品の時系列に沿って展示されています。
    下の父の蔵書の浮世絵師名の並びは向かって右の菱川師宣から始まって、ほぼ時系列通りになっています。
     
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    「全て分かる」贅沢な展示   (夕刊 読売新聞 2013年12月24日)
     
    国際浮世絵学会創立50周年を記念して開催される本展は、まことに贅沢な企画展だ。何しろ、浮世絵の教科書となるように、名品がずらりと勢揃いする。「彦根屏風」や、菱川師宣の「見返り美人図」など、教科書に必ず出てくる作品が極力そろえられているのだ。そのために、イギリスの大英博物館を始めとする欧米主要美術館4館から厳選した名品を借用し、さらに国内有数の美術館からも傑作を選んでいる。東京展の出品総数は約340点。こんなことが可能になったのは、やはり国際浮世絵学会の前身、日本浮世絵協会が海外の美術館と提携し、浮世絵の地位向上に努めてきたからに他ならない。そのみどころ満載の中身を覗いてみよう。まずは、浮世絵が生まれる前夜。初期肉筆風俗画とも呼ばれる遊楽の姿を描いた屏風からやがて美人画が一人立ちして描かれるまで。それを受けて菱川師宣が登場し、廉価な版画を庶民に提供する。それはまだ墨一色であったが、やがて鈴木春信が多色摺を工夫した。錦絵の誕生である。このあと、二大悪所と呼ばれる芝居小屋と吉原を中心とした役者絵・美人画を描く浮世絵には、鳥居清長・喜多川歌麿・東洲斎写楽といった絵師が登場し、黄金期をつくる。葛飾北斎や歌川広重は名所絵や花鳥画という、従来にない画題で人々を喜ばせ、幕末には歌川国芳が奇想の武者絵を開拓する。上方でも浮世絵が開花する。明治になると、小林清親らがいち早く文明開化を描き、大正期に入ると、川瀬巴水・橋口五葉などが新版画運動で近代に浮世絵を甦らせた。まさに浮世絵の全てがわかる企画なのだ。 ~寄稿 安村敏信(前板橋区立美術館長)
     
                                         江戸東京博物館の前は北斎通りといいます。すぐ近くが北斎生誕地です
     
    イメージ 22東京展は3月2日(日)まで、その後、名古屋展(名古屋市博物館)、山口展(山口県立美術館)と巡回。
    展示期間は8期に分けられていて、順次、展示品は入れ替えがあります。鑑賞に必要な所要時間はざっとひととおり観て回るだけなら1時間半ほどでしょう。ゆっくり鑑賞するなら2時間というところです。
    当時の、表立って名前の残っている浮世絵師は、99%男性ですが、私の印象に残ったのは、葛飾応為の「夜桜図」です。「葛飾」とあるので、最初は北斎門下の弟子かと思ったのですが、応為は、北斎の三女だそうです。北斎は彼女の絵について「美人画にかけては応為には敵わない。彼女は妙々と描き、よく画法に適っている」と語ったと伝えられている(Wikipediaより)とあります。北斎も認める腕だったのですね。
    この作品は展示期間が1月20日までなので本当に運よく観ることができたということになります。
     
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    北斎と言えば、「富嶽三十六景」のようなダイナミックでシュールな作品が印象強くありますが、こんな優しい絵もあるのですね。
    展示品の中で、一風異なった空間を作っていたので、帰りに売店で絵ハガキになってないか探したらやっぱりありました。
    この画像は、買って帰った絵ハガキです。
    「紫陽花に燕」と「百合」です。
    お待たせしました。
    ここで、舟木さんがやっと登場!(笑)
     
     
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    愛はまぼろし 
    作詩:石坂まさを 作曲:竜崎孝路 
     
    愛するって悲しくて
    とてもはかないものだわと
    うつむくお前は 二十才前だった
    そんな背中に黙って 煙草をふかして
    空にひろがる夜明を 見ている俺だった
    あじさいの花が散り 宵待草の匂うころ
    なぜかお前を想い出す あの頃に帰りたい
     
     
     
     
     
     
    イメージ 4その人は昔 のテーマ
    作詩:松山善三 作曲:船村徹
     
    その人は 昔 海の底の 真珠だった
    その人は 昔 山の谷の 白百合だった
    その人は 昔 夜空の星の 輝きだった
    その人は 昔 僕の心の 灯だった
     
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    イメージ 6大浮世絵展」を鑑賞し終わってから、ちょうど大相撲春場所が開催されているので、国技館の様子でも見てこようかな・・・と博物館の裏手に回り、右手に旧安田庭園、左手に大相撲の幟を見ながら歩いていきました。町名は「横綱町」そんな町名があるのか・・・。さすが両国だと感心しながらさらに歩いていると、いきなり「花の生涯」という碑文が目に飛び込んできました。あらら懐かしや・・・でも、なぜここに?と目を凝らしてみると、「花の生涯」と書いてある上方に「船橋聖一生誕記念碑」とあって、井上靖氏によると思われる文が刻まれていました。
    ちょうど角地で、目立たないので見過ごしてしまいそうな場所です。ぼんやりの私がよく見つけたものです。これも舟木主膳さまのお導き?(笑)
     
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    碑文には、こんなことが書かれています。
    作家舟橋聖一は明治37年(1904年)12月25日に本所区横綱町2丁目2番地に生る。作家、國文学者として盛名高く、数々の名作を遺すも、その72年の生涯は權威に屈せず、市井の文人、文学者として独自の風格を以て貫かれている。代表作の一つ、『花の生涯』は伊井大老の生涯を綴った醇乎たる逸品であるが、文学者、文化人として、前人未踏の道を歩いた作者の人生行路もまた、そのまま花の生涯と呼ぶにふさわしいものである。    井上靖
     
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    イメージ 9主膳さまのことを想い出したところで、ほぼ11時半ごろでした。次のスケジュールは東銀座の東劇で上映中の映画を観る予定にしていました。帰りの新幹線は午後4時半頃の指定を既に購入していたので、それまでどうしようかと事前にチェックしてたら見つけました。
    上映館が東銀座の東劇で、上映している映画でタイトルが
    THE歌謡ムービー 昭和歌謡危機一髪!」というものです。
    ナニコレ?っていうので、これまたネットで調べてみると、「ニッポン放送60周年企画作品」とあります。
     
    ~以下は、紹介サイトから~
    山内惠介の銀幕デビュー作。演歌歌手としてデビューした山内は、ようやく人気が定着しはじめた矢先、所属事務所の社長が飲食事業に失敗し、事務所が携帯ゲームの会社に買収されてしまう。なんとか歌手活動は続けられることになった山内だが、これまでの慣習を認めない新経営陣とうまく折り合えない。さらに、歌うことができない奇病にかかってしまった山内はすっかり自信を失い、歌手生活をあきらめて旅に出るが……。監督は劇団WAHAHA本舗所属の俳優で脚本家・放送作家のすずまさ。
     
     
    映画の解説文もネットにアップされていました。石原裕次郎さん、小林旭さんと並んで舟木さんのお名前が出てきているのでとっても嬉しいのですが・・・残念なことにまたしても舟木さんのお名前の「舟」の字が間違ってました。昨年のフジテレビ放映の島倉千代子さんの追悼番組のテロップでも同じ間違いがありましたから、気をつけていただきたいなぁと思います。
     
    ~抜粋~
    かつて昭和の歌謡曲全盛時代にはスター歌手を主人公とした歌謡映画が花盛りであった。
    石原裕次郎、小林旭、舟木一夫他、スターが歌を唄い、映画に出演していた。
     
    以下は下記サイトをご参照下さい
     
    http://www.youtube.com/watch?v=-QbdeVpDLug 星屑の町(主演の山内恵介さんの歌唱)
     
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    THE歌謡ムービー 昭和歌謡危機一髪!」
    上に掲げた、いくつかの舟木さんが出演した映画とは、もちろん時代背景も違い、テーマそのものも青春を真正面から謳いあげるような作品ではありません。ですから「銀幕のスター」として山内恵介さんを大抜擢とありますが、これは、歌謡曲の歌い手が、それなりのポジションで映画に出演するというスタイルが今では皆無に等しいということの裏返しなのかも知れません。ちなみに、私は山内恵介さんはテレビの歌番組で2、3回は拝見してると思いますが、お名前をきちんと認識できたのは、この映画を観たからです(笑)
    氷川きよしさんだけしかわからなかったのが、もうひとり増えました(笑)
     
    東劇は歌舞伎関係や落語に関連する映画の上映がされていて「松竹歌舞伎会」の割引待遇もあったので、ここ十年くらいは東京に行くと度々足を運んでいます。「昭和歌謡」の風化ということが、最近やたらと気になるのは、「昭和の風景」そのものが、私が生まれてものごころついた頃から聴き慣れていた流行歌・歌謡曲の中にそっくりそのまま埋め込まれていたからなのだろうと思います。「時代と歌」が不可分のものとしてあったのが昭和であり、世相を映した歌が大人も子どもも区別なく大衆と共にあったシンプルな時代は昭和で終わってしまったのだという想いをあらためて痛感しました。
     
    なんとか舟木さんつながりの「さんぽ」になったでしょうか・・・・お粗末さまでした。
     
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    帰りの新幹線の中から撮影。品川駅あたり。夕陽が沈んでいく真冬の西の空です

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    ~「Papyrus」 舟木一夫写真集 1970 その1のつづきです~
     
               Papyrus 舟木一夫写真集 1970
     
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    一番好きな言葉は”誠意” これは他人に対しても自分に対しても同じだそうです いい言葉ですね 
    ”誠意”っていいきるあたり 真の舟クンの面目躍如といったところです
     
    君たちがいて僕がいた 作詩:丘灯至夫 作曲:遠藤実
     
     
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    イメージ 24続・高校三年生
    前作「高校三年生」の興行的大ヒットにより再び企画された作品 東京の下町を背景とした学園もの 
    舟木クンはカッコよく そして喧嘩も強い模範工員を演じて 前作以上の大ヒット作となった
     
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    イメージ 26ああ青春の胸の血は
    舟木クンが ホリプロから第一共栄に独立して初の企画で 幼な友だちの女の子を励ますクリーニング屋の店員を演じた この映画で初めて和泉雅子と共演し 以後コンビの作品をたくさん世に送りだした
     
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    舟木クン20歳の誕生パーティーで挨拶する藤山愛一郎氏 
     
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    同じく誕生パーティー 模擬店で

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    イメージ 8大いなる成長を祈りつつ  中山正巳(日本コロムビア社長)
     
    舟木君、君がコロムビアの専属になって「高校三年生」でレコード界に初陣の大ヒットを飛ばした昭和38年はちょうど私もコロムビアに入社した年でした。それだけに私には君の颯爽としたデビュー振りがいまだに鮮やかな印象で残っています。爾来8年、いわゆる「学園もの」の連続ヒットを皮切りに君は独自の持ち味で、青春路線に清新の息吹を通わせ、いまや名実ともに 流行歌界の若きプリンスの地位を確立させたことは誠に喜ばしいかぎりです。君の初々しい、いくらかペーソスも漂わせるあの独特の笑顔は痩せた身体とともに初めの頃と少しも変わりませんが、その芸の成長ぶりには目覚ましいものがあります。歌い手としてばかりでなく、演技者としても君はますますその芸域をひろげて、電波に、ステージに、スクリーンにファンを魅了しています。君の細い身体の中には、烈々たる強い信念と、逞しいファイトが脈々と溢れているように私には感じられるのです。人間的な成長と、精進こそが、芸を深く大きく育てるということを若いながら君はよくわきまえているように思います。先にプロダクションを主宰し、今度また本を出版されると聞きました。おめでとう。好漢、舟木君、大いに頑張り給え。そして今後とも、一層自重して、より大きく成長されるよう心から祈る次第です。

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    イメージ 9そう! この年は映画に芝居にガゼン興味をおぼえた年ですねえ 「北国の街」を筆頭にいわゆる学園ものから脱皮してラブ・ソングがヒットした年でもあったし 自分なりに本格的演技に取りくんだ年でもありました嬉しかったのはこの年の5月 世田谷の代沢の新居に移って これまでのアパート暮らしにピリオドをうったこと 悲しかったのは 7月東北地方の巡業中 ダンノウ炎でダウン 日大病院へ10日間入院したことでした そのときの感想を一言”ああ とうとうやったな”

     
    魂と人格は芸術家の生命であり かれの生活こそ真のドラマである 芸術はそれをうつす鏡である 
    かんじんなことは かれの魂と生活を美しくそだてた心をうつす鏡をみがくことである
    芸術家に内面的きびしさを要求されるゆえんがそこにある

     
     
     
    舟木クンの魅力  伊藤利夫(弁護士)
     
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    舟木クンとわたくしは同じ尾張の国の生まれである。舟木クンの後援会長江崎真澄代議士とは、中学時代に学校は違ってはいたが同じ弁論部員として活動していたのも何かの縁であろう。舟木クンのお父様の上田栄吉氏もわたくしと同じ年頃の友人~飲み友だちである。そんな関係で私は舟木クンに特別な関心をもっている。舟木クンはいかにも若々しい青年で新しい時代感覚に溢れている。つねに新鮮なものを追求している。若さと時代感覚の新鮮さ、それが若い人々を魅了する。しかし、素顔の彼と話していると、若さのなかになにか熟成された人間性を感じる。なぜだろうか。竹を割ったような江戸っ子気質のお父様の影響があるのかも知れない。だが、それは芸に対するかれの執念と精進からにじみでるものだ。とわたくしは思う。芸道に魂を打ち込み、きびしい修業の途を歩む人に感じられる全人的な厳粛さである。そこには、年令を超えた内面的成長がみられる。若くして大をなした思想家や文学者や芸術家には共通したものがある。舟木クンはまだ若い。しかし、若さの中にそうした資質があるように思われてならない。天才は生まれながらのものではなく、努力の結果つくられるものである。しかし、資質がなければ駄目だ。資質そのものは生まれながらにそなえているものである。資質と努力こそ、かれを大きくそだてるゆえんであろう。年令的若さが、ときとして、内面的きびしさを横柄、ナマいきと感じさせることがある。やはり、若さの未熟がなせるわざであろうが、これをのり超えて円熟の域に達する日を望みたい。
     
     
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    イメージ 30北国の街   作詩:丘灯至夫   作曲:山路進一
     
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    東京は恋する
    作詩:丘灯至夫
    作曲:山路進一
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
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    高原のお嬢さん
    作詩:関沢新一
    作曲:松尾健司
     
    15周年記念再録音盤音源↑
     
     
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    たそがれの人 作詩:安部幸子 作曲:山路進一
     
     
     
     
     
     
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    夜霧のラブレター 作詩:安部幸子 作曲:山路進一  イメージ 22
     
    なんの返事も もらえぬ手紙
    かいてふるえる 文字ならば
    あおい夜霧に したいもの
    わかってくれぬ あなたの窓に
    すがる夜霧に したいもの
     
    たまらないほど 恋しいきもち
    口に出せない なみだなら
    あおい夜霧に したいもの
    ふりむきもしない あなたの影と
    ついて いっしょに ゆけるよに
     
    好きになってと といきがにじみ
    ひとりみだれる 文字ならば
    あおい夜霧に したいもの
    いのちをあつめて あなたの傍で
    きえる 夜霧に したいもの
     
    ~「Papyrus」 舟木一夫写真集 1970 その3につづきます~

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    天気予報では「雪だ、雪だ・・」とずっと前ぶれがあるのですが、私の住んでる桑名では、今年になってからまだ雪を見ていません。センター試験のあった日にはテレビのニュースで同じ県内の津市で雪が降っている映像が流れていたのですが、こちらはさっぱりでした。毎日雪ばかりの地方にお住いの方には、ちょっと申し訳ないのですが、冬だから「ちょっとは」雪が舞ってくれてもいいのになぁ・・・と思ってます。
    舟木さんが、心身ともにどん底の状況から立ち直り、結婚されて、徐々に落ち着いていかれた1974年(昭和49年)の翌年1975年の1月にリリースされた曲は「愛の新雪」でした。
    復帰第一作シングルは前年の「旅路」だったそうですが、私は今、この「愛の新雪」を、舟木さんの新しいスタートの第一歩だったような明るいイメージで聴いています。
     
     
    イメージ 1愛の新雪  作詩:石本美由起 作曲:佐伯亮
    (1975年1月発売)
     
    「寒くないか」と いたわる声に
    身を寄せて 身を寄せて
    寒さ忘れる 愛の夜
    信じて生きる ふたりの恋を
    雪が静かに 包んでくれる
    白くまふしい 街灯り
    ああ新雪の 愛を語ろうよ
     
    「寒くないわ」と つぶやく君の
    黒髪に 黒髪に
    雪の花びら 降りかかる
    この世にひとり 君さえいれば
    俺はなんにも のぞみはしない
    雪がこころを 燃えさせる
    ああ新雪の 愛を唄おうよ
     
    イメージ 2「はなさないよ」と 肩だきよせて
    くちづける くちづける
    頬に冷たく 雪が降る
    思い出積もる 今夜の雪に
    愛の誓いを 記しておこう
    街は夜更けて 二人きり
    ああ新雪の 愛を語ろうよ
     
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    1974年
    4月29日挙式
    6月アルバム「初恋 舟木一夫抒情歌謡を歌う」発売
    7月27日NHK「思い出のメロディー」の収録。(8月3日放送)
    8月11日東京豊島公会堂で後援会員のためのコンサート開催
    9月「旅路」「寝顔」発売(復帰第一作)
    10月アルバム「友情 舟木一夫の新しい名刺」発売
    10月TBS「ふたりぼっち」に出演
    11月2日、3日東京郵便貯金ホールで「舟木一夫コンサート74」開催
    12月15日京都会館で「舟木一夫コンサート74」開催
     
     
    イメージ 41975年
    1月「愛の新雪」「別れの瞳」発売
    精力的にコンサート活動始動、後援会員200人とハワイ・バカンスツアーなども行う。
    4月「津和野川」「むかえ火」発売
    4月アルバム「暦 十二ヶ月の愛の詩」発売
    4月27日大阪新歌舞伎座「舟木一夫リサイタル」開催
    8月2日東京読売ホール「舟木一夫コンサート75~今までの僕・これからの僕~」開催
    12月「許されるなら」「哀しみの旅」発売
    12月アルバム「愛と別れの12章」発売
    *アルバムはオリジナル曲アルバムのみ記載
     
    ~年表は大倉明著「青春賛歌」より~
     
     
     
    ↑アルバム 友情/舟木一夫の新しい名刺 (1974年10月発売)
     
    友情/寝顔/返事/あじさいは君の面かげ/愛という名の電車/結婚/旅路/海峡/逢う瀬/杉の木峠の別れ/愛の新雪/別れの瞳
    シングル発売前年の10月に発売されたアルバムの中にも収録されています。
    アルバムからのシングルカットだったようです。

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           野口雨情の命日に~野口雨情ものがたり/船頭小唄~ (上)
     
    イメージ 1野口雨情は、明治15年(1882)5月29日茨城県多賀郡磯原村(現北茨城市磯原町)に生まれ、昭和20年1月27日に亡くなりました。「漂泊の詩人」と言われた雨情ですが、明治、大正、昭和という三つの時代をもまた、旅した生涯でした。
    詩歌の中でも童謡という分野は、あまりにも幼い頃から身に沁みついているので、ほとんど意識することもなく歌ってきていて、ちょっと古風な抒情性の漂う詩歌が背伸びした思春期の時期の私の心を捉えたのとは全く違った形で自分の周囲に自然にあったというところでしょう。
     
    野口雨情の名前も、私は童謡というより、どちらかというと「波浮の港」や「紅屋の娘」の詩の作者という知識の方が先だったように思います。あまりにも有名な「シャボン玉」「七つの子」他の多くの「童謡」の作者が誰だったかということはほとんど考えたこともなかったのかも知れません。多分「童謡」は文芸詩よりも一段低いものという認識が若い頃にはあったのでしょう。というか「童謡」は「童謡」であって詩歌という範疇では考えていなかったということになります。若気のいたり・・・(笑)
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    難しい言葉や雅な言葉を使った詩歌がより芸術性の高いものという間違った捉え方をしていたのでしょうね。舟木さんと文芸詩人と言うと、私はつい二年余り前に舟木さんと再会するまでは「絶唱」の西條八十と「初恋」の島崎藤村くらいしか思い当たりませんでした。野口雨情の「船頭小唄」をオリジナル曲のような愛着をもってステージで歌ったり、CD化されていることを知ったのはもちろん「再会」後のことです。それから、舟木さんの古いLPアルバムや若い頃の公演パンフレットなどを手に入れるようになって、舟木さんが二十代の初めから「船頭小唄」を既にステージで歌っていらっしゃることイメージ 4や、それ以降もリサイタルで雨情の歌を想い入れをこめて歌っていらっしゃるのを知りました。
     
    あの町この町/旅人の唄/船頭小唄    収録  →
     
    舟木さんが復活なさってから1995年に名古屋の中日劇場で「雨降りお月さん」というタイトルで初演され、1997年8月に新橋演舞場の初公演の舞台にかけられたのが「野口雨情ものがたり」であることを思えば、雨情への舟木さんの想いの深さを感じることができます。そして2006年には新橋演舞場連続10回出演記念で「野口雨情ものがたり~船頭小唄」として再演なさっていることも雨情の世界観と舟木さんの歌い手としてのスタンスがきっちり重なり合っていることを示しているように思います。またこの三回の公演のタイトルの変遷も舟木さんが年令とともに「雨情の世界観」の高みにより高く昇りつめていかれたことの証のようにも感じます。その雨情の御命日にちなんで、あらためて雨情のことに想いを馳せてみました。

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    2006年8月2日~26日に新橋演舞場上演された「野口雨情ものがたり~船頭小唄」のストーリーを追いながら、並行して、雨情の生涯などをたどっていきます。
    参考資料は、
    「名作童謡100選 」編著:上田信道(春陽堂)の中から巻末の
    「評伝・野口雨情 土に生まれ、土に還る」です。
     
     
    新橋演舞場(2006年8月公演)
    昭和27年11月27日、東京武蔵野市の井の頭公園。野口雨情記念碑除幕式。中山晋平、三木露風、西條八十、などが列席。雨情の妻のつる、最初の妻の子の雅夫と美晴子などとともに、それぞれが知っている雨情のことを教えあおうと回想という形での幕開け。
     
     
     
     
     
    記念の歌碑  「鳴いてさわいで 日の暮れごろは 葦(よし)に行々子(よしきり) はなりゃせぬ」

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    雨情は、1882年(明治15)5月29日、茨城県北茨城市の磯原の手広く廻船問屋を営んでいる旧家に生まれました。父を野口量平、母をてるといい、赤ん坊は英吉と名づけられました。
    少年時代の英吉は野口家の跡取り息子として溺愛されわがままに育ちます。気は弱かったといいますが、学校へ行く途中で弁当を食べてしまっては山で遊ぶような腕白なところもあり、学校ぎらいだった、と伝えられていますが、成績はかなり良かったようです
    野口家は地元の人たちから「磯原御殿」と呼ばれていたほどでしたが雨情の父・量平の代に没落しました。量平は北中郷村の村長も務めましたが、文明開化の新時代に適応できなかったことや、持ち船の沈没という不幸な事故も重なり、伯父・勝一の政治活動に財産を費やしたことなども没落の一因のようです。雨情が家を継いだ時にはすでに借金でどうにもならなかったようですが父は野口家の誇りを忘れず磯原の家の再興を長男の雨情に託しました。
    雨情は磯原尋常小学校から、組合立豊田高等小学校に進んだ頃には文学、ことに新詩体に興味をもつようになり、1897年4月から伯父・勝一の東京・小石川の家に寄宿、神田の東京数学院尋常中学に通いました。三年生で順天求合社学校に編入学、1901年、東京専門学校高等予科(現・早稲田大学)入学。
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    父・量平が亡くなり雨情は帰郷して野口家を継ぐことになります。栃木県の高塩家から妻・ひろを迎えます。その翌年には創作民謡集として文学史的に画期的な民謡集「枯草」を出版しますが売れず南樺太に渡航。その際には妻の実家から大金を借りたうえに、なじみの芸者を同行し、挙句の果てにこの芸者に大金を持ち逃げされます。その後も何をやってもうまくいかず故郷には帰るに帰れず、東京で恩師の坪内逍遥の世話で「東京パック」という雑誌作りに携わります。文学への志は諦めずに1907年「朝花夜花」という月刊民謡パンフレットを発行。これも売れず逍遥から札幌に新聞記者の口があると聴き「北鳴新聞」に入ります。その後北海道の各新聞社を転々とし「小樽日報」へは石川啄木とともに入社。
    啄木と相談して主筆の不正を糾弾、排斥しようとしました。ここで同僚だった鈴木志郎の妻・かよの連れ子の「きみ」をモデルに創ったのが「赤い靴」と言われています。
     
     
    新橋演舞場(2006年8月公演)
    所は小樽、袴姿の舟木さん登場。「風、好きに吹け~迷夢本望~」歌唱。
    「小樽日報」の記者として務めていた雨情、啄木たちは、地元資本家と結託して私利私欲に走っている編集長の弾劾を企てていたが、密告されて発覚。新聞社を追い出される。下宿先の長屋では、磯原から出てきた妻のひろと愛人のまち(福島湯本町の芸者)が互いに睨みあっていた。そんな矢先に身重のひとが産気づく。生まれた女の子はみどりと名づけられた。しかし、みどりはわずか数日で短い命を閉じた。
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    新聞社も追われ、みどりを亡くした悲しみにくれる雨情は妻ひろと、長男を連れて磯原へ帰り、家業を継いで働きますが、詩を書くことは捨てきれませんでした。磯原に戻ってからもひろとは心を通わすことができず、1915年にはひろと協議離婚します。そして、1917年にはふたりの子どもを連れて福島県湯本町の湯本温泉にある芸者置屋の柏屋に寄留しました。

    イメージ 9お芝居では湯本温泉の芸者置屋・柏屋の女主人のまちも登場し、詩人としての雨情のよき理解者でもあり、男女の情を交わす女性として描かれています。彼女との今生の別れは舟木さん扮する雨情が磯原に帰り「磯原節」を歌う幻想的な場面で暗示され、その後に柏屋の妹芸者が、まちの死を伝えにやってくる場面へと続きました。
     
     
     
     
    イメージ 10末の松並
    東は海よ
    吹いてくれるな
    汐風よ
    風に吹かれりゃ
    松の葉さえも(オヤ)
    こぼれ松葉に
    なって落ちる
     
     
    これは「磯原節」の出だしです。むかしから歌い継がれてきた民謡ではなく「新民謡」です。新民謡とはおもに大正時代以降に創られた創作民謡のことで、この唄は野口雨情が作詞し。藤井清水作曲です。「磯原小唄」というタイトルであったものを、のちに「磯原節」にあらためました。磯原の自然を愛した雨情の熱い想いが伝わってきます。
     

    イメージ 11雨情は、その才能を高く買う出版社社長との関わりで作曲家の中山晋平と出逢います。舞台では、招かれた貴族院議員の夜会の席で晋平作曲の「カチューシャの唄」「ゴンドラの唄」を松井須磨子が歌うという場面も挿入されています。
     
    実際は、雨情が後添えのつると出逢ったのは、柏屋で働く芸者を探すためにでかけた先の水戸だということです。
    そこでまだ十六歳の少女だったつると知り合い、雨情がつるに惚れこんで結婚を申し込みます。つるがまだ若すぎたので子どもたちは雨情の妹夫婦に預けられました。お芝居では子どもたちが母のひろを慕って何度も家出をするので、母の許に返すことになったという設定になっています。また、お芝居の中で八十、露風、雨情がそれぞれ「即興童謡」を創る場面があります。つるが「鳥=飛ぶもの」という「お題」を出すと、それぞれ「かなりあ」「赤とんぼ」「七つの子」を自らメロディーをつけて歌います。場面が実際にあったかどうかは「?」ですが、この場面は私が一番印象深く感じ、胸がわくわくした場面でした。ひとりずつでもすごい詩人のスリーショットでしかも「即興」で童謡を創るという発想はとっても嬉しい演出です。
     
     
     
     
     ~1月27日は「やんすのダンナ/野口雨情」の御命日 (下)につづく~

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     ~1月27日は「やんすのダンナ/野口雨情」の御命日 (上)  のつづき~       
     
            野口雨情の命日に~野口雨情ものがたり/船頭小唄~ (下)
     
    イメージ 11918年(大正7)に湯本温泉から水戸へ移り、つると再婚したこの頃には雨情の持ち物は二冊の辞書とわずかな現金のみだったといわれています。雨情はつるの母親が経営する下宿屋の一室に住みしばらく下宿屋の手伝いをしたそうです。

    1919年(大正8年)3月に雨情は遠い親戚の長久保紅堂が創刊した「茨城少年」という小中学生を対象にした雑誌の主幹に招かれ、ここで童謡の普及活動を行います。
    6月には民謡集「都会と田園」出版。中央のメジャーな児童雑誌にも雨情の動揺が載るようになります。8月には「おとぎの世界」、9月には「こども雑誌」、そして「金の船」が創刊されます。
    以下は西條八十氏とのエピソード
    「金の船」の経営者斎藤佐次郎が、早稲田の先輩にあたる西條八十に、自分の雑誌に移ってきてほしいと依頼したそうですが、八十は自分を引きたててくれた「赤い鳥」主宰者の鈴木三重吉への恩義からそれを断り、代わりに敬愛していた雨情を推薦しました。また「金の船」の11月創刊号には、なるべく目立たないようにしてほしいと条件付きで童謡「船頭の子」を寄稿して義理をはたしたとのことです。このエピソードから八十の人柄が偲ばれます。
     
                                                                      向かって右端が雨情、ひとりおいて歌手の佐藤千夜子↓
     
    イメージ 2また雨情は「西條氏の思ひ出」(1931年)に以下のように書いているそうです。
    八十がまだ早稲田中学の生徒だった頃、雨情は早稲田中学で英語教師をしていた吉江喬松(たかまつ)と知り合い「中学四年生だが、天才詩人がいますよ。牛込の金持ちの息子さんで、西條と言います。」と聞いていたそうですが、一方、八十は雨情の「朝花夜花」にたいへん感動していたので、吉江はわざわざ用事をこしらえて八十に雨情の許を訪ねさせてやります。八十は後に「ひとりの美男子がランプのホヤ(ガラス筒)掃除をしていましたがそれが雨情だった」と語っています。天才と天才の出逢いの瞬間だったのですね。

    タイトルにも掲げていますが、雨情は上京してからも茨木訛りが抜けず、「~でやんす」が口グセだったので、親しみと尊敬の意を込めて人々は「やんすのダンナ」「やんすの先生と」呼んでいました。また「夕焼小焼」で有名な中村雨紅のように「押しかけ弟子」になる人が現れるほど雨情は若い詩人からも慕われたそうです。
     
    イメージ 4雨情の詩人としての名は知られていきますが、生活は相変わらず苦しかったようです。お芝居では、極貧の中で「船頭小唄」が生まれたストーリーをドラマチックに脚色しています。そして「船頭小唄」の大ヒットから一転して1923年の関東大震災という悲劇が「船頭小唄」に試練を与えることになったというこの日本最初の流行歌が背負った運命を大きくクローズアップして「野口雨情ものがたり~船頭小唄」のクライマックスとして盛り上げての幕という運びにすることで感動を呼び起こす舞台芝居として成功しています。
     
    以下も、「名作童謡100選 」編著:上田信道(春陽堂)の中から
    巻末の「評伝・野口雨情 土に生まれ、土に還る」を参考にさせていただきました。
     

     
     
     
     
     
    イメージ 5船頭小唄 
    作詩:野口雨情 作曲:中山晋平
     
    おれは河原の 枯れ芒
    おな
    じお前も 枯れ芒
    どうせ二人は この世では
    花の咲かない 枯れ芒
     
    死ぬも生きるも ねぇ お前
    水の流れに 何変ろ
    おれもお前も 利根川の
    船の船頭で 暮そうよ
     
    何故に冷たい 吹く風が
    枯れた芒の ふたりゆえ
    熱い涙の出た時は
    汲んでおくれよお月さん
     
    おれは河原の枯れ芒
    おなじお前も 枯れ芒
    どうせふたりはこの世では
    花の咲かない 枯れ芒
    花の咲かない 枯れ芒
     

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    雨情が「船頭小唄」の原型を創るのは1919年ごろのことだと言われています。水郷として知られる茨城県の潮来を舞台にした新民謡として創りました。失意と焦燥にかられながら自らの心境を叩きつけるように歌い込めています。お芝居でも、雨情のこういった救いようのない暗さの中にも煮えたぎるような熱い想いを舟木さんは実に見事に表現なさっています。

     
     
    イメージ 111923年1月には、映画「船頭小唄」(池田義信監督/岩田祐吉・栗島すみ子/主演)が封切られ、主演女優の栗島すみ子のレコード「船頭小唄・枯れすすき劇」は売り出し後二十日足らずで、十万部を売り上げるという大ヒットになります。
     
     

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    http://www.youtube.com/watch?v=jaVg7GTc20k  舟友さんによる「船頭小唄」動画
     
      
    この年の9月1日に関東大震災が発生。東京や横浜などの諸都市が焼け野原になりました。すると「船頭小唄」があまりにも暗い世相を予感させるような唄であったから震災が起きたのだといいがかりをつけられました。その後は、1957年封切りの映画「雨情」の中で、雨情に扮した森繁久弥が歌いました。

      
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    雨情は生涯に四冊の童謡集を出版しています。第一童謡集は「十五夜お月さん」(1921)第二童謡集は「青い眼の人形」(1924)、これら二冊の童謡集には音楽家の本居長世とのコンビが多く収録されています。本居には三人の娘がいて、彼女たちはそろって少女歌手としてデビューしこれらの童謡を歌って評判になりました。こうして、雨情の童謡はレコードやラジオにのって広く人々の間に浸透していくようになります。
     
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    国語学者の金田一春彦氏が草創期のラジオ番組で放送された童謡について調査をしたところ、創った童謡の数は北原白秋が多いのですが、メロディーにのせて歌われた童謡は雨情のほうが多いという結果が出たそうです。雨情の童謡は歌われることを通して親しまれていったのです。
     
    雨情は1924年三月に今の武蔵野市吉祥寺に移り住むと、長かった放浪生活に終止符をうち、この地に腰をすえます。吉祥寺の家は自分で図面をひいたり、庭に植える樹木にも気を配ったりして凝ったつくりでした。別棟の書斎は「童心居」と名づけられ、各地への旅にあいまにここで詩作にふけりました。
     
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    そして、第二次世界大戦の戦局が悪化した1944年に現宇都宮市に疎開。疎開先で生涯を終えました。
     
    お芝居の冒頭でも語られていますが、常に雨情が言っていた以下の言葉に表された精神こそ真の詩人、芸術家のものだと感動せずにはいられません。死して名を残すのではなく作品を残すことが何よりの本望だった雨情の理想はおそらく叶えられたように思います。舟木さんに再会するまでは「七つの子」や「シャボン玉」の詩の方が、雨情の名前よりもずっと私の記憶の襞に深く刻み込まれていたのですから。
     
      
        「詩というものは、それを書いた人の名前は忘れられ、
              その詩だけが残った時、初めてほんとうのものになる」   
                                                           ~ 野口雨情~
     
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    2014年上半期コンサートスケジュール一覧
     
    現在、確認できているものから、掲載します。モレ、補足などありましたらコメントかゲストブックでご一報いただけましたらありがたく存じます。
     
     
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    (春日局)予定
     
    2月6日(木)     
    ツアーコンサート 大宮ソニックシティホール   
    昼・夜
     
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    2月13日(木)
    ふれんどコンサート メルパルク大阪   
    昼・夜 
     
    2月17日(月)
    ふれんどコンサート メルパルク東京
    昼・夜 
     
    2月22日(土)/23日(日)   
    シアターコンサートin南座  
    昼・夜
    第一部:舟木一夫ヒットメドレー
    第二部:遠藤実スペシャル~七回忌を偲ぶ
     
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    3月12日(水) 
    ツアーコンサート 相模女子大グリーンホール
    昼・夜
     
    3月18日(火) 
    ツアーコンサート 堺市民会館大ホール
    昼・夜
     
     
    3月28日(金)/29日(土)
    スペシャルコンサート 中日劇場 
    昼・夜 
     
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    4月4日(金) 
    青春歌謡BIG3  川崎市教育文化センター 
     
    4月7日(月)/8日(火)
    青春歌謡BIG3  神戸国際会館こくさいホール 
     
    4月14日(月)   
    青春歌謡BIG3  浜松アクトシティ 
     
    4月17日(木)   
    青春歌謡BIG3  千葉県文化会館
     
    4月21日(月)   
    青春歌謡BIG3  福岡サンパレスホテル&ホール
     
    4月22日(火)   
    青春歌謡BIG3  熊本市民会館崇城大学ホール
     
    4月24日(木)
    青春歌謡BIG3  宝山ホール(鹿児島県文化センター)
     
     
    5月2日(金)/5月3日(土)/5月4日(日)     
    シアターコンサート  新歌舞伎座 
     
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    5月9日(金) 
    ラブリーコンサート メルパルク大阪 
    昼・夜 
     
     
    6月30日(月)
    青春歌謡BIG3  日本特殊陶業市民会館 フォレストホール
     
     
    以下は下半期ですが・・・
     
    12月20日~22日 
    青春歌謡BIG3  新歌舞伎座 
     
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    イメージ 11月の23日と24日は、大阪で歌舞伎舞踊と文楽を楽しみましたので、ちょっと記しておきます。
    直接的には、舟木さんとはちょっとかかわりのないことのようですが、おつきあいいただければ嬉しいです。
    まず、23日は大阪松竹座で「坂東玉三郎初春舞踊特別公演」鑑賞しました。
    昨年のお正月は、澤瀉屋(おもだかや)さんの襲名披露公演を拝見しましたが、今年も初春らしい華やかな玉三郎さんの舞踊公演というので楽しみにしていました。
    イメージ 2今、歌舞伎界の中で「舞踊公演」と銘打った一枚看板での一ヶ月公演が可能なのは玉三郎さんおひとりだけではないかと思います。「日生劇場」や昨年の春に閉館となってしまった「ル テアトル銀座」、京都南座や、名古屋御園座でも玉三郎さんの舞踊公演はずっと拝見してきていますが。私は、歌舞伎はともかく、これほど舞踊に魅せられたのは玉三郎さんと、もうおひとり故十八代目中村勘三郎のおかげといえると思っています。玉三郎さんには舞踊のもつ「静謐の極」、勘三郎さイメージ 13んには「躍動感」を堪能させてていただき、それまで無縁だと思っていた舞踊にすっかり親しみを覚えることができるようになりました。
    今回はその玉三郎さんをメインに、勘三郎さんの次男の中村七之助さんが共演なさっているのもまた嬉しいことでした。最後の演目の「於染久松色読販」が終わると、そのまま舞台上からの口上となり、玉三郎さんが「テレビのドキュメンタリーなどでお父様から厳しく叱られて泣きながらも頑張っていたあの小さかった七之助さんとこうして同じ舞台で共演できるのは感無量でございます。」とおっしゃって客席の笑いを誘っていらっしゃいましたが確かに本来なら今、玉三郎さんと一緒に舞台に立つ同輩の皆さんが相次いで亡くなったり、病気療養中でいらしたりという状況の中で、様々な想いで舞台を勤めていらっしゃるのだろうと玉三郎さんの胸中をお察ししてしまいました。
     
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    関西在住が長かったことや歌舞伎観劇や落語会などで、千日前、道頓堀のあたりへはよく行っていたのですが、昨年12月の新歌舞伎座公演千秋楽のコンサートで舟木さんが歌われた大阪にゆかりの曲あれこれを思い出しつつ松竹座の開演までに、せせこましい横丁をすり抜けてディープな道頓堀を探検してみました。
     
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    大阪ラプソディー 
    作詩:山上路夫 作曲:猪俣公章

    あの人もこの人も そぞろ歩く宵の街
    どこへ行く二人連れ 御堂筋は恋の道
    映画を観ましょか それともこのまま
    道頓堀まで 歩きましょうか
    七色のネオンさえ 甘い夢を 歌ってる
    宵やみの 大阪は 二人連れ 恋の街
     
     
     
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    法善寺横丁から道頓堀に抜けるあたりには記念碑なども多くて、とりあえず携帯カメラにおさめてきました。
    水かけ不動~法善寺~法善寺横丁~織田作之助碑~月の法善寺横丁歌碑~浮世小路の展示資料~

     
     
     
     
     
     
    イメージ 19浪花恋しぐれ 
    作詩:岡千秋 作曲:たかたかし
     
    芸のためなら 女房も泣かす
    それがどうした 文句があるか
    雨の横丁 法善寺
    浪花しぐれか 寄席囃子
    今日も呼んでる 今日も呼んでる
    ど阿呆春団治
    (セリフ)
    「そりゃわいはアホや 酒もあおるし 女も泣かす
    せやかて それもこれも みんな芸のためや
    今にみてみい!わいは日本一になったるんや
    日本一やで わかってるやろ お浜
    なんやそのしんき臭い顔は
    酒や!酒や! 酒買うてこい!」

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    「行き暮れてここが思案の善哉かな」~織田作之助~
     
    織田 作之助(おだ さくのすけ、1913年(大正2年)10月26日 - 1947年(昭和22年)1月10日)
    日本の小説家。通称「織田作(おださく)」。1913年(大正2年)、大阪市南区生玉前町(現・天王寺区上汐4丁目、生魂小学校正門前付近)にて、仕出屋(後に『一銭天麩羅屋』に業態変更)「魚春」の織田鶴吉、たかゑの長男として生まれる。出世作となった「俗臭」「夫婦善哉」をはじめ、「競馬」「世相」など短編を得意とした。また出身地である大阪に拘りを持ち、その作品には大阪の庶民(特に放浪者)の暮らしが描かれていることが特徴である。
     
     
     
       作之助の歌碑の斜め前には「月の法善寺横丁」の歌碑↓
     
     
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       狭い浮世小路の中には当時の道頓堀界隈の寄席小屋の興行のチラシやポスター類など資料が展示されています
     
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    イメージ 7昨年の12月に発売された「婦人公論 2014年1月号」に玉三郎さんのインタビュー記事が掲載されました。表紙も玉三郎さんの舞台姿です。ちなみに、この時の舞台は私にとってはこれ以上ないという顔合わせで、演目も江戸時代の享保年間に起きた「吉原百人斬り」事件をもとにした、三代目河竹新七(黙阿弥の門人)の作品で未だこの作品をナマで観たことがなかった私は上演を待ちに待っていたものでした。
     
                                             表紙→
    2010年2月 
    歌舞伎座さよなら公演  籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)
    配役  
    佐野次郎左衛門:中村勘三郎/八ツ橋:坂東玉三郎/繁山栄之丞:片岡仁左衛門
    一昨年の12月には中村勘三郎さんが亡くなり、年が明けて勘三郎さんが亡くなってから二ヶ月も経たない今年の2月には市川団十郎さんを失った歌舞伎界でした。その後も坂東三津五郎さんのご病気、片岡仁左衛門さんの肩の手術など玉三郎さんと同じ時代を歌舞伎の世界に賭け、同じ舞台の上でともに共演なさってこられた名優、また盟友の方々の不在はどれほど玉三郎さんにとってお辛かったことかと思います。
    「婦人公論」に寄稿なさった文の一部を抜粋してご紹介します。
     
    陽が昇り、 陽が沈むことの 尊さを感じて       坂東玉三郎

    (前略)~1日が長く、お陽様が昇っても沈んでもとても苦しかったのです。
    そんな精神状態に反して、パリ公演、歌舞伎座の柿落とし公演、「アマテラス」、金丸座、歌舞伎座の「仮名手本忠臣蔵」もチケットは即日完売…おかげで舞台に立っている間は、苦しみを忘れることができました。100%の力でやらなければならないことがあり、そこに足を踏み込めばスイッチが入るという世界をもっていることだけは、本当に私の幸運だと思います

    「女形はあなたの天職だ」とよく言っていただきますが、正直、天職だと思ったことは一度もありません。でも、「これしかなかった」とは言えるかもしれませんね。ただただ好きで、本当にそれしかないのです。何にでもしがみつかない質(たち)だからこそ、好きな舞台に立てないときがくるとことだってあるかもしれないと考えられたのでしょうか。若いころから一生懸命にやってきましたけれど、だからと言って、年齢からくる衰えから逃れられるわけでもありません。思わぬところに痛みが出てきたり、足腰もきかなくなってくるし、身体の回復も遅くなっている。日々衰えを感じる毎日です。みなさんは、「立派に舞台をやっているじゃないか」と言って下さるけれど、苦しみや衰えを舞台には出せません。隠しているのです。それが、人間が誰しも通らなければならない道、「老いる」という現実だと思います。それでも、やるべきことがあるということは、本当にありがたいことです。

    また。私にとって一番心を打ったのは以下の言葉でした。
    ~有頂天にはなれない体質です。幸運や幸せをみなさんが求めますが、私は幸せだと思ったことはありません。~

    生涯、芸道ひとすじに精進し、これで完璧だということのない世界で生きてこられた方なればこその厳しい言葉だと思います。この真摯な強い想いは、私のような凡人には想像もつかない修業と研鑽の道をひたすら歩んでこられた表現者にしか理解し得ないものなのでしょう。
    玉三郎さんは、今ご自身のこと以上に後進の歌舞伎俳優さんたちを育てることに力を注いでいらっしゃいます。そして、その若い俳優さんたちが、認められ成長なさっていくのが一番の歓びだともおっしゃっていらっしゃいます。
     
    http://www.tamasaburo.co.jp/  
    こちらは、玉三郎さんご自身が開設なさっているHPです。↑
     
    お忙しい中でも毎月、月初めには、「今月のコメント」を更新なさっていらっしゃいます。
    「婦人公論」でも書かれている先輩、同輩を失った寂しさのことも2013年12月の「今月のコメント」で記
    されています。是非合わせてご覧ください。
     
    イメージ 8以下、やっと舟木さんのことにつながります(笑)
     
    昨年秋に舟木さんと「再会」を果たせるまでは、現代劇で評判を呼んでいる舞台公演も時折は観劇してはいましたが、ほとんどが伝統芸能にかかわる舞台に通いつめていました。
    イメージ 9そんな私が、一昨年秋に舟木さんの公演でお芝居とコンサートの両方を初めて拝見して感じたのは、私がこれまで親しんできた世界の方たちとの違和感が一切ないという思いがけない事実でした。
     
     
     
    イメージ 10ですが、最初に拝見した時のそういった感じをもしかしたら、錯覚かも?・・と思って、念のため一週間後くらいにもう一度舞台を観に行ってみました。自分の直感が確かかどうか、失礼ながら確認に行ったという次第です。そしてその結果、「この人は本物だ!」と本当に小躍りしたいほど嬉しく幸せな気持ちになりました。
    文楽や、歌舞伎などの舞台に携わっていらっしゃる方々と同じ匂いを舟木さんから感じ取りました。
    私が舟木さんのステージや舞台公演で感じるのは、やはりプロフェショナルの厳しさと常に前だけを見て邁進していくパッションです。それと玉三郎さんもおっしゃっているように「現実を見つめ、逃げずにベストを尽くす強靭な精神」が気迫やオーラとなって伝わイメージ 11ってくることの感動です。加齢とともに訪れるいわばマイナス要因を「いかにして隠し、お客様に満足のいく舞台にするか」このことは舟木さんにも玉三郎さんにも共通する姿勢だと感じています。これを克服していくのはただただパッションだけではないでしょう。経験を生かした工夫と年令に応じた技や美しさを編み出していく智慧も求められます。強靭な精神力と長く培ってきた芸能者の智慧の総決算の披露という意味でも、ベテランの表現者の方々の舞台は本当に至高のものであり価値のあるものだと思います。舟木さんは、最近のステージで「とっておく声なんかもうない」とおっしゃっています。この言葉の意味を想像すると私は深く胸打たれます。
    舞台に立ち、ライトを浴び、多くの観衆の期待を一身に受けることの歓びよりも、もっと大きな孤独感が一流の舞台人にはあることを、今さらのように感じる今日この頃です。心して舞台を楽しませていただきたいとあらためて痛感しています。
     

    http://www.youtube.com/watch?v=sPgtX-ljHi4  ←坂東玉三郎さんの藤娘を御覧になれます
    歌舞伎舞踊の「藤娘」は、その幕あけがとってもインパクトが強く、舞踊の楽しさが満喫できます。
    客席はすべての灯りを落としていて真っ暗闇です。長唄の~若むらさきにとかえりの 花をあらわす松の藤浪~という文句でパッと舞台がライトアップされて一面、藤の花が咲き乱れる中に藤の精が浮かび上がります。
    なお、この「二人藤娘」は歌舞伎座の「鳳凰祭三月大歌舞伎」でも昼の部で上演されますので、お見逃しなく!
     
                     玉三郎さん、七之助さんの二人藤娘 舞台写真
     
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    大阪松竹座 坂東玉三郎初春特別舞踊公演  1月23日 14時開演

    一、 村松風二人汐汲(むらのまつかぜににんしおくみ)   坂東玉三郎/中村七之助
     
    須磨の浦に流された在原行平が、かの地で契りを交わしたという海女の姉妹・松風と村雨。行平が残した烏帽子と狩衣を身にまといながら、二人は行平を偲んで踊ります。謡曲『松風』を素材にした歌舞伎舞踊『汐汲』。今回は踊り手を二人にした華やかな趣向です。

    二、 操り三番叟(あやつりさんばそう)   市川猿也/坂東薪車/市川笑三郎/市川月乃助
     
    翁と千歳が現れ、厳かに舞い始めます。翁と千歳が舞い納めてその場を去ると、後見が箱から糸操りの三番叟の人形を運び出し、糸を操ると三番叟が動き出します。三番叟は五穀豊穣を祈り、舞い納めるのでした。
     
    三、 二人藤娘(ににんふじむすめ)   坂東玉三郎/中村七之助
     
    松の大木のもとに、塗笠をかぶり藤の枝を手にした愛らしい娘姿の藤の精が現れ、男心のつれなさを名所近江八景によそえて踊ります。そして娘の恋を艶やかに踊り、松を好きな男にみたてて差しつ差されつ盃を交わすうち、ほろ酔いの姿を見せます。続いて気分を変えるように賑やかな手踊りとなりますが、やがて日も暮れ、いつしかその姿を消すのでした。

    四、 於染久松色読販(おそめひさまつうきなのよみうり)  土手のお六/玉三郎   お光・お染・久松/七之助
     
    お染久松の情話を江戸に移し、美しい女方の目まぐるしい早替りと、土手のお六で悪婆と呼ばれる南北独自の女方芸を見せるのが趣向です。『道行』では、常磐津舞踊の形を取りながら、次々に早替りで見せ、登場人物の運命を綴っていきます。最後にお六が出て華やかな所作立てとなります。
     
    イメージ 14イメージ 15←玉三郎さんの藤娘
    2011年10月日生劇場
     
     
     
    中村勘三郎さんの藤娘→
    2005年7月松竹座

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    あっという間に2014年も一ヶ月が過ぎ去って、早くも2月を迎えてしまいました。珍しく風邪をこじらせて一週間近く体調不良で、たださえボーッとかすみがかかっている今日この頃の頭の中がさらにボーッとしたままで、ブログも2月に突入せざるを得なくなりました・・・
     
    1月の24日に文楽初春公演で傾城恋飛脚「新口村」を鑑賞したので、舟木さんも舞台にかけられた「梅川・忠兵衛/恋染めて風の花」のことも、ちょっとかかわりがあるから、忘れないうちに書き留めておきたいと思っていたのですが、いっこうにまとまらず、タイトルすらどうしたものか悩みに悩んで、ええい、ままよ!と半ばヤケっぱちという感じで、こんなことになりました。
     
    でも、悩んだのは、タイトルだけではなく、中身もなにからどう手をつけていいか、考えているうちにワケがわからなくなってしまったのでかなりまとまりのないものになっていますが、ご容赦ください・・・
     
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    国立文楽劇場 初春文楽公演
    1月24日 
     
    大阪の国立文楽劇場での公演はこの初春(1月)と4月、夏(7月~8月)の公演、秋(10月~11月)の公演と今では年4回が定期公演となっています。
    私はここ十数年来はこれらの全ての公演は鑑賞させていただいています。世界遺産となった文楽ですがその存続には幾多の困難が山積していて、本当に危機感を感じています。でも、嬉しいことに、私が行った日の前日は満員御礼、当日もほぼ満席で、まだ、お正月のお飾りも華やかで、こんなに盛況の客席を見ることができて感無量でした。
     
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    イメージ 5第1部 午前11時開演
    一、二人禿 (ににんかむろ)              →二人禿
     
    二、源平布引滝 (げんぺいぬのびきのたき)
    九郎助住家の段 
    *「源平布引滝」は「平家物語」を題材とした作品の代表的なものの一つです。歌舞伎では三段目切の「実盛物語」にあたる部分です。当代仁左衛門が復活させた二段目の「義賢最期」とともにしばしば上演されます。「義賢最期」は今年の浅草新春歌舞伎公演でも、上演されました。
     
    三、傾城恋飛脚 (けいせいこいびきゃく)
    新口村の段
     
    下の絵柄は傾城恋飛脚・文楽人形の忠兵衛と梅川の衣裳  
    黒縮緬梅花流水裾模様着付
     
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    イメージ 7第2部 午後4時開演
     
    一、面売り (めんうり)
     
    二、近頃河原の達引 (ちかごろかわらのたてひき)
    四条河原の段/堀川猿廻しの段
    *「近頃河原の達引」は、1703(元禄16)年に起こった心中事件「遊女おしゅん・井筒屋伝兵衛」を元にしたいくつかの戯曲の中の代表作。遊女おしゅんの兄で猿廻しの与次郎やおしゅんの母など肉親の情愛を中心に描かれています。
     
    三、壇浦兜軍記 (だんのうらかぶとぐんき)
    阿古屋琴責の段
    *源頼朝の命を狙う悪七兵衛景清の行方を問い質すため、恋人の阿古屋が秩父庄司重忠と岩永左衛門らによる詮議を受けます。景清の行方を知らないという阿古屋を岩永は拷問に掛けようとしますが、情け深い重忠は三曲(琴/三味線/胡弓)を演奏させます。しかし、阿古屋のその乱れのない美しい音色から、重忠はその言葉に偽りは無いと判断し、阿古屋を解放します。
     
     
     
     
    さて、丸一日、文楽劇場にカンヅメ状態で、いくつもの演目を鑑賞しましたが、舟木さんとのご縁ということですから、第一部のラストの演目傾城恋飛脚 (けいせいこいびきゃく)」 について、ご紹介します。
    今回のブログのタイトルには以下のように掲げています。
         ~近松門左衛門作「冥途の飛脚」発~「梅川・忠兵衛/恋染めて風の花」着~
    これは、私の頭の中で、いくつかの「梅川・忠兵衛」が混在してしまっているので、自分自身のセイリのつもりで、とりあえずこうしています。
     
    冥途の飛脚:近松門左衛門の原作
    傾城恋飛脚:文楽(浄瑠璃) 菅専助・若竹笛躬 合作
    恋飛脚大和往来:歌舞伎 文楽「傾城恋飛脚」を改作脚色
    浪花の恋の物語:映画 「冥土の飛脚」「恋飛脚大和往来」などをもとに成沢昌茂が脚色、内田吐夢監督による(1959年)
     
    そして、最後に「梅川・忠兵衛/恋染めて風の花」まで到達することができるかな?
     
     
    冥途の飛脚~傾城恋飛脚~恋飛脚大和往来~浪花の恋の物語~梅川・忠兵衛/恋染めて風の花
     
     
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    文楽や歌舞伎ではもう何べんとなく観聴きしているこの演目なのですが、文楽「傾城恋飛脚」では大抵は「新口村」のみ、そして歌舞伎「恋飛脚大和往来」では「封印切」のみかあるいは「封印切」と「新口村」のみなど上演される部分が限定されていますから、感情移入しづらいという難点もあるのかもしれません。
     
    私個人としては、主人公の忠兵衛という人物が文楽や歌舞伎の上で観る限りにおいてはどうにも理解しがたく、また梅川が、その忠兵衛に心中立てしようとした心理もイマイチ、つかめずにいて正直手放しで好きとは言いがたい作品なんでしょうね。
     
    とはいえ、「新口村」で忠兵衛の実父である百姓の孫右衛門と梅川のやりとりの中で浮かび上がる子を想う親の情の深さ、また愚か者とわが子を突き放しきれない哀切に満ちた叫びこそは、やはり理性では割り切れない日本人独特のツボをついてくるのです。ですから親子の情を語った浄瑠璃としては「ガッテン!」なのですが、ここで、もうひとおし「男女の情」をなんとかこの作品の中でつきとめてみたいと探ってみました。探れば探るほど、なかなか難しく、冒頭のような苦しい言い訳となってます(笑)
     
    文楽、歌舞伎では、原作である近松門左衛門の「冥途の飛脚」を、より大衆受けして忠兵衛・梅川の悲恋が際立つような人物設定などに脚色されている上に、歌舞伎ではさらに、上方歌舞伎の「和事」的な様式美も加味されていますから、舟木さんが忠兵衛を演じていらっしゃる「梅川・忠兵衛/恋染めて風の花」の下地として、一番近く、作者である近松の意図したところもいくらか推測できる映画「浪花の恋の物語」も参考にしながら、梅川・忠兵衛の事件の背景を、探ってみることにしました。
     
     
     
    ~近松門左衛門作「冥途の飛脚」発~「梅川・忠兵衛/恋染めて風の花」着(下)につづく~
     
     

     

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