祇園祭の前祭(さきまつり)は15日、宵々山を迎え、京都市中心部の四条通や烏丸通の一部が車が入れない「歩行者天国」となった。うちわを手にした多くの人々が暑さが残るまちなかへと繰り出し、市内中心部は人波による熱気に包まれた。
西日本を中心に、連日の猛暑、38℃超えのところもあるそうです。御園座のある名古屋も、もちろん、うだるような暑さ。そういえば、大相撲名古屋場所も中日を過ぎました。横綱も不在、絶好調だった栃ノ心も休場となり優勝争いは、混戦模様。でも、それはそれで初優勝を掴もうという若手の奮闘が期待されますね。そして、舟木さんもお芝居に歌に大奮闘。ファンの皆さんも連日、早朝から劇場の楽屋口で「お出迎え」されて、文字通り熱い(暑い)エールを送っていらっしゃいます。本日16日の夜の部の後は17日~20日までと21日昼までは、残念なことに連続7公演も「貸切」。どうして、こんなに「貸切」が多いのか…ファンとしてはどうも納得しがたいものがありますね。
遅くなりましたが、12日夜の部のコンサートのれぽーとをさせていただきます。
舟木さんのトーク部分はピンク文字です。
昼の部は村木弾さんの2曲を挟んで前半、後半と分かれてるカンジでしたが、夜の部は舟木さん出ずっぱりのステージ。今年の通常コンサートは二部制ですから、久しぶりの休憩なしのコンサートということですね。
~オープニング花咲く乙女たち
シルバーのラメ入りグレー系のジャケット。ラメが入ってても抑えめなんで舟木さんらしいシックな印象です。黒ベスト、黒パンツ、白のシャツ。
お暑い中、ようこそおこしくださいました。1ヶ月公演のステージは通常のコンサートより時間が短いのでおしゃべりは短くして1曲でも多く歌っていこうと…どうかごゆっくりおくつろぎください。
メドレー~プレゼントタイム
雨の中に消えて
北国の旅情
青春の鐘
初日の幕を開けた当初から4、5日はしんどいな…と思うんですが…ちょっと慣れてきたと…でもさすがにジイさんになってきてますからシンドイ。もうすぐ70代の半ばですから…すぐに80になる(笑)今は、一日でも長く皆さんの前で歌を歌おうという気分ですが…。
ステージの構成ですが、今回は、昼夜入れ替えた歌が多い気がします。前半は夏のまん中ということで、そんなものをちょっといってみようか…と。
「渚のお嬢さん」は原盤のカンジよりも大人っぽくておしゃれなアレンジのハワイアン風だな…と思いました。パーカッションのよっちんさんはじめアバウト9の皆さんもノリノリでした。
「夏子の季節」は船村先生の作品。当時としては、そして舟木さんのイメージとしてもアッと思わせる楽曲。作詩は丘先生。丘先生のイメージで、この詩???(笑)今聴いても全然古さを感じさせないなぁ…とあらためて思います。
暑い!歌い終わった舟木さんの第一声…。夏の盛りにこんなのやらなきゃいいのに…とボヤキつつも楽しそうな舟木さんでした。
名古屋は、家から近いし高校の2年間は通っていたので、この独特の暑さは知ってるんですけど、でも、暑い!
ジャケットを同じくラメ入りの淡いこげ茶系のものに着替えながらのトーク。
僕らがデビューした頃は流行歌の黄金時代と云われていたんですね。これも流行歌の時の流れでしょう。ここで三つ並べたのは、ドレッシーなカンジがするというか、落ち着いたカンジがする歌。スタートは「たそがれの人」いい歌だと思います。
高原のお嬢さん/バラードバージョン
哀愁の夜
ボクは作品に恵まれた歌い手だとつくづく思います。今カラオケが流行ってる…というかカラオケが好きな人は多いですが…カラオケも新曲ばかりで成り立っているワケではない。三橋さんや春日さんの歌を歌いたくてカラオケに行く人もいる…流行歌っていうのは、時の流れの中でちゃんと生きてる。その時代の流行歌を歌いつづけていくのが流行歌手ってことで恥も外聞もなく55年前の歌を…(笑)
高校三年生
修学旅行
君たちがいて僕がいた
学園広場
この辺の歌を歌ってますと、「懐かしい」というだけでは届かない。でも、このあたりの歌を歌うときは客席が明るいんですね。だから良く見えるんです。お互いに古くなったなぁ~(笑) 同じようなニュースを見ながら育ってきたワケで…どうぞお大事に(笑)
私も、行けるとこまで行く!50代の頃は、還暦過ぎたあたりにカッコヨクやめるのがいいと思ってましたが、今は、ステージで立ってることができなくなったらやめる…と(笑)
浅漬けもいいですが、古漬けも…これ以上余計なことをしゃべると…(笑)
ラストブロックは四季の風がゆたかに感じられるすずやかな歌。「絶唱」「夕笛」「浮世まかせ」
マガジンハウス40周年記念写真集より
~アンコール
舟木さんのハーモニカ演奏「旅愁」付
スタンディング/サインボール打ち
この日のトークで印象に残ったのは、「ステージに立っていられなくなるまでは歌う…」というような意味合いのことを明言なさったこと。もちろんプロの歌い手として納得のいくステージができるということは前提だとは思いますが、これまでの舟木さんのおっしゃってきたニュアンスとは、ちょいとばかり変わってきたような気がしました。
4月に惜しくも亡くなられた西城秀樹さんについて、舟木さんが少しばかり語っていらっしゃる記事が あります。サンデー毎日(7/8号)『西城秀樹さんがいた時代と風景 最後まで「常識人」であろうとした「スター」』TVプロデューサーの鴨下信一さんが描かれた記事です。記事の一部を抜粋させていただきました。
西城の歌唱力は今日評価が高く、~中略~鴨下信一は「歌唱力は同時代の誰よりもあった」と評している。鴨下は「ヒデキのひとつ前の御三家の一人・舟木一夫は歌についてはなかなかの理論派だが、ヒデキについてこういっている。"秀樹の強みは唄い方の構成力が優れているからだ。『YOUNG MAN』の成功はアクションだけではない。でなければ、あんな単純で、そのくせ全部唄うとひどく長い歌はモタないよ"。
舟木さんらしい評だと思います。「唄い方の構成力」…現在の舟木さんのステージを拝聴していると、この意味がとてもよくわかります。舟木さんの若い頃のアルバムなどの音源を聴いても「唄い方の構成力」という視点を重ね合わせてみて、それが、なんとなくわかるような気がします。
西城秀樹さんが晩年に「ありのままの自分」をステージでみてもらうという覚悟…をされたことは、プロの歌い手であり、さらには超人気アイドルだったことを考え合わせれば、苦悩に苦悩を重ねた結果、選び取ったことであろうということは推して知るベしです。このサンデー毎日の記事のタイトルの後半部分というかサブタイトル『最後まで「常識人」であろうとした「スター」』。これは人が人として生きていく、最も自然な形が、人の心を打ち、共感を呼ぶのではないかということなのだと…。
私は絶頂期の西城さんのステージは拝見してませんが、4年ほど前に病を得てからの西城さんのステージは偶然に拝見しました。立っていること、会話することは、おぼつかないご様子でしたが、ひとたび歌に入ると別人のようで身体も動き、声も驚くほど出ていらしてその気迫に圧倒されました。これが、プロなんだと秀樹さんにつきつきられた気がしました。ファンが望むなら、ひとりでも自分の姿を見たい、声が聴きたいという人がいるならステージに立ち続ける…というのが秀樹さんの最終的にたどり着いた結論だったということ。「立っていられるうちは歌う」…舟木さんがおっしゃったこの言葉もプロの歌い手として秀樹さんと共通する、想いがこもっていたのではないかと…私は感じました。
7月12日 終演後の御園座