~秋の鳥羽・伊勢めぐり~ちょこっとだけ舟木さんも その1のつづき~
さらに、ずんずん、歩いていくと御正宮に着きました。石段の下から参拝者が、撮影していました。石段の上は撮影禁止なので、皆さん下から写真を撮っているわけなんですね。
小学五年生の時に遠足で来てるはずなんですが、全く記憶にない私(笑)
ですから、実質は、初めての参拝ということでした。妹も、私同様、遠足で来たはずなのに、ほとんど覚えてないと言ってました。
予想ではもっともっと森が深くてうす暗くて鬱蒼とした感じかと思っていたのですが意外と明るくて、京都の下賀茂神社(糺の森)などの方が、霊気漂う・・・という気がします。京都は歴史の中で様々な政治的権力的な争いがあったので、今なお、多くの人間の怨念がそこかしこに渦巻いているからでしょうか?
三重県人なので伊勢神宮の御膝元に住まわせてもらってはいるのですが、物理的に距離があるので、これまで遠いところのような気がしていましたが、今回の参拝で、ちょっと親しみがわいてきました。
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内宮に入ってからは、行きと帰りの道が別になっています。帰りは「神馬」のいる馬小屋の前を通ります。
「神馬」がいることすら知らずに参拝に行ったのですが、神々しいばかりの優雅な白馬に会うことができま
した。あまりに、ステキな馬なので、しばし、うっとり眺めていました。家に帰ってから、「神馬」についてネットで調べてみたら、伊勢神宮の神馬には、なかなか遭遇できないのだと以下のように書いてありました。
「神馬」がいることすら知らずに参拝に行ったのですが、神々しいばかりの優雅な白馬に会うことができま
した。あまりに、ステキな馬なので、しばし、うっとり眺めていました。家に帰ってから、「神馬」についてネットで調べてみたら、伊勢神宮の神馬には、なかなか遭遇できないのだと以下のように書いてありました。
神馬は、いつも馬小屋(通称:御廐(みうまや))にいるわけではなく、決められた時間にしか私達の前に現れません。神馬が見られるのは、外宮の場合、毎日午後1時過ぎ~3時まで。内宮の場合は、時間を決めているわけはありません。神馬の体調によっては、全く見られないこともあります。
神馬 空勇(そらいさむ)号
空勇号について(2011年09月27日伊勢新聞より)
皇室の牧場・農場として知られる「御料牧場(ごりょうぼくじょう)」(栃木県)で大切に育てられた御馬(みうま)2頭が10月27日、「御馬牽進式(みうまけんしんしき)」を終え伊勢神宮の神様に仕える馬「神馬(しんめ)」になった。
1993年生まれの「空勇号(そらいさむごう)」と2006年生まれの「笑智号(えみともごう)」の2頭。共に3月26日生まれ、毛色が芦毛(あしげ)のアングロアラブ種の白馬。これまで皇居にある主馬班厩舎(しゅめはんきゅうしゃ)で飼育され、皇室行事や皇族方の乗馬で活躍した。神馬となることが決まると同舎で、笑智号は3月11日に、空勇号は6月3日に、天皇皇后両陛下から直接鼻をなでてもらうなどねぎらいを受けていた。空勇号は皇太子妃雅子さまが乗馬をするときの愛馬でもあったという。
1993年生まれの「空勇号(そらいさむごう)」と2006年生まれの「笑智号(えみともごう)」の2頭。共に3月26日生まれ、毛色が芦毛(あしげ)のアングロアラブ種の白馬。これまで皇居にある主馬班厩舎(しゅめはんきゅうしゃ)で飼育され、皇室行事や皇族方の乗馬で活躍した。神馬となることが決まると同舎で、笑智号は3月11日に、空勇号は6月3日に、天皇皇后両陛下から直接鼻をなでてもらうなどねぎらいを受けていた。空勇号は皇太子妃雅子さまが乗馬をするときの愛馬でもあったという。
神馬(しんめ/じんめ)
神が人間世界にやってくる際の乗り物として,神聖視された馬。じんめ,しんば,かみうま,などともいう。
す。馬の種類には特に決まりはないが、多くは白馬である。伊勢神宮や京都の賀茂神社などの大きな神社では、ほかの馬とは区別されて特別に飼育された。
す。馬の種類には特に決まりはないが、多くは白馬である。伊勢神宮や京都の賀茂神社などの大きな神社では、ほかの馬とは区別されて特別に飼育された。
神馬を飼育している神社
神田明神/多度大社/住吉大社/宇佐神宮/日光東照宮/上賀茂神社/石清水八幡宮/金刀比羅宮小室浅間神社石切剣箭神社
再び宇治橋を渡って・・・おはらい町へ
おはらい町
宇治橋から五十鈴川に沿って約800mほど続く、お伊勢さん特有の切妻・入母屋・妻入り様式の町並み。
おかげ横丁
おはらい町の一画にあって、江戸期から明治期にかけての伊勢路の代表的な建築物が移築・再現されています。
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内宮参拝を終えて、バスで鳥羽駅に到着したのが、午後3時。残念ながら、平日は、既に午後3時には閉館になってしまうので、行けなかったのですが、竹久夢二にゆかりの深い、面白そうな文学館が鳥羽駅から700mほどのところにあるので、ご紹介しておきますね。鳥羽に行かれた際には是非お運び下さいね。
鳥羽みなとまち文学館 ~岩田準一と乱歩・夢二館~ HP
http://www.iseshima-kanko.jp/contents/museum/toba/bungakukan1.html
http://www.iseshima-kanko.jp/contents/museum/toba/bungakukan1.html
この文学館は画家であり、風俗研究家であった岩田準一が生まれ、その生涯の大半を過ごした家をそのまま資料館として公開しているそうです。館内には彼の絵画や研究資料、交流のあった江戸川乱歩・竹久夢二などとの書簡を展示しています。
岩田準一 ~ウイキペディア、みなとまち文学館HPなどより~
明治33年(1900年)-昭和20年(1945年)三重県志摩郡鳥羽町(現・鳥羽市)生まれの画家・風俗研究家。
三重県立第四中学校卒業後、親の意志により神宮皇學館へ進むも中退し、東京の文化学院絵画科へ転校、同院で教鞭を執っていた竹久夢二に師事。夢二の代作を務め、また夢二本人から「日本一の夢二通」と称される。
江戸川乱歩の作品『パノラマ島奇談』、『踊る一寸法師』、『鏡地獄』の挿絵を担当。その美青年ぶりから
乱歩の『孤島の鬼』の美青年・箕浦金之助のモデルといわれる。同作の発想のヒントを乱歩に与えたのも岩田である。志摩地方の海女や「はしりかね」と呼ばれる船遊女をテーマにした民俗研究でも成果を残している。
三重県立第四中学校卒業後、親の意志により神宮皇學館へ進むも中退し、東京の文化学院絵画科へ転校、同院で教鞭を執っていた竹久夢二に師事。夢二の代作を務め、また夢二本人から「日本一の夢二通」と称される。
江戸川乱歩の作品『パノラマ島奇談』、『踊る一寸法師』、『鏡地獄』の挿絵を担当。その美青年ぶりから
乱歩の『孤島の鬼』の美青年・箕浦金之助のモデルといわれる。同作の発想のヒントを乱歩に与えたのも岩田である。志摩地方の海女や「はしりかね」と呼ばれる船遊女をテーマにした民俗研究でも成果を残している。
写真は、まっぷる観光ガイド、みなとまち文学館 サイトより転載させていただきました。
夢二抒情画全集「紅梅」(木版画)岩田準一編集による全集に収録
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