竹久夢二のことを調べていたら「夢二忌」という言葉に出逢いました。その字の通り「夢二忌」とは夢二が亡くなった日のことなのですが、これは俳句では「初秋の季語」とされていることを初めて知りました。
そして夢二の亡くなった9月1日が間もなくやってきます。つまり「9月1日」が「夢二忌」なのですね。
夢二が、晩年、何度も足を運んだのが伊香保温泉。榛名湖畔にアトリエも構えました。伊香保では、その夢二を俳句に託して偲ぼうと約20年ほど前から「夢二忌俳句大会」が毎年開かれているそうです。
夢二忌を数日後に控えた今、夢二の生涯と作品に想うことを私も恥ずかしながら俳句に託してみました。またまた素人の駄句を二句・・・
やるせなさ 花影匂う 風の初秋(あき)
少年の 夢抱きゆく 旅の果て
舟木さんは、最近のコンサートで「日本の名曲」をステージでも歌っていきたいとよくおっしゃっています。具体的に揚げられるいくつかの歌がありますが、その中に「宵待草」があります。
宵待草 作曲:多忠亮
待てど くらせど 来ぬ人を
宵待草の やるせなさ
今宵は月も
出ぬそうな
宵待草の やるせなさ
今宵は月も
出ぬそうな
この原詩が、1912年(明治45年)6月1日付の雑誌「少女」(時事新報社)に発表され、翌13年(大正2年)11月、今の3行詩の形で絵入り小唄集「どんたく」(夢二の処女出版詩集:実業之日本社発行)に掲載された。これにバイオリン奏者・多 忠亮(おおの ただすけ)が曲をつけ、1917年(大正6年)5月12日、第2回「芸術座音楽会」(牛込藝術倶楽部)で初公演された。
アルバム「宵待草~竹久夢二の郷愁」 1973年6月発売
音楽:山路進一 歌とナレーション:舟木一夫
(you tube)
宵待草(多忠亮:作曲)
待てど くらせど 来ぬ人を
宵待草の やるせなさ
今宵は月も
出ぬそうな
宵待草の やるせなさ
今宵は月も
出ぬそうな
やくそく(妹尾幸陽:作曲)
やくそくもなく 日が暮れて
やくそくもなく 鐘がなる
やくそくもせぬ 寂しさは
誰に云いやる すべもなし
やくそくもなく 鐘がなる
やくそくもせぬ 寂しさは
誰に云いやる すべもなし
~ナレーション(コロムビア・ローズ)~
愛するものは かなし
愛するものは かなし
されど愛し得ざるものは
さらに かなし
愛するものは かなし
されど愛し得ざるものは
さらに かなし
最愛の女性彦乃と夢二↓
~ナレーション(舟木一夫)~
かなしきときは
悲しむこそよけれ
うれしきときは
喜ぶこそよけれ
わかき日のために
うれしきときは
喜ぶこそよけれ
わかき日のために
なつかしき
なつかしき 娘とばかり 思いしを
いつか悲しき 恋人となる
いつか悲しき 恋人となる
~ナレーション(舟木一夫)~
Aとわたしがいえば
Aとあなたがいう
Bといえば Bといった
わたしがCといえば
あなたもCという
Aとあなたがいう
Bといえば Bといった
わたしがCといえば
あなたもCという
わたしにとおい
わたしにとおい あの人は
カンバス台の うしろから
だいじなときに 笑いかけ
わたしの仕事の じゃまをする
カンバス台の うしろから
だいじなときに 笑いかけ
わたしの仕事の じゃまをする
わたしに近い あの人は
靴下をあみ お茶をいれ
わたしの世話を やきながら
わたしの仕事の じゃまをする
靴下をあみ お茶をいれ
わたしの世話を やきながら
わたしの仕事の じゃまをする
~ナレーション(舟木一夫)~
ある時は 歓びなりき
ある時は 悲しみなりき
ある時は 悲しみなりき
うしろより
うしろより わが眼ふたぐは 誰が手で
おかしさ忍ぶ 十六の君
細腰に赤き帯しめ
若草を 素足にふみて
君来たまいぬ
おかしさ忍ぶ 十六の君
細腰に赤き帯しめ
若草を 素足にふみて
君来たまいぬ
ゆく春
くれゆく春の かなしさは
薊(あざみ)の花を つみとりて
とんとたたけば 馬がでる
そっとはらえば 牛がでる
でてはぴょんぴょん にげてゆく
薊(あざみ)の花を つみとりて
とんとたたけば 馬がでる
そっとはらえば 牛がでる
でてはぴょんぴょん にげてゆく
山路とおれば
山路とおれば 茨(いばら)がとめる
茨はなしゃれ 日がくれる 日がくれる
茨はなしゃれ 日がくれる 日がくれる
~ナレーション(コロムビア・ローズ)~
あたしね 赤ちゃんがほしいわ
この人が 好きで 好きで たまらないんです
この人は ちっとも 悪かありません
もし悪ければ あたしです
この人が 好きで 好きで たまらないんです
この人は ちっとも 悪かありません
もし悪ければ あたしです
たそがれ(土尾平三郎:作曲)
たそがれなりき かなしさを
そでにおさえて たちよれば
カリンの花は ほろほろと
髪にこぼれて 匂いけれ
そでにおさえて たちよれば
カリンの花は ほろほろと
髪にこぼれて 匂いけれ
妻のたまきと子どもたちと夢二
~ナレーション(舟木一夫)~
悩ましい 春の日が過ぎ
とりおとした 夢のかずかず
人は一度 この小径をゆけば
もやは再び 帰らないだろう
とりおとした 夢のかずかず
人は一度 この小径をゆけば
もやは再び 帰らないだろう
たった一度しか 恋を知らぬ娘が ない如くに
たった一度しか 罪を犯さない 女はないのだ
たった一度しか 罪を犯さない 女はないのだ
女よ お前のために この私が
「何でなかったか」を 訊くなら
簡単に云わしてくれ
「世間にありふれた 悪い男でなかったかわりに
善い男でも なかった」とね
「何でなかったか」を 訊くなら
簡単に云わしてくれ
「世間にありふれた 悪い男でなかったかわりに
善い男でも なかった」とね
雨々ふるな
あめあめふるな あめふらば
五重の塔に 巣をかけた
かわいい小鳥が ぬれようもの
松の梢を風がふく
五重の塔に 巣をかけた
かわいい小鳥が ぬれようもの
松の梢を風がふく
かぜかぜ吹くな 風吹かば
今日巣立ちした 小雀が
路をわすれて なこうもの
あのなつかしい 唄の節
けさずにあれば 今もある
今日巣立ちした 小雀が
路をわすれて なこうもの
あのなつかしい 唄の節
けさずにあれば 今もある
~ナレーション(コロムビア・ローズ)~
あたしの最初の男が 誰だったかって
お訊きなさるの つまらない!
どうせ あなたが 最初の男でなかったように
最後の男でもないわよ
お訊きなさるの つまらない!
どうせ あなたが 最初の男でなかったように
最後の男でもないわよ
~ナレーション(舟木一夫)~
それは 忘れてよいもの
これは 忘れてならぬもの
それとこれとを 二つの箱に
これは 忘れてならぬもの
それとこれとを 二つの箱に
分けておいたに
一つは焼けて
一つは焼けて
一つは残った
焼けたのは
焼けたのは
それは忘れてはならぬもの
その日から
その日から とまったまゝで
うごかない
時計の針と 悲しみと
うごかない
時計の針と 悲しみと
その日から とまったまゝで
うごかない
時計の針と 悲しみと
うごかない
時計の針と 悲しみと
しあわせが・・・
しあわせが きたのを知らぬ
ばかでした
しあわせが いったも知らぬ
ばかでした
ばかでした
しあわせが いったも知らぬ
ばかでした
その日から
その日から とまったまゝで
うごかない
時計の針と 悲しみと
うごかない
時計の針と 悲しみと
ひとびとの
人々の 眠れるなかに ひとりさめ
おもえることは みなきみがこと
おもえることは みなきみがこと
旅から旅へ
旅から旅へ その日暮らしの 日のくれに
ふっと侘しい 永遠(とこしえ)を見る
ふっと侘しい 永遠(とこしえ)を見る
やくそく
やくそくもなく 日が暮れて
やくそくもなく 鐘がなる
やくそくもせぬ 寂しさは
誰に云いやる すべもなし
やくそくもなく 鐘がなる
やくそくもせぬ 寂しさは
誰に云いやる すべもなし
宵待草
待てど くらせど 来ぬ人を
宵待草の やるせなさ
今宵は月も 出ぬそうな
宵待草の やるせなさ
今宵は月も 出ぬそうな
~ナレーション(舟木一夫)~
愛するものは かなし
愛するものは かなし
されど愛し得ざるものは
さらに かなし
愛するものは かなし
されど愛し得ざるものは
さらに かなし
~以下は細野正信氏(美術評論家)による「竹久夢二」参照~
夢二はこういったという。「芸術家はもう沢山だ。ほんとうに人間として人間の悲しみを知る画かきがでてもいいと思う。」彼の詩と絵の魅力は一体どこにひそんでいるのであろうか。おそらくその秘密は普遍的で永遠の愛の形、それも庶民のやるせない吐息とともにある。純粋でいつわりのない愛の原型を明快に表現している点にある。それは常に男心に住みついている情感であり、また女心そのものであった。愛とは期待とあきらめの間にかけられた虹の橋ではなかったか?とすれば、いつかは、はかなく消えるこの愛の橋のゆききに、彼は万人の夢をふりまいたのである。いわば、彼は、心中を自由に吐露した抒情詩人であり、作為のない情感の画家であった。
~以下ウィキペディアより~
『宵待草』の歌には「第2番」があったともいわれる。夢二が亡くなって4年後の1938年に、その爆発的人気にあやかり『宵待草』という映画が企画された。その際、映画の主題歌にはこの3行の歌詞は短すぎるとして、夢二と親しかった西條八十によって新たに第2番の歌詞が加えられた。ところがその歌詞の中に、宵待草の花が「散る」という表現があり、後日「月見草は萎むもので直ぐには散らない」という指摘を受けて歌詞は訂正されたものの、第2番が歌われることはほとんどなかった。
暮れて河原に星一つ 宵待草の花のつゆ 更けては風も泣くさうな
舟木さんは、2001年南座 5dayコンサートで「宵待草~夢幻-MUGEN」バージョンの構成をなさっていらっしゃいます。そしてこの時に『宵待草』の2番も歌唱されています。私が初めて「WHITE」収録の『夢幻-MUGEN』を聴いた時に文芸作品の官能美的世界に陥ったような感覚になったことと繋がったのです。こういった構成でこの二つの曲を組曲にされたことを知って、思わず膝を打ちたくなりました。男と女は近づけば近づくほど、求め合えば求め合うほど互いに限りなく深い孤独感が波のように押し寄せてくる・・・『夢幻-MUGEN』は大人テイストの深遠な恋愛の世界を舟木さんらしい香りで歌いあげた名曲だと私は思っています。夢二がもしこの組曲を聞いたらどう思うのでしょうか?
「宵待草~夢幻-MUGEN」
待てど くらせど 来ぬ人を
宵待草の やるせなさ
今宵は月も 出ぬそうな
宵待草の やるせなさ
今宵は月も 出ぬそうな
暮れて河原に星一つ
宵待草の花のつゆ
更けては風も泣くさうな
うるむ乳房 そっとふくんで
転がせば肩もそぼ濡れ
男と女 女と男
そして炎 夢幻
まさぐれば 薫る若草
切なげに
ゆれるまつげ 光るうなじ
忍ぶ吐息 のどを走り
うねりくる 肌もあわだち
男と女 女と男
そして嵐 夢幻(MUGEN)
狂おしく 身体ぶつけて
溶けあえば
静寂(しじま)あつく 夜霧深く
うねりくる 肌もあわだち
男と女 女と男
そして嵐 夢幻(MUGEN)
狂おしく 身体ぶつけて
溶けあえば
静寂(しじま)あつく 夜霧深く
黒髪(かみ)のみどり 朱く燃えおち
爪のあと 遠くなみうち
男は男 女は女
そしてはるか 夢幻
けだるさに ほてる指先
からめれば
いたみひとつ 想いふたつ
ルルル・・・
いたみひとつ 想いふたつ
待てど くらせど 来ぬ人を
宵待草の やるせなさ
今宵は月も 出ぬそうな
宵待草の やるせなさ
今宵は月も 出ぬそうな