私のブログは今年の3月に開いたのですが、この頃に映画『絶唱』についての記事を掲載しました。↓
≪舟木一夫主演映画つれづれ≫
『絶唱』その1~私にとっての園田順吉(=舟木一夫)は初恋の人かも・・・
『絶唱』その1~私にとっての園田順吉(=舟木一夫)は初恋の人かも・・・
当時は、まだ原作を読んでいなかったので、いつか原作も含めて、もう一度、『絶唱』を私なりに掘り下げてみたいと思っていたのです。47年前の9月17日に公開されているので、時期としては、タイミング的に今がいいかな?ということで、原作をもう一度読み直してから映画のDVDを観てみました。
絶唱 1966 9月17日公開 98分
(『絶唱』レコード発売は1966年8月)
西河克己:監督・脚本 大江賢次:原作
キャスト 園田順吉:舟木一夫 小雪:和泉雅子
園田惣兵衛:志村喬 小雪の父:花沢徳衛 小雪の母:初井言栄 他
私が舟木さんを意識するようになったのはいわゆる「高校三年生」をはじめとする学園ソングではなくて「赤穂浪士」で演じた矢頭右衛門七からではなかったかと思います。当時、私は小学校五年生でしたが、憂いを帯びた古風な顔立ちの舟木さんには、病に倒れた父の名代として四十七士のひとりとして加わりその名を歴史に残している悲運の少年という役柄がぴったりだと思ったんでしょうか。
同じく大河ドラマ「源義経」の時の平敦盛も私の中の舟木さんのイメージそのものでした。いずれの役柄の時も、場面場面そのものの記憶はあまりないのですが、舟木さんの出演場面があるときはなんだかドキドキしながらテレビの前でかしこまっていたことは記憶しています。
初めて映画館で観た映画は「北国の街」で、これは中二の春休みに当時静岡に住んでいた叔母のところに遊びに行った時に、どこか行きたいところがあれば連れてっていってあげると言われて、大喜びでおねだりして連れていってもらいました。でも、その時は二本立てのもう一本の映画が小百合さん主演映画だったので、そちらがお目当てでした。ところが、その時に「北国の街」の海彦さんにすっかり心を奪われました(笑)
そして、その次に映画館で観たのが「絶唱」です。これは中学三年生でちょうど高校受験前の夏の終わりでした。
当時、地方の中学生が映画館に行くには保護者同伴が決まりでしたから、親と一緒に好きなスターの映画を見るのもテレくさくて、どうしても観たいものしかねだらなかったんだと思います。でも、これだけは、どうしても観たいと思いました。考えてみると舟木さんはもちろん気になる人であり、好きなタイプの歌い手ではあったのですが、系譜としては、「憂いと哀しみの漂う清潔なイメージ」に心惹かれたに違いありませんね。まわりを見まわしても、当時の自分の周囲の男の子は、全然子どもで、アホに見えました(笑)優しくて正義感にあふれた若様(順吉さん)が、どれほど素敵に思えたことか・・・どうやら私は、昔は、歌い手・舟木一夫というよりも舟木さんが演じるお兄さんタイプの登場人物に恋していたのかも知れないです。映画「絶唱」は、そういう意味で舟木一夫というより園田順吉という男性が舟木さんにオーバーラップして、私の理想とする人という形で心に残りました。悲恋物語ということもありましたが、中学三年ともなると少しずつ社会に目を向けていく年頃です。身分違いであるが故に小雪がたどった運命、娘を亡くした彼女の両親の悔しさ。逆に大地主の息子に生まれた順吉の純粋さや正義感から生まれる苦悩やその運命から抜け出るための闘い、そんなものを乗り越えて真実の愛を育てていこうとしたふたりの前にたちはだかった戦争」という大きな壁・・・思春期にいた私の心に甘く哀しいドラマとしてだけではすまされない、もっと大きなものを残してくれたのが「絶唱」だと今になってみると気づかされます。
当時、地方の中学生が映画館に行くには保護者同伴が決まりでしたから、親と一緒に好きなスターの映画を見るのもテレくさくて、どうしても観たいものしかねだらなかったんだと思います。でも、これだけは、どうしても観たいと思いました。考えてみると舟木さんはもちろん気になる人であり、好きなタイプの歌い手ではあったのですが、系譜としては、「憂いと哀しみの漂う清潔なイメージ」に心惹かれたに違いありませんね。まわりを見まわしても、当時の自分の周囲の男の子は、全然子どもで、アホに見えました(笑)優しくて正義感にあふれた若様(順吉さん)が、どれほど素敵に思えたことか・・・どうやら私は、昔は、歌い手・舟木一夫というよりも舟木さんが演じるお兄さんタイプの登場人物に恋していたのかも知れないです。映画「絶唱」は、そういう意味で舟木一夫というより園田順吉という男性が舟木さんにオーバーラップして、私の理想とする人という形で心に残りました。悲恋物語ということもありましたが、中学三年ともなると少しずつ社会に目を向けていく年頃です。身分違いであるが故に小雪がたどった運命、娘を亡くした彼女の両親の悔しさ。逆に大地主の息子に生まれた順吉の純粋さや正義感から生まれる苦悩やその運命から抜け出るための闘い、そんなものを乗り越えて真実の愛を育てていこうとしたふたりの前にたちはだかった戦争」という大きな壁・・・思春期にいた私の心に甘く哀しいドラマとしてだけではすまされない、もっと大きなものを残してくれたのが「絶唱」だと今になってみると気づかされます。
「絶唱」の公開数年後から70年代安保世代の学生運動が盛んだった時代に入っていきます。私が高校時代は大学のキャンパスはどこも多かれ少なかれ戦場のようになっていました。「反戦・平和」への希求は強くありました。「絶唱」によって小雪の薄倖の生涯を知ったこととは無関係ではなかったと思います。世の中の理不尽への抵抗感も自分の中で絶えずくすぶっていたので、女性という立場から高校生になると「婦人公論」を読み始め、ことに女流文学と社会の矛盾に強い関心を持ち始め、読書ばかりしていたような気がします。当然舟木さんのことも見失ってしまい、結局「絶唱」を最後にそれほど熱心な舟木さんファンではなくなりました。でも、中学時代に観た映画「絶唱」には、今の私の核になっているエッセンスがすべて詰め込まれているような気がしています。
~絶唱 大江賢次 講談社文庫より~
第一章 山鳩の小雪
第二章 湖畔の記録
第三章 葬婚歌
原作では、順吉の加わっていた同人誌「野火」の仲間の大谷が、順吉をたずねて園田の屋敷を訪れる場面から始まっています。そこで、大谷は初めて小雪と出逢います。大谷の目に映った小雪はこのように描写されています・・・
~「どなたさんで・・」前にだけ気をとられていると、それが思いがけなく張りのある若い声だったので私は重ねて虚をつかれると慌てて振り向いた。そこには、襷掛けをした矢絣の単衣の娘が、なにか納屋あたりで働いていたものとみえて、私と視線がカチ合うとしぜんに頬が淡紅(とき)いろに染まり、そそくさと襷を外しにかかった。「園田くんいますか?『野火』の大谷です」「あの・・・若様で? ちょっこり、待ってつかあさいな」~中略~その時、さっき玄関で会った娘がお茶をもってきた。小柄で色白な、つぶらな瞳があざやかに澄みきった、それでいてどことなく寂しみのただよう顔が可憐であった。~
山園田の若様である順吉が身分違いの山番の娘小雪をあれほどまで愛して止まなかった、その根拠とは・・・
映画の中でも舟木さん演じる順吉がこのように語る場面がありますが、原作では・・・
~僕はこの地方でも富裕な地主の長男として生まれた。お七夜の紅白の祝餅を配るのに、七組の小作人夫婦が四俵も搗いたというから、これだけでみどりごの僕がどんな位置にあって、どんな寵愛の的になっていたかがほぼうなづけるだろう。~中略~いつしか、「坊やんは、よその子たちと生まれも育ちもちがう」と信じ込んでしまった。しかし幼い僕は決して幸福ではなかった。ほかでもない、いくら身が埋まるほどの玩具や菓子があろうとも、ひとりぼっちではちっとも愉しくはないのだ。~中略~世間の目から見れば、あまりにめぐまれた幸福な僕の幼年時代の不孝はそればかりではない。その中で、何にもまして大きな打撃は・・・母の死だった。
・・僕は孤独だった。ある意味から云えば孤児同様だった。それゆえ、ひとりぼっちの僕はまず手はじめに、自分の周囲の何でもかまわない、すこし大げさだが森羅万象のすべてを、こころをこめて愛しはじめた。・・・がそれは僕が愛してやるばかりで、僕が愛してもらえるものではないから、やはり意思表示の可能な人間どうしの愛の交流がほしかった。~
映画では、順吉が小雪のことで、父惣兵衛と口論をする場面があります。原作でも、中学の寄宿舎から休暇で一時帰宅していた順吉に惣兵衛が町の有力な事業家橋本の娘の美保子との政略結婚を順吉に迫りますが順吉は家や財産を棄てても、そんな結婚はしないと拒否します。仲をとりもとうと必死の乳母と差配人の源助の顔を立てて、氏神様に御詣りしてから父に詫びようと言い繕って、鎮守の森へやってきた順吉はそこで小雪に出逢い、衝撃を受けます。
~それは、うす暗い拝殿のさいしょの階段にともされた一文蝋燭の前に、ひとりの少女がチョコナンとしゃがんで、身じろぎもしないで合掌をしているさまであった。ほのあかるい灯かげのまたたきに、ジッと目をつむったまま、おさげの髪がつつましくて巫女のようだった。このひたむきな祈りをさまたげまい、と僕はそこに静止した。やがて少女の祈りは終わって、やすらぎにみちた目をあけて・・思わずふり返った。それは山鳩のようなまなざしで「ほうら、うちが祈ったとおり、若様が元気なすがたでもどってきんさった!」といささかのはにかみもなく云うと、もう一度合掌をした。僕も拍手(かしわで)を打つと「・・ほんとうに、僕のために祈ってくれたのかい?」コクンと少女は大きくうなずき返した。~
映画の場面でまだ子供だった私がリアルタイムで観た時に一番ドキドキしたのが、新生活を始めた経師屋の二階からふたりが折り鶴を投げて遊ぶ場面でした。これは、中学生の私にとってなんとも美しくもテレくさいと表現するしかないラブシーンでした。これに類似した折り鶴を投げる場面が、原作にもありました。原作を生かしながら、この映像では甘く清潔なラブシーンとして心に残る美しい場面になっているのは脚本と演出の力だとあらためて感服しています。原作では
~「ところで、おい園田君、つまりその・・・結婚式の前後についてリアルに描写して聞かせろよ」と佐野一夫がズバリと言って、盃を差し出した。「うん話そうか、いいか小雪・・?」「ああら けぇ 好かん!」とかの女はあわてて空の銚子をもって降りた。「けぇ 好かん女史が降りた間に・・・僕たちは、その日、あの城の天守閣へのぼった。そして天守閣からふたりで手をつないで『天下のみなさん、園田順吉と木村小雪はただいま結婚しました』ととなえただけ」「ううむ、とってもロマンチックじゃないか、それから?」「小雪は紙の折り鶴をつがいに、湖の方へむけてとばした。すると・・白い僕の折り鶴は天守閣の甍にひっかかって、赤い小雪の折り鶴は風に吹かれて・・山鳩みたいにとび去った。~
*この天守閣のあるお城というのは松江城でしょうね。
順吉は園田の家を棄てて小雪との新しい生活を始めます。順吉はあえて材木かつぎや肥汲みなど肉体を酷使する仕事につきます。疲れて小雪の膝枕で眠る順吉。映画では、雪のしんしんと降る夜、小雪が順吉の頭をなでながら歌う子守唄が印象的なのですが、この子守唄は原作では、中学を卒業後、京都大学に進学したものの、神経を病んで中途退学をし、園田の家に戻って療養をしていた頃に召使いとして順吉にかしづいていた小雪が同じように順吉の頭をなでながら歌うという場面があります。
~小雪は筧の清水をくんできて、タオルをしぼってはなんべんも額へのせた。僕は、わけもなくあついものがこみあげてくるのを覚えた。~中略~僕は目をつむったまま 後から後からわきあがる熱いものを頬へながした。小雪はその涙のみなもとが分かりかねてしきりに気をもんでいたが、かの女らしい窮余の一策なのであろう、やさしく僕の頭髪をなでながら、小声で子守唄をうたいはじめた。
ねた ねぇたぁ よい子の小うさぎ ねた ねぇたぁ
お山にゃ ふる雪 ぼたん雪
ねた ねぇたぁ よい子の小うさぎ ねた ねぇたぁ
お山にゃ ふる雪 ぼたん雪
ねた ねぇたぁ よい子の小うさぎ ねた ねぇたぁ
その地方色ゆたかな声の抑揚とのびやかな調子は、僕の異常に興奮した神経をしずめるのに願ってもないものだった。「・・お母さん・・・」おもわず呼び、思いがけなく呼んだことの甘やかな幼ごころのまま、いつしか深いねむりに入っていた。~
このように順吉にとって小雪は守るべきものであったと同時に、幼くして亡くした母を求める想いをも抱きとめてくれるおおらかでこよなくやさしい「母なる女性」でもあったのでしょう。順吉が、小雪を愛することで生きて行くことの歓びを実感できたことは、順吉にとっては幸せなことだったと誰もが認めるところだと思うのですが、小雪にとっては順吉に愛されたことで、過酷な運命を生きることにもなったということも事実だと思います。原作の中で順吉は、自分の幸せのために小雪を利用してしまったという、自分自身の身勝手さとの葛藤も描かれています。どこまでも順吉は「良心の人」なのです。
(つづく)
(つづく)