Quantcast
Channel: 舟木一夫の世界~れんげ草の咲くさんぽ径~
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1510

『絶唱』その2・原作より(下)~私にとっての園田順吉(=舟木一夫)は初恋の人かも・・・

$
0
0
『絶唱』その2・原作より(上)~私にとっての園田順吉(=舟木一夫)は初恋の人かも・・・
から続きます。
 
イメージ 1映画の中で、順吉が出征していく前夜の切ない場面なのに小雪が坊主頭になった順吉を見て「あなたの坊主頭、中学生の時みたいに可愛げなわぁ!」と言うところがありますが、原作を読んで、小雪と順吉がまだ少年、少女だった頃の初めての出逢いが、順吉の心に強い衝撃と感動を与えたのだとあらためて知ることができました。母を亡くして、大勢の使用人や小作人にかしずかれながらも「真実の愛」に飢えていた順吉が無垢で無心な想いで自分のことを祈ってくれている少女の存在を知ってどれほど心満たされたことかが、原作を読むことによってしっかりと腑に落ちます。
 
大地主の跡取りとして、父の後継者となることは順吉にとって生ける屍として生きていくことを余儀なくされます。順吉は意地悪い見方をすれば小雪の力を借りて、その運命から逃れたという意味では小雪を犠牲にして「人として生きる道」を歩むことができたとも云えるのでしょう。「良心の人」であり優しい心の持ち主である順吉は、小雪を道ずれにして自分の運命を切り拓いたという胸の疼きを感じていたのでしょう。
 
イメージ 2小雪が死の床で云った「うち、ほんとは今まで妻とは思っとらんかったけに・・」という言葉を聴いて順吉は、小雪へのそういったすまさなさを痛切に感じたのではないかと思いました。
どういう想いで小雪がこう云ったのか・・・純真無垢な小雪の本心だからこそ順吉の心に鋭く突き刺さったのではないかと思います。この言葉を聴いて、順吉は「葬婚式」という、一見、狂気じみたことを小雪のためにも自分のためにもとり行おうと心に決めたのではないでしょうか。
私自身、映画『絶唱』のラストシーンは、どう考えたらいいのか、無条件に受け入れられるものかどうかという動揺を感じました。たとえどれほど愛している人でも死者と婚礼を挙げることには、眉をひそめる、もっと云えばグロテスクなものだと考える人もいないとは言えません。
 
 
映画でも、この場面はあるのですが、原作では順吉が、村人(小作人)を集めて、小雪のこと、自分自身の気持ちについて以下のように語りかけています。
 
イメージ 3~村民の御一同様に、ちょっと御挨拶を申し上げます。~中略~父は私が山番の娘ふぜいと結婚をするのは許さんと、格式ばった地主かたぎで勘当を申しつけました。なぜ山番や小作人と結婚をしてはいけないのか、地主だけがお高くとまって働きもしないでいて、働く山番や小作人たちをいやしむ父と、私は絶対に相容れません。むしろ地主という父の立場こそ働きもしないで働くひとびとからしぼりとって暮らす、いやしい恥ずべきものではありませんか。私は、人間はすべて働く義務があって地主や資本家のような不当所得をむさぼる特権階級のものたちは、この世の害毒にさえなれ決して利益にはならないものだと信じています。そこで私は小雪とふたりで世の荒波の中へ飛び込んで働きました。~中略~もしも私が小雪と愛し合わなかったならば、この労働の尊さ、そして働くひとびとを幸せにする理想社会の実現も知らずにくだらない生涯を朽イメージ 4ち果てたことでしょう。「戦争は、小雪から私を奪いとりました。小雪はただひとりで七年間を働きづめに働いてきました。私がシベリアから引き揚げてきたとき、小雪は再起不能の病の床で迎えてくれました。小雪は死んで生きました。永遠に生きて居ります。私はそれを絶対に信じて疑いません。」そこで私は小雪と晴れてわが家で結婚式を挙げました。これまた酔狂なとお思いの方もありましょうが、私の魂に棲む小雪はどんなによろこびましたことか!小雪が私と一つである以上、私がこんなに嬉しいのですから、皆様もともどもに小雪を祝っていただきたく存じます。私が小雪と結婚をしましたことは、もやは地主ではないこと・・一人の働く人間であることのしるしです。
~中略~私の妻の肉体は私からおさらばしますが、妻の精神は不滅のまま私の魂の中に生き永らえます。その小雪が、どんな生き方をするか、それは私の今後の生き方が示すことでしょう。・・・どうぞこの私の微衷をお察しくだすってわずかばかりではありますが酒肴が用意してありますので私ども新郎新婦のめでたい今宵をいっしょに過ごしていただきとうございます。~
 
 
イメージ 5ラストに近いシーンでこの村人への挨拶のシーンを入れたのは舟木さんの意思によるものだそうです。共演された和泉雅子さんは、映画の中の台詞としてはかなりな長台詞に驚いたそうです。「私は、死体だったから聞いていただけですが・・」とシネパトスでのトークでおっしゃっていたそうです。この『絶唱』という小説を、悲恋もののラブストーリーとして映画化することもできたと思います。当時の舟木さんは人気絶頂でアイドル的存在でもあったわけですから、原作の主義主張を前面に出さずにソフトタッチの「純愛もの」として映像化するという選択肢もあったと思います。でも、そうしなかったところに舟木さんの舟木さんらしい姿勢が感じられます。50年近くたった今も私の心の核となるような作品として印象深く残っているのは、「安易なお涙ちょうだいもの」としてお茶を濁さず、真正面から取り組み『絶唱』という文学作品のバックボーンを一切損なうことなく、映像の世界で再構築したからなのだと思うのです。

そして、また原作では、映画を観ただけでは知り得なかった、小雪の出生の秘密が、最後に山番の夫婦である小雪の両親から語られます。その秘密は順吉の文学の仲間であり、原作の『絶唱』では順吉と並んで一人称でも登場する大谷に小雪の出生について打ち明けられています。
 
~「こみいったことって何です?・・私は誓って秘密を守りますから、どうか及ぶ限りのお力にならせて下さい。では私のほうから質問しますが・・つまりそれは小雪さんのことでしょうか」
「先生さま、わしらウソをついちょりました。これ以上卑怯だと、大罰があたりますけに」
何度も何度もいいよどんで、やっと母親のさとから聞き出したのは・・
「うららも、あの子が生まれた年に三カ月はよう、うららの子を生みましたけに、ところめが、赤児の肥立ちが悪うて、四十日しか生きて居ってごしませなんだ。うらら、息のきれた赤児を抱きづめで、はやもう気が狂わんばっかで・・それをお父がむりにもぎとって葬ってごしましたけに・・」さとの「皮切り」に勇気をとり戻した正造は・・
イメージ 6「それから、山に雪がはじめて降った日に、山まわりをしたわしは・・」と語りはじめた。
正造によれば
「女の身重のお遍路さんを助けた。安産をした、お遍路さんはさとの赤児が死んだのを聞いて同情して、そんなら私の子をと、助けられたお礼として赤児を譲ってくれたのだという。夫婦は「お大師さんのお授け」じゃと語り合って小雪をわが子として大切に育てきたのだという。
大谷は、「よく云って下さいました。もとよりこの事実を順吉くんに云われてもそれで動揺するようなことはありません。かえってあなた方をより一層敬愛するにちがいありません。」さとは・・「ほえ、小雪があんまりええ気立ての娘だったで、うららも裏表のない気立てでないと・・親として恥ずかしいけになあ・・可愛い小雪、ずうっとうららのこの乳で大けんなっただけになぁ・・」彼女は空間を抱きよせるようにして、なかば笑い、なかば泣きながら目をつむると、大きく確信をこめてうなずいた。~
 
 
小雪が「お大師様のお授け」の子であったという締めくくりにした作者である大江氏の想いがどのようなものであったのか・・すべてのひとが幸せに生きられる人の世であることを願う順吉の想いを実現させるために人智を越えた大きな力もその後推しをしているのだという意図が含まれているのだということなのでしょうか、その真意はわからないのですが、ただ、順吉が心からの尊敬を込めたまなざしで、小雪に言った「お前は一番正しいことを知っているんだね」という言葉と「お大師様のお授け」ということとは矛盾なく整合するものであることは確かです。
 
 
イメージ 7
 

 

Viewing all articles
Browse latest Browse all 1510

Trending Articles