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Channel: 舟木一夫の世界~れんげ草の咲くさんぽ径~
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明治座~二十代の舟木さんの舞台公演の足跡をたどる・その1

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舟木さんの初めての明治座特別公演は1967年4月(公演期間:4日から30日まで)にスタートしています。
この頃は、舟木さんがデビューなさって四年目で、シングルの大ヒット曲の『絶唱』と『夕笛』の二曲に挟まれた時期にあたります。
私はと言えば、申し訳なくも、あれほど夢中になった『絶唱』の、すぐ後に公開された映画『その人は昔』も『絶唱』の一年後に発売されてヒットした『夕笛』も、ほとんどインパクトを感じることなく新しい高校生活という世界の中で、すっかり舟木さんから遠ざかっていました。まして、東京の舞台公演などは、別世界の話であり、舟木さんが若くしてこのような大きな舞台で一ヶ月公演の座長を勤めていらしたことも全く記憶にありません。新聞に載ってる週刊誌などの見出しなどで観たような気もするのですが、多分、読み流していたというところでしょうね。毎度毎度「ゴメンナサイ、舟木さん」です。
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舟木さんが舞台で本格的なお芝居と取り組まれたのは、この明治座公演の前年の1966年10月の大阪・新歌舞伎座での初座長公演だと思いますが、その時の演目は「雨月道成寺」「若君風流」。
内容については現在のところ手元にある資料では、「若君風流~松平長七郎」(原作:村上元三)と書いてあるので1964年のNHK大河ドラマ「赤穂浪士」で舟木さんを抜擢した村上氏の作品で本格的お芝居の初舞台を踏まれたんだなぁ・・とのみ知るばかりです。でも、村上氏の小説「松平長七郎・江戸日記」の主人公の長七郎は、あの徳川忠長~奇しくも後年、これもNHK大河ドラマ「春の坂道」で舟木さんが演じられた徳川忠長~の御落胤という設定の小説だそうですから、まさに舟木さんが演じた数々の主人公の境遇と同種の「由緒ある身分の出自」という役柄だったんですね。舟木さんの高貴な佇まいを生かした魅力的な舞台だったのだろうなぁと想像します。
 
 
 
 
さて、明治座での七年にわたる座長公演を勤めていた時期は、舟木さんが二十代という芸能に携わる人として最も吸収力のある、感受性も向上心もあふるれるほど豊かだった年令にあたります。
長い不遇の時期を乗り越えて、奇跡的ともいえる復活を果たした舞台人としての舟木さんの底力は、やはりこの二十代に経験した座長公演で培われたものが大きかったのだろうと思わざるを得ません。
 
イメージ 2私の手元に、この明治座公演のパンフレットが6冊あるのですが、残念ながら、1967年の初公演のものは欠けています。というわけで二年目の1968年の公演からたどっていくことにします。幸いにも、1971年8月公演のパンフレットは「明治座出演5周年記念」ということで、第一回目からの舞台写真が「思い出の舞台から」というタイトルで掲載されていますので、写真だけアップしておきます。
 
1967年の初公演(4月4日~30日)舞台写真
左「春高楼の花の宴」、下「維新の若人」
 
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明治座 デビュー5周年記念 舟木一夫 七月特別公演 (1968年7月4日~7月31日)
 
イメージ 3昼の部 11時開演
1 坊ちゃん 
夏目漱石:原作 小野田勇:脚本 松浦竹夫:演出
 
2 舟木一夫ヒットパレード 想い出とあしたの唄
河端茂:構成 
 
哀愁の夜/くちなしのバラード/ラブ・ユー東京/銀座の恋の物語/北国の街/ブルートランペット/東京は恋する/太陽にヤァ!/夏子の季節/白鳥の歌/雨降りお月さん/心こめて愛する人へ/たそがれの人/今日かぎりのワルツ/踊ろうぼくと/その人は昔/オレは坊ちゃん/夜霧の果てに/絶唱/夕笛/残雪

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夜の部 5時開演
1 喧嘩鳶 ~野狐三次
村上元三:作・演出
 
 
 
 
2 舟木一夫ヒットパレード 七彩の歌をあなたに
河端茂:構成・演出
 
喧嘩鳶/おみこし野郎/火消し若衆/船頭小唄/波浮の港/花笠踊り/真
室川音頭/ソーラン節/銭形平次/一心太助江戸っ子祭り/絶唱/夕笛/高校三年生/学園広場/花咲く乙女たち/高原のお嬢さん/友を送る歌/ブルートランペット/哀愁の夜/センチメンタルボーイ/夢の中の恋人/くちなしのバラード/残雪/夜霧の果てに/オレは坊ちゃん
 
 
ちなみに、ヒットパレードの構成・演出をされた河端氏は、8月27日掲載の私のブログ「ちょっと箸やすめ~ちょっと早いですが、秋らしく「センチメンタル・ボーイ」 ↓
で、登場していらっしゃいます。前年公開の映画「君に幸福を/センチメンタルボーイ」の主題歌と挿入歌の作詩をされている方です。
 
 
イメージ 13五年目のひとりごと  舟木一夫
 
一、二、三、四、五・・・数えるだけなら簡単だな・・
一日、二日、三日、四日、五日・・
でも、この間に何かをするのは大変だな・・
一年、二年、三年、四年、五年 ~~~ 一八二五日
一八二五日・・でもこの間に何かをするのは簡単かも知れないな・・
十八才から二十三才までの一八二五日・・・
大事な青春の時間だな・・
一八二五日・・たつにはたったが何をしたかな・・思ったほど色んなことはできなかったな
一八二五日・・長かったかな?・・短かったかな?・・・
一八二五日・・毎日考えたのは何の事かな?・・歌の事・・それだけだったような気がするな・・
一八二五日・・毎日逢いたかった人はだれかな
毎日逢ってくれた人はだれかな
 
 
 
その人が僕には一番大切な人だったんだけれど・・誰だったかな?・・・
親父?・・・おふくろ?・・・姉さん?・・・それとも弟妹?・・・
違うなァ・・誰だったんだろう 親しすぎて無意識だったんだなァ・・一人だったかな 二人だったかな
・・それとも・・そうだ!! 今日も舞台に上がって唄ってみよう 唄えば想い出すだろう・・・
僕の一番大切な人は・・僕が唄っているときいつも一緒に居てくれた人なのだから・・あゝ・・早く今日
も舞台の幕が上がらないかなァ・・
早くその人に逢いたいなァ・・
逢ってお礼が言いたいなァ・・
一八二五日もわがままな僕の側に居て下さったお礼を・・そしてわがままついでにお願いしよう・・
これからもずっと僕の側に居て下さい・・と けどうまくお礼が言えるかな・・
うまく願い事が言えるかな・・
いいや・・とにかくその人の前に行って
歌を唄えば安心するだろう・・・
あゝ早く幕が開かないかなァ・・・
早くその人に逢いたいなァ・・
きっとうれしくなれるもの・・
 
 
楽しみな人 伊志井寛
 
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舟木君が去年にひきつづいてこの明治座で奮闘公演をやる、相手役は去年と同じ光本幸子であってみれば彼が浮気者でないことがわかる。~中略~芝居の方は去年「新撰組」を書いた村上現三先生が舟木一夫のファンとはどんな人達かと去年じみじみ見きわめた上で書いた「喧嘩鳶」つまり野狐三次のお話。
昼は漱石の「坊ちゃん」を小野田さんが舟木ならではの面白いものに書いてくれている。~中略~今どきの若いものなどど言ったら、古いぞと来るかもしれないが、全く今どきの若いものである舟木一夫は殊に真面目な人柄であり一見冷静のもののように見えるが、時には奇想天外な思いつきあり、洒落ありギャグあり、人々の度肝を抜く、言えば時に臨んで奇智あふれる才能と愛嬌の持ち主である。いまや高校生の歌から出発し、今日、日本一の歌手になったなんてものではない。しかし、モシこれからも芝居に進む気持あるのなら役づくりの上にも舞台上の約束にも又一段の苦心、修錬が必要であることは言うまでもない。芸を以て世に処する一人であることに間違いない。私は舟木一夫にいよいよ大きな楽しみをもつものである。
 
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相手役は7年間を通して、ずっと光本幸子さんでした。この清新で美しいおふたりの魅力的なコンビが次代の新派を担って、新派の新しい時代を作っていってくれるのではないかという期待の大きさが当時の新派の重鎮の方々の言葉や豪華なキャスティングからもしのばれます。でも、舟木さんのこのデビュー5周年の挨拶文からは「歌」への熱い想いがひしひしと伝わってくるように思います。やはり、当時から舟木さんは歌い手というベースの上に役者というもうひとつの表現者としての世界を置いていらしたようが気がします。
「坊っちゃん」については、あらためて御紹介するまでもないので省略しますが、「喧嘩鳶~野狐三次」は元は講談(講釈)で親しまれているものを村上元三氏が舟木さんのために脚色したものだったそうです。以下、村上氏の解説文と舞台俳優としての舟木さんに賭ける期待と激励が込められた文を御紹介します。
 
 
舟木君と三次 村上元三
 
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野狐三次というと、私ぐらいの年配の者はやはり若い頃に聴いた故人の神田伯龍の講釈を思い出す。ことに三次が少年のころ、木っ端を売りに歩く時の「木っ端売り三次」などはいまでも耳に残っている。講談では大工の磯五郎と女房が浅草観世音の境内で赤ん坊を拾って育てる。その子が生長してから町奉行筒井伊賀守の実子とわかり、相撲の両国梶之助の助力を得て、養父の磯五郎を殺した敵を討つ、という筋になっている。こんどの芝居は筒井伊賀守の実子というところだけ借りてあとは創作をした。

江戸の頃、町奉行大岡越前守がはじめて組織した町火消しの中でこの芝居の天保時代には、に組の人足は三百九十人を数える。野狐三次も全くの講談が創り出した人間ではなくちゃんとしたモデルがあった。~中略~今度で私が舟木君に書いた芝居は三本目になるが、いままでとは違った、いわゆる世話物の芝居の演出法を探ってみた。~中略~もうここらで舟木君も、楽しみながら自分で芝居をやる面白さというのがはっきりわかるだろうと思う。デビューからまだわずか五年なのに、ずいぶん舟木君も成長した、と今さら私なども、ひとしお感慨が深い。
 
1968年(昭和43年)発売 
 
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イメージ 14オレは坊ちゃん 作詩:西条八十 作曲:船村徹  
(3曲目です)
 
オーイおれは坊ちゃん 江戸っ子だい
好きなばあやの お清に別れ
初の船旅 四国へ来れば
キザな赤シャツ まぬけな野幇間(のだいこ)
暮れりゃ 東京の灯が恋し
 
 
喧嘩鳶~野狐三次 作詩:村上元三 作曲:船村徹
 
さっとかつぐは に組の梯子
神田日本橋 花が咲く
 「そおれ 火事は近けえぞ
  さあ 繰り出せ 繰り出せ」
腰の鳶口 伊達には差さぬ
おいら に組の野狐三次
江戸の名物 喧嘩鳶
 さあ どいた! どいた!!
 

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