明治座 舟木一夫 7月特別公演 (1969年7月4日~7月31日)
昼の部 11時開演
1 与次郎の青春 2幕8場
原作:夏目漱石「三四郎」より
原作:夏目漱石「三四郎」より
脚本:土井行夫 演出:戌井市郎
佐々木与次郎:舟木一夫
小川三四郎:久保明
広田先生:伊志井寛
里見美禰子:光本幸子
小川三四郎:久保明
広田先生:伊志井寛
里見美禰子:光本幸子
ほか
舞台脚本のあらすじ(パンフレットより)
小川三四郎と佐々木与次郎は親友だ。三四郎は九州から上京した田舎の青年。与次郎は都会育ちの要領のよい青年だ。明治四十年の初夏の午前、三四郎は大学の池の畔で美しい女性に逢う。その名は里見美禰子。数日後、与次郎、三四郎の師、広田先生の家の引っ越しだ。与次郎は広田先生の居候だ。そのうち、美禰子が手伝いにきた。美禰子を好きな与次郎も、三四郎も大張りきりだ。一同がひと休みしている所へ飛びこんできたのは牛肉屋のおすぎ、与次郎のことを惚れて追い回している娘だ。与次郎も要領よく合わせているが、今日みたいに
数日後、広田先生を大学の教授にしようとしている与次郎は、同志の集会を開くが反対派のために集会も最後は大喧嘩となる。反対派は新聞で与次郎の書いた広田先生讃美の論文「偉大なる暗闇」をとりあげて批判した。それに悪いことには「偉大なる暗闇」の筆者は与次郎ではなく三四郎になっている。でも、この論文に感心した美禰子に三四郎はえらいモテようとなる。くやしがる与次郎。
また、幾日かたったある日、広田先生は教え子をつれて団子坂の菊人形を見物した。気分の悪くなった美禰子に連れ立った与次郎は、なんとか広田先生の大学招聘と三四郎の美禰子への愛を成就させようと心に決めていた。雨が降ってきた。三四郎が心配して戻ってきた。美禰子をまかせて与次郎は先に帰った。美禰子と三四郎の間にはなにか流れるものはあるが、激しくはない。通りかかった人力俥に乗った男が美禰子に声をかけた。立派な男である。美禰子は男にすすめられるままその俥に乗った。雨の中に一人立つ三四郎。雨に濡れて熱を出した三四郎を見舞った美禰子の友人よし子の話で、美禰子が婚約したことを知る。そして、広田先生の大学招聘も失敗した。与次郎も三四郎もがっかりである。だが、二人とも若い。希望に満ちている。失敗も失恋もサラリと忘れ、肩をくんで元気に歩み出すのだった。
明治座座長公演三年目のお芝居は、昼が「与次郎の青春」・・・最初はピンとこなかったのですが、調べてみて漱石の「三四郎」に登場する妙な友人が与次郎であることを思い出しました。なぜ、三四郎でなく、舟木さんがこの一風変人とも思える与次郎を演じることになり「与次郎の青春」というテーマでの上演になったのか?私なりに、もう一度、そこに焦点を当てて「三四郎」を読み直してみました。先ずは以下の資料から、「与次郎の青春」をひも解いてみることにします。
~ウィキペディア「三四郎」より~
(与次郎のモデルは鈴木三重吉)
『三四郎』(さんしろう)は、夏目漱石の長編小説である。1908年(明治41年)、「朝日新聞」に9月1日から12月29日にかけて連載。翌年5月に春陽堂から刊行された。『それから』『門』へと続く前期三部作の一つ。
三四郎は、漱石の弟子である小宮豊隆がモデルである。小宮は、福岡県仲津郡(明治29年京都郡に編入)久富村(現在の京都郡みやこ町)に生まれ、旧制の福岡県立豊津中学校(現在の福岡県立育徳館高等学校)を経て第一高等学校 (旧制)から、東京帝国大学文学部に進む。三四郎が熊本の第五高等学校出身とされている点は、小宮の経歴とは異なる。なお、育徳館高等学校の校庭には、小宮豊隆文学碑を中心とする「三四郎の森」がある。三四郎の故郷を「熊本」と誤解しているものは、いわゆる「知識人」の中にも少なくない。正しくは、本文中(第1章)に「正直に書いた」と記されている通り、福岡県京都郡(旧豊前小倉藩〈豊津藩〉領)のある農村である与次郎も、同じく漱石の弟子の鈴木三重吉がモデルである。美禰子は、漱石の弟子である森田草平と心中未遂事件を起こした、婦人運動家平塚雷鳥がモデルである。彼女は一流のお嬢様の身で、漱石の弟子と謎の心中事件を起こした。そんな彼女の生きざまを知り、女性の神秘さを描いたとされている。野々宮のモデルは、同じく弟子である、物理学者の寺田寅彦である。
与次郎のモデルといわれる 鈴木三重吉とは ~ウィキペディアより~
日本の近代児童文学・児童音楽の創世期に最も重要な影響を与えた「赤い鳥」の創刊者。鈴木三重吉の目から見て低級で愚かな政府が主導する唱歌や説話に対し、子供の純性を育むための話・歌を創作し世に広める一大運動を宣言し『赤い鳥』を発刊した。創刊号には芥川龍之介、有島武郎、泉鏡花、北原白秋、高浜虚子、徳田秋声らが賛同の意を表明した。表紙絵は清水良雄が描いた。その後菊池寛、西條八十、谷崎潤一郎、三木露風らが作品を寄稿した。
二十代後半に夏目漱石にハマって、手当たり次第、読んだはずなのですが、「三四郎」に登場する与次郎のキャラはあまりに破天荒で、その頃の私には全く、心惹かれる人物ではなかったのでしょう。多分、今でも与次郎は男性にはある種の共感を呼ぶタイプの男ではないかと思いますが、女性から見るとただただデリカシーのないちゃらんぽらんな男というキャラクターだと思います。でも、舟木さんが演じたのですから、なんとか与次郎を「再発見」しなくては(笑)・・・とあらためて「三四郎」を読み返してみました。「与次郎再発見」を目的にしたその読後感は・・・とちょっとまとめてみました。
漱石原作の「三四郎」の中での与次郎の役割とは?
「三四郎」に登場する人物たちの中で与次郎だけが、本音で生きている印象がある。「困った人だが、羨ましい人」だというニュアンスがあるような気がする。与次郎の言動を通して、漱石は自分自身の本音を表現しているような感じも受ける。こうして、与次郎を底抜けに明るく天真爛漫に性格づけしていることで「三四郎」という小説がある意味で「青春小説」として成り立っているように思った。脚本の土井行夫氏、演出の戌井市郎氏は「三四郎」の中の与次郎をどのような人物として捉えていらっしゃったのか?また、何故舟木さんに与次郎を演じさせようとなさったのか?「三四郎」を再読して、ほんの少しわかったような気がしています。
それでは、小説「三四郎」の中で、与次郎は美禰子をどう思っているのか?そして、美禰子は?
与次郎に金を貸した三四郎は自分の下宿代が払えなくなって、その金を美禰子に借りることになってしまいます。その時の、三四郎と与次郎のこういう会話が原作にはあります。
与次郎「それで、美禰子さんが引き受けてくれて用立てしますと言うんだがね」
三四郎「あの女は自分の金があるのかい?」
与次郎「そりゃ、どうだか知らない。然し、とにかく大丈夫だよ、引き受けたんだから。ありゃ、妙な女で、年のいかない癖に姉さんじみた事をするのが好きな性質(たち)なんだから、引き受けさえすれば安心だ。心配しないでもいい。宜しく願っておけば構わない。」
与次郎は美禰子が三四郎のために金を用立てることで三四郎と美禰子の仲が接近するように取り計らっているように書かれている。それからしばらく経過した頃の、三四郎と与次郎の会話、まだ与次郎は三四郎から借りた金を返していないが、明らかに自分に都合のいい言い訳のようなたとえ話をしてこう言う・・・
「そういうこともあるからなぁ・・」と与次郎が言った。三四郎には可笑しいだけである。高い月を仰いで大きな声を出して笑った。金を返されないでも愉快である。与次郎は「笑っちゃいかん」と注意した。三四郎は猶、可笑しくなった。「笑わないで、よく考えてみろ。己(おれ)が金を返さなければこそ、君が美禰子さんから金を借りることが出来たんだろう」三四郎は笑うのをやめた。「それで?」「それだけで沢山じゃないか。・・・君、あの女を愛しているんだろう」与次郎はよく知っている。三四郎は、ふんと言って、又高い月を見た。月の側に白い雲が出た。
「君、あの女にはもう返したのか?」「いいや」「いつまでも、借りておいてやれ」
「君、あの女にはもう返したのか?」「いいや」「いつまでも、借りておいてやれ」
与次郎にとっては美禰子は、気になる女性ではあるが、決して特別な女性ではないような気がする。好奇心旺盛な与次郎だから美禰子のような、謎めいた娘への関心や興味はあったとしても、対象物として観ているだけのような存在なのかも知れないと原作からは読み取れる。そして、さらに三四郎という親友の美禰子への恋心も感じ取っていてその想いを彼なりに遂げさせてやりたいという、男気のあるいいヤツであるように描かれている。
それでは美禰子の与次郎に対する気持ちはどうか?
利発な美禰子は、与次郎が自分を特別な女性として観ているのではないことをよく知っている。.美禰子は、自分の周りにいる男は、誰でも自分の影響を受けるという自意識の強い娘だが、与次郎には全く影響力を持てないこともわかっているから、与次郎は無視して、自分に気がありそうな三四郎には気を持たせるような態度をとっているのでは?美禰子には、まだ大人になりきれていない少女のような気まぐれさや残酷さがほの見える。
利発な美禰子は、与次郎が自分を特別な女性として観ているのではないことをよく知っている。.美禰子は、自分の周りにいる男は、誰でも自分の影響を受けるという自意識の強い娘だが、与次郎には全く影響力を持てないこともわかっているから、与次郎は無視して、自分に気がありそうな三四郎には気を持たせるような態度をとっているのでは?美禰子には、まだ大人になりきれていない少女のような気まぐれさや残酷さがほの見える。
追憶のブルース/二人だけの街角/おやすみ恋人/夏子の季節/月とヨットと遠い人/真珠っ子/太陽にヤァ!/南国の夜/夢淡き東京/東京の椿姫/学園広場/癪な雨だぜ・大学数え唄(守屋浩)/夕映えのふたり/若い夜(自作)/慕情の街/オレは坊ちゃん/永訣の詩/残雪/すてきなあなた/青春の鐘/京の恋唄
この、昼の部で「ヒットパレード」で歌われている中の「若い夜」と「慕情の街」はアルバム「舟木一夫花のステージ 第10集」収録(1971年3月発売)のオリジナル曲です。
*「若い夜」は、高峰雄作のペンネームでの自作詩です。このアルバムについては、別途、追って掲載します。
「明治座~二十代の舟木さんの舞台公演の足跡をたどる・その2(下)」につづきます