ひとつ前の日記「明治座~二十代の舟木さんの舞台公演の足跡をたどる・その3(上)」の続きをもう少しだけ・・
明治座の座長公演の三年目の昼の部のお芝居「新吾十番勝負」、パンフレットで拝見する舟木さんの新吾は本当に水も滴る美剣士ぶりで、舞台写真の一場面からも当時の女性ファンを魅了しただろうことが窺われます。では、原作者の川口松太郎氏は、この初演時(1970年)の「舟木新吾」をどのように評価なさったのかが気になるところです。その評価とも言えることが、翌年(1971年)、明治座で、上演された「新吾十番勝負・完結編」のパンフレットで知ることができます。前年の舟木さんの新吾をご覧になった川口氏のご挨拶文からの抜粋です。
申し分なき新吾 川口松太郎
新吾は戦後間もなく書いた小説だが二十年後の今でも命を保って芝居やテレビに採用されるのは主人公新吾に対する大衆の支持があるからだ。今、その理由を考えてみると、第一に新吾は正義の武士であること。人間は正しい事を好む性質に生まれついている。これは疑いのない事実だ。正義が好きで不正を憎むのが人間の正しいあり方で、中には不正を働く人間もいるが、それとても楽しんでやっているのではなく、良心の呵責を感じながら持ち前の弱さで知らず知らず不正への沼へ落ち込んだので、やがては正しい道へ戻るものと信ずる。第二に新吾は強い剣士であること、人は誰でも強さを喜び、強い人間を尊敬し弱い者を軽蔑する。~中略~この点で舟木君の新吾は申し分なく強く颯爽と剣をふるって不正を討ち砕く、剣の強さが観客を喜ばせる。第三には美しいこと、人間ほど美しさを喜ぶ生き物はいない。~中略~舟木一夫にぴったりで新吾の印象として残る姿の美しさ申し分なく舞台に再現するだろう。その上、彼は新吾にはなかった声の美しさを持って新吾以上のイメージを盛り上げる。颯爽たる剣士で類まれなき美青年でその上に声が美しいのだから三拍子揃った新吾役者というべきである。三拍子揃ってはいるがもう一つ正義の士として申し分なき人物を創造できるかどうか、これは演技で処理する問題ではなく演技以前の人格形成が舞台ににじみ出て観客の心を打つものだ。舟木君の舞台が新吾の正義感を完全に出し切った時、彼の人間も完全に近づいたと思いたいしその意味で今度の舟木君の新吾は従来以上に楽しみである。
この川口氏の「舟木新吾」評を拝見して、私は、さすが舞台脚本を数多く手がけていらした方の言として実に的を射たものであると諸手を挙げて共感しました。私も舞台人に不可欠なのは、顔や姿もさることながら声の良さであると思っています。そして、「顔・姿・声」が揃っているからそれで良しというかというと、全く違うのですね。この三拍子揃っていることの前提として~つまりこれらの三拍子よりもさらに大切なのもの~巧まずして滲み出る人間としての品性がベースに要求されるのだと思います。表現者の人格を通すことによって作品の登場人物に対して始めて共感を持つことができるのだと思います。舞台では恐ろしいことに三百六十度、すべての角度からその人が見えてしまいます。私は、舞台芸術を観るたびに、表現者には「演技が巧い」という小手先のテクニックや経験則だけでは片づけられない人間的なクオリティの高さが求められるように常に感じています。もちろん歌い手もそうだと思っています。舟木さんがしきりにおっしゃっている「巧い歌い手」ではなく「いい歌い手」であることを目指していらっしゃるのは、受け手の心に響くものを送り届けることができるか否かだということを常に胆に銘じていらっしゃるからだと理解しています。まさに「芸は人なり」です。この言葉は、真理を突いた名言で私の大好きな言葉です。
もうひとつ、「新吾十番勝負」に関して、ご紹介しておきます。当時の後援会主催の運動会は5月5日開催が恒例だったんですね。この年の運動会では8月の明治座公演に向けて下記のようなプレイベントで公演を盛り上げようとなさっていたのですね。素晴らしい後援会の力と後押しがあっての一ヶ月公演成功なのだとあらためて舟木一夫後援会の熱意と結束力を痛感しました。
後援会運動会イベント写真と文パンフレットより
みんな「クタビレタ・・」 舟木「見てるほうがつかれるよ」
5月5日は、恒例、舟木一夫後援会の運動会の日、この日のハイライト!舟木一夫公演「新吾十番勝負」上演を記念して行った「葵新吾・扮装コンテスト大会」珍な新吾の行列だなんて、云ってはいけません。みんななかなか美男子でした。でもね、新吾がアベコベに斬られてしまったり、刀が抜けなかったり、ゲラゲラ笑ってばかりの新吾だったり・・立ちまわりの人や、見ている人をハラハラさせました。でも、無事にすんで記念撮影。「私、舟木一夫に斬られたいわ!」この新吾たち、変なところに弱い・・・
夜の部 5時開演
夜の部 5時開演
1 日本の旋律~荒城の月 音楽の主題に依る2幕
作:霜川遠志 演出:松浦竹夫
滝廉太郎:舟木一夫
黒岩涙香:伊志井寛
滝大吉:花柳喜章
黒岩涙香:伊志井寛
滝大吉:花柳喜章
大吉の妻:淀かほる
広瀬武夫:内田良平
高木チカ:光本幸子
舞台脚本のあらすじ(パンフレットより抜粋)
広瀬武夫:内田良平
高木チカ:光本幸子
舞台脚本のあらすじ(パンフレットより抜粋)
明治28年、舞台は大分県竹田町にある岡城址。戦勝の喜びにわきかえっている町の様子。竹田町では名士となった海軍軍人広瀬武夫中尉が帰郷しているとの噂。そこへ、竹田郡役所の小使い孫爺が東京の音楽学校の生徒滝廉太郎をさそって岡城址へ登ってきた。白絣の着流し姿で、どことなく弱々しい廉太郎である。彼は病気のため、一時帰郷しているのだ。廉太郎は、町の英雄広瀬武夫となにかと比較されるのだ。音楽がいまだ理解できない人々には音楽など、男子一生の仕事ではないときめつけられている。そこへ広瀬中尉が現れる。手に尺八を持った軍人とは見えない姿に驚く廉太郎。年代が異なっても二人の間には固い友情と尊敬の念がある。たんなる先輩後輩というのではなく心から信頼し合った美しい、燃えるような情熱で交際しているのだ。音楽を勉強する廉太郎の良き助言者は広瀬武夫であった。音楽を語り、芸術を語る二人には互いに共通するなにかがあった。廉太郎は自分で作曲した歌を彼の前で披露した。しかし、広瀬の口から出た言葉はきびしかった。廉太郎の精神が間違っていると言う。日本の音楽、西洋音楽を取り入れて新しい日本の旋律を創作するのが、滝廉太郎の目指す理想であろうと言うのだった。
明治30年の晩春、
廉太郎は東京麹町の叔父大吉の家に帰った。廉太郎は広瀬の言葉に励まされ新しい旋律を創作中だった。琴唄をたしなみ古い民謡にもあかるい大吉の妻の民子は廉太郎のよき理解者である。この日、廉太郎を慕う美しい高木チカ訪ねてきた。廉太郎はチカを呼び、新しく書いた曲をぜひ聞いてもらいたいらしい。廉太郎とチカは新曲の喜びを語り合った。その二人を寂しく見守る民子である。そこへ、夫の大吉が広瀬武夫と一緒に入ってくる。広瀬は近々露国へ留学するとのこと。廉太郎はそんな広瀬が羨ましい。自分も外国へ留学して西洋の音楽を研究したいと願っていたのだ。廉太郎は新曲「花」を弾きはじめた。岡城址で広瀬と誓った新しい音楽の第一作目だったからだ。それから一年が過ぎた。廉太郎は彼の才能を高く評価している「万朝報(よろずちょうほう)」の黒岩涙香に、留学して西洋人の風俗にもふれ、その音楽の精神を学ぶようにと勧められている、涙香は音楽学校が一名をドイツへ留学させることになったと告げる。涙香は「万朝報」の新聞記事で廉太郎を絶賛してくれた。しかしドイツ留学は廉太郎ではなく幸田幸に決定する。失望した廉太郎だが、気を取り直して、ピアノに向かった。新曲「荒城の月」が静かに流れていった・・。その一件以来、廉太郎は家に閉じこもりがちになったが、この頃には、童謡や唱歌にとりくんでいた。そして「荒城の月」や「箱根八里」が評判をよんでいた。しかし、留学への夢はあきらめきれずにいた。そんな廉太郎をやさしく包んでくれたのは民子であった。廉太郎に同情していた民子だったがいつしか淡い情愛をかけるようになっていた。廉太郎も民子の心やさしい好意のすべてに許されない心のうずきを感じるのだった。そんな時、念願だったドイツ留学が決まった。
明治25年、ドイツに留学した廉太郎は研究途上で病に倒れた。帰国した廉太郎は故郷の町に戻ってきた。思い出の岡城址に立つ廉太郎は今日までの過ぎ去った事が走馬灯のように浮かんでくる。「永遠」という言葉は滝廉太郎の魂であったろう。「荒城の月」の旋律が草陰にただよい流れていく中を滝廉太郎はその短い生涯を終える。
以下は、この作品の作家である霜川氏の書かれたものからの抜粋です。滝廉太郎は実在の人物であり、しかも肺結核という病に倒れ、そのあふれるばかりの才能を秘めたまま夭折した天才音楽家であることから、評伝とすることも難しく、さらにその短い生涯を舞台化することはなおのことかなり困難なことではなかったかと思います。加えて廉太郎の知人や友人が実名で登場していることもあって、事実関係から捉えれば批判や非難も当然出てきたことでしょう。滝廉太郎を取り上げた小説や映画もあるようですが、やはりフィクションに彩られて情緒的に薄倖の天才音楽家の生涯を描いたものになっているようです。しかし、そんな部分を差し引いても滝廉太郎が黎明期の日本における西洋音楽に日本的なる独自の抒情性を生かして、従来の邦楽とは異なった新たな「日本の旋律」を生みだした功績は、遺された多くの作品が明確に物語っています。舟木さんがこの「廉太郎」を演じられてから四十年以上経ちますが、今もなお舟木さんが歌い継いでいきたい歌として第一に挙げられているのが「荒城の月」であることを思えば、私たちもまた、この夭折の天才音楽家である滝廉太郎の若き心の裡に秘められた、豊かな感性の発露を共に音楽の道を歩んだ美しき同窓生や、廉太郎の哀しみに心を添わせ、学究への情熱を支えてくれた義姉への淡い恋心ではなかったのかと想像せざるを得ません。例え短い生涯であったとしても、この作品で描かれているような「廉太郎の青春」は確かに存在したのだという気持ちになるのですね。
劇作余談 霜川遠志 (パンフレットより一部抜粋)
~前略~名曲であればあるほど、人はそれに文学的情緒的伝説を付け加えたいものである。あながち、このドラマの虚構性のみを咎めだてしないで欲しい。ちなみに、このドラマはすべて実名で書き、できるだけ史実に即して書かれているが、それでも高木チカが廉太郎に想いを寄せていたとの事実はない。高木チカとは後の東洋音楽学校の教授杉浦千歌子先生であるが、当時の廉太郎の同窓生の写真などに見えている同先生が、ずばぬけて美しく可憐であったのでこの劇に登場してもらった。~中略~これは叔父大吉の妻民子の場合も同じである。廉太郎が義姉に姉弟愛以上の想いを寄せていたとう実証はなにもない。しかし、留学中の廉太郎の便りの殆どが義姉の民子に寄せられており、その文面にも深い愛情が篭っているし、秘かに日記をつけて義姉に送った事実もある。しかし、それらの一切の遺品や五線譜、手紙類は廉太郎の病気が肺結核だったという理由で、死後、母のタツが感染を恐れてことごとく焼いてしまったという。当時の事情からやむを得ない処置であったともいえるが、その焼かれたものの中に・・私の劇的エモーションが廉太郎の義姉への禁じられた恋情としてふくれ上がったのもその辺に推理があるのである。
2 舟木一夫ヒットパレード
~夏祭り 唄の浜町~
青春の鐘/すてきなあなた/うわさのあいつ/木曾節・金比羅舟々・小原節(赤坂小梅)/やなぎ小唄/江戸っ子だい/喧嘩鳶/銭形平次/すみだ川/明治一代女/白山(詩吟・赤坂小梅/殺陣・舟木一夫)/新吾十番勝負/あゝ桜田門/山の彼方に/あいつと私/東京は恋する/北国の旅情/友を送る歌/心配だからきてみたけど/再会/北国にひとり/荒城の月