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Channel: 舟木一夫の世界~れんげ草の咲くさんぽ径~
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『陽射し・旅人』あの頃の舟木さん番外編~「酔ってSINGER 青春病大騒ぎ」より

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酔ってSINGER~青春病大騒ぎ(1983年青山書房)
 
イメージ 1舟木さんの自著「怪傑!!高校三年生」(1992)と「風来坊」(1999)は、手元にあるのですが、年代的に一番古いエッセー「酔ってSINGER~青春病大騒ぎ」(1983)は、なかなか手に入らず、舟友さんのご厚意でお借りして読むことができました。
独特の感性と文体で魅力的な文章をお書きになる舟木さんの文才は、古くからのファンの方は後援会の「浮舟」や、なっといっても「WHITE」の世界で、十分に周知されているところだと思います。
そんな舟木さんがまとまった形として初めて出された著書がこの「酔ってSINGER~青春病大騒ぎ」ということになるのでしょうね。コンサートのトークそのままのような自然体の舟木さんが、ここでも見えてきます。
年令的には、三十代の後半という時期で、いわゆる「寒い時代」にあたりますが、「今」という地点から、ここに書かれている諸々の舟木さんの想いを読みとっていくと、この時代は舟木さんにとって、二十代には、吐き出す一方だった才能や力を、第二ステージへ翔くために、あらたに蓄積・充電する時期だったような感じを受けます。
 
本の裏表紙は、舟木さんらしい、こんな装丁になっています。
 
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全体の構成は7章に分かれています。6章の「THAT'S エピソード」から、何篇か抜粋してご紹介します。
 
イメージ 2風来坊 PARTⅡ
 
昭和五十五年十二月九日、午後十二時二十一分 体重3438グラム、身長52.5センチの健康なからだを授かって、野郎が一匹この世の中へ飛び出してまいりヤシタ。
おまけに、オレと同じ申年の射手座。ご丁寧なことに、曜日まで同じ火曜日の生まれと言う、まったくもってジュニアもイイトコ。要するに、風来坊のPARTⅡ。
だいたい、この野郎、オレの嫁サンを十ヵ月余りも占領した上に、難産の憂き目にあわせ、最後は切腹にまで追い込むとは親の仇も同然。
「そのうち目イッパイ仕返しをしてやっから覚悟しろ」とニラミつけてやったんだけど、洟もひっかけずにグーグー寝てやがる。根負けしてこっちがダレて、仕様がないから向こう二十年は面倒みてやることにしたけど、シャクにさわるったらありゃしない。
ちなみに、この野郎の名前は”純”。数えきれないほどの人たちの気づかいの中で生を受けるとは、何んとも幸せなヤツだと思う。もうあとは、結果的に母親になったオレの嫁サンに泣きをみせたり、元気に育つことを心配してくださっている皆さんに迷惑をかけるような人間にならなければ、他に何も言うことはない。
オレのほうはどうせ生涯、風来坊に決まっている。オレはオレで、"純”は”純”。
オレの歩く道に文句は言わせないし、”純”が選ぶ道に、口は一切出さない。お互い五分だ。

 
イメージ 8高校野球
 
夏なんだな・・・とオレが実感を持つのは、自然の変化もさることながら、高校野球だ。
あのムードは、”青春真っ只中”以外の何ものでもないという感じで、実にいい。野球の好き嫌いに関係なく、大勢の人々が目と耳を向ける原因が、なんとなく判る気がする。最近はあれこれお金がかかりすぎているらしいというのがちょっと気になるけどサ。
高校野球を見るたびにオレが想うことは、やっぱり何歳になっても、何事につけても一生懸命みたいなものは必要不可欠のものなんだナということだ。
仕事は結果だ、とは言うものの、やはりその過程にはその人、その人のムードが欲しいなと思ったりする。
生きることに”勝ち””負け”はつきものみたいに言われるけど、他人との比較で勝ったの負けたのよりも、その人らしい生き方、勝負の仕方が実はもっとも大切な事のような気がする。
思いがけない”勝ち”がころがり込むこともあれば、全力を尽くして”一敗地にまみれる”こともたくさんある
んじゃないだろうか。
イメージ 9背伸びをせず、妙な劣等感など持たず、自分にできる限りでの夢を追い、相応に生きる・・・それも幸せの確実なひとつの形であることに違いはないような気がする。
甲子園で優勝すること、それは彼らすべての夢だろう。その夢を頂点において、地区予選を初めとして一試合、一試合を戦い続けて行く。勝者があれば、当然敗者がある。けれど、他の何かを考えながらでは満足なプレイなどできないだろうし、ましてや勝者にはなれないだろう。
とにかく夢中になること。それ以外に道はないし、そこに”勝ち”"負け”に匹敵する、いやそれ以上の何かがきっとあるはずだ。
・・・何かに懸命になる。そして、そのこと自体にかけがえのない愛しさを覚えるのはオレの若さだろうか。
オットット、どうでもいいけど、”ちょっと”じゃなくやたら真面目な話になっちゃったみたいだナ・・・仏滅、仏滅。
 
 
右衛門七討入り
 
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例のNHKの大河ドラマに、計三回出していただいた。最初が「赤穂浪士」の矢頭右衛門七、二度目が「源義経」で平敦盛、そして三度目は「春の坂道」の駿河大納言忠長。
なんでも、歌い手としては今のところ、大河ドラマ最多出場記録らしいが、なんたって初めての”右衛門七”がいちばんまいった。何がって、カツラがあんなに重いものだとは、そのときまで知らなかったもの。それにオレは鶴っ首ときてるから、当時十九歳のバカさながら、いや、くたびれた。
おまけに時代劇のメーキャップ。”なんで男が壁塗りしたり、マスカラつけたりしなきゃいけないンだ”と内心エライ不機嫌大会。
細かいことを書けば果てしなくあるけど、まァ、いろいろとあって小一年が過ぎて、いよいよクライマックス、場所は砧のオープンセット。いざ、本番。長谷川一夫さんの内蔵助を先頭に、四十七士はいでだちも勇ましく吉良邸目指してゴーイング。舟木クンの矢頭右衛門七は浪士中最年少のところへもってきて、討入り出演中もっとも新人だから、金魚のフンで最後方の大暴走。あンときは正直言って、少しプライドが傷ついタ。痩せても枯れても、オレは上田家ダントツの長男坊だぞ、オノレ。挙句の果てに短距離はグンバツに速いときてるから、四十六士を追い越して先頭の内蔵助をぶっちぎるコトなんぞ、いともたやすい。けど、それをやっちゃったんじゃ芸能界、生きて行かれないないかもしれないと、生活かけて懸命に思いとどまった。思いとどまるのに苦労しながら、吉良邸目指して駈け出した。刀の柄頭を指先でグッと支えて真っしぐら。
イメージ 16~矢頭右衛門七散り行く花か 恋も知らない若い身で~レコードの歌詞に合わせて、カッコよく走った。なにしろカッコよくとしか考えてなかった。と・・・左足が何か硬いものを蹴っ飛ばした。振り向いてなどいられない。目指すは吉良の首ひとつ・・・血湧き肉おどったネ。
ところが突然、どっからだかデッカイ声がして「カット、カット、カット、NG、NG・・・」なんだろうと思って立ち止まったら、ミキサーのオッサンがオレを睨みつけて、スゴイ顔して怒鳴った。「俺の鼓膜を破る気か!」。雪道の中に仕込んであった特大の集音マイクをモロに蹴っ飛ばしたらしいんだオレ、いや、矢頭右衛門七が。アホ。スカタン。自慢じゃないが、マイクを蹴っ飛ばして怒鳴られた赤穂浪士なんて。きっとオレが最初で最後だろうなァ。

判ンない、判ンない・・・
 
「学園広場」って歌があります。三人の女性コーラスがバックに入ってマス。一番の真ン中あたりを、よ~く聞いてください。本人ともども女性コーラスが、学園広場で肩組みあって、と唄っておりマス。よ~く聞いてみてください。ひとりだけ歌詞をトチってます。”で”を”え”とやってオリヤス。どういうわけかそれでOKが出たンで。一応ディレクターに伝えたら「判ンない、判ンない・・」このレコード、三ヵ月で七十万枚売れマシタ。
 
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立往生  
 
イメージ 14つい一、二年前、とある北国でミニ・コンサートの終了後、「オツカレサマ~」と裏口で待ってくれてるタクシーへ。乗っかろうとしたら、オレのシャツを後ろから引っぱって、「フナキさん、フナキさん」と、しゃがれた女性の声。「ハイ?」と振り向いたら、七十は間違いなく超えていて、細かいカスリの上にグレーの羽織をチョンと着たおばあちゃんがひとり。「何ですか」と向き直って顔を見たらおばあちゃん、ふわっとした深い眼でオレのこと見上げて、「大変だネ、アンタも・・・」不意打ちで意味が判ンなかったから、オレ言葉に詰まったら、続けておばあちゃん、「毎週、毎週、テレビでおンなじ歌、唄ってねェ」と、実に気の毒そうに言った。「銭形平次」のことだと、やっと判った。判ったらよけい言葉にツマっちゃった。立往生ってのは、きっとあれに違いない。けど、オレ、こういうおばあちゃん、最高に好きだ。

 
 
 
 
 
ゼンマイ仕掛けのガキ大将
 
イメージ 5「沖田総司」を演ったときのバカな話。見かけがこれだから、胸の病に悩む薄倖の剣士とくれば、オレが当然、総司でアリマス。こういう場合、その実体はとりあえず別でイイ。近藤勇は今は亡き花柳喜章さん、土方は、内田良平サンにやっていただいた。この良平サンってひとは、大先輩にもかかわらずつい内田さんじゃなく良平サンと、後輩のオレが今、実際に書いちゃってるぐらい気さくというか、ズンベラボウというか、ガキ大将の年くったのをプラモで作ってゼンマイで動かしちゃったような、バツグンに楽しいひと。さて、この芝居の中程の山場に、例の池田屋の斬り込みがあった。二階屋のセットを縦横に使っての大立ち回りの末、沖田が血を吐いて倒れる。倒れながらも、敵を斬る。主役だから、斬られる心配はまずない。斬り合いが続き、再度、沖田はせき込み、胸をおさえて用水桶のわきにくずれかかる。
総司に駆け寄って、からだを支えながら、土方が緊迫した大声で隊士たちに叫ぶ。「オイ!誰か戸板を持ってこい、早く医者を呼んでこい。急げ!」客層はどっちかっていうと大半が総司の味方だから、心配しちゃって”シーン”その土方に向かって、総司が息もたえだえに言う。「大丈夫、土方さん、大丈夫です・・」血ィ吐いてブッ倒れてる奴が、大丈夫なはずがない。でも、この場合は大丈夫。良平さん、ある日気合いが入りすぎちゃったのか、ここでセリフを逆さに怒鳴っちゃった。「オイ!誰か医者を持ってこい、早く戸板を呼んでこい。急げ!」言われた隊士一同、笑いをこらえてソデへ駆け込んだ。客席もあっちでクス、こっちでゲラゲラで、とりあえずアウト。二人っきりに舞台がなって、喀血して苦しんでる総司の眼と口もとに、思わずこぼれる”地”の笑い。笑っちゃったもンは仕様がないけど、よしゃあいいのに台本にないセリフをテレくさまぎれにポコッと言っちゃった。それでも一応苦しそうなふりはしてた。苦しいのは確かだった。だって、肺病で死にそうな奴が、笑いをこらえてひきつってるンだから。「土方さん、戸板を呼ぶのも結構ですが、できれば医者を呼んでください。」これでほぼ、あのゴツイ良平さんの顔がモチャっとなった。どうせお客さんにはウケちゃってるし、ものはついでだと思ったから、悪ノリしちゃってとどめの一発。「ただし、まちがっても産婦人科は困ります」それにしても、なンちゅう時代劇だ、しかし・・・・・
 
 
総司が行く 作詩:すずきじろう 作曲:山路進一
 
イメージ 4明治座公演「沖田総司」主題歌(1973)
アルバム「限りない青春の季節」収録
 
草葉の上の玉露か・・・
若き生命の灯がゆれる・・・
 
人が怖れる三段突きは 
沖田総司の剣の冴
胸の病を知りつつひとり
生きる”誠”の旗の下(もと)
 
壬生の若獅子 一番隊の
剣の鬼だと 風が言う
笑い流して 京洛の夜を
今日も総司の 影が行く
 
二十余才の 生命の丈が
小倉袴の裾に舞う
孤剣ひとすじ 菊一文字
ゆくは幕末 修羅の道
 
舟木和夫
 
イメージ 6触れないでおくのは何んとなく不親切な気がするので、「上田成幸」がどこで「舟木一夫」になっちゃったのかをカンタンに。名付け親は作曲家の遠藤実先生で、オレはその不肖の息子。「高校三年生」の譜面をもらったのが、1963年の一月十五日、成人の日。その譜面をもらいに行った一月十五日に芸名の話が出て、名付け親の師匠が半紙に「舟木和夫」と書いてくれた。見てお判りのように、「舟木和夫」ってのは全部、字がタテに細長い。えらくヒヨワな感じがしたから、「先生、これ、なんだかすぐ横倒しになりそうで、心細いですねェ」とオレ。師匠、紙を自分のほうに向け直して、「うん、そういえばそうだ」。何の気なしに「和を一にしたらどうですか」と言ったら、「ああ、それがいい」。で「舟木一夫」
字はともかく、この「フナキ・カズオ」という名前は遠藤先生が、いつかこの名前で手塩にかけた新人をその手から巣立たせたい、と思っていた取って置きの名前だったそうだ。いい名前だと思う。
 
 
 
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